シロクロニクル 〜白の喪章 04〜


 ずーんと暗い空気を背負って、沈みこんでいるスザクはぶつぶつとつぶやき始めた。
「……違うって言ってるのに、どうして聞いてくれないの……もしかしてわざと?それとも、思い込みが激しいとか?……そんなに綺麗なくせに、その勘違いはどこから来るんだよ……」
 小声で言っていたため、二階までは聞こえなかったのか、ルルーシュは不思議そうに声をかけてくる。
「どうした?」
「……何でもないよ」
 スザクはぐったりとしながら言った。
 今さら違うと言ったって、どうせルルーシュは聞き入れてはくれまい。スザクは弁明を諦めた。
 大きなため息を吐くスザクを見て、ルルーシュはしばらくの間いぶかしげな顔をしていたが、やがて諦めたのか、それとも沈んでいるスザクを気遣ってか、別のことを話題に乗せた。
「ところで、さっきやっていたのは、日本の剣術なのか?」
「あ、うん」
「そうか。……ああいうのを、流れるような剣さばき、と言うのか?ブリタニアの剣術とは、全く違うんだな。……正直、俺は武術とかそういったものにはあまり詳しくないんだが……綺麗だった。相当鍛錬を重ねたんだな。一朝一夕の努力で、あれだけ美しく隙のない動きはできない」
 お世辞を言っている口調ではなかった。紛れもない本心のようだ。
 本当に変わった貴族様だと思いながらも、スザクは礼を言う。
「……ありがとう」
 その顔には、照れたような笑みがうかんでいた。
 精神を養うとか強くなりたいという純粋な気持ちからではなく、ただ己への戒めのためだけに行っていた、ある意味虚しい鍛錬が、ルルーシュの一言で報われた気がした。
 場に、ほのぼのとした空気が漂って、いったん会話が途切れる。
 それを機に、スザクは割とどうでもいいけれど、結構気になっていたことを問うことにした。
「ねえ、ところで君、どうし」
「君じゃない」
「へ?」
 しかし、またも途中で言葉をさえぎられて、間抜けな声を上げる。今日はこんなことばっかりだ。
 そんなスザクを見下ろして、ルルーシュはすねたような顔をして言った。
「俺の名前は、君じゃないと言っている。……ルルーシュだ。そう呼んでくれ」
 先ほど、普通に接してくれと言われたときと違って、ルルーシュがかわいらしい圧力をかけてくることはなかったのだが、スザクは大人しくそれに従うことにした。
「……分かった」
 反論一つしなかったのは、どうせ反論しても、ルルーシュは諦めないだろうと分かっていたからだ。
 反論しない代わりに、スザクは質問を続ける。
「ルルーシュは女の子なのに、どうして自分のことを”俺”って言うの?」
 スザクがそう問うと、ルルーシュは思案するように視線を伏せる。
「そうだな……」
 そう言って、考え込むように黙り込んだルルーシュは、しばらくしてからぽつりと言った。
「強くなりたかったから、かな……」
「強く?」
「ああ。……今度こそ、大切なものを失わないために」
 ルルーシュは、スザクの質問に短く答える。
 そして、意味深な言葉にスザクが質問を重ねる前に、ルルーシュは真面目な顔を一変させて、悪戯っぽい顔をして言う。
「……心配しなくても、公式の場ではちゃんと、”私”と言うようにしている」
 高貴な美貌とは裏腹に、意外と茶目っけのある性格をしているようだ。
「そっか……あと、ルルーシュ、君はどうしてここにいるの?ここ、軍の施設だよ?軍の高官ってことは……まさかないよね?」
 ないとは思っているが、一応スザクは尋ねた。すぐに予想通りの返事が返ってくる。
「まさかって……失礼だな。確かに違うが」
 ルルーシュはため息を漏らして、どことなく哀愁漂う口調で続ける。
「……ここの上の人間に、身内がいるんだ。久しぶりに会うから、夜を通して話し合おうと言われて……正直、あの馬鹿兄と話していると疲れるから、ホテルに宿を取ろうとしたんだが……テロにあったらどうするんだとうるさく言われて、仕方なくここに泊まることになってな……」
 ふっと笑うルルーシュの背後に、哀愁が見える。
 スザクは何と言えば良いか分からず口ごもって、結局当たり障りのない慰めを口にすることにした。
「えーと……色々大変なんだね」
「……本当にな」
 ルルーシュが頷いて肩をすくめたとき、小さな電子音が響いた。
「……見つかったか……」
 うんざりしたような顔をして、ルルーシュがぽつりとつぶやく。
 スザクは何だと思って首を傾げたが、ルルーシュがふところから携帯電話を取り出すのを見て、携帯電話の着信音だったのだと気付いた。
「……もしもし」
『こんな朝っぱらから、いったいどこに何しに行ってるんですかー!?』
 スザクの耳にも届くほどの大声で、電話の向こうの相手は叫んだ。昨日の夜、ルルーシュと一緒にいたカレンという少女の声である。
 スザクは常人より耳が良いから、普通なら聞こえないようなものでも聞こえるのだが、これはスザクの聴覚云々の問題ではなくて、単純にカレンの声が大きすぎるだけのことである。
 それを示すように、携帯電話を耳に当てていたルルーシュは、携帯電話を耳から離すと、耳元で大声を出されたせいで頭痛がするのか、額のあたりを押さえている。
 電話では姿が見えないから、叫んでいる相手は、ルルーシュがどんな状態かということに気付いていないのだろう。声のボリュームを抑えずに、なおも続ける。
『一人の供も付けずに出歩くなんて……もう少し、自分の立場と容姿を考えて行動してください!軍なんて、欲求不満を溜め込んだ筋肉男の巣窟なんですよ!?理性を失った馬鹿に襲われたらどうするんですか!!貴方ぜんっぜん体力も力もないんですから、一発で食べられちゃいますよ!?』
 それを聞いて、スザクは相槌を打つようにうんうんと頷いた。軍属のスザクが言うのも何だが、軍人なんてそんなものである。
 欲求不満のあまり、男色に走る者だっている。童顔でかわいらしい顔をしているスザクは、そういった者に何度も襲われかけたことがあった。もちろんスザクには、そんな趣味はなかったので、丁重にお断りした。
 しかし普通ならばカレンの言葉の意味を、スザクが理解したように、十代も後半に突入した若者ならば理解できるはずなのだが、ルルーシュは携帯電話に向かって的外れな答えを返している。
「食べられるって……さすがにこんなところで、カニバリズムに走るような奴はいないだろう。すぐ捕まるぞ?」
 食べるの意味が違う。誰も、食人の意味で使ってなんかいない。
 生まれ育った身分が高貴だと、こんな天然が製造されるのだろうか。自分の天然具合を棚上げしてスザクがそんなことを考えていると、さらにヒートアップした叫び声が携帯電話から響いてくる。
『誰もそんな話はしていません!ああもう!!そんな顔してるくせに、貴方は危機感が足りないんです!!』
「そんな顔……カレンまで言うか……俺の顔はそんな顔か……」
『はあ?ちょっと何言ってるんですか!?また妙な勘違いしてるんですか!?いい加減にしてくださいよ、頭良いくせに、何でそうなんですか貴方は!!もう、今はそんなことはどうでもいいですから、話を逸らそうとしないでください!』
 スザクに言われたときと同じように、やはり妙な方向に勘違いをしているルルーシュに向かって、カレンはぽんぽんと文句を言っている。
 昨日は、主人に対するものとして、カレンの態度は気安すぎると思ったのだが、それぐらいでないとやっていけないのかもしれない。ルルーシュとカレンはきっと、良い主従関係を築いているのだろう。
 そう思ったスザクだったが、次の言葉にあれ、と首を傾げた。
『って言うか、他の護衛なんてどうでもいいけど、私のことは放って行かないでください!私は貴方の側にいたいんです!!一生!』
「……」
 スザクは沈黙した。
 何か違う。主従とか、そんなんじゃない。これは愛の告白なんじゃないだろうか。女の子同士なのに。
 秘密の花園な世界を覗いてしまった気がして、スザクはめまいを感じた。何だか目の前が、ピンク色に染まっている気がする。
 カレンのルルーシュへの感情が、敬愛なのか、はたまた恋情なのか。そんなやましいことを考えてしまうのは、やはりスザクが男だからなのだろうか。
 スザクが悶々と考え込んでいると、いつの間に通話を終えていたのか知らないが、携帯電話をふところにしまいながら、ルルーシュが声をかけてくる。
「スザク」
「うわあっ!!ごっ、ごめん!」
 やましい想像を咎められたような気がして、スザクは思わず謝った。
「……何がだ?」
 突然謝罪されたルルーシュは、怪訝な顔をしている。当たり前だ。スザクが何を考えていたかなんて、心でも読めない限り、知ることはできないのだから。
「い、いや、何でもないんだ。忘れて……」
 あはは、と笑ってスザクはごまかした。
 それを見て、ルルーシュは言う。
「妙な奴だな」
「……」
 その言葉に、賢明にも沈黙を貫き通したスザクだったが、心の中では、君に言われたくないよとつっこんでいた。
「そんなことより、俺はここで失礼させてもらうことにする。これ以上ほっつき歩いていると、カレンが恐いからな」
 確かに恐そうだ。
「……気をつけて」
「ああ。スザクも、そろそろ一度部屋に戻った方がいいんじゃないか?」
 その言葉に、スザクは懐中時計を取り出して、大きく目を見開いた。
「っ……もうこんな時間!?」
 時計はすでに、七時を回っていた。朝食は七時半からだ。これから部屋に戻ってシャワーを浴びて着替えて、としていたら、かなりギリギリの時間になる。
「僕も戻るよ!」
「そうか。じゃあな」
「うん、じゃあね!」
 ひらひらと手を振ってくるルルーシュに背を向けて、スザクはとりあえず木刀を片付けるため、倉庫へ向かって走り出した。


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