ルルーシュの言に青ざめていたクロヴィスだったが、ふと、はっとしたように目を開くと、怒鳴るように口を開いた。
「話を逸らすんじゃない、ルルーシュ!!今話しているのは、ジェンダーについてなんかじゃないだろう!?」
弱々しく青ざめていたのから、一気に立ち直って叱り付けるような言葉を吐くクロヴィス。
ルルーシュは、そんな彼から視線を外して俯くと、誰にも聞こえないほどの小声でぽつりと何やら言っている。
「……」
いくら耳がいいスザクにも、さすがにその声を聞き取ることはできなかったが、唇の形を読み取ることはできた。一応、読唇術の心得もあるのだ。
(えーっと……『チッ……鳥頭のくせに……鬱陶しいな、この馬鹿兄が……』……って、ものすごく怖いこと言ってるー!?)
心の中で、スザクは絶叫した。
天然なのかと思ったら、口汚く義兄のことを罵ったりと、ルルーシュが掴めない。ルルーシュが実は皇女だったということとあいまって、スザクにはもう、何が何やら分からなかった。
しかし幸いにも、ルルーシュのそんな恐ろしいつぶやきは、クロヴィスにも聞こえなかったようで、彼は不思議そうな顔をしている。
「ルルーシュ、何か言ったかい?」
「いいえ、何も」
クロヴィスからの問いに、ルルーシュはにっこりと無邪気な笑顔を浮かべて返した。ものすごく早い変わり身だ。
呆れるべきか感嘆するべきか、スザクが判断しかねていると、ルルーシュは笑みの種類を変えて、矢すするような笑みを浮かべてクロヴィスを見ていた。
「それより義兄上、話を逸らすなとおっしゃいましたが、それは義兄上の方ではありませんか。女を差別するような発言をなさったのは、義兄上が先でしょう?」
「そ、そんなことはどうでもいい!とにかく私は、お前がナンバーズを側に置くなんて、そんなこと認めないぞ!」
「……認めない?」
感情的になって叫ぶクロヴィスのことを見て、ルルーシュは顔から表情を消した。月をも欺くほどの美貌の持ち主が、そんな顔をすると、妙に凄みがある。
「認めないと、そんなことを言う資格が、義兄上……貴方にあるとお思いですか?」
「何を……?」
不思議そうな顔をするクロヴィスに、ルルーシュは無感情に瞳を細めて、ぽつりと言った。
「八年前」
「っ……!」
クロヴィスは目を見開いて、息を呑んだ。
そのあまりに大きな反応に、スザクは首を傾げる。
(八年前……?)
ブリタニアが日本に宣戦布告したのが七年前だから、そのさらに一年前だ。ルルーシュの正確な年は分からないが、おそらくスザクとそう変わらないだろうから、そのころのルルーシュはまだ十にも満たない幼子だったはずだ。
そのときに、いったい何があったと言うのだろうか。
不思議に思うスザクが見つめる先で、ルルーシュは嘲るような笑みを浮かべる。
「私が一番困っていたときには手を差し伸べてくださらなかったくせに……今さら貴方に、私のすることに口出しする権利なんて、あるはずがないでしょう?」
蠱惑的な仕草で首を傾げて、問いかけるように言うルルーシュに、クロヴィスは必死の形相で弁明しようとする。
「違う!あれはっ……!」
しかし、ルルーシュはそれを聞くことを良しとせず、不快げに眉根を寄せる。たったそれだけの仕草で、クロヴィスは口を閉じた。
黙りこんだクロヴィスを見て、ルルーシュはぽつりと言う。
「何が違うと言うのです?」
そして、感情のなかった表情に、場に不似合いなほど優しげな笑みを浮かべて言った。
「違いませんよ。八年前のあの日、呆然とするしかできなかった私に、貴方は何もしてくださらなかった。顔一つ見せることすら、貴方はしてくださいませんでしたね。……誰も彼もが怖くて、不安で、ひどく寂しかった……けれど、誰も助けてなんてくれなかった」
「ルルーシュ!」
責めるでもなく、ただ淡々とした調子で語るルルーシュを、クロヴィスはその名を呼ぶことで止めさせた。
彼は秀麗な顔を堪え切れない様にしかめて、懇願するような声で言う。
「お願いだからやめてくれ……!」
「どうしてそんな顔をなさるのですか、義兄上?」
ルルーシュはクロヴィスを見て、きょとんとした顔になった。それは、何も知らない子供の残酷さにも見えたし、無垢を装うことでクロヴィスの精神に打撃を与えることを計算しつくしている老獪さにも見えた。
小首を傾げて、子供のように純粋な表情で、ルルーシュは続ける。
「貴方にとって私など、所詮その程度のものだったのでしょう?……ああ、別に、責めているわけではありません。恨んでいるわけでもありませんから、気にする必要はありませんよ。私はただ、事実を述べているだけのこと……」
うなだれているクロヴィスを見て、ルルーシュは表情を変えて冷たい顔になると、絶対零度の声で言った。
「……貴方が私に干渉する資格がないというのもまた、事実でしかありません。邪魔をしないでいただきたい」
そして、ルルーシュはあっさりとクロヴィスから視線を外して、体の向きを変えた。彼女はスザクのいる方を向いて、こちらへ向かってゆっくりと歩いてくる。
その歩みを止めぬよう、人ごみが割れた。まるで、モーゼの十戒の光景さながらだ。
やがて、スザクの目の前までやって来たルルーシュは、ふわりと微笑んだ。それは、クロヴィスに向けられていた笑みとは違って、とてもやわらかいものだった。
「こんにちは、枢木スザク一等兵。私はルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ。急な話だが、私は君を、私の部下に欲しいと思っている。……私を通して、ブリタニアに仕えよ」
その言葉に、スザクは瞠目した。
個人に仕えることはできないと、スザクは昨夜そう言った。ルルーシュは、それを逆手に取ったのだ。
単なる貴族に仕えることと、皇族に仕えることは、確かに大きな違いがある。貴族とは違って、皇族――しかも政治にも軍事にも精通している黒の皇女に仕えるのならば、それは同時にブリタニアに仕えることにもなるのだろう。
これでスザクに、ルルーシュからの申し出を断る理由はなくなる。スザクが示したあの条件は、最初からルルーシュにとってみれば、何の問題にもならないことだったのだ。
昨夜別れ際、スザクに断られたにも関わらず、ルルーシュが微笑みを浮かべていたのは、このためだったのだろう。
しかし、そうまでして彼女が、スザクを欲しがる理由が分からない。
ナンバーズのスザクを取り立てることで、彼女が不利になることはあっても、有利になることはまずないだろう。それこそ、スザクが戦場で目覚ましい功績を上げでもしない限り。
戸惑いながらスザクが、それでも皇族の命令に逆らうことなどできないから、肯定の返事を返そうとする。
「い……」
しかし、ちょうどスザクが口を開いたところで、射撃訓練場の扉から、顔に汗を浮かべて一人の将軍が転がり込んできた。
「殿下!」
バトレーという名の将軍は、ひどく焦ったような顔をして、沈んだ顔で立ちつくしているクロヴィスのもとへと駆け寄った。
怪訝な顔になるクロヴィスに向かって、バトレーは慌てながら言う。
「クロヴィス殿下!申し訳ありません、しかし……」
続く言葉は、声が小さすぎてスザクには聞こえなかった。周りの人間も同じだったようで、一様に不思議そうな顔をしている。
ルルーシュはどうだろうと思って、スザクがチラリと視線を送ると、彼女は不機嫌そうに眉をしかめながら、クロヴィスとバトレーを睨み付けていた。その紫電の瞳には、話を邪魔されたことに対する不満だけでなく、状況を探るような色が含まれている。
感情に走るだけではない聡明さと冷静さが、ルルーシュにはあるように思えた。
視線の先、ルルーシュの向こう側に見えるクロヴィスの顔色が、不意に変わった。同時に、彼は怒鳴り声を上げる。ルルーシュの冷静さを忘れない態度とは、大違いだ。
「愚か者!」
口ごもりながら言い訳をしようとするバトレーに、弁解の余地を与えることなく、クロヴィスは声高に命令する。
「直属を出せ!ナイトメアもだ!」
ナイトメアを出せという言葉に、スザクは一瞬目を見開いたが、すぐに表情を正した。任務だ。皇子直属の親衛隊が動いているのに、スザクたち一般兵が動かないことなどありえない。
ナイトメアが出るような任務ならば間違いなく、ひどい戦闘になるのだろう。
そう思いながら、上官の支持を仰ぐために、スザクは即座にその場を走り出した。
「待て、スザク……!」
背後から、ルルーシュの焦ったような声が聞こえたが、立ち止まれるような状況ではない。KMFを出すような事態なのだから。
「すみません!」
立ち止まることなく背後に向かって叫びながら、スザクは所属部署へ向かって行った。