ランスロットの操縦席に座ったスザクは、厳しい顔をして、コックピットに備え付けられた簡易型の戦略パネルを見つめていた。
パネル上では、ある一点を中心にして、コーネリアの率いる部隊のマークがずらりと並んでいる。そして、それらのマークから少し離れたところに、一つだけ違う色をした点がぽつんとたたずんでいる。スザクたち特派のヘッドトレーラーのマークだ。
ここはエリア18――コーネリアの治める地域である。彼女の許可がなければ、スザクたち特派は戦いの場に出ることは許されない。だからこうして、コーネリアの部隊から離れたところで大人しく待機しているのだ。いつでも行動可能のように、ランスロットはすでに外で出されていて、スザクはハッチの開いたコックピットの中にもう数時間もの間ずっと待機している。
とは言っても、一介の総督府であるコーネリアよりもずっと上位にいるルルーシュの命令さえあれば、たとえコーネリアの許可がなくとも戦場に出ることも可能だ。しかし、そのルルーシュが今この場にはいない。
彼女の身柄は現在、戦略パネルの中心に位置する建物――国立美術館の中にあり、そこを占拠しているテロリストたちにとらわれているためだった。異母妹であるユーフェミアや、他大勢の民間人とともに。
ルルーシュたち視察の一行は、明日で本国に帰る予定で、元の予定ならルルーシュは今日、視察も終わってしまったので本国にいなくてもできる仕事を片付けてしまうと言っていたはずだった。それが昨夜突然、時間があるならその前に、とルルーシュが国立美術館に行ってみたいと言い出したのだ。
そして、自分のためだけに休館にするのも悪いから、とあまり仰々しいことを好まないルルーシュは言って、最低限の護衛を連れて身分を隠して出かけていったのだ。近々その美術館で、何か仕事のあるらしいユーフェミアも、下見という名目でルルーシュについていった。
そして、その国立美術館でテロが起こって、ルルーシュたちは美術館に来ていた民間人たちと一緒に、テロリストに拘束された。
「……殿下……」
スザクは小さな声でつぶやいて、唇を噛み締めた。
操縦席の背後で、ランスロットの整備をしていたセシルがそれを聞きとがめたのか、気遣わしげに声をかけてくる。
「スザク君……ルルーシュ殿下なら、きっと大丈夫よ……」
「っ……そんなの……分からないじゃないですか……!」
スザクは吐き捨てるように言った。背後で気配が揺れるのが分かる。それでもスザクは、謝ろうとはしなかった。セシルに当たるのは間違っていると分かっていても、止められない。気休めで、大丈夫なんて言葉を言って欲しくなかった。
ルルーシュたちがテロリストにとらわれてから、すでに10時間近く経っている。作戦開始時には空高く上っていた太陽は、すでに地平線の下へと沈んでしまっている。それだけの間ずっと、スザクは作戦行動に参加することも許されず、ただこの場所でじっとしていることしかできなかった。
(……殿下……ううん、ルルーシュ……お願いだ、死なないで……やっと、やっと剣を振るう理由ができたんだ……君の下で世界を変えたいと思ったんだ……だからどうか……!)
戦略パネルからメインモニターに視線を移して、テロリストたちが立てこもっている国立美術館を見つめながら、スザクは祈った。今はただ、祈ることしかできない。
すぐ目の前に人質が――ルルーシュがいて、助け出すことができるかもしれない力を持っているのに、それを行使することは許されていない。だからスザクは動けない……動かない。
何よりも、守るべきはルールだ。
7年前、スザクは自分が犯してしまった罪から、それを知った。感情に突き動かされて行動してはいけないのだ。軽率な行いの結果には、今よりもずっとひどい未来が待ち受けている可能性がある。
だからスザクは動かない。許可がない限り動けないという事実以上に、ルールを破ってはいけないから許可がない限り動かないと決めているのだ。
スザクは目の前にあるメインモニターを睨むように見据えて、拳を強く握り締めた。爪を長く伸ばしていないのが、幸いだった。もしそうだったとしたら、スザクの手のひらは血で真っ赤に染まっていたことだろう。
(……ルルーシュ……)
コーネリアかルルーシュ、あるいはスザクたち特派に命令を下すことのできる他の第三者からの許可がない限り、スザクは動かない。けれど、だからと言って、ルルーシュのことを助けたくないわけではない。心からの忠誠を誓った、誰よりも大切な主なのだ。助けたいに決まっている。
けれど、ルールを破るわけにはいかない。
(頭が痛い……)
感情と理性が衝突しているせいだろうか、こめかみの辺りがずきずきと痛む。スザクは下を向いて、左手で頭を押さえた。
(……僕は、どうしたら……)
助けたいと、何を置いてもルルーシュのことを助けたいと、スザクの心は叫んでいる。けれどそう思うたびに、スザクの脳裏には、7年前のある夏の日の記憶がよみがえる。
◇ ◇ ◇
暑い日だった。
雲一つなく晴れ渡った、とても天気のいい日だった。近状に咲いていたひまわりは、いつもと同じように太陽を向いて首を伸ばしていたし、外ではセミの鳴き声がいつもと同じようにうるさいぐらいに鳴り響いていた。ありきたりの、夏の日になるはずだった。
けれど通いなれた丘の上で、富士の向こうに無数の黒い点が見えたときに、その日はありきたりの一日ではなくなった。
その日の夜。
ガタンと
物音が聞こえて
不審に思って覗いてみた父の部屋で
父が
――しているのを見た瞬間に
うるさいぐらいに聞こえていたセミの声は、聞こえなくなった。
見たことがないような表情とした父が
見知らぬ子供を
――そうとしていた。
それがどうしても許せなくて
スザクは――。
◇ ◇ ◇
『っ……はあっ……はっ……』
走っていた。
行くあてもなく夜陰に包まれた木々の中を、一人の子供の手を引いて、スザクは走っていた。
けれど走り出してからそう経っていないところで、全速力で走るスザクについて行けなくなったのか、手を引いていた子供は転んだ。スザクが手をつかんでいたから、顔から転ぶことこそなかったものの、かなり勢いよく転んだと言うのに、その子供はうめき声一つ上げなかった。
けれどそのときのスザクには、それがおかしいと思う余裕すらなかった。
『立てよ!立って、走るんだ!!』
子供は立たなかった。それどころか、転んだ体勢のまま、身動き一つしなかった。
『立てって言ってるだろ!!』
苛立って、つないでいた手をぐいっと引っ張って立たせると、嘘みたいに軽い体はあっけないほど簡単に望む通りになった。そのまま再び走り出そうとしたとき、子供は初めて口を開いた。
『……どうして、助けたりしたんだ?』
『何で……何でそんなこと聞くんだよ!?あのまま――たかったとでも言うつもりか!?』
『……別に……どうだっていい。僕はゼロだから……名も存在も全てがゼロ……最初から、――なんかいなかったんだ……だから今さら――だって、何が変わるわけでもない。こんな世界で――いたくなんて……』
『ふざけるな……!じゃあ俺は何のために――!!!』
◇ ◇ ◇
(駄目だ!思い出すな……!!)
スザクは首を横に振って、無理やり回想を打ち切った。
(あれは……!あのときは、ああするしか……仕方なかったんだ!)
スザクが犯した、7年前の罪の記憶。人を助けるためとは言え、スザクは決して許されない罪を犯した。
だからそのとき、スザクは心に決めたのだ。もう二度と、自分のために力を振るったりしない、感情のままに勝手な行動をして、ルールを破ったりしないと。
そしてそれが今、スザクに剣を振るう理由をくれた人を救い出すことの邪魔になる。
ルルーシュのことを助けたい。けれど、ルールは守らなければならない。
(……ルルーシュ……!)
スザクはこめかみを押さえる手で、くしゃりと髪の毛をつかんだ。
ルールを遵守しなければいけないということが、こんなにも苦しいことなのだと、スザクは今初めて知った。
(……あれ?今、何か……)
視界の端にあったメインモニターに、わずかな異変を察したスザクは、それをきっかけに平常心へと立ち返ってモニターを確認する。そして、国立美術館の屋上に、これまでとは違う動きがあることに気付いた。
「セシルさん!あそこ……!」
思わず、背後にいるセシルに声をかける。
「え……何?」
戸惑ったようなセシルの声が聞こえてくる。何が起こっているのか分からないのだろう。
スザクの視力は並外れていいから、この大きさのままでも何かが起こっているのが分かったが、常人の目には夜陰にまぎれて異変を察するのは不可能だ。自分でも、何が起こっているのか異変の詳細を確認するために、スザクは即座に拡大した光景をモニターに映し出した。そして息を呑む。
「あれは……」
「まさか、人質を……!?」
背後から身を乗り出して、セシルがモニターを覗き込んできている。そうせずにはいられない光景が、モニターには映し出されていた。
スザクがモニターで拡大して見ているところ――国立美術館の屋上の端では、縄で自由を拘束された人質が、テロリストに銃を突きつけられて、今にもそこから突き落とされようとしているところだった。美術館は三階建てだが、美術品を鑑賞するという目的のため天井は高く作られていて、そのため三階建て建築にしてはかなりの高さがある。そんな建物の屋上から突き落とされたりすれば、確実に命はないだろう。
「やめろ……」
スザクは呆然とつぶやく。
「やめるんだ……!」
しかし無常にもその直後、人質は一人のテロリストに銃で背中を押されてふわりと宙に浮かび上がり、
「っ……やめろおおお!!」
重力に引かれて、そのまま地面へと落ちていった。
何の罪もない民間人が殺された。そのことに、スザクは心を痛める。しかし同時に、あれがルルーシュではなかったことに安堵している自分がいることも、また確かだった。
無意識のうちに、人の命を比較してしまったことにスザクが愕然としていると、背後から突然ロイドの歓声が上がる。スザクとセシルは、ランスロットのコックピットの外に身を乗り出した。
「ロイドさん!こんなときに何を……!!」
両手を挙げて喜んでいるロイドに、すかさずセシルが鋭い声を上げるが、ロイドは満面の笑みを崩さず続ける。
「君も喜びなよ、セシル君。朗報だよぉ!通信が入ったんだ!」
「通信?」
「そ!」
怪訝な顔をするセシルとスザクに向けて、ロイドは意味深な笑みを浮かべて続きを言った。
「……ルルーシュ殿下から、ね」
「殿下から!?」
「ルルーシュから!?」
セシルとスザクがほとんど同時に叫ぶと、コックピットを転がり落ちる勢いで降りて、ロイドが占拠している通信機のところまで走った。セシルがロイドを突き飛ばして、空いたスペースに二人でなだれ込む。情けない声を上げて転んだロイドのことは総無視だ。
「殿下、ご無事ですか!?」
「ルルーシュ、大丈夫!?」
セシルと二人で薄暗い画面に映っているルルーシュに向かって、叫ぶように問いかけると、間を空けず低い声が返された。
『しっ……声が大きい。外に聞こえたら困るんだ。大声は出さないでくれ』
唇の前に人差し指を当てて、斜め後ろを気にするような仕草にはっとして、スザクとセシルは身を縮めながら小声で謝罪する。
『今から気にしてくれればそれでいい。……それよりも、今後の行動について話がしたいんだが……ロイドは無事か……?』
「だ、だいじょうぶですぅ〜……」
先ほどセシルに突き飛ばされて、床とお友達になっていたロイドが、ふらふらとしながらも立ち上がってスザクとセシルの後ろから姿を見せる。
『そうか。ではまず、俺のいる位置だが……三階の一番奥にある館長室だ。人質たちは、二階にある小倉庫の中に見張りつきで閉じ込められているんだが……』
「ちょっと待ってください」
ロイドが真面目な顔をして話をさえぎった。
『何だ?』
「殿下、どうして一人だけ別の場所にいるんですか?数時間前に送られてきた映像では、人質たちの中にいましたよね?」
『……それは、今話す必要のあることではないだろう』
「それはそうですけど〜……後ろの壁に付いてるのって、血ですよね」
『俺の血でも、他の人質の血でもないから問題はない』
「問題なくはないと思ますよぉ」
ロイドの言葉に、スザクもセシルも、一も二もなく頷いた。しかしルルーシュはそれを無視して話を続ける。
『そんなことより、話を続けるぞ。実は、この美術館はある地下遺跡の上に建てられているんだが……知らなかっただろう?』
画面の前で、スザクたち三人は仲良く首を縦に振った。
『まあ当然だな。あれは、ある意味ブリタニアのトップシークレットだからな……だから、その入り口には厳重にロックがかけられていて、その解除コードを知っているのは、今のところ皇帝陛下とシュナイゼル義兄上、そして俺の三人だけだ。つまり、そこに逃げ込むことができれば、俺たち人質の身の安全は保障されるわけだ』
「それで……問題は、どうやってそこまで行くか、ですね?」
『そうだ。いくら俺でも、今の状況で人質全員を連れてあそこまで行くのは難しい。だからランスロットで外から、建物が崩壊しない程度の攻撃を加えて欲しい。そうすれば、アレクたちとユフィのSPが倉庫内の見張りを片付けてくれるだろう。そして俺は混乱に乗じて倉庫まで戻り、皆を遺跡まで連れて行く。……ユフィがいる限り、義姉上は強行突破には踏み切れないだろうし、多分義姉上のグロースターでは役不足だ。だからこれは、ランスロットにしかできない。スザク、頼めるか?』
それまで黙ってロイドとルルーシュの会話を聞いていたスザクは、真剣な顔をして頷いた。
「はい!やらせてください!」
『では、決まりだ』
そのまま通信を切るのかと思ったら、ルルーシュは画面越しにスザクのことをじっと見つめて、ぽつりと言った。
『名前……やっと、呼んでくれたな』
「あ……!」
そう言えば、さっきは同様のあまり、ルルーシュのことをうっかり呼び捨てにしてしまっていた。
あわわと焦るスザクを見て、ルルーシュは花がほころぶような笑みを浮かべて言う。
『うれしかった……ありがとう』
それで通信は切れて。後には、うらやましそうな目でにらみつけてくるロイドと、何だか生暖かい視線を向けてくるセシルと、顔を真っ赤にして突っ立っているスザクが残された。