その後、ロイドに持たされたプリンを食べたいとルルーシュが言うので、茶の用意を頼みに厨房まで行って、ティーポットとカップの載ったトレイを片手に部屋まで戻ってきて、部屋のさらに奥にある寝室へと続く扉を開けようとすると、中からルルーシュのものではない声が聞こえてきて、ぴたりと足を止めた。
(あれ、誰か人が……?おかしいな、来客の予定なんてなかったと思うんだけど……)
客がいるなら、スザクは遠慮した方がいいのかもしれない。そう思って、スザクが立ち止まったままでいると、中からルルーシュの怒鳴り声が聞こえてきた。そのとたん、スザクは理性も何もかも吹っ飛ばして、手に持っていたトレイが床に落ちることもかまわず、目の前の扉を開けて部屋の中へと飛び込んだ。
「ルルーシュ……!」
部屋の中には、見知らぬ一人の青年と、寝台に腰掛けたままその男を睨み付けているルルーシュがいた。その二人が、突然乱入してきたスザクの方を向く。
「スザク!?」
「チッ……意識を集中していたから気付かなかった……」
驚いたようなルルーシュの声と、苛立ちを含んだ男の声が聞こえる。
スザクはすぐにルルーシュの側へと走り寄り、ルルーシュをかばうようにたつと、アジア系の外見をした男を強く睨み付けた。身にまとっている衣服は、どこから見ても庶民の普段着のようにしか見えず、このブリタニア宮にふさわしいものではない。明らかな不審者だ。
「誰だ、お前は!どうして殿下の部屋にいる!?」
「ふん、僕はルルーシュのお仲間だよ。久しぶりに会いに来てみれば、何だい、こいつ?あああ!せっかくルルーシュに会えてうれしかったのに、台無しだ!」
「え……ルルーシュ、知り合い?」
スザクは戸惑って、後ろにいるルルーシュを振り向いた。ルルーシュは何故か少し視線を伏せたまま、それでもこくりと頷いた。そして口を開く。
「悪いが、マオ……この件に関して、これ以上お前と話す気はない。帰ってくれ。勝手に抜け出したのを知ったら、C.C.に怒られるんじゃないのか?」
「大丈夫だよ、だってこれはC.C.のためなんだから。C.C.はきっと、君が側にいないから寂しいんだ。他の人間なら嫌だけど、僕も君ならいいよ。だって君の声は、もう聞こえないからね」
「マオ!俺にはまだ……!」
「まだ時間が残されている?でも期限なんて、きっとすぐ来るに決まってる!知ってた?暴走までの平均は3年らしいけど……君はきっと、もっと早いよ」
「黙れ!」
いったい何の話をしているのか、スザクには訳が分からなかったが、これ以上マオと呼ばれた青年をこの部屋にとどめておくことを、ルルーシュが望んでいないことは明らかだった。
スザクはマオの腕を取って、強制的に外へと連れて行こうとする。
「悪いけど、出て行ってもらうよ」
「放せよ!この父親殺しが!」
「っ……!」
スザクは思わず目を見開いて、息を呑んだ。
(どうして……そのことを……)
「お前は7年前に実の父親を殺している……!父親が、自分と同じぐらいの年をした子供を殺すところを見たくなかった?それで自分が、実の父親を殺すなんてことしか思い浮かばなかったなんて、子供の発想だね。助けたかった、見捨てたくなかったなんてきれいごとを言っても、実際はただの人殺しじゃないか!」
「違う……!僕は……俺はっ!!!」
「マオ!黙れ!!」
ルルーシュの怒声に、スザクはようやくその存在を思い出したのか、怯えた瞳で振り向いてルルーシュを見た。
「あ……し、仕方がなかった!そうしなければ、あの子は……!それに日本だって……!」
「今さら後付けの理屈かい?この死にたがりが!!」
「っ……!!」
「人を救いたいってぇ?救われたいのは自分の心だろう!それに殉じて死にたいんだよねぇ?だからいつも自分を死に追い込む!!」
「あ、あ、うわあああああ!!」
スザクは悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちた。
(違う違う違う!そんなの違う!俺はっ……!)
ルルーシュは頭を抱えてうずくまるスザクに駆け寄ると、キツイ目をしてマオを見据えた。
「マオ!!黙れと言っているのが聞こえないのか!!」
「あはは、無駄だよルルーシュ。君のギアスは、もう僕には通用しない。一度っきりしか使えないもんね」
「ああ、そうだな。お前に対して、俺はもうギアスを使えない。だが、お前が嫌がることは分かっているつもりだ」
「何を言ってるんだい?」
「……嫌いになるぞ」
「なっ……」
「嫌いになる。俺はC.C.とは違うからな、お前のことを嫌いになることなんて簡単だ」
まるで、子供のような脅し文句だ。けれどそれは、効果覿面だった。マオは傍目から見ても明らかなほど焦りだす。
「い、嫌だ!嫌だよ、ルルーシュ!」
「ならさっさと失せろ!今すぐにだ!!」
その声に命じられるまま、マオは逃げるように部屋を出て行った。
それを見届けてから、ルルーシュはしゃがみこんで、スザクの顔をのぞきこんだ。
「……スザク」
「っ……」
スザクはおずおずと顔を上げて、すぐ目の前にいるルルーシュを見た。
「後悔しているんだな、お前は……実の父親を殺したことを」
「あ、おれ、は……」
「だが、そのおかげで助かった人間がいるのも事実だ。お前が行ったのは、決して罪だけではない……お前がそんなふうに、苦しむ必要なんてないんだ、スザク……」
ルルーシュの慰めに、スザクは再びうつむいてくしゃりと顔を歪めて、今にも泣きそうな顔になる。
「でも、俺は父さんを……」
「……じゃあ、助けなければよかったとでも?」
「そんなんじゃない!でも……!」
スザクはばっと顔を上げて、ルルーシュの言葉を否定する。
ルルーシュは、気分を切り替えるように大きなため息を吐いて問うてくる。
「では聞くが、7年前にお前が父親を殺したのは、自分自身のためなのか?」
「違う!俺は、あの子を助けたくて!!」
「違うのだろう?なら、その罪は俺が許してやる。お前は、父親のことを殺したかったわけじゃない。ただ、そうするしか方法がなかっただけなんだ……だからお前は悪くなんてないんだ、スザク……俺の許しでは不満か?」
「……ルルーシュ……っ……」
スザクは消え入りそうな声でルルーシュの名前を呼んで、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。
(……ずっと、誰かに許してもらいたかった……)
お前は悪くないのだと、そう言って欲しかった。でも、どんな理由があろうと人殺しなんてことをしてしまった自分に、そんなことを言ってくれる人がいるわけがないということを、スザクは分かっていた。だから、諦めた。そして、許しを得ることを諦める代わりに、救いを求めた。綺麗に生きて――そして綺麗に死ねば、理想に殉じて死ぬことができれば、救われるのだと信じていた。だからスザクはいつも、理想を追い求めながらも、無意識のうちに死を求めていた。
けれど今、諦めていた許しをくれる人が、目の前にいる。お前は悪くなかったのだと、そう言ってくれる人がここにいる。そんな人と巡り会えた僥倖を、どう言葉に表せば良いだろう。この喜びを、どう表現すればいいだろう。
スザクには分からなかった。だから、目の前にある華奢な体をただ抱きしめて、ありきたりの感謝を述べることしかできなかった。
「……ありがとうっ……」
そして自分のことに精一杯だったから、スザクはこのとき、ルルーシュがどんな顔をしていたのか気付くことができなかった。
◇ ◇ ◇
スザクが落ち着いてきたころ、ルルーシュがぽつりと口を開いた。
「俺だけが、お前の秘密を知っているというのも不公平だな」
「え?」
「……来い。俺の秘密も教えてやろう」
ルルーシュはスザクの腕をそっと外させて立ち上がると、スザクの手を引いて、離宮の外へと連れ出した。色とりどりの花畑が続いた後、次は森が続く。森に入って五分ほど歩いた後、突然目の前が開ける。そこには、離宮の周りの花畑と違って、白一色の花が一面に咲いていた。
「ここは……?」
その花の中を、ルルーシュに手を引かれて歩みながらスザクは問う。
「……母上とナナリーの墓があるところだ」
ルルーシュはそう言って、白い花の咲く地面を踏みしめて、奥へ奥へと進んでいく。そうしていくうちに、白い花に囲まれた二つの墓石が見えてくる。それは、皇族の墓と言うには、あまりにささやかで質素な墓石だった。
ルルーシュはスザクの手を離すと、その前に膝をついて、静かに胸の前で両手を組み合わせて目を閉じた。スザクも慌ててルルーシュの隣にしゃがみこみ、両手を合わせて目を閉じる。ルルーシュのように、手を組み合わせた方がいいかもしれないと一瞬思ったが、すぐにそれは却下した。こういうのは気持ちだ。形にこだわる必要はないだろう。
不意に、ぽつりとルルーシュがつぶやく。
「……8年前に、殺されたんだ」
「……うん」
「8年前、アリエスの離宮で起こったこと、お前はどこまで知っている?」
「……ほとんど何も。テロリストに殺されたってことぐらいしか……」
「ブリタニア宮の中に、テロリストなんかが入り込めたわけがない!……内部の人間の手引きがあれば話は別だがな」
「内部の、人間……?」
スザクは不思議に思って首を傾げたが、唐突に思い浮かんだ考えに、はっと息を呑んで、隣にいるルルーシュの顔を凝視した。
「まさか……君は、自分の兄弟を疑って……?」
――でも、異母兄弟となると、ひどいものだよぉ。謀略、暗殺なんて当たり前。皆、少しでも皇位継承順位を上げようと必死。強者が弱者を踏み倒していく、皇室こそ、ブリタニアの理念の縮図!
数ヶ月前に聞いたロイドの言葉が、不意に脳裏によみがえる。
親しげに接してくるクロヴィスやコーネリアに対する、ルルーシュのそっけない態度。
そして、内部の人間の手引きという言葉。
スザクの言葉に、ルルーシュは口元に笑みを浮かべて言う。
「俺の兄弟はナナリーだけだと言っただろう?」
それが、何よりもの答えだった。絶句するスザクにかまわず、ルルーシュは続ける。
「……俺は以前、弱者を省みないブリタニアを変えたいのだとお前に言ったな。でもそれは、弱者のためとか、そんな綺麗な気持ちから来るものじゃない。俺はただ、母さんとナナリーを守ってくれなかった父親が治めるこんな国が憎いから……だから、今のこの国を変えたかっただけなんだ。俺の行動は、ただの私怨だ……」
自嘲するように笑うルルーシュを見て、スザクはルルーシュの体を引き寄せて、強く抱きしめながら言った。
「それが何だって言うんだ!私怨でも何でも、ブリタニアを変えたいと望む気持ちに、違いはないだろう!!」
「でも、俺は汚い……!たくさん、数え切れないぐらい、汚いこともたくさんしてきた……!自分が生き残るために……!」
「汚くなんてない!」
スザクは大声でそれを否定する。
「君が生きるために必要だったんだろう!?」
「っ……どうして……お前はっ……」
ルルーシュは泣きそうな声でそう言うと、すがりつくような強さでスザクの背に腕を回した。
多分、一日前までのスザクだったら、自分の行動を私怨だと自嘲するルルーシュを見ても、肯定したりしなかっただろう。スザクが過去に犯した罪を、ルルーシュが許してくれたからこそ、スザクもまた今のルルーシュを許したいと思うのだ。
けれどそれが、ルルーシュにとって救いであったのか、それとも絶望であったのか。それはルルーシュ以外知りようのないことだった。
「どうして……っ……お前なら、絶対許さないと思ったのに……!だから話したのに……どうしてそんなことを言うんだ!?……こんなの、つらくなるだけじゃないか……!」
「ルルーシュ……?」
「……ずっと、自分のことなんてどうでも良かったんだ。ただ、あのとき救われた命を、お前に返したかった……それなのにっ……」
「ルルーシュ、何を……?」
「そんなことを言われたら……ずっと一緒にいたいと、そう思ってしまうだろう……?」
ルルーシュはそっとスザクの胸を押して、密着していた体を離させた。ルルーシュは、泣いていた。
「……それは無理なんだ……でもきっと、目を離したらお前は死んでしまうから、この力を使おう」
ルルーシュが何を言いたいのか分からず、困惑しているスザクに向かって、ルルーシュは涙を流しながらふわりと微笑む。そのとき、紫色をしているはずのルルーシュの左目が、赤く変色した。その赤の中に、鳥の形にも似た奇妙なマークが浮かび上がる。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる」
スザクがそれを不思議に思う間も与えず、ルルーシュは強い口調で言う。
「生きろ」
左目に浮かんだ鵬のマークが、ふわりと羽ばたいてスザクの両目に飛び込んでくる。同時に、ひどく柔らかな感触が、スザクの唇を塞いだ。
唇を塞いだそれが何だったのか、スザクが知ることはついぞなかった。
◇ ◇ ◇
「……ざく……スザク」
聞こえてきた声に引かれて顔を上げると、すぐ近くにルルーシュの整った顔があった。
「わあっ……!」
スザクは思わず驚いて、座ったまま後ずさってしまう。そのときふと、周囲の景色が見覚えのないものであることに気付いて、スザクは首を傾げた。ルルーシュとスザクの周りを取り囲んでいるのは、白く小さな無数の花だった。
「……あれ?どうして僕、こんなところに……君の部屋にいたはずじゃ……?」
「何をボケているんだ。お前があんまり泣くから、気分転換に外に連れてきてやったんだろうが」
「そ……う、だったっけ……?」
マオという男に過去の罪を暴かれて、ルルーシュにそれを許されて、みっともなく泣きながらルルーシュを抱きしめたことまでは覚えているのだが、どうもそれ以降の記憶が曖昧だ。困った顔で首を傾げていると、ルルーシュが立ち上がり、スザクに手を差し出してくる。
「ほら、帰るぞ。そろそろ日が暮れる」
「あ、うん……あれ?ルルーシュ、これは……?」
数メートルほど離れたところに立つ質素な墓石を見咎めて、スザクが問うと、ルルーシュは眉一つ動かさないで答える。
「……さあな。誰か……昔の皇族の墓か何かじゃないのか?」
「ふーん……」
その墓石を見ていると、忘れてはいけない大切なことを忘れてしまったような思いに駆られた。しかし、忘れてはいけない大切なこととは何なのか、どれだけ考えてもスザクには分からなかった。