シロクロニクル 〜白の喪章 17〜


「う、わあ……」
 目の前に広がる光景に、スザクは息を呑んで目を見開いた 砂、砂、砂。周囲を見渡しても、目に入るのは砂の海。陽光に当たって黄金色に輝く様は、晴れ渡った青い空との対比で、目に痛いほどだ。
 スザクは今、特派のトレーラーのすぐ隣に立って、広大なサハラ砂漠の一角にいた。

 つい先日、ルルーシュが特派を訪ねてきたとき言ったように、ルルーシュは皇帝に、エリア13――かつてはエジプトと呼ばれた国に行くことを命じられた。エル・アラメイン戦線が破られたという失態を取り戻すために、いくつもの戦場で華々しい戦果を挙げているルルーシュが選ばれたのだ。
 五年前にルルーシュが、危うくEUに奪われそうになったエリア13を、半分とは言え取り返したという過去もまた、今回の指揮官にルルーシュが選ばれた原因の一つらしい。
 そして当然、ルルーシュの管轄化にある特派もまた、ルルーシュについてここまでやって来たのだった。皇帝の下命があってから、二日と経たない早業だった。
 スザクたちが今いる場所は、EU軍が居座っているというアレキサンドリアから、十数キロメートルほど離れた砂漠の中だ。つい三十分ほど前に到着したばかりだからか、未だ敵がEU軍が出陣してくる気配はない。
 とは言っても、相手が斥候を放っていないはずはないから、ここにブリタニア軍がいることは既に知れているはず。何せ、ナイトメアフレームを乗せた何台もの大型トレーラーが、場所を占めているのだから、知られていない方がおかしい。
 直に、この場は戦場と化すだろう。
 けれど今は、そんなことも関係ない。目に映るのは、ただ砂の海が広がるばかりの光景だ。
 木々に囲まれた森やどこまでも続くような広大な海ならば見たことはあるものの、どこまで行っても砂しか見えないような光景を見たのは初めてだ。もちろん、砂漠なんて生きにくい土地よりも、緑と水にあふれる土地の方が良いに決まっているが、珍しいものは珍しいのだ。
 スザクがぽかんと口を開いて間抜け面をしていると、ひゅうと強い風が吹いて、それに巻き上げられた砂に襲われる。大きく開けていた口の中どころか、丸く見開いていた目の中にまで、砂がたっぷりと入り込んできて、スザクはむせるのと痛みに目を瞑るのを同時に行った。
「……何をしているんだ」
 呆れたようなルルーシュの声が、背後から聞こえてくる。ため息まで聞こえてきた。
 正直、泣きたい。どうして、忠誠を誓った相手に、こんな情けないところを見られないといけないのだ。
「で、殿下……すみませ……」
 スザクは即座に謝ったが、口の中がじゃりじゃりして喋りにくいことに変わりはなくて、妙に舌足らずな口調になってしまった。情けないし、見苦しすぎる。今日は厄日だろうか。
 そこまで考えて、スザクははたと気付いた。指揮官のルルーシュが、何故このような場所にいるのか。
 周囲を見渡しても、護衛の姿は見えない。砂避けなのか、大きな布を頭からすっぽり被って、それで口元を押さえているルルーシュ一人だけだ。
(前から思ってたんだけど、皇女様なのに、どうしてこんなにフットワークが軽いんだろうこの人……)
 護衛にしてみたら、かなり迷惑な人なんじゃないだろうか。一人で動かれている間に、もしものことがあったら、悔やんでも悔やみきれない。……まあ、一人にで身軽に動きたいという気持ちだって、分からなくはないのだが。
 しかし今、ルルーシュたち上官は現在、作戦会議中ではなかったのだろうか。さすがに作戦会議を放って来たということはないだろうが、作戦会議とは普通、こんなに早く終わるものなのだろうか。
 スザクは素直に聞くことにしてみた。
「あの、作戦会議は……?」
「もう終わった。後は、敵がやって来るのを待つばかり、だ」
 砂漠の向こう――ちょうど、アレキサンドリアがある方向を見据えて、ルルーシュが口の端を吊り上げる。負けることなど、少しも考えていない顔だ。これが、軍部でカリスマ視される黒の皇女としての、ルルーシュの顔なのだろう。
 ルルーシュが見ている方向を、スザクも見やった。隆起する砂の丘のせいで、アレキサンドリアの町など少しも見えてこない。それでも確かに、この砂漠の向こうに、敵がいるのだ。
「スザクは素直だな」
「え?」
「作戦会議って、こんなに早く終わるものなのかって顔をしている」
 くすくすと笑われて、スザクは顔が赤くなるのを感じた。確かに昔から、感情が顔に出るなとよく言われたが、今では随分とマシになったと思っていたのに。
「……そうだな。五年前なら、こんなに早く終わらなかったことは確実だな」
 笑うのを止めたルルーシュが、遠い目をして語り始めた。
「前に特派に行ったときにも話したと思うが、俺の初陣はエリア13――この砂漠だった。俺が12歳のときだ。政治的能力は認められつつあったものの、指揮を取ったことなど一度もない俺の言葉なんて、他の奴らはほとんど聞こうとしなかったさ。……まあ、だから強攻策を取ったわけだが」
 最後にぼそりとルルーシュはつぶやく。耳のいいスザクには、それがはっきりと聞こえた。
(何か怖いこと聞こえた……!)
 強攻策って何ですかと尋ねたい気もすれば、尋ねたくない気持ちもある。
(いったいこの人何したんだろう……?)
 スザクが顔を引きつらせている間に、ルルーシュは再び話を始める。
「でも、今は違う。今の俺が立てた作戦なら、よほどの無茶を言い出さない限り、誰も逆らおうとしない。それだけの実績があるからな」
 そう言い切ることができるのは、ルルーシュが自分自身のことを、客観的に評価できるからだろう。声の響きには、自惚れは少しもなくて、ただ事実を言っているだけの平坦さがあるだけだった。
「今回も、大まかな作戦を話して、会議はそれでおしまいだ。終わるのが早いのも、それなら当然だろう?」
「……そうですね」
「分かったなら、これ以上砂にやられないうちに、トレーラーの中に戻るといい。いざ戦うときになって、砂が目に入って動けないなんて事態になったら、笑いものだからな」
 茶目っ気たっぷりに、先ほどのことをからかわれて、スザクは情けない顔になった。



◇ ◇ ◇



 カレンは砂を避けるため、トレーラーの中にいた。手には、分厚い冊子を持っている。紅蓮弐式の取り扱い説明書だ。いつもカレンが行っているルルーシュの護衛は、今日だけは別の人間に任せてきた。他のことに、集中するだけの余裕がなかったからだ。
 手に持った冊子は、ここ数日任務があるとき以外は手元から放すことなく、隅から隅まで読み込んでいたため、すでに端が擦り切れ始めている。頭の出来は元々悪くないため、必要事項は全て頭の中に叩き込むことはできたとは思うが、再び目を通すことをやめることができない――不安だから。
 数日前、とうとう紅蓮弐式が完成したということを、ルルーシュから聞かされた。シュナイゼルの特派と並んで優秀と名高い、ラクシャータを筆頭とした技術者集団が開発した、世界でたった一つのナイトメアフレーム。これまでとは設計の段階からして異なっているため、本当に世界でたった一つの機体だ。
 ルルーシュは、それをカレンに与えてくれた。否、カレンのために、ルルーシュがこの機体を技術者たちに作らせたというべきか。
 従来のものとは、全く異なる機体。しかし、その性能は従来のナイトメアを完全に上回っていると言ってもいい。運動性能だけを見ても、第五世代ナイトメアフレームのサザーランドの1.6倍。ロイドが作った第七世代ナイトメアフレームのランスロットにも相当する、高性能の機体なのだ。
 それだけの機体を与えられることが、どれだけ幸せなことなのか、カレンは良く分かっている。親衛隊の中で、ルルーシュは他の誰よりもカレンに目をかけてくれているし、それだけの実力をカレンは持っていると自負している。
 けれど、今回は特別なのだ。
 今回の作戦の要は、紅蓮弐式なのだと言われた。そして紅蓮弐式にとっては、これが初陣だ。カレンが上手く操ることができなければ、作戦は失敗し、もしかしたら紅蓮弐式も誰か別の人間に譲り渡されるかもしれない。
 そんなことは嫌だ。ルルーシュの信頼を、失うような真似をするわけにはいかない。
 だから、万が一の可能性を考えて、取り扱い説明書を読み返すことをやめられないのだ。
 しかし、何枚かページをめくったところで、兵士は所定の位置につくようにとの放送が流れる。カレンは顔を引き締めると、取扱説明書を閉じて、紅蓮弐式のあるところへと向かって行った。



 数キロメートル先に、EU軍の行進とともに舞い上がる砂嵐が見える。同時に、戦車や、ナイトメアフレームに似た大型の装甲機もまた。ブリタニアに対抗すべくナイトメアフレームの開発にいそしんでいるのは、世界各国共通。EUもまた、その例に漏れないのだろう。
 紅蓮弐式に騎乗したカレンは、緊張のため額に汗を浮かべながら、それを睨み付けるようにして見ていた。紅蓮弐式は今、大きく隆起した砂の山の頂上――それよりも少し下の位置に立っていた。その周囲に、他のナイトメアの姿は見えない。トレーラーも同様だ。
 紅蓮弐式が手を伸ばせば届く範囲に、砂の斜面に突き刺さった、何かの機械があるだけだ。細長い形をしたそれは、何本か砂の中に埋め込まれている。
 そこから数百メートル後ろに離れて、ようやくG-1ベースや数多くのトレーラーがずらりと並んでいた。紅蓮弐式以外に、外に出ているナイトメアの姿は見えない。他のナイトメアはまだ、トレーラーの中にあるようだ。
 そうしている間にも、EU軍はこちらまで、残り一キロ程度のところまで近づいてくる。
 そうなってようやく、通信からルルーシュの声が聞こえてきた。
『これより我が軍は、EU軍を迎え撃つ!作戦目的は、長くEUに占領されていたエリア13の奪還にある!作戦の要を担うのは、紅蓮弐式だ!』
 皆に向けた言葉が終わると、ルルーシュはカレンに声をかけてくる。
『カレン、貫通電極は3番を使う。……一撃で決められるな?』
「はい」
 不安を薙ぎ払うように、カレンは返事をする。
「出力確認。輻射波動機構、砂砕状態維持……」
 大きく、息を吸い込む。
 チャンスは、一度きりだ。失敗は許されない。
 EU軍は、紅蓮弐式まで百メートルもないところまで近づいてきている。紅蓮弐式一体しかこの場にいないということ、しかも見慣れないこの機体が全く動こうとしないということで、完全にこちらを侮りきっているのだろう。
 EU軍はこちらに向かっておびただしい量の砲弾を放ちながら、ためらうことなく近づいてくる。第七世代ナイトメアに相当する紅蓮弐式が、その程度の攻撃に倒れるはずはないというのに、愚かしいことである。
 やがて敵軍が、紅蓮弐式がいる斜面のふもとまでやってきたとき、カレンはまっすぐに前を見据えてボタンを押した。
「……外周伝達!」
 ビリビリと、電気が空中に広がる。しかし、期待していたような事態は何も起こらず、カレンは失敗かと思って息を呑んだ。
『カレン、何をしている!早く下がれ!巻き込まれるぞ!』
「っ!はい!」
 ルルーシュの怒鳴り声で我に返り、カレンが慌ててその場を飛びのいて後ろに下がるのと同時に、紅蓮弐式が先ほどまで立っていた場所よりも数メートル離れたところの砂が、ずず、と不気味な動きを見せる。
「やった!」
 カレンが歓声を上げると同時に、砂は一気に斜面を滑り落ち始める。

 紅蓮弐式の前で、地面に刺さっていたのは、掘削機械。そしてそれは、地中深くにある地下水脈のところまで掘り進められていた。掘削機械の先端がある位置は、ちょうどこの斜面のふもとから、地中深くに進んだところだ。
 そしてカレンは、その掘削機械を通して、紅蓮弐式の輻射波動を使って地下水に圧力をかけて――つまりは水蒸気爆発を起こさせて、流砂を起こしたのだ。
 斜面の頂上に立ったカレンは、EU軍が流砂に呑みこまれていく様を見て、晴れやかな笑みを浮かべた。
 ――作戦成功だ。


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