暗い地下鉄の構内。
今はすでに使われていない線路は、先の戦争のときに破壊されたまま、瓦礫がそこら中に散らばっている。
電灯は全て壊されてしまっているため、地下となっているこの場所は、穴の開いた天井の隙間から漏れる明かりだけが光源で、かなり暗くなっている。暗視ゴーグルを装着していなかったら、転ぶとまではいかずとも、進みにくいことは確かだっただろう。
そんな地下鉄構内を、スザクは音を立てないように気をつけて、けれど早足に進んでいた。
そうしている間にも、ヘルメットに内蔵されたヘッドフォンから、上官の命令が聞こえてくる。
『テロリストは、地下鉄構内に潜伏している。貴様たちの目的は、テロリストが奪った兵器を見つけることにある。イレブンの居住地、シンジュクゲットー、旧地下鉄構内を探索せよ。発見し次第、行路を送れ。ターゲットの回収は、我が親衛隊が執り行う。貴様たちは、名誉ブリタニア人とは言え、元はイレブンだ。同じサルの臭いをかぎ分けろ。銃火器の携行を許可される身分になるため、功績を挙げろ!今こそ、ブリタニアへの忠誠を示すチャンスである!!』
「イエス、マイロード」
いつまで経っても違和感を覚える、ブリタニア式の上官に対する返事を短く言って、スザクはそれきり口をつぐんだ。
テロリストが盗んだのは、毒ガスだと聞いた。どれだけの威力があるものなのかまでは知らされていないが、ここまで必死になって取り返そうとしているのだから、かなり殺傷力の高いものなのだろう。
スザクが慎重に歩を進めていると、ふと、暗視ゴーグルが不審な影を捉えた。ゴーグルを操作して、ズーム機能を働かせて見る。そこには、動かないトラックと、その荷台に積まれた何かがあった。
おそらくは、奇妙な形をしたその何かが、毒ガスなのだろう。
スザクは通信機を操作して、この場所を送った。間もなく、クロヴィスの親衛隊がやって来るだろう。
それまでの間に逃げられないように、とテロリストの動きを警戒するも、トラックの運転席に動く姿は見えない。
怪我をしてしまって動けないのか、それともトラックを乗り捨てて毒ガスも諦めてしまったのか、単にもう死んでしまったのか。
警戒しながら見張っていると、やがて、背後から明るい光が指した。
慌てて振り向くと、明るいライトを背後に、クロヴィスの親衛隊の面々がそろっていた。その中で、一番前にいる男が口を開く。
「ご苦労」
「は!」
短く答えて、小さく頭を下げるスザクに、彼は大股に近づいてくる。
「よく見つけてくれた。クロヴィス殿下もお喜びになることだろう。その功績をたたえて……」
ややもせず、スザクのすぐ近くまでやって来た男は、いやらしい笑みを浮かべて、何故か銃を取り出した。
「……一息に殺してやろう」
その言葉を疑問に思う暇もなく、心臓のあたりにものすごい衝撃がやって来る。
「がっ……!」
スザクは大きく目を見開いて、声にならない声を上げた。
体から、四肢の間接から、一気に力が抜けていく。
「……ナンバーズごときが、ルルーシュ殿下の目に留まるなど、許されることではないのだ。その罪、死をもってあがなえ」
真っ白に染まりゆく意識を抱えながら、スザクが地面へと倒れて行こうとしていたとき、そんな声が聞こえた気がした。
ルルーシュ。ナンバーズのスザクを引き抜こうとした、変わり者の皇女様。
彼女のせいで、自分は殺されるのか。そう思ったけれど、恨みが湧いてくることはなかった。死ぬことは怖くなかったから。
ただ、二度目の誘いに、返事をすることもできないまま死ぬのかと思うと、ひどい罪悪感が胸を襲った。
(ごめん、ルルーシュ……僕は……ぼ、くは……)
薄れゆく意識の中で、声に出すこともできない謝罪をつぶやく。
死ぬことは怖くないから、恨んでいるわけではない。
また、彼女との間に、何か特別なことがあったわけでもない。
それなのに、どうしてだろう。
(……ルルー、シュ……)
意識を失う寸前まで、彼女のことが脳裏を離れないのは。
スザクの能力を欲しいと言ってくれた二度目の誘いに、何の返事もできないまま死んでしまうと考えると、こんなにも胸が痛むのは。
けれどそれでもやはりスザクには、死ぬことを怖いとは、ちっとも思えないのだけれど。
意識が無くなる直前、誰かが叫ぶ声が聞こえた気がした。
◇ ◇ ◇
背中に、硬い感触がする。ゴツゴツしていて、少々痛い。けれどそれは、生きているからこその痛みだ。
(僕はまだ、生きてるのか……てっきり、死んだと思ってたんだけど……)
自分のことのはずなのに、まるで他人事のような思いを抱きながら、スザクの意識は覚醒へと向かう。
背中の下の、硬い感触。つんと鼻をつく消毒液の臭い。おそらくスザクは今、救護トレーラーに寝かされているのだろう。
意識がはっきりしてくるにつれて、全身を痛みが襲う。撃たれた箇所が痛むのは当然なのだが、地下鉄構内で倒れた際、無防備に地面に叩きつけられたせいだ。瓦礫や石ころが転がっている中に倒れたのだから、この痛みも当然と言えた。
「っ……う……」
我知らず、スザクは小さなうめき声を上げる。
それを聞きつけたのだろう。すぐ近くから、声が聞こえた。
「目が覚めたか?」
聞き覚えのある声だった。意識がなくなるその際まで考え続けていた、ルルーシュの声だ。
視線を動かすと、簡易ベッドに寝かされているスザクを覗き込むようにして、ルルーシュが立っていた。
皇女殿下相手に、この体勢のままは不味いだろうと思って、スザクは慌てて起き上がろうとする。
「っ……!」
しかし、胸を襲った激痛に、思わず背を丸めてしまう。
「この馬鹿!無理をするな!」
ルルーシュが焦ったような声を出して、スザクの背を支えてくれる。
体勢など、ルルーシュは全く気にしていないようだ。考えてみれば、それもそうだ。朝会ったときには、普通の態度で接して欲しいと言った上に、タメ口で相手をされることを望んだほどの、変わり者の皇女なのだから。
しかし、ルルーシュが良いと思っていても、スザクはそうと思えない。貴族と思っていたときには、気安い態度を取ることができたのだから、皇族だからと言ってわざわざ態度を変える必要はないと思うかもしれないが、貴族と皇族とでは大きな違いがあるのだ。
スザクは痛みをこらえて姿勢を正すと、無礼に当たらないよう、やんわりとした手付きでその手を外させて、痛みが骨に響かないようゆっくりと口を開いた。
「……ここは、どこですか?」
その言葉に、ルルーシュは痛みをこらえるような顔になる。しかし、すぐに何でもないような顔に戻ったため、スザクはそれを見間違いだと思った。
部屋の中に、ルルーシュとスザク以外の人間はいない。
代わりに、部屋の外、扉の前に数人の気配が感じられる。おそらくは、ルルーシュの親衛隊なのだろう。
ルルーシュに、二人だけのときは普通に接して欲しいと言われた。
けれど、それを守らなかったスザクに、ルルーシュは何の文句も言わずに話し出した。多分、文句を言っても無駄だと分かっていたのだろう。今朝、強情なルルーシュに対して、スザクがそう悟ったように。
「まだシンジュクゲットーだ。義兄上がいる場所の近くだから、一応、一番安全なところ、ということになる」
そう言って、ルルーシュは右手を前に出すと、その手のひらに包んでいたものをスザクに示した。
「これが君を守った……とは言っても、防護スーツ内での兆弾を防いだだけだがな」
それは、古い懐中時計だった。時計盤を保護するガラスには、小さな穴が開いている。ここに、弾がめり込んでいたのだろう。懐中時計は、無残な姿をさらしている。
時計の針は動いていない。けれど、壊れてしまって時を刻むことをやめてしまったのは、弾がめりこんだせいではない。これが時を止めたのは、もうずっと前のことだ。
スザクにとって大切で、同時に、いっそ叩き壊してしまいたくなるほどの激情を催す、亡き父の形見。差し出されたそれを、スザクは無言で受け取った。
ぼんやりとした様子で、手に持った懐中時計を見つめているスザクに、ルルーシュは気遣うような調子で言った。
「大切なものなのか?」
「……あ……はい……」
「イレブンには、物に神様が宿るという信仰があるらしいな。これにも、神様が宿っていて、君を守ったのかもしれないな」
至極真剣な調子で、ルルーシュは言う。神様がスザクを守ったのかもしれない、なんてことを。
スザクは、神など信じていない。もう何年も前に、そんなものの存在を信じることはやめてしまった。
だから、ルルーシュの言葉に対して、曖昧な表情を浮かべて、口ごもるように言うことしかできなかった。
「……詳しいんですね」
「別に。これぐらい、普通だろう」
「……ルルーシュ、殿下は、神を信じているのですか?」
殿下と敬称を付けるときに口ごもったのは、朝の名残だ。たった数十分のあの時間がスザクに、こうやってルルーシュにうやうやしい態度を取ることに、大きな違和感を与える。
不躾なスザクの質問に、ルルーシュは別段気にする様子もなく、肩をすくめて答えを返してくれる。
「さあな。だが、悪魔がいるぐらいだ。神もいるのだろう」
「……悪魔?」
しかし、答えの内容が、また意味不明なものだ。
悪魔とは、何かのたとえなのだろうか。
首を傾げるスザクに、ルルーシュは淡々と説明する。
「科学では解明できないものが、世界にはある。それを人は、神と呼んだり悪魔と呼んだりする。神様なんて結局、そんなものだ」
話題が微妙にずれている気がしたが、一応の納得をスザクは得た。
ルルーシュが悪魔と呼んだものも、その類のものなのだろう。
うんうんと納得していたスザクだったが、ふと、毒ガスはどうなったのかということが気にかかった。
「状況は、どうなりましたか?」
突然の話題転換にも、ルルーシュは嫌な顔一つ見せず、即座に対応してくれた。
「毒ガスは回収された。君のおかげだ」
「そう、ですか……」
短いが端的なルルーシュの言葉に、スザクはほっと息を吐いた。
同時に、クロヴィスの親衛隊によって撃たれたことを思い出して、ぎゅっと眉根を寄せる。別に、撃たれたことを恨みに思っているわけではない。
ただ、ルルーシュに声をかけられたことでスザクが撃たれたということを、ルルーシュが知ったら気に病ませてしまうかもしれないと、そう思ったのだ。
しかし、スザクの声に出さなかった――と言うか出せなかった気遣いをどう勘違いしたのか、ルルーシュは一気に暗い顔になって、気まずそうにスザクから視線を外した。