射撃訓練場から走り去って行くスザクの背中を見て、ルルーシュは短くカレンに言った。
「……行け」
「ルルーシュ様!?何を……?」
驚いて目を瞠るカレンに視線を向けて、ルルーシュはカレン以外には聞こえないほどの小さな声で言う。
「ブリタニアの軍人は、ナンバーズのスザクが俺に引き抜かれようとしていることを、こころよく思っていないはずだ。だから頼む……行って、彼を守ってくれ」
「ふざけないでください!私が守るのは、貴方だけです!」
カレンはカッとしたような顔になったが、ルルーシュの意を汲み取って、小声で反論するだけの理性は残っていた。声の調子が荒んでしまったのは、ルルーシュに忠誠を誓ったカレンとしては、当然のことだ。主の側を離れて、主以外の人間を守れという命令に、どうして大人しく従うことができようか。
ルルーシュが称したように、カレンはルルーシュの”最強の盾”なのだから。ルルーシュのことを常に考えて、ルルーシュのために生き、何よりもルルーシュのことを優先し、ルルーシュを守る盾。それがカレンだ。
ルルーシュはこれまで、カレンがそうであることを許してくれていた。それなのに、どうして今さらこんなことを言い出したのか。疑念よりも悔しさと悲しみが勝って、カレンは泣き出しそうになる。
「……それは、命令ですか?」
握り締めた拳を震わせながら問うカレンに、ルルーシュは複雑な顔をして、視線を伏せて言う。
「いや……頼みだ」
そう言うルルーシュは、いかにも頼りなさげで、何の力も持たない無力な、寄る辺ない幼子のような顔をしていた。
いつも傲慢で自信たっぷりの彼女がこんな顔をするところを、カレンは見たことがない。それなのに、ここ何年もずっと側にいたカレンがさせることのできなかった表情を、スザクは引き出すことができるのだ。
カレンは、ルルーシュのことを誰よりも大切に思っていた。だからこそ、どこの馬の骨とも分からない上に、どこか得体の知れない感じのするスザクに執着するルルーシュが許せなかった。
激昂したように、カレンは叫ぶ。
「っ……そんなにあの男が大切ですか!?」
カレンもまた、日本から無理やりシュタットフェルト家に連れて来られて腐っていたところを、ルルーシュによって取り立てられた。他の親衛隊員たちも、似たようなものだ。皆、ルルーシュによって日の目を見た者が多い。
ルルーシュは、人を見る目が鋭い。だからこれまで、多くの人間を、さまざまな部隊から引き抜いてきた。
しかし、ルルーシュがこんなふうに誰かに執着するところなど、カレンは見たことがない。ここ何年もずっと、ルルーシュの側に仕えているカレンですら、こんなルルーシュを見たことは一度としてなかったのだ。
「どうして……!あんな、あんな訳の分からない奴なんかより、私の方がずっと貴方の役に立ってみせます!」
もはや、声を抑えるということを忘れていたカレンだったが、状況が状況なためにクロヴィスも兵士たちもすでにこの場を去っていて、残っているのはルルーシュとカレン、そしてルルーシュの親衛隊と他数人である。
「カレン」
人目も耳もはばかる必要がなくなったため、ルルーシュはなだめるようにカレンの名前を呼んで、その肩に手を置いた。
「カレン、何を怒る?君が誰より俺に尽くしてくれていることは、俺が一番良く知っている。そして俺もまた、他の誰よりも君のことを信頼している。枢木スザクのことは、気にする必要はない。……俺は、決して個人的な感情から彼を欲しているわけではない。俺が欲しいのは、誰より優秀な彼の能力だ。君が気にするようなことは、何もないんだ」
「本当に、それだけですか……?」
カレンに語りかけてくるルルーシュの声も瞳も、嘘を言っているようにはとても見えない。それでもカレンは何故か、ほとんど直感的に違うと思った。
だからカレンは、表情を緩めるどころか歯を食いしばった。
「カレン?」
困惑したように眉根を寄せるルルーシュに、カレンは押し殺した声で言う。
「……貴方は、あの男を、自分の騎士にするつもりじゃないんですか?」
その言葉に、ルルーシュは驚いたような顔になったが、それ以上に周囲を取り囲んでいた親衛隊の面々がひどく動揺したような顔になる。
この場合の騎士とは、皇族選任騎士を指している。
ルルーシュの親衛隊は、カレンを親衛隊隊長に形成されている。さらに言えば、隊員は皆ルルーシュに心酔していて、男の隊員――つまりはカレン以外の者は全てと言っていいほど、ルルーシュに恋情さえも抱いているのだ。
ルルーシュが誰かを特別扱いすることはほとんどなくて、親衛隊の隊長は女であるカレンであったから、これまで彼らの間でつまらないいさかいが起こることはなかった。また、カレンが他の誰よりも重用されていることも、女であるからという理由で許されていた。
けれど、ポッと出のスザクが、ルルーシュの騎士の座に収まったりすれば、親衛隊の面々は間違いなくスザクに対して不満を爆発させるだろう。
否定して欲しい、と全身で語っている親衛隊の面々に囲まれた中で、ルルーシュは驚愕の表情を困惑に変えて、訳が分からないといった様子でカレンを見た。
「どうしてそんなことを思ったんだ?俺は、彼を騎士にするつもりなんてない」
「本当に……?」
心底困惑しているような風情のルルーシュに、カレンは一気に怒りを治められ、吊り上げていた目尻を元に戻した。
同時に親衛隊の男たちも、きっぱりとした否定を聞いて、ほっとしたように胸を撫で下ろしている。
迷うこともためらうこともなくカレンの疑念を吹き飛ばしたルルーシュに、カレンは打って変わって弱気な様子で、それでもなお言い募る。
「でも……あの男に対する貴方の態度は、いつもとは少し違っていました……」
「そうか……?」
自覚はなかったようで、ルルーシュは困惑げな表情になっている。
しかし少しして、何かを思いついたような顔になって言った。
「ああ、それはもしかしたら、彼を餌にロイドを釣ることができるはずだから、そのせいかもな」
「……は?」
ここで何故、放蕩貴族にして腕だけは優秀な性格破綻技術者の名前が出てくるのか理解できず、カレンは目を丸くした。
そんなカレンに気付いていないように、ルルーシュは続ける。
「あれは前から、白兜のパイロットを欲しがっていただろう?」
ロイド本人がこの場にいれば、『殿下、白兜じゃなくてランスロット、パイロットじゃなくてデヴァイサーですよぉ』とでも口を挟むところだっただろうが、いなかったのでルルーシュの話をさえぎるものはなかった。
「でも、これまでどんな人間を貸しても、あいつは『僕のランスロットに乗るには役不足ですねぇ〜』なんて言って突っ返してきやがった……俺はそのとき決意したんだ。意地でもあいつが期待する以上のパイロットを見つけてやろうと……!」
いつも冷静なルルーシュにしてみれば、珍しいほど熱くなっている。それこそ、これまで見たことのないようなルルーシュの様子に、カレンは呆然となった。
目を点とするカレンに向かって、ルルーシュはさらに続ける。
「そして、ようやく見つけた。枢木スザクなら、ロイドの期待以上の働きをしてくれるだろう」
ふっと口の端を吊り上げて、笑みを浮かべるルルーシュは凄絶なまでに美しかったが、妙に悪役チックに見える。
「彼を手に入れれば、俺は優秀な部下を手に入れた上に、ロイドに借りを作ることもできる。一石二鳥じゃないか。……やっと見つけた、白兜の大事なパイロットだ。少しぐらい執着しても、おかしくはないだろう?」
「……まあ、確かに」
妙な疑いを抱いていたことが馬鹿らしくなるほど理路整然と、しかしかなり感情的な説明を受けて、カレンは素直に頷いた。
確かにルルーシュは前々から、あのすっとぼけた技術者ロイドに苛立っていたということを、カレンは良く知っている。別の技術者がカレン専用のナイトメアを作ってくれているところだから、カレン自身は借り出されなかったものの、ルルーシュの親衛隊の中から数人がランスロットのパイロット――ロイド風に言うならばデヴァイサー候補として借り出されていったこともまた、知っている。さらに言えば、ルルーシュが述べたとおりに、その全員が役立たずと付き返されたことも。
ルルーシュの親衛隊は、ルルーシュ自身が直々に引き抜いた者ばかりで構成されている。そんな者たちを、役立たずの一言で突き返されれば、ルルーシュでなくとも怒るだろう。
「だから、頼んだ」
「……イエス、ユアハイネス」
釈然しない気持ちを抱きながらも、今度はカレンも、大人しくルルーシュの頼みを引き受けた。
しかし、続く言葉にはさすがに賛同できなかった。
「他の皆も、カレンと一緒に行ってくれ」
「なっ……!?待ってください!それじゃあ、誰が貴方の護衛をするんですか!」
「義兄上の側にでも引っ付いていれば、安全だろう。気にすることはない。それに、頼みたいのはスザクのことだけではない。ブリタニア軍が、民間人に手出しをしないよう、牽制して欲しいんだ。……義兄上は悪い人ではないが……ナンバーズを好いていないから、放っておけばテロリスト以外の人間に被害が出るはずだ」
「っ……!」
その言葉に、カレンは目を見開いた。
エリア11は――日本は、カレンの故郷だ。日本がブリタニアの属領となったとき、ほとんど無理やりブリタニアに連れて行かれて、ブリタニア式の教育や礼儀作法や生き方を叩き込まれたとしても、カレンの心は日本にある。
そんなカレンがルルーシュに仕えているのは、ルルーシュが、ブリタニアを変えたいと思っているからだ。
最初は、日本を解放するためにルルーシュに仕えていた。けれどそのうち、当初の目的よりも、ルルーシュという人そのものに惹かれるようになっていた。
それでも、懐かしい故国を見捨てられるわけがない。
迷うカレンに、ルルーシュは言う。
「俺は、そんなことは嫌なんだ。守られるべき民間人が、どうして撃たれなければならない?撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだが、同様に、撃たれていいのもまた、銃を撃つ覚悟のある奴だけだ。だから頼む、カレンも、皆も。止めるためには、この人数では少なすぎるぐらいだが……やってくれるな?」
拒否されることなど考えていない(実際にはそんなことありえないが)ように、傲慢に細められた紫電の瞳に、ルルーシュに心酔しているカレンが逆らえるはずもなかった。もちろん、親衛隊に属する面々も。
◇ ◇ ◇
戦闘の準備のため、慌しく去って行った自分の親衛隊を見送って、ルルーシュは小さなため息を漏らしながら言った。
「……やはり、女は鋭いな」
「ルルーシュ殿下?何かおっしゃいましたか?」
それを聞きとがめて、側にいた男が不思議そうな顔をする。クロヴィスの側近の一人だ。クロヴィスから、この基地に慣れていないルルーシュの案内役として、今朝紹介された男。
「いや、何も。それより、義兄上のところへ案内してもらおうか」
ルルーシュは首を横に振って否定して、頼みごとをする。
男は丁重な仕草でそれを承ると、付いて来るようにとの旨を、ルルーシュに向かって言った。
射撃訓練場から出て、人々が慌しく動き回る廊下をゆっくりと歩いていく。しかしふと、人の姿が途切れた。
周りには誰もいない。
そのことを確認したルルーシュは、宝石よりもなお美しい瞳を細めて、口の端を吊り上げて笑った。そして、前を歩く男に向かって呼びかける。
「おい」
「何か?」
振り返った男の目を、ルルーシュは見つめた。男もまた、ルルーシュの瞳を見つめた。
「そうだな、一時間ほど、何も考えずにこのあたりをうろついていろ。いいな?」
訳の分からない命令だ。普通なら、そんな命令を聞けるはずがない。けれど男は。
「イエス、ユアハイネス」
まるで意思のない人形のような様子で頷くと、ルルーシュの命令どおり、何も考えていないぼんやりとした顔でその場を行ったり来たりし始めた。
それを見て、ルルーシュは満足したように笑むと、ぽつりと誰にも聞こえないほどの小さな声で言った。
「……テロリストか……あまり気は進まないが、利用させてもらうぞ」