スザクがルルーシュに対して、嘘偽りない気持ちで頭を下げて、誓いの言葉を口にしてから、十数秒も経たないうちに。
「失礼しますぅー」
という、何とも気の抜けるような独特の喋りとともに、軽く空気を切る音が聞こえる。わざわざ目を向けるまでもなく、部屋の扉が開けられる音だと分かる。声は、若い男のものだった。
扉が開けられたのは、本当にちょうど、ルルーシュとスザクの間で、重要な話は終わったところだった。まるで、外で頃合を計っていたようなタイミングの良さである。しかし、ここは密室であるからして、盗聴器でも仕掛けられていない限り、そんなことはありえない。
基本的に、軍施設は盗聴や盗撮といったことに対するチェックが厳しいから、盗聴されていたなんてことはまずないだろう。救護トレーラーでは、軍事機密に関するような話が成されることは皆無と言っていいに等しいが、可能性としてないわけではないから、ここにそういったものが仕掛けられても、すぐに判明するそうだ。そういったことを取り締まるのは、専門の人間が担当しているため、スザクは実際に目にしたことはないのだが。
つらつらとそんなことを考えるスザクから視線を外して、ルルーシュはくるりと振り向き、扉の方を見やった。そして、スザクに向けていた、どこか重苦しい声とは違って、微妙に上機嫌な声で言う。
「ああ、ロイド。来たか」
「来たかって……こんなところに呼んだのは、殿下じゃないですかぁ」
すねたような声で、ロイドと呼ばれた男は言う。
皇族に対する態度としては、かなりおかしいそれに気を引かれて、スザクは声のする方に視線を向けた。そこには、一人の青年と、その背後に控えるように一人の女性が立っていた。二人とも、ブリタニア人かどうかまでは分からないが、少なくとも日本人ではない。肌の色も髪の色も、日本人の持つものではありえなかった。
男性も女性も、年のころは、20代後半あたりに見える。
男性は、ひょろっとした細い体型をしていて、軍人としてはあまりに相応しくない印象だ。おそらくは、技術畑の人間なのだろうと簡単に推測できる。ルルーシュに話しかけていた声は男のものだったから、消去法から考えて、ルルーシュがロイドと呼んだのは彼なのだろう。
硬い寝台から、観察するようにじろじろとスザクが見つめていると、それに気付いたように二人はスザクを見た。しかしロイドは、すぐに興味をなくしたように視線を外した。それを見ていた女性は、咎めるような眼差しでロイドを見て、スザクに向かって謝罪するように苦笑して見せる。
スザクも、つられて苦笑を浮かべる。
それとほぼ同時に、ロイドがこちらに向かって進んできながら、ルルーシュに話しかけた。
「それで殿下、こんなところに呼んだりして、いったい何の用ですかぁ?」
間の抜けたような話し方は、敬語を駆使して丁寧に喋っていようと、聞いているものには何故か、馬鹿にされているような印象しか与えない。わざとこんなふうに喋っているのなら、相当な性格の持ち主だ。
しかしルルーシュは、そんな話し方に対して別段何も思っていないように、平然とした声を返す。
「ロイド、お前、白兜のパイロットが欲しいと言っていたな?」
「白兜って……僕のランスロットに変な名前付けないでくださいよぉ。それに、パイロットじゃなくてデヴァイサーですってば。何度言っても聞いてくれないんですから……はあぁ〜」
ロイドは大きなため息を吐く。
ルルーシュはそれをすっぱりと無視すると、ロイドから視線を外して、スザクがいる寝台の横にあた机の上から分厚い書類らしきものの束を手に取ると、それをロイドに向かってバシッとたたきつけた。しかも、顔目がけて、思いっきり。
「ぶっ……」
顔面の直撃した分厚い紙の束に、ロイドは奇妙な声を上げる。
そして、それを見ていたスザクと藍色の髪の女性は、その場で沈黙した。こういったとき、傍観者が一人ではないのは、何となく心強いものである。
クリップで留めてあるため、書類がバラバラになるようなことはなかったが、問題はそこではない。ルルーシュは平然とした態度でロイドに対しているとばかりスザクは思っていたのだが、実は違うかったのだろうか。何と言うか、鬱憤を叩きつけるような投げつけ方だった。
重力にしたがって下へと落ちる紙の束を、ロイドは意外なほど俊敏な動作で受け止めた。そして、紙を持つ手とは反対の手で、ずり落ちた眼鏡をかけ直している。
ロイドは恨みがましい目でルルーシュを見た。
「殿下、いきなり何するんですか?」
ロイドからの恨みがましい視線を、鼻で笑って叩き落したルルーシュは、口の端を吊り上げて言う。
「お前に、最高のパイロットを貸してやる。それが資料だ」
文句を全く聞いていないルルーシュの傲慢な態度に、ロイドは諦めたようにため息を吐く。
「はあ……だからデヴァイサーだって言ってるのに……」
ロイドは肩を落として、どうやら資料らしき紙の束をめくり始めた。しかし、すぐに眉をしかめて難しい顔になる。
「……殿下、僕をからかってるんですか?こんな人間、いるわけないでしょう」
「まさか。お前なんかからかっても、楽しくないだろう」
ルルーシュはそう言うと、目を閉じて肩をすくめた。
しかし、ロイドは難しい顔を変えようとはしない。眉をしかめたまま、納得できないように、疑うような目でルルーシュを見た。
「だって殿下、貴方がパイロットに用意してくれた人間、僕が全部突き返したから、怒ってたじゃないですか」
「……そんなことで、お前なんかをからかおうとするほど、俺は暇じゃないんだ」
ルルーシュは大きなため息を吐いた。そして続ける。
「……それとも、そのパイロットに不満があるとでも?」
「まさか!本当に、こんな人間がいるのなら、不満なんてあるわけないじゃないですか!ランスロットの最高のパーツになりますよぉ!」
そう言って、ロイドは、幸せいっぱいといった感じの空気を周囲に振りまき始める。いい年した大人が、そんなことをしている光景は、正直かなり気持ち悪い。
スザクと同じことを思っているのか、横目に見えたルルーシュは、嫌そうに顔をしかめていた。
そんなルルーシュに、キラキラと目を輝かせてロイドは詰め寄る。
「それで、どこですか?僕のランスロットの、最高のパーツ!」
まるで物扱いだ。全く人として扱っていない。しかもロイドはそのことが、悪いことだとは全く思っていないようで、語る瞳はとても無邪気なものだった。大切なのはランスロットであって、それに乗る人間ではないということを、全身で物語っている。
「……ロイドさん!」
「何ぃ、セシル君?」
人を人とも思わない発言を咎めるように、藍色の髪をした女性――どうやらセシルと言うらしい――がロイドの名前を呼ぶ。しかし、ロイドは不思議そうな顔をして、顔だけで後ろを向いて彼女を見た。何を咎められたのか、全く分かっていないらしい。
セシルは穏やかな顔を一変させ、ロイドにつかみかかった。物静かでおっとりとした外見を裏切って、実にアグレッシブだ。
「どうして貴方は、そんなことばっかり言うんですか!」
「ひいっ……!わ、ちょっ、ごめんなさいっ……!」
唖然とするスザクとルルーシュを置いて、据わった目をしたセシルは、ロイドの胸倉をつかんでガクガクと揺さぶっている。ロイドは謝っているが、セシルは全く聞いていないようだ。
優しげに見える美人が、本気で怒っている様は、かなりの迫力があって正直とても怖い。スザクは思わず、ベッドの上で後ずさった。斜め前を見ると、ルルーシュも少しばかり、腰が引けている。
そんな二人に気付くことなく、セシルはロイドを揺さぶりながら、とがった声でさらに言う。
「しかも、よりにもよって黒の皇女様の前で!特派の人格が疑われたらどうしてくれるんですか!?責任取ってくれるんですか!?」
よりにもよって、とルルーシュを特別扱いする発言は、彼女が皇族だからという理由よりもむしろ、個人的な感情が絡んでいるように聞こえた。多分セシルも、軍内に数多く存在するという、黒の皇女のファンなのだろう。
しかし、セシルは気付いていない。ロイドの発言を咎めたセシルだが、彼女自身の乱暴な行動に、ルルーシュがわずかに引いていることを。
しばらくの間、ロイドが一方的にセシルにやりこめられている光景を見ていたスザクとルルーシュだったが、先に立ち直ったのはルルーシュだった。
彼女は姿勢を正すと、少し首を傾げて言った。
「……セシル・クルーミー、だったか?」
ルルーシュに名前を呼ばれて、一瞬ぴたりと動きを止めたセシルは、すぐに頬を染めて返事を返す。いまだその手に、ロイドの胸倉をつかんだまま。
「は、はい!」
「安心してくれ。そんな変人が責任者だからと言って、特派自体に偏見を持つことはない。ロイドは腕だけは非常に優秀だが、性格が性格だから、君も大変だろう。いい加減ロイドに愛想が尽きたら、俺の下に来ることも考えてくれるか?ラクシャータが、優秀な人間を補充するよう、前からうるさいんだ」
「そんな……わ、私なんかにはもったいないお言葉です……!」
ロイドに対してかなりひどい言葉ばかりを口にしたルルーシュに、しかしセシルは何ら反論を口にすることなく、恋する乙女のように頬を染めて、感動したように手に力を込めた。
当然、胸倉をつかまれていたロイドは、カエルのような声を上げる。……スザク以外、誰も気にしなかったが。
ロイドは、セシルに気道を圧迫されて苦しそうな顔をしながらも、必死になってルルーシュに向かって話しかける。
「ちょっ、僕がお側に置いてくださいって言ったときには、考えることすらせず切り捨てたくせに、どうしてセシル君はいいんですかぁ!?」
すがるような目を向けてくるロイドに、ルルーシュは冷たいぐらいあっさりと答える。
「お前は、義兄上自慢の技術者だろう。そんな者を引き抜くほど、俺は恩知らずではないんだ」
「そ、そんなこと言ったらセシル君だって……!」
「ロイドさん!余計なことを言わないでください!私は貴方と違って、シュナイゼル殿下と直接面識があるわけじゃないんですから!」
「ぐえっ!」
セシルに首を絞められて、ロイドは再度つぶれたカエルのような声を上げる。今度もまた、スザク以外誰も気にしていなかった。
その代わり、ルルーシュは騒動を引き起こした者の務めとでも言わんばかりに、わずかに苦笑を浮かべながら場を制して見せた。
「二人とも、少し落ち着け」
たった一言で、ロイドとセシルはぴたりと黙り込む。
そしてルルーシュは、先ほどまでの話へと話題を戻した。
「ロイド、その資料の人物だが、ここにいる枢木スザク一等兵がそうだ」
そう言って、ルルーシュはスザクを示す。
「え……?」
スザクは動きを止めて、ルルーシュとロイドとを交互に見た。
ルルーシュの発言に、ロイドは一瞬、驚いたように目を瞠って、すぐにチェシャ猫のような笑みを浮かべる。それは、蔑みや嘲りとはまた別のところにあった笑いだったから、スザクは戸惑った。
「へえ……イレブンですか?」
「何か問題でも?」
目を細めるルルーシュに、ロイドは大仰な仕草で否定を返す。
「いいえぇ!僕は、ランスロットの性能を最大限に引き出してくれるのなら、人種になんてこだわりませんとも!ただ……貴方がイレブンを取り立てるなんて、意外だなぁと思っただけですよ」
ルルーシュは不快げに眉をしかめる。
「……俺は、クロヴィス義兄上と違って、人種になんかこだわらないさ」
「そうでしょうとも」
ロイドは笑みを深めると、先ほどの発言とは、まるで反対のことを意味するルルーシュへの肯定を口にした。
そして彼は、くるりと体の向きを変えて、唐突にスザクを見ると、楽しそうに問いかけてきた。
「枢木一等兵。君、ナイトメアフレームの騎乗経験は?」
「え……?」
スザクは目を見開いた。先ほどから、スザクに関わることらしいのに、完全に蚊帳の外に置かれていたのが突然、矛先を向けられたのだ。その反応も無理はない。
しかし、スザクはすぐに立ち直って首を横に振る。
「まさか。イレブン出身者は、騎士にはなれません」
「なれるとしたら?」
意味深なセリフに、スザクは驚きを隠さないまま、ルルーシュを見上げた。
スザクの視線に気付いたルルーシュは、ふっと笑みを浮かべて言う。
「我が最強の矛となれと言った相手にナイトメアを与えないほど、俺は矛盾した人間じゃないんだ」
確かに、それもそうだ。ナイトメアフレームでの戦闘が主流となっているブリタニア軍で、強くなろうとすれば、それに乗ることができなければ話にもならない。
つまり、どうやら、かつがれているわけではないようだ。
見つめ合うスザクとルルーシュを邪魔するように、ロイドが割って入ってくる。
「ところで殿下!枢木一等兵をデヴァイサーに貸してくださるそうですが、もしクロヴィス殿下から今日にでも出動要請が来たら、彼をランスロットに乗せても構いませんよね?」
「ああ、もちろん構わない」
ルルーシュはスザクからロイドに視線を移すと、こくりと頷いて言った。
「むしろ、その方が好都合だ。ごちゃごちゃとうるさい輩を黙らせるには、実際にスザクの能力を見せ付けるのが一番だろう」
どうして資料でしか知らない上に、ナイトメアについてはシミュレーターしか動かしたことのないスザクの能力を、そこまで買いかぶってくれているのか、スザクとしては果てしなく謎だ。しかし、こうも当たり前のように言われるとむしろ、謎だと思っているこちらの方が間違っているような気分になる。そんなはずはないのに。
どう返しようもないので、とりあえずスザクは苦笑して、期待に応えられるようがんばりますと答えた。