シロクロニクル 〜白の喪章 20〜


 翌日。
 ブリタニアへと向かうにしては、随分と遠回りの空路を、スザクたちは進んでいた。遠回りと言うか、最短行路の逆側を進んでいると言うべきか。
 エリア13から、そのまま直接ブリタニアに帰るのだとばかり思っていたのだが、どうやら違ったらしい。いや、軍隊の大部分はスザクが考えていた通り直接ブリタニアに帰るらしいのだが、その大部分ではない人間の中に、スザクも含まれていただけの話である。
 ルルーシュと彼女の親衛隊の一部と、ついでに特派。それだけの少人数が、ブリタニアにではくて、エリア18に向かうことになった。ちなみにその中に、親衛隊隊長であるカレンは含まれていない。
 ずっと側にいたいんです、とルルーシュに告白まがいの言葉を言っていた彼女が同行しないのには、ちゃんとした理由がある。
 カレンは、紅蓮弐式のパイロットである。完成して間もないうちに初陣に出ることになった紅蓮弐式の調整のため、ちゃんとした研究施設のあるブリタニアに戻ることを余儀なくされたのである。そうでもなければ、血を吐いていても根性だけでルルーシュの側に張り付いていたことだろう。
 ちなみに、当日の朝になってスザクがエリア18に向かうことを知ったのは、誰かが伝え忘れたとか悪意あって伝えなかったとかそんなことではなくて、エリア18行きは元々の予定ではなかったからという、ただそれだけのことである。
 そもそも、どうしてエリア18になんて向かうことになったのかと言うと、「エリア13まで来たのなら、ついでに寄っていけ。そうだな、理由は視察とでも言っておけばいいだろう、なんてコーネリア義姉上が今朝突然仰ったのでな……どうせユフィが余計なことでも言ったのだろう。自分が暇だからと言って、俺まで暇だと思うなよあの世間知らずが……」ということらしい。
 エリア18行きの随員の前でそう言っていたとき、不服そうな顔でため息まで吐いていたから、このエリア18行きがルルーシュの本意ではないことは簡単に窺えた。
 ブリタニア帝国副宰相なんて地位にいるぐらいなのだから、ルルーシュはかなり忙しいはずだ。それなのに、突然予定を変えようとすれば、調整はかなり大変だろう。
 ちなみに、視察にナイトメアなんて仰々しいものを何機も抱えて行くわけにもいかないので、この一行はかなり身軽である。輸送機一機での移動だ。武器と、人と、あと何故か特派だけはヘッドトレーラーごと乗りこんでいる。
 ロイドは「護衛だよ護衛。途中で何かあっても、ランスロット一機あれば何とかなるからね。何と言っても、エリア18は制定されたばかりだから、まだまだ危険なんだよ」なんて言って笑っていたが、詳細は明らかではない。たった一機で、できることなんて少ない。むしろ、ルルーシュの側を離れたくなくてロイドが無理やり同行の許可を得て、さらにランスロットからも離れていたくなかったから、トレーラーごとなんて事態になったのではとスザクはこっそり思っている。
 大体ルルーシュは、視察という名目で行くのだから、エリア18で危害を加えられるようなことがあったら、それは責任者――総督であるコーネリアの不始末ということになる。いくらブリタニアの兄弟仲がいいものとは言えなくても、頭のいい人間ならそんなことを許すはずはないだろう。
 と、そんなことを思ったスザクだったが、ロイドは「何にでも、イレギュラーはあるからねえ」と肩をすくめるのみだった。

 そして、エリア13を発ってから数時間後。輸送機は、あと少しで目的の場に到着するというところまでやって来た。
 降りる準備をしていると、近くにいたセシルが声をかけてくる。
「スザク君、ちょっといいかしら?」
「はい、何でしょうか?」
 首を傾げて問い返すと、セシルは少し困ったような顔で言う。
「あの、ね……コーネリア殿下は、その……あまり、ナンバーズのことをお好きではないみたいだから……殿下自身は高潔な方だから、何か危害を加えられるなんてことはないだろうけど……上の方の感情は、下の者に影響を与えるものだから……気をつけてね」
 スザクは不思議な気分に駆られた。ナンバーズだから見下されることなんて、ここ数年間での軍生活の中では、何度もあった。だから特に、今さら気にするようなことでもないというのに。
 それでも、セシルの優しさがうれしかったから、スザクは素直に頷いておいた。

 そしてこの件に関しては、経験に基づいたスザクの考えよりも、セシルの懸念の方が正しかったと言わざるを得なかった。



◇ ◇ ◇



 輸送機を降りたルルーシュたち一行を出迎えたのは、おそらく護衛なのだろう十数人の軍人と、一人の女性だった。女性は二十代半ばほどの年頃で、キリリとした凛々しい雰囲気を身にまとっていて、それに相応しい軍服姿の女性をしている。エリア18の総督――コーネリア・リ・ブリタニアだ。
(綺麗な人だけど……話に聞いていたとおり、怖そうな人だな……)
 輸送機を降りる列の最後尾にいたスザクは、無礼にならない程度の視線でコーネリアを観察しながら思った。
(それに、クロヴィス殿下とか宰相閣下のときにも思ったけど、ルルーシュ殿下に全然似てない……)
 さらに言えば、スザクが知るブリタニア皇族兄弟は皆、父親であるはずのブリタニア皇帝に全くもって、いっそ見事なほど似ていないのだが、皇室の血とはそれほどまでに薄いものなのだろうか。
 そんなことを考えているスザクの視線の先で、コーネリアがルルーシュに、親しげな口調で話しかける。
「久しいな、ルルーシュ。元気にしていたか?」
「ええ。義姉上も、お元気そうで何よりです。急なことでしたので、予定の変更は大変でしたが、それでも久しぶりに会えてうれしいですよ」
 ルルーシュはさらりと嫌味を吐く。
 それを聞いて、コーネリアはわずかに顔をしかめた。
「……無理を言ってすまなかったな」
「いいえ。義姉上のせいではないと分かっております。どうせ、またユフィのわがままに負けたのでしょう?」
「……やはり分かるか?」
 そこはかとなく、情けない顔になるコーネリア。そう言えば、ロイドと兄弟云々についての話をしていたときに、同腹から生まれた皇族兄弟は仲が良い者が多いということを聞いたのを、スザクは思い出した。
 その例として挙げられた中に、コーネリア殿下とユーフェミア殿下という名前が出てきた。ユフィとはおそらく、ユーフェミアの愛称なのだろう。日本人のスザクには、何で”ユ”と”フ”の間にある”ー”がなくなるのか、また”フ”のあとに来ているのは小さい”エ”なのに、どうして小さい”イ”に変わっているのか、そこらへんのことが果てしなく謎だ。しかしスザクに理解できなくても、多分きっと愛称。
「分からない方がおかしいと思いますが」
「そうか……すまないな」
「悪いと思うのなら、最初からやらないでください。昔から、貴方はユフィに甘すぎる。ユフィももう、副総督の地位に就いたのですから、甘やかすだけでは駄目なのだと、聡明な義姉上ならお分かりのはずです」
「お前に聡明などと言われると、気後れするよ、ルルーシュ」
 コーネリアとて、十分に聡明だと言われるだけの頭脳を有していると言われているのを、スザクは噂で聞いて知っている。しかし、それでもルルーシュの悪魔的な頭の良さには敵わないのだろう。しかしコーネリアの声の中に、嫌味や皮肉めいた色はなく、ただ事実を述べている淡々とした調子だけが見て取れた。
 しかし、ルルーシュは不快げに眉根を寄せた。
「話をはぐらかさないでいただきたいのですが?」
「ああ、分かっている……私も、いい加減甘やかすだけではいけないと思っているのだが……正直、今さらどうすればいいのか……」
 コーネリアは大きなため息を吐く。
 しかしルルーシュは、別段そんな義姉のことを心配するわけでもなく、話を続ける。ルルーシュのこのそっけないの対応は、ロイドの言っていたブリタニアの皇族兄弟像が真実なのだとスザクに思わせたが、一方で、コーネリアのルルーシュに対する態度に引っかかりを感じた。
 クロヴィスのときにもそうだったが、コーネリアもルルーシュに対して、かなり親しげな態度を取っている。けれど、ルルーシュの方が一方的に突き放しているような印象を受けるのだ。
 クロヴィスとコーネリアが、ブリタニアの皇族兄弟像の例外なのか、それとも親しげな態度には、シュナイゼルのように裏があるとでも言うのだろうか。
 答えの出ない考えに沈みこむスザクを置いて、ルルーシュとコーネリアの会話は続く。
「ところで、ユフィは?」
「執務室で仕事だ。まだ色々と物騒なこのエリアで、総督と副総督の二人が一度に視察官の相手をするわけにもいくまい。しかし、あれにこの役目を任せても……視察の役には立たないだろう」
「まあ、その通りですね」
 あっさりと肯定するルルーシュに、コーネリアはひくりと口元を動かすが、すぐにもとの表情に戻った。さすがだ。
「……こちらのわがままで来させたのだ。視察という仕事を、お前がきっちりとこなせるように取り計らうのは、こちらとしては当然のこと。だからユフィではなく、私が来た。不満か?」
「いいえ」
「とりあえず、今日はまず、総督府とその周辺の視察でいいか?」
「ええ。とりあえず今日は、総督府と軍施設を主に見て回ろうと思っていましたので、かまいませんよ」
「そうか……さすがに、私がずっと案内して回るわけにもいかないから、その役目はダールトンに任せる……ダールトン」
 コーネリアの呼ぶ声に合わせて、一人の強面の男が、コーネリアとルルーシュの元へと近づいていく。
「お久しぶりです、ルルーシュ殿下」
「ダールトンか……久しぶりだな」
 そして、コーネリアとダールトン、そしてルルーシュの三人は会話を交わしながら、少し離れたところに見える総督府へと向かって歩いていく。
 ルルーシュの親衛隊及びスザクたちもそれに続いて歩き出すが、そのときふと、ルルーシュと話していたコーネリアが、横目でスザクのことを鋭い目で睨み付けてきた。
 思わずスザクは足を止める。
「スザク君?」
 しかし、セシルの不思議そうな声にはっとして、再びきびきびとした動作で歩き始めた。コーネリアはもう、スザクのことを睨んでは――いや、スザクを見てさえいなかった。





 そして、その日の夜。
「……はあああ……」
 あてがわれた部屋の中で、スザクは疲れ切った中年サラリーマンのようなため息を吐いていた。
(疲れた……)
 これは肉体的な疲れではなく、精神的なものだということを、スザクは良く分かっていた。だって今日は、ルルーシュの視察について回っていただけで、疲れるようなことは何もしていないのだ。それぐらいで疲れるなんて言っていたら、ロイドの下でデヴァイサーなんてやっていられない。何と言ってもロイドは、27時間ぶっ続けの実験をやろうと怪我をしていたスザクに言ってくる人である。人並みはずれた体力馬鹿のスザクでなければ、とっくに過労で死にかけていただろう。むしろ死んでいたかもしれない。
(あんなふうに、周りに悪意のこもった目しかないのなんて、久しぶりだ……)
 コーネリアからの眼付けに始まって、視察の間中、総督府や軍施設にいたブリタニア人から、冷たい視線を向けられた。ナンバーズに過ぎないスザクが、本国でもかなり高い地位にいる――かなり高いどころか、ブリタニア帝国第3位の高官であるルルーシュに連れられているというのは、それほど奇妙で許せないことなのだろう。
 エリア11にいたころ、ブリタニア人から受けていたひどい扱いを思い出すと、そんな視線の意味は簡単に分かった。
 けれどルルーシュに引き抜かれてから、そんな視線を向けられたことはなかったから、スザクはすっかり忘れてしまっていたのだ。
(……ルルーシュ殿下のところと、特派の雰囲気に慣れてたからかな……)
 エリア11からは、周りの反応を見る機会もほとんどないうちに連れ出された。そのときにはだから、クロヴィスの親衛隊に危うく殺されかけたぐらいで、他に何かされることはなかった。
 ブリタニア本国に連れて行かれた後は、ランスロットの研究と実験という名目で、ほとんど研究所の中にこもりきりだったから、敵意や悪意を向けてくる人間に会う機会はほとんどなかった。
 ルルーシュの親衛隊も彼女が率いる軍も、そして特派の人たちも皆優しくて、スザクがナンバーズであるとかそんなことにこだわる人はいなかった。だからスザクは、忘れてしまっていたのだ。ブリタニア人ではないというだけで向けられる、意味のない蔑みの視線を、頭では覚えていても体は忘れてしまっていた。
「慣れてたはずなのに……痛い、なあ……」
 改めて、スザクはため息を吐く。
 あてがわれた部屋の惨状も、そのため息の原因の一つだ。こういったとき、あまり階級が高くない軍人たちは二人とか三人一緒の部屋に放り込まれるものなのだが、スザクは一人きり。
 それが普通の部屋だったらうれしいだけなのだが、毛布に水がしみこませてあったり、引き出しの取っ手にかみそりが仕込んであったりと、子供みたいな嫌がらせがそこらじゅうに仕掛けられた部屋では反対の感情しか湧いてこない。一人部屋なのは、この嫌がらせが他の人にばれないようにするためなのだろう。姑息だ。
 セシルが言っていた言葉が、脳裏を反芻する。
(上の方の感情は、下の者にも影響するね……なるほど、こういうことか……)
 落ち込む以上にスザクは、ルルーシュという人間が、ナンバーズであるスザクにとってどれだけ得がたい上司なのか、理解することになった。
「あ……石」
 それでもやっぱり、枕の中に石が詰め込まれていたりすれば、落ち込むことは間違いないのだが。


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