それからの日々は、まるで矢のように早く過ぎていった。
ランスロットの実験に追われる毎日。その中で、日々の鍛錬も絶やすことなく行おうとすれば、時間など無きに等しきものである。朝早くから、習慣となっている剣術のさらえを行い、それから朝食を取り終えるとすぐにロイドによって実験に連れて行かれ、夜の遅くまでほとんど休む間もなく付き合わされる。
ブリタニアに連れてこられた日以降、ルルーシュが研究所にやって来ることはなかった。そのことを、ルルーシュの騎士志望のロイド(スザクにはむしろ、ロイドはルルーシュに恋焦がれているように見えたが)や、黒の皇女をカリスマ視しているセシルは大いに嘆いている。
世界の三分の一を占める、大帝国の副宰相であるルルーシュは忙しいはずだから、それは当然とも言えたが、スザクにはそれだけとも思えなかった。
あの日、軽蔑するかと問われたとき、スザクは否と答えた。それは、肯定すればルルーシュを傷つけてしまうと思ったからだった。それでも、もちろんそれは本心で、悲愴なまでのルルーシュの決意を、軽蔑などするわけがない。けれど、ほんの一瞬だけ、実の兄弟であんなことをしているということに対して、嫌悪感を抱いてしまった。
それは、正常な倫理観念を持つ人間としては避けられないもので、けれどとても些細なものに過ぎなかった。ルルーシュは悪くないと分かっていたからだ。そして、己を隠すことに長けたスザクは、決してそんな感情を表に出すことはなかった。
そうやって、スザクが隠した思いに、ルルーシュは気付いてしまったのかもしれない。妙なところで鈍さを発揮する奇妙さを見せ付けられたが、ブリタニアなんて大帝国の副宰相をしているルルーシュである。普通に考えて、鈍いわけがない。いくらシュナイゼルの後見があったとしても、かなりの才知と鋭さがなければ、それだけの地位に上り詰めることは不可能だっただろう。
並外れた鋭さで、スザクが抱いたわずかな嫌悪感に気付いたルルーシュは、それを不快に思ってここを訪ねて来ないのかもしれない。そんな思いが、胸を離れない。
ルルーシュだって、好きでシュナイゼルのことを拒まないわけではない。あの何かを諦めているような憂い顔を見れば、それぐらい簡単に分かる。拒まない理由が打算や保身なんてものであっても、彼女が言うように、地位や権力を持たない皇族の末路は本当に悲惨なものなのだと、今ではスザクも理解していた。
休憩時間を見計らって、ロイドやセシルに尋ねてみたのだ。全くそれらしく見えないが、伯爵という地位を持つロイドはそういった事情にも詳しいらしくて、色々と話してくれた。力を持たない皇族が、いかに悲惨な末路をたどる運命にあるのか。
ルルーシュもまた、力なきものとしてそんな運命をたどりかけた一人であったらしい。今ではブリタニアの属領となっている国に、ルルーシュは八年前たった一人で、政治の道具として放り出されたのだと。
それを聞いたとき、ルルーシュがクロヴィスに言った”八年前”という言葉の意味が理解できた気がした。多分、幼いルルーシュが、たった一人他国に送られることになっても、誰も助けの手を差し伸べてくれなかったのだろう。
そして、ルルーシュがそこにいるにも関わらず、ブリタニア皇帝はその国に宣戦布告したらしい。結果としてルルーシュは生き残ったが、それは運が良かっただけのことであって、普通ならば殺されていてもおかしくない状況だったはずだ。
父親にも国にも見捨てられて――だからなのかもしれない。幼く無力だったルルーシュのことを、全く顧みなかった国を変えようと、ルルーシュが決意したのは。
今でこそ、ブリタニア帝国副宰相という地位にまで上りつめたものの、聞いた限りでも大変な子供時代を過ごしたらしいルルーシュである。ブリタニアを変えたいと願う気持ちも、今の地位を捨てられないという気持ちも、そんな過去があるならば当然のように思えた。
そんなことを考えていたスザクは、ロイドがその話――特に、八年前にルルーシュが送られたという国の話をしているとき、意味深な目でスザクを見ていることに気付かなかった。
◇ ◇ ◇
それからさらに一月ほどの月日が経った。その間にも、ルルーシュがこちらを訪ねてくることはなかった。ロイドとは、時折予算やその他諸々のことについて、通信で話しているようだが、ロイドと違ってスザクとは別に、話すような話題もないのだから、ルルーシュと話をする機会がないのは当たり前だ。
実験と訓練に明け暮れるだけの毎日。
けれどある日、そんな日常にピリオドが打たれた。
「ロイド!いるか、ロイド!」
ばたんと乱暴な音と共に、部屋の扉が開かれる。ランスロットに関する実験を種々行うために、広くなっている部屋の中には、意外なほど大きくその音と声が響き渡った。
扉をくぐり抜けて入ってきたのは、この研究所のスポンサーでもあり、スザクの上司でもあるルルーシュだ。
突然の訪問にも、どうやらルルーシュ至上主義者らしきロイドは、いそいそと持ち場を離れてルルーシュの側へとすっ飛んでいく。
同時に、セシルが言った。
「ちょうど休憩にしようと思っていたところだし……スザク君も休みましょう?」
そう言う声は、少しうきうきしているように感じられる。そう言えば、彼女は熱烈な黒の皇女ファンだったということを思い出した。実験を放り出したロイドに対する怒りよりも、ルルーシュに生で会えた喜びの方が大きいらしい。上司が上司なら、部下も部下だ。
そしてスザクだって、久しぶりにルルーシュに会えることが、うれしくないわけではないから、文句をつけることなどできないのかもしれない。
ランスロットから降りている途中、ロイドとルルーシュの会話が聞こえてくる。
「はあ〜い、殿下。何か御用で?」
「用がなかったら、わざわざお前のところになど来るか!」
苛立たしげにそう吐き捨てるルルーシュに、ロイドは感情の読めない笑みを浮かべて言う。
「まあまあ、落ち着いて。今日は髪、束ねていらっしゃるんですね。よくお似合いですよぉ」
ロイドの言うとおり、今日のルルーシュは、腰ほどまである黒髪を低いところで一つに束ねていた。髪を結わえているのは、ワインレッドの細いリボンだ。シンプルだが、ごてごてしたものよりもずっと、ルルーシュにはとても似合っている。飾り気のないものであるため、軍服姿にも違和感はゼロで、まるで男装の麗人のようにも見えた。
しかしルルーシュは、ロイドの賛辞を聞いて、嫌そうに顔をしかめる。
「……これはシュナイゼル義兄上の趣味だ」
「あの人の?」
「ああ。長い髪は邪魔だろうなんて言って、わざわざリボンなんか持ち出してきて、結ってくださったんだ。……邪魔だと思っていることが分かるのなら、髪を切るのを許してくれればいいのに……」
そう言って、ため息を吐くルルーシュ。どうやら、腰ほどまでもある髪の長さは、シュナイゼルの趣味らしい。こんな些細なことですら、ルルーシュはシュナイゼルに逆らおうとしないのだ。
長い黒髪は、毛先まで手入れが行き届いていて綺麗だったが、それがシュナイゼルのために伸ばされたものだと思うと、スザクは何だか胸がむかむかしてきた。
「スザク君、どうかした?」
「……いいえ」
スザクの不調に気付いたセシルが、心配そうな目を向けてくるが、本人にもこの苛立ちの理由が分からないのだから、スザクはそう答えるしかなかった。
「そう?ならいいんだけど……」
セシルは首を傾げながらも納得した風な顔になり、スザクを置いてお茶の用意をしに行った。
それと入れ替わりにに、ロイドがルルーシュを連れて、こちらに近づいてくる。ルルーシュと目が合った。
「……お久しぶりです、殿下」
「ああ、久しぶりだな。どうだ、ロイドに無茶をさせられていないか?」
「そんな!殿下、ひどいですよぉ!僕がそんなことするような人間に見えますか!?」
「見える」
ロイドの問いを、ルルーシュはきっぱりと肯定した。それにショックを受けて、しくしくと泣きまねをしているロイドは憐れみを誘ったが、このマッドサイエンティストに毎日無茶な実験をさせられているスザクとしては、否定のしようもなかったので、そのままフォローをすることもなく口をつぐんでいた。
ルルーシュは、側にあった椅子の一つに腰掛けると、ロイドとスザクにも座るように言ってくる。その言葉に甘えて二人が座ると、ちょうどそこへ紅茶のセットを持ったセシルがやって来た。彼女は、ここ一ヶ月あまりずっと一緒にいたスザクが、見たこともないほどいい笑顔で、ルルーシュに紅茶の入ったティーカップを差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
ルルーシュも微笑みを返して、差し出された紅茶に口を付けた。そして、ロイドとスザクにも紅茶を出し終えたセシルが、お盆を抱えてロイドの後ろに立っているのを見ると、セシルにも座るように勧める。セシルは恐縮しきって、空いている椅子に座った。
ルルーシュはどうやら、部屋に入ってきたときよりは落ち着いたようだった。不機嫌そうな顔で、大人しく紅茶を飲んでいる。少しして、彼女はティーカップを側にあった作業台の上に置くと、いつもよりも低い声で言った。
「……エル・アラメイン戦線の膠着状態が破られた」
「エル・アラメインですか?それはまた……」
即座にロイドが反応を返す。スザクには、そこがどこかすら分からないのに。
そんなスザクに気付いたのだろう。セシルが説明してくれた。
「エル・アラメインはエリア13……エジプトと言った方が分かりやすいかしら?その国にある、地中海に面する町の一つよ。……ただ、あの国は現在、完全にブリタニアの支配下にあるわけではなくて、エル・アラメインから南に縦断して、東にブリタニア、西にEUと、それぞれの支配下に置かれているの」
「だから、エル・アラメイン戦線と言うんですね」
「ああ、そうだ」
スザクの言葉を、セシルではなくルルーシュが肯定する。
「確か、俺が12歳のときだったから……五年前だったか?」
「ええ、確か、そうだったと思いますよ」
ルルーシュが首を傾げると、ロイドが相槌を打つ。
「モロッコから進軍してきたEUが、アルジェリア、チュニジア、リビアを次々に支配下に治めて、エリア13にまで手を伸ばしてきた」
「そして、危うくエリア13も落とされようとしたとき、殿下が事態の平定に向かわれた……あれが、殿下の初陣だったんですよねー」
「ああ、そうだったな。あのころはまだ、自由に使える力も少なかったし、EUはしつこいし、属領になったばかりの国だったから内部反発も強かったし……かなり苦労した覚えがある。結局、全て元通りというわけにもいかず、取り戻せたのはエル・アラメインまでだけだった。それから今までずっと、小競り合いこそあったものの、膠着状態が続いていたんだが……今朝、状況が動いたという連絡が入った。EU勢力にエル・アラメインを突破され、現在はアレキサンドリア付近まで押されているようだ。何年も続いた膠着状態が敗れたんだ。EU軍は、さぞ勢いづいていることだろうな」
憂うようにため息を吐いて、ルルーシュは続ける。
「コーネリア姉上がエリア18の制定に成功されたばかりだから、皆そちらに気を向けていて、その隙を突かれたとのことだ。……馬鹿馬鹿しい。要は、指揮官が間抜けだっただけのことだろう。五年前、俺がどれだけ苦労したかも知らないで……」
どうやら、不機嫌になっていたのは、それが理由だったらしい。五年前、自分が苦労して収拾させた事態が、他人の過失で再び勢いを盛り返してきたことが、優秀なルルーシュにはきっと許せなかったのだ。優秀な人間ほど、無能な人間に対して厳しいものだから。
「それで?今度もまた、殿下が出られるので?」
「おそらくな。直に、皇帝陛下から呼び出しがかかるだろう。特派も、出陣の準備をしておけ。現地軍がこれ以上の失態を見せない限り、戦場は砂漠になるはずだ。砂に足を取られるなんて、間抜けなことがないようにしておけよ」
「まさかぁ!僕のランスロットが、そんな無様な姿を見せるはずないですよぉ!ねえ、枢木准尉?」
「え、あ……はい」
ランスロット――ナイトメアフレームに乗って実際に戦ったことは一回きり、砂漠での戦闘はシミュレーターでこそやったことはあるものの、それは実戦とは違う。自信がないわけではないが、それが上手くやれるという証拠になるわけではないので、スザクは曖昧に頷いて微笑むことしかできなかった。
ルルーシュは、スザクに向かって期待していると言うと、ロイドに視線を戻して再びため息を吐く。
「しかし、面倒だな。アフリカ大陸から追い出すこともできるが、それをすれば、EUは中東に手を伸ばしてくるだろう……今の状況でそれを許せば、エリア18の治安が悪化する。ここはやはり、エリア13から追い出して、それで良しとするか……」
「戦う前から、余裕の発言ですねぇ、殿下」
「俺を誰だと思っている、ロイド?この年で、副宰相の地位まで上り詰めたのは、伊達ではないぞ」
「知っていますとも。ところで、そろそろ僕のこと、騎士にす」
「ない」
「……せめて、皆まで言わせてくださいよ……」
「お前の戯言に付き合っているほど、俺は暇ではないんだ」
ずーんと暗い空気を肩に乗せて落ち込むロイドを、ルルーシュは冷たい声で切り捨てる。
「それよりロイド、いいことを教えてやろう」
「いいこと、ですかぁ?」
「ああ」
疑わしげな顔をしているロイドに、ルルーシュは楽しげな笑みを浮かべて言う。
「ラクシャータが、紅蓮弐式を完成させたぞ」
「なっ……!?」
がたん、と。大きな音を立てて、信じられないような顔をしたロイドが立ち上がる。
それを、どこか楽しげな目で見つめながら、ルルーシュは続ける。
「これまでのナイトメアとは全く違った設計の、オリジナルナイトメアフレーム。第七世代のナイトメア――お前の白兜にも相当する高性能を誇る機体だ。次の作戦の要に使おうと思っている。優秀な技術者を持てて、俺は幸せだな」
「……ラクシャータよりも、僕の方が優秀です」
「では、それを証明して見せろ。……そうだな、ラクシャータがゲフィオンディスターバーを完成させるよりも先に、フロート・システムを完成させられたら、そう認めてやってもいい――できるか?」
「もちろんですとも!」
憎々しげな顔をしていたロイドが、ルルーシュのその言葉で、一気に表情を明るくする。
(……こういうのを、転がされてるって言うのかな……)
フロート・システムの何たるかを知らないスザクにも、それがたやすくできるようなことではないだろうということは、何となく予測がついた。その製作を、ロイドがライバル視する技術者を持ち出して、急がせる。上手い手だ。
一つ間違えば、プライドの高くて偏屈な技術者をすねさせるだけに終わってしまうが、ルルーシュは飴と鞭を駆使して、見事ロイドを手玉に取った。さらに言えば、ラクシャータにも同じようなことを言って、ゲフィオンディスターバーとかいうものの開発を急がせるのだろう。ラクシャータもまた、ロイドのことをひどく敵視しているから、挑発するのはたやすいはずだ。
(何て言うか……殿下って、結構いい性格してるよね)
イレブンなんかを取り立てようとする変わり者、世間知らずで鈍いお姫様、気高く聡明な皇女、スザクに戦う理由をくれた人、無力で儚げな女の子、傲慢で頭の回る策略家。一緒にいた時間は少しだけなのに、ルルーシュは多様な面を見せてくる。
こんな興味深い人を、スザクは他に見たことがない。
じっと見つめていると、ルルーシュがふとこちらを向いた。それに驚いて、目を見開くスザクを見て、ルルーシュは面白いものを見たように笑みを漏らした。
邪気のないその笑みを見て、自分の頬が赤くなった意味を、スザクはまだ自覚していなかった。