EU軍を追い出して国境線を固め、諸々の必要だと思われることが全て終わって、明日にはエリア13を発つという日の夜。
砂漠もこれで見納めかと思うと、妙に寂しくなってくる。初日こそ、ルルーシュの前で砂を吸い込んでむせたりと散々恥ずかしい目にあったのだが、適応力のあるスザクはすぐに砂漠にも慣れて、そんな間抜けをやらかすこともなくなった。
なので、明日で見納めになる砂漠を眺めるべく、スザクは特派のトレーラー外へと出て行った。すぐ近くには、いくつものトレーラーと、空っぽの輸送機が並んでいる。輸送機の中にトレーラーが収容されていないのは、もしもの場合に備えているからある。
トレーラーの外に出て、砂の地面を踏みしめながら遠くを見ていると、何人かの人影がぽつんぽつんと散らばっている。見張りの兵士たちだ。
スザクも本来の身分なら、夜の見張りに借り出される身分だったはずなのだが、ルルーシュに取り立てられて准尉にまで出世した今は、その義務もない。見張りはたいてい、一等兵か二等兵の仕事なのだ。
あまり人目につくようなところをうろちょろしていたら、不審者と間違われて、詰問されることだろう。しかもスザクはナンバーズだから、そんなことになったら、必要以上に疑われてしまうに違いない。
そんな面倒に巻き込まれるのは御免だったので、トレーラーの陰になっていて、極力人目につかないところを静かに歩いて行く。
歩きながら、何となくスザクは上を見上げた。
(月が、明るいな……)
砂漠の夜は、冴え冴えとした空気に覆われているため、月の光が美しく地上に届く。昼間の、灼熱地獄が嘘のような冷え込みだ。スザクはぶるりと震えて、外套の合わせの部分を手繰り寄せた。
(……さむ……)
吐く息が白い。これだけ昼夜に温度差があって、普通に暮らせるのだから、現地の人はすごいと思う。そんなことをぐだぐだと思いながら、スザクは歩いていた。
ブリタニアに行くことになってからは途切れていたが、夜の散歩はここ何年もスザクの日課だった。久しぶりに歩いていると、妙なほどの郷愁に襲われる。
(日本は今、どうなっているんだろう……)
大きな変化は、多分起こっていない。小規模なテロは起こっていても、ここ何年もの間、今の状況が変わるような大事は何も起こらなかった。それに、もし起こっていたとしても、そんなことになったらテレビがうるさいだろうから、スザクの耳に入らないわけがない。
便りがないのはいい便りという諺が日本にはあるが、この場合、何も耳に入ってこないのはどう判断すればいいのだろう。これ以上、エリア11の置かれている状況が悪化していないことを喜ぶべきか、それとも何ら改善されない今の状況を嘆くべきか。
ルルーシュに取り立てられて、ランスロットという稀有な第七世代ナイトメアフレームのデヴァイサーになることができた。一等兵からいくつか階級を飛ばして、准尉になった。軍の中で、出世をしていることは確実だ。けれど、それで何かを変えられたのかと聞かれれば、否としか答えられない。
少し前までは実験に明け暮れる日々で、ここ数日は戦ってばかり。何か、日本のためになることなんて、少しもしていない。
(……焦っちゃダメだって分かってるんだけどなあ)
スザクは大きなため息を吐いた。まるで、内心に溜め込んだ不安や焦燥を吐き出してしまうように。
日本――否、今はエリア11か――で、単なる一兵卒としてくすぶっていたころに比べれば、随分と上まで来ることが出来たのだ。一等兵だったころよりはきっと、出来ることの範囲は広がったはずだ。
それでも、今の状況が当たり前になれば、また新しい不満が生まれるのは、人の性として仕様がないことだった。
けれど、そんな醜い自分を、スザクは認めたくなかった。
(必要だって言ってもらえた……剣を振るう理由ももらえた……それなのに、何が不満だって言うんだ……殿下の下でなら、きっと何かを変えることができる……時間がかかろうと、きっと……)
その感情はどこか、妄信にも似ていた。
ずっと欲しかった、剣を振るう理由。高潔で美しい理由を、ルルーシュはスザクに与えてくれた。 望んだ以上の言葉をくれたルルーシュに対して、スザクが傾倒するのは当然のことかもしれない。けれど、妄信とはあまりに危ういものだ。普通の信頼や尊敬よりも、ひどく脆くて同時にひどく強い。
そしてそれに気付くことができるほど、スザクは理性的な人間ではなかった。
(そろそろ、戻ろうかな……)
連日の戦闘で、体は休息を必要としている。体力には自信があるが、睡眠を減らせばそれだけ反射神経も鈍くなるし、何か事が起こったときの対応にも遅れが出るだろう。
来たときとはまた違ったルートで、特派のトレーラーに向かってスザクは歩き始めた。
最初は慣れないため、足音を立てて歩くことしかできなかったが、10日もいれば砂漠にも慣れて、足音を消して歩くこともできる。砂を踏み荒らす音を立てることなく、スザクは静かに歩みを進める。
ふと、人の声が聞こえて、スザクは足を止めた。このまま無視しようかとも考えたが、不審者だったらそれは不味い。
スザクは気配を消して、静かに声が聞こえてきた方へと近づいていく。
「……で、か……た……」
「なん………たい……」
切れ切れだった声は、次第にはっきりと聞こえてくるようになる。
「私を、貴方の騎士にしてはいただけませんでしょうか?」
「アレク、お前……」
(殿下の声だ)
スザクはぴたりと足を止めた。これが、不審者であってたまるものか。
アレクと呼ばれたのは確か、ルルーシュの親衛隊のうち一人の青年で、アレクは愛称でアレクセイというのが名前だったはず。うろ覚えなので、間違っている可能性がなきしにもあらずだが、それはあえて無視することにしよう。
不味いところに居合わせたのでは、と固まるスザクを置いて、ルルーシュとアレクセイの会話は続く。
「二年前、貴方の側に仕えることになってから、ずっと貴方の騎士になることを夢見てきました。そして、それに見合うだけの自分になるために、努力を怠ることもしませんでした。……アスプルンド伯爵の家には劣りますが、私の家も貴族の端くれです」
「……お前ならきっと、すばらしい騎士になってくれるのだろう」
「では……!」
「だが、すまない……俺は……」
「どうしてですか……?他に、誰か騎士にしたい人がいるんですか?隊長ですか?アスプルンド伯ですか?それとも……」
「それは……」
困ったような声で言葉詰まるルルーシュに、盗み聞きをしていたという自分の立場も忘れて、スザクは飛び出していた。
「あの……!」
が、正直何を言ったらいいのかかさっぱりだ。痴情のもつれや、単なる喧嘩とはまた事情が異なるゆえに、こういった場合何を言うべきかというパターンというものが全く分からない。なので、正直なところを言うことにした。
「殿下が困ってます、だから……!」
「枢木?」
アレクセイが、不審げに眉をしかめる。
それにようやく、盗み聞きをしていたという事実を思い出して、スザクは慌てて弁明した。
「すみません、散歩してたら聞こえてきてしまって……」
「そうか……」
スザクの登場で、一気に頭を冷やしたらしいアレクセイは、申し訳なさそうな顔でルルーシュに向き直って頭を下げた。
「すみません、殿下。困らせるつもりなんて、なかったんです」
「いや……俺も、すまない」
「……謝らないでください」
謝るルルーシュに、アレクセイは苦笑すると、再びスザクに目をやった。
「枢木、悪いけど……殿下のこと、任せてもいいか?」
確かに、今のアレクセイとルルーシュを一緒にしておくのは、双方に気まずいものがあるだろう。スザクは快く頷いた。
「ありがとう。……それでは殿下、私はこれにて失礼させていただきます」
「……アレク……」
そう言いながら、ルルーシュは不安に満ち溢れた瞳で、すがるようにアレクセイのことを見つめている。アレクセイを騎士にすることを拒んでしまったから、もう側にはいてくれないのではないかと、そんなことを心配しているのが丸分かりの表情だ。
アレクセイは、そんなルルーシュをなだめるように、優しく微笑んだ。
「殿下。たとえ貴方の騎士になることができなくとも、私が誓った忠誠に偽りはありません。この命ある限り、貴方の側にお仕えしたいと思っております」
そう言って、今度こそアレクセイは、その場を立ち去っていった。
残されたのは、ルルーシュとスザクの二人。
(さて、どうしたものかな……)
そう思って、スザクはルルーシュのことを横目で窺い見た。
先ほどまで、不安げに見えた表情が、今度は悲しげなものに変わっていて、スザクは慌てた。アレクセイの言葉で浮上していなかったのか。
あわあわとスザクが内心で焦っていると、ルルーシュはぽつりと言った。
「……どうして」
「え?」
「どうして皆、騎士なんてくだらないものに、あんなにこだわるんだろう……」
「……それ、本気で言ってるんですか?」
スザクは呆れ返った。スザクでさえ分かるようなことを、どうしてルルーシュが理解できないのだろう。戦場では、あれほどまでに頭が切れるくせに、本当にこの人は妙なところでうといのだ。
悪魔的なまでの指揮能力や先見の明と、ひどくアンバランスである。
「騎士に選ぶということは、その人のことを、誰よりも信頼している証でしょう?貴方が誰よりも信頼を置き、一番近くで貴方のことを守る権利がある人間――それが騎士というものだから、貴方に心底敬服していて、自分に自信がある人間は騎士になりたがるのだと、自分はそう思います」
「……スザクは?」
「え?」
「スザクも、俺の騎士になりたいと思うか?」
どうでもいい世間話をしているみたいな調子で問われた。これを真剣な瞳で問われたら、どうしたらいいかと焦っただろうが、本当にどうでもいいといった感じの声だったから、苦笑してスザクは逃げの答えを口にすることができた。
「自分はナンバーズですから」
ナンバーズのスザクが皇族選任騎士になるなんて、全く現実的ではない話だということは本当だ。けれど、それは誠実な答えからは程遠いものだった。
それでも、スザクのことを騎士にするつもりがないと先に言ったのは、ルルーシュだ。まさか、本気でスザクがルルーシュの騎士になりたいのかなんて、聞いているわけではないのだろう。
「そうか」
案の定、ルルーシュは特に気にした様子もなく返事をしたから、スザクはひそかにほっと胸を撫で下ろした。同時に、ちくりと感じた胸の痛みは無視することにして。
「あの……早く帰って、休まれた方がいいんじゃないですか?疲れているのでは……?」
「もう少し、外にいたい……悪いが、少し付き合ってくれ」
「はい」
体力馬鹿とよく他人に言われるほど丈夫なスザクならまだしも、見るからに華奢で体力のなさそうなルルーシュ。ここ連日の戦闘でかなり疲れているはずだから、休んだ方がいいと思ったのだが、本人が休むより外にいたいというのなら、スザクに否やを言う権利はない。
黙りこんで月を見上げるルルーシュを、スザクも黙って眺める。月の光に溶けて、今にも消えてしまいそうなほど今のルルーシュは儚げで、何かにひどく傷ついているように見えた。
何も話していなければ、それこそルルーシュがどこかに消えてしまいそうな気がして、スザクはとっさに口を開いていた。
「殿下は誰か、騎士にしたい人がいるのですか?」
言ってから、先ほどまでの状況を知っているくせに、この話題選びは最悪だと気付いた。さっき他人に止めたことを、自分がやってどうする。本気で最悪だ。
(あああ……!)
恐る恐るルルーシュの顔をのぞき見ると、眉根を寄せてものすごく怪訝そうな顔をしている。スザクは慌てて続けた。
「いえっ、あの……以前、騎士志願者はたくさんいるのに、殿下はまだ自分の騎士を定めていないって聞いたから……それで……!」
「そんなに焦らなくてもいい」
ルルーシュは苦笑を漏らした。多分、スザクの焦りっぷりがひどかったので、そうする以外なかったのだろう。
「騎士、か……俺は本当は、誰も騎士にするつもりはないんだ」
「はあ、そうですか……って、えええ!?」
「馬鹿、静かに!こんな時間に外に出ていることがバレたら、カレンに叱られる!」
ルルーシュは素っ頓狂な声を上げたスザクの口を、慌てて自分の手で塞いだ。
確かにカレンなら、たとえ主のルルーシュであっても叱り付けるだろう。もう叫びませんとの意を込めて、すぐ近くにあるルルーシュの瞳を見つめながらこくこくと頷くと、ルルーシュは小さなため息を吐いてスザクから離れた。
「誰も騎士にするつもりはないって……本当ですか?」
「こんなことで嘘を言ってどうする。本当だ」
「でも、どうして……?」
ルルーシュのある地位ならば、騎士を持っていて当たり前、持っていないのがおかしいと思われるものである。実際帝国第3位の人間が、騎士を有していないなんてことは、前代未聞の事態だ。
ルルーシュはスザクから視線を外すと、そっと目を伏せた。
「……シュナイゼル義兄上が、俺が特別な人間を作ることを、ひどく嫌っているからと言ったら、君には理解できるか?」
(あ……)
スザクに見せ付けるように、ルルーシュの唇を貪っていたシュナイゼルの姿が脳裏に浮かぶ。執着の真意が何であれ、あれだけの執着を見せているのだ。確かに、ルルーシュが特別を作ったりしたら、問題になることは明らかだ。
ルルーシュは伏せていた視線を上げて、闇色の空を眺めながら続ける。
「親衛隊の隊長だって、女のカレンだからこそ、何も言われないようなものだ……誰かを騎士になんて選んだら、きっとあの人は、俺が選んだ人間を排斥するだろう。……側仕えの人間だって、何人も奪われた。それが騎士になったって、躊躇するような人ではないさ」
ふっと、ルルーシュは暗い笑みを浮かべる。
(ん?でも、シュタットフェルト少佐は大丈夫なんだ)
スザクはふと思った。なら、彼女を騎士にすればいいなじゃいのかと。
「女性のシュタットフェルト少佐なら、大丈夫なんですか?」
「男を側に置くよりは、まだ許せるそうだ」
「では、彼女を騎士にしては?貴方の立場なら、騎士を持たないことは相当奇妙なことなのでは?親衛隊隊長にしているぐらいなら、かなり信頼しているのでしょう?」
かなり差し出がましい行為であるが、スザクは黙っていることができなかった。先ほどのように、騎士を持たないことで、騎士志願者にルルーシュが困らされるぐらいなら、誰かちゃんとした騎士を持てばいいのだ。
ルルーシュは、差し出がましいスザクの行為を怒ることなく、ただ静かに首を横に振った。
「……カレンはダメだ。彼女は、ブリタニアをひどく憎んでいる。それなのに、誠心誠意俺に仕えてくれているんだ……これ以上、ブリタニアと深い関わりを持たせたりしたら、カレンがかわいそうだろう?」
「ブリタニアを憎んでるって……」
「カレンには、カレンの事情がある。それは、俺から話していいことではない」
ルルーシュはきっぱりと言い切った。
当然だ。スザクだって、自分の事情を勝手に他人に知らされたりすれば、いい気分はしない。
「それに……今はもう一つ、騎士を持てない理由が増えたからな。主人に取り残される騎士など、憐れなだけだ……」
ルルーシュはひどく小さな声で言ったのだが、普通の人間なら聞き逃すようなものでも、スザクはしっかりと耳に捕えた。
「もう一つ?取り残されるって……?」
「……聞こえたのか。これは、秘密だ」
眉をしかめて、ルルーシュはふいっと顔を逸らした。
「そうだな……君が、俺に対して普通に接してくれるというのなら、話してやってもいいがな」
「うっ……」
意地悪な顔で言うルルーシュに、スザクは言葉に詰まった。そんなこと、できるはずがないことは、ルルーシュ自身が良く分かっているくせに、ひどく意地が悪い交換条件だ。
うぐぐと言葉に詰まっているスザクを見て、ルルーシュはくすりと笑った。
「無理だろう?だから話さない……もう一つの理由は」
「……最初から、話すつもりなんてなかったくせに」
「さあ、どうだろうな」
少しばかり恨みがましいスザクの視線を、笑顔で交わすルルーシュの様は、ひどくしたたかだ。
「ところで、白兜の調子はどうだ?」
あからさまな話題転換だったが、スザクは逆らおうとしなかった。
(白兜って……ランスロットのことだよね、多分……)
以前、ルルーシュとロイドが交わしていた会話を思い出す。白兜じゃなくてランスロットと強調していたロイドだったが、ルルーシュはまるで聞いちゃあいなかった。あれはロイドに対する嫌がらせなのだろうか。
そんなことを思いながら、顔には笑みを浮かべて言う。
「すばらしいです。速度も性能も防御力も、シミュレーターとは比べ物になりません」
「第7世代ナイトメアフレームだからな。シミュレーターなんかと比べたら、ロイドが怒るぞ」
「そうですね」
ロイドの、異常なまでのランスロットへの執着ぶりを見れば、ルルーシュの言っていることはもっともだ。
そんなふうに、ルルーシュが寒さのためにくしゃみをするまで、二人は外にいて他愛無いやり取りを続けた。ルルーシュを遠いと思ったが、まるで嘘に思えてくるほど親しげに。