ひとしきり泣いた後、ルルーシュは体に巻きつけたシーツの端を握り締め、もう一方の手でテディベアの片腕をつかんで立ち上がった。
クロヴィスを殺したのは確かにルルーシュだ。だが、シュナイゼルに見つかってブリタニアを壊すという未来の実現がなくなってしまった今、改めてその死にどれだけ心を痛めようとクロヴィスが生き返るわけでもないし、罪が洗われるわけでもない。
(俺には、クロヴィス義兄上のために泣く権利なんてないんだ……)
そして同時に、こんなふうに悲しんで動揺してはシュナイゼルの思う壺だと思った。傷ついたり悲しんだり動揺したりすれば、あの義兄が喜ぶだけだ。そんなのは御免だった。ルルーシュは、シュナイゼルを楽しませるために存在しているわけではないのだ。
大嫌いな義兄の思惑に乗ってやるつもりなんてない。
母を守ってくれなかった上に、ルルーシュが生きていることすら否定した父親のことは嫌いだ。それと同じぐらい強く、シュナイゼルに対する嫌悪はルルーシュの中に根付いている。幼いころに植えつけられた恐怖もまた。
幼いころに、シュナイゼルから受けた仕打ちの数々が脳裏を駆け巡る。シュナイゼルは決してルルーシュには何もしようとしなかったけれど、周囲の人間にばかり危害を加えた。ルルーシュにはそれが何よりも恐ろしかった。
それを思い出すと同時に、過去にあった諸々の出来事が脳の中によみがえってくる。
母がいて妹がいて、それだけで幸せだったころのこと。
クロヴィスとチェスをしたこと。七歳も年下のルルーシュに負けて、大人気なくいじけたクロヴィスをがんばって慰めたときのこと。
ユーフェミアと一緒に遊んだときのこと。
アリエスの離宮の庭から、星空を見上げたときのこと。
そして、平和だったアリエス宮が母とナナリーの血に染まったときのこと。美しかった硝子窓は粉々に砕け散り、滑らかな床は銃弾で傷つけられ、階段にいた母とナナリーは何発も銃弾を受けて倒れていた。十秒にも満たない凶行。麗々しい空間はその瞬間、血生臭いものへと変化した。
大切な家族が傷ついた中で、ルルーシュだけが無傷だった。
母は即死だった。ナナリー生きていた。おそらく、母がとっさにかばったおかげだろう。足と目が不自由になってしまったけれど、それでも生きているということに代わりはなかった。
それなのに。
家族の誰一人として、ナナリーの見舞いに来た者はいなかった。代理として使者を寄越した者はいたけれど、それだけだった。誰も――仲良くしていたと思っていたクロヴィスもユーフェミアさえも、ナナリーのために、ブリタニア宮の中に作られた治療施設に足を運ぶ者はいなかった。
(そうだ、何を悲しむことがある?俺たちを見捨てたのは、クロヴィスが先なのに……)
あのときにルルーシュは、異母腹の兄弟なんてもう信用してたまるものかと誓った。今からそのときのことを思い出して、正しく言うならば多分、信用できないと失望しただけだったのだろうが。
母を失って妹まで失ってしまうかもしれないという恐怖。ルルーシュはそれを無理やり怒りに変換して、父親に謁見を望んだ。母を守ってくれなかった父を責めた。父は弱者に用はないとルルーシュたちのことを切り捨てて、あまつさえルルーシュが生きていることまで否定した。そして父はさらに、母親を亡くしたばかりで傷ついているルルーシュとナナリーを日本に送ることに決めた。留学とは名ばかりの、単なる外交上の取引材料として。
(八年前、俺たち兄弟が日本に送られたときも、七年前の日本侵略のときも、クロヴィスは助けてくれたりしなかったじゃないか……クロヴィスだけじゃない。ユフィも、コーネリアも、他の兄弟たちだって……)
いや、本当のところを言うのならば、助けてくれなくてもよかった。ブリタニアでは、皇帝の権力は絶対だ。父が決めたルルーシュたちの日本行きを、他の誰かが止められるわけがない。
だから本当は、助けてくれなくてもよかった。ただ会いにきてくれれば――ナナリーの見舞いに来てくれさえすれば、本当はそれだけでよかった。助けなんてくれなくても、会いに来て優しくしてくれればきっと、それだけで十分だった。あのときルルーシュが欲しかったのは多分、誰かの優しさだった。
けれど、家族の誰もそんなことをしてはくれなかった。ルルーシュは家族に絶望して、同時にブリタニアに絶望した。仲良くしていたと思っていたクロヴィスもユーフェミアも、ルルーシュたちの立場が危うくなれば側に来なくなるような、そんな薄情な人間だったのだと思った。信用できる人間なんていないのだと思った。
あのとき手を伸ばしてくれたのなら、たとえそれがシュナイゼルだったとしても、ルルーシュはその手にすがったかもしれない。もちろん、シュナイゼルがそんな無駄なことをするわけがなかったが。
だからあのとき、ルルーシュは決めたのだ。父も他の兄弟も、そんなものはどうでもいいのだと。ナナリー以外の家族なんていらないと、そう決めた。
だから。
(クロヴィスを殺したからと言って、何を気に病む必要がある?)
ルルーシュは暗い目をして、ふっと笑った。その顔に、涙の影はもはや見えない。テディベアの片腕を持つ手に、力を込める。綿の詰まったその腕は、手の中でぐにゅりとつぶれる。
ナナリー以外の家族なんて家族でもなんでもないと決めたのは、幼い日のルルーシュだ。見捨てられたのはルルーシュたちの方が先なのだ。
かつてはルルーシュの持ち物でもあり、今はクロヴィスの形見であるテディベアを、ルルーシュは床へと落とし、裸足の足で踏みにじった。
「こんなもの……」
クロヴィスの形見だから、それが何だと言うのだ。八年前から、ルルーシュの家族はもうナナリーだけだ。
そう思って、ルルーシュは痛む心を無視して、服を選ぶためにクローゼットへと向かった。毛足の長い絨毯の上に、テディベアが寂しげに転がっていた。
クローゼットを開けた体制で、ルルーシュはピシリと固まっていた。
「……これは、嫌がらせか……?」
思わず、そうつぶやくルルーシュ。
広いクローゼットの中には、何種類ものドレスがずらりと並んでいた。燃えるように鮮やかな赤色を基調としたもの、夜空を写し取ったかのような紺色のもの、繊細なレース飾りががふんだんに施されたクリーム色のものなど、色も形も様々なドレスの数々だ。ルルーシュのためにそろえられたためか、かわいらしいものよりも大人っぽいデザインが多い。普通の女性ならば喜ぶだろうそれを、ルルーシュは本気で嫌がらせかと疑った。
ルルーシュは、ここ何年もずっと男装して過ごしてきたのだ。それを知っていてこんなドレスをよこすなど、嫌がらせ以外の何がある。
ルルーシュが男装をするようになったのは、ブリタニアが日本侵略を行った七年前からだ。死亡を装って細々と暮らしていることがブリタニアに察知されないように、少しでも正体を隠す役に立てばと思っての行為だった。
本格的に男装を始めたのは七年前だったけれど、実際にはそのほぼ一年前からズボンばかりをはいていた。ブリタニアを追い出されるようにして渡った、肌の色も言語も生活習慣も異なる日本。ブリタニアへの嫌悪が強まっているその国で最愛の妹を守るためには、ひらひらしたスカートや綺麗なリボンなんて邪魔なだけだったからだ。
そのせいで出会ったばかりのスザクには、男だと勘違いされたせいでボコボコに殴られるという最悪の出来事もあったりした。あのときにはあんな自分勝手で乱暴な奴なんて最悪だとしか思わなかったのに、それが今では一番の親友で好きな人でもあるのだから、人生とは分からないものである。
それはともかくとして、人生の半分近くの時間男装して過ごしていたルルーシュとしては、今さらドレスなんて気恥ずかしくて着たくないのだ。それなのに、クローゼットにある服はドレス、ドレス、ドレス――ドレスばかりが続いている。常時軍服を着て過ごしているコーネリアのような女がいるのだから、それに近いものを用意しておいてくれてもいいものを。
ずっと端の方まで見ると男物のような正装もあったので、ルルーシュは胸を撫で下ろした。迷うことなくその中の一つ――黒い上下を手に取る。それに合わせて、フリルたっぷりの白いドレスシャツと同色のスカーフ、さらに下着類を出して、ようやく着替え始めた。
◇ ◇ ◇
最愛の妹をさらし者にしたくないというルルーシュの意を汲んで、皇帝との謁見も、夜に開かれるパーティーにも、ナナリーが顔を出さないでいることが許された。シュナイゼルがそのように取り計らってくれたのだ。
ひどいことばかりするくせに、シュナイゼルはほんのたまにだけれど、こんなふうにさりげなく気を使ってくれる。理由の分からない優しさが怖くて、同時にそれに喜んでしまった自分がひどく腹立たしいと思う。
それでも、ナナリーを守ってくれることは素直に感謝してもいい。七年前、異国で死んだと思われていた皇族が生きていたともなれば、周囲から好奇の視線にさらされるのは確実だ。それが収まるまで、ナナリーにはあまり表に出て欲しくない。それらは全てルルーシュが引き受けるから、ナナリーにはそんなものとは関係のない場所にいて欲しかった。
ナナリーだけは、どうか幸せになって欲しかった。
午前の皇帝との謁見を終えて、午後にルルーシュを待っていたのは、夜に待つパーティー用ドレス選びとその細かい寸法合わせだった。
ほとんど下着一枚に剥かれて、様々なドレスを合わせられては、これよりもあっちの方がいいだのやっぱりルルーシュ殿下には白よりは黒の方がお似合いですねなんてことを言われる。下着姿を業者にさらすことが恥ずかしいなんてことは言わないが、シュナイゼルに昨夜キスマークだらけにされた体を人目にさらすことは、さすがに恥ずかしい。もちろん相手はプロなのだから何も言ったりしないが、人間である以上何も思わないなんてことはないはずだ。
一時間以上かけてようやくドレスが決まったかと思えば、次はアクセサリー選びだ。
このドレスにならガーネットのネックレスはどうかしらだの、ドレスと同じで黒一色で統一してオニキスにしてはどうかだの、正直もうどれでもいいだろうと途中からルルーシュはうんざりしていた。結局ネックレスはダイヤモンドの豪奢なもの、イヤリングは瞳と合わせたアメジストと決まるまで、優に二時間はかかった。
正直、時間の無駄だと思うのはルルーシュだけではないはず。そしてこんなことなら、ナナリーと二人でティータイムを楽しみたいと思うのは、決して贅沢なんかではないはずだ。ブリタニアに来てから、ルルーシュはまだ一度もナナリーとの面会を許されてはいなかった。
そして、それからさらに化粧である。十七歳という年齢を考慮したのだろう、薄い化粧だけで終わったのがせめてもの救いだった。
どうしたものかと思っていたキスマークだが、ドレスに隠れない部分については、化粧を担当した侍女がファンデーションで綺麗に隠してくれた。顔に使うだけではなくて、こういった使い方もあるのかと、ルルーシュははっきり言ってあまりいらない知識を覚えた。
そんなこんなで、午後いっぱいを使ってパーティー用装備は完成した。ドレスとは名ばかりの装備である。肌の露出は下品にならない程度に、最新のドレスの型、どれだけ着こなせているか、宝石の大きさや装飾品の細工の素晴らしさ、要はどれだけ美しく着飾ることができるかでパーティーにおける女の勝敗は決まる。
その点においてルルーシュは完璧だった。ドレスも装飾品もシュナイゼルが用意させたものであるから、流行遅れのものだということはまずありえない上に、天性の美貌を備えている。
少しボリュームに欠ける胸元をカバーするため、大きなドレープと繊細なレースで装飾された黒いドレスは、ルルーシュの美貌にも華奢な肢体にもとても良く似合っていて、とても急ごしらえのものとは思えない。今日のパーティーは、ルルーシュとナナリーが生きていたことを祝うためのものであるが、この分なら名実共にパーティーの主役はルルーシュとなること間違いなしである。
――美しく着飾った当の本人はと言えば、パーティーが始まる前に、すでに疲れ切っていたが。
「美しい。男装した姿には凛とした美しさがあったが、そうして着飾っているとまた違った魅力があるね。」
それが、着飾ったルルーシュを見たシュナイゼルの言葉だった。シュナイゼルという人は、聞いていると頬が赤くなるような言葉をさらりと言ってしまうような人だ。それが本心かそうではないかは、また別の話になるのだが。
だから褒められても素直に喜べない。もし本心だったとしても、言ったのがシュナイゼルだというだけでうれしくない。だがそんな内心を素直に表すわけにはいかないので、ルルーシュは作り笑いを浮かべて頭を下げた。
「ありがとうございます」
「会場中の男に、私はきっと嫉妬の視線を向けられるだろうね。君をエスコートする権利を有する私は幸せ者だよ」
「それはこちらの言葉です。義兄上にエスコートされるなんて、私は会場中の女性を敵に回してしまうでしょうね」
ルルーシュのこれは完全なるお世辞だ。確かに外見は完璧で性格も優しく見えるシュナイゼルは女性たちから人気があるが、小さな頃から恐怖を植えつけられてきたルルーシュとしては、どうしてこの義兄なんかがいいのかさっぱり分からない。
そんなことを考えていると、シュナイゼルに手を取られた。
「行こうか」
「はい」
ルルーシュは従順に頷いて、シュナイゼルのエスコートに従った。
会場に入ったとたん、中にいた人の目がいっせいにこちらを向くのが分かった。視線はそれだけで力になるのだと思い知らされる。
けれど過去には一応皇族として人前に出たこともある上に、高校で生徒会副会長という役目を果たしていたこともあり、さらに言えばその美貌のため人目を向けられることに慣れているルルーシュは、特にそれに怯むこともなく平然としていた。
平然としているからといって、無表情でいるわけではない。突然戻ってきて横柄な態度を取っていれば反感を買うことは必須だから、軽く二、三枚は猫を被っておいた方がいい。
会場をすばやく見渡すと、端にカメラの姿も見えた。死んでいたはずの皇女が生きていたという特集でも組んで、それを国中に放映するのだろう。しかも、見つけたのは昔からその皇女のことをかわいがっていたと言われている帝国の白きカリスマ、シュナイゼル・エル・ブリタニアだ。事実がどうであれ、それだけを聞けばかなりの美談である。視聴率もかなり高くなるだろう。
ナナリーがいて、シュナイゼルがいる以上、ルルーシュがこれから取る道はこの国で生きていく以外にない。ならば、国民を味方に付けてやろうじゃないか。皇族の権力が絶対とは言え、国民がいなければ国は成り立たない。それが国というもの真理である。
国民がルルーシュに望むのは、『国に見捨てられても遠い異国の地で生き延びていた、妹思いで健気で、かわいそうな皇女様』の像だろう。ならば、そう見えるような演技をしてやろうではないか。
ルルーシュはそっと視線を伏せて、控えめな笑みを口元に浮かべて、シュナイゼルの手をきゅっと握った。シュナイゼルはそれに驚いたのか一瞬驚いたような視線を向けてくるが、すぐにルルーシュの意図に気付いたのか、いつもどおり穏やかな笑みを浮かべてルルーシュのエスコートを続行する。
シュナイゼルはまるで本当にルルーシュのことを大切に思っているような、そんな眼差しを向けてくる。彼の本性を知っているルルーシュは勘違いしたりしないが、これがルルーシュ以外の人間なら特別大切にされていると誤解すること間違いなしだ。
(ああ、そうか……だからこの人は人気があるのか……)
誰にでも優しい顔をして、しかもそれが真実であるかのように皆を錯覚させるから、シュナイゼルは人格者と言われて、女性に人気があるのだろう。外面は完璧で外見も良くて、しかも政治的手腕も長けているとくれば異性から人気が出ない方がおかしい。
そんなことを考えながらシュナイゼルに連れられたルルーシュは、会場の一番奥に位置する階段をゆっくりと下りていった。
向けられる好奇の視線は、まるで動物園のパンダになったような気分にさせてくれる。鬱陶しいことこの上ないが、表情は鉄壁の作りはにかみ笑いで通す。人目とカメラを意識しながら感情を隠すことも作り笑いをすることも、シュナイゼルと二人きりのときに平常心でいることがいかに難しいか、そしてナナリーに嘘を吐くことがどれだけ難しいかを考えれば、簡単すぎるぐらい簡単だ。
シュナイゼルに手を引かれるまま歩いていると、次から次へと人が寄ってくる。それなりに面識のあった異母兄弟たちや、ルルーシュたちが日本へ渡った後に生まれたせいで全く面識のない異母兄弟たち、普通の人間なら顔も覚えきれないような数の多くの貴族たち。
それらの人々に、笑顔を崩すことなく対応する。表情も仕草もあくまで上品なものを心がけて、そつのないよう注意する。シュナイゼルが側にいるからか意地の悪い問いを投げかけてくる者などもなく、疲れることは疲れるが、パーティーはそれなりに順調に進んでいった。
ひとしきり人が訪れた後、ようやくその波は途切れた。
(疲れた……やはり、ナナリーは来させなくて正解だな……これだけはシュナイゼルに感謝してやってももいい)
笑顔を保ったまま小さくため息を吐いていると、周囲の話し声が耳に入ってくる。女のひそひそ話は、割合響くものなのだ。
「……まさか、生きてらっしゃったなんて……ねえ?」
「アッシュフォードも上手くやったこと。皇女二人を七年ずっと守っていたという功績で、爵位も復活するそうよ」
「まあ……落ちぶれたと思ったら、分からないものね」
「でも、七年も下々に交わっていたというのに、ルルーシュ殿下の立ち居振る舞いは上品ね。さすがは皇族の方、と言うべきかしら」
「そう言えば、聞きまして?ルルーシュ殿下が見つかったエリア11で、つい先日ユーフェミア様が”行政特区日本”の設立を宣言なさったということ」
彼女らの話を盗み聞きしていたルルーシュは、ひっそりと柳眉をしかめた。
(行政特区日本……?)
字面だけでも、何となくその中身が想像できる。嫌な予感がした。ルルーシュはすぐ隣に立つシュナイゼルを見上げて、周囲に聞こえないように低く小さな声で問いかけた。
「義兄上、行政特区日本とは……?」
見上げるルルーシュに、シュナイゼルは意味深な笑みを向ける。
「君なら、その名前とユフィが発案したというだけで、大体想像がつくんじゃないかな?行政特区日本とは、ユーフェミアが構想した新政策だ。特区内では、イレブンは日本人という名前を取り戻すことができて、イレブンへの規制やブリタニア人への特権がなくなる……大体は、そんな感じのものだね」
それは、ほとんどルルーシュが予想したとおりの内容だった。しかし、と思う。
「……ですが、そんなもの……コーネリア義姉上が、許可するわけがありません……総督の許可なく、副総督が勝手なことをするなんてできるわけが」
「私が許可を与えた。宰相である私の許可があるんだ。コーネリアの許可がなくとも問題はない」
「っ……あなたは……!」
優しげな笑みを浮かべるシュナイゼルを見上げて、ルルーシュは言葉に詰まった。
行政特区日本。それは一見、ブリタニアからの解放に思える政策だ。
どん底の生活をしているイレブンの大半は、間違いなくそれに心惹かれるだろう。そして他の植民エリアやブリタニアの侵略に恐々としている地域は、日本だけがそんな特別扱いを受けることに反感を覚えるはずだ。
けれど実際は、特区で与えられるのは、ブリタニアから与えられる制限された自由。鳥かごの中の鳥にされるだけだ。もし誰かが特区内で与えられた自由を超えた範疇のものを求めようとすれば、その人はすぐに排除されるだろう。それが限られた自由の、真の意味。
ユーフェミアは間違いなく善意からこの政策を考え付いたのだろうが、この政策の本質はそんなものではない。エリア11――いや、日本人の中にある、ブリタニアに反抗しようとする種をつむためのものであり、同時に日本を世界の中から孤立させようとするためのものだ。
普通の人間ならそんな裏に気付くことはないだろうから、ユーフェミアの行為はブリタニアの国是に反するものと世間には捉えられて、植民エリアの人間を同等に見ていないブリタニア人たちの反感を買うことは確実だ。悪くすれば、廃嫡だってありうる。
何よりユーフェミア程度の手腕では、行政特区日本を上手く立ち行かせることなど不可能だ。悪意を裏にはらんだ政策は、善意でしかそれを見ていない上に、これまでコーネリアによって真綿にくるまれるようにして守られてきた彼女には重すぎる。いつか必ず行政特区日本は崩壊する。そしてそのとき日本人たちの怨嗟を一身に受ける破目になるのは、特区発案者であるユーフェミアだ。
ブリタニア人からの反感、救おうとした日本人からの恨み、特区が崩壊した後、ユーフェミアに残るのは如何ばかりのものであろう。慈愛の皇女という呼び名は間違いなく失われる。ブリタニア人にも日本人にも、良い感情を向けられることはほとんどなくなる。特区を崩壊させたことで、政治的手腕についても無能の烙印が付くであろう。どこからどう考えてみても、ユーフェミアのためにもエリア11のためにも全く良くない政策である。短い目で見れば日本が得をするように思えるが、長い目で見れば、得をするのは間違いなくブリタニアだ。
そのことに、シュナイゼルが気付いていないはずはない。それなのに彼は、ユーフェミアに許可を与えたと言った。ユーフェミアを破滅に追い込む、行政特区日本という政策に許可を。
顔から血の気が引いていくのが分かった。ルルーシュはシュナイゼルを見上げて、声を潜めて問いかけた。
「……貴方はユフィを、捨て駒にするつもりなのですか……?」
シュナイゼルはただ笑うだけだったけれど、無言が肯定なのだということは明らかすぎるほど明らかだ。
(知っていた……シュナイゼルがこんな人間だということぐらい……きっと他の誰より、俺が一番知ってる……でも……)
それでもルルーシュはショックだった。まるでチェスの駒のように――しかも捨て駒として扱われるユーフェミアの姿に、己の未来を重ねたからなのかもしれない。シュナイゼルに散々遊ばれて、最後には切り捨てられる自分の姿を。
そのことに気を取られていたルルーシュは、自分、ユーフェミアのことを心配しているということに気付かなかった。今朝、ナナリー以外の家族なんて大切にするような対象ではないのだと、自分に言い聞かせたにも関わらず。
シュナイゼルを見上げたまま突っ立っていると、義兄は青ざめているルルーシュを見てふっと笑い、おもむろにルルーシュのことを抱き上げた。
「あっ、義兄上!?」
「顔色が悪いようだね、ルルーシュ。気分が悪いのなら、遠慮せずにそう言いなさい」
「そんなことは……!」
「こんなひどい顔色をしているくせに、反論は聞かないよ――皆には悪いが、私とこの子は、これで下がらせてもらう」
シュナイゼルはそう宣言すると、ルルーシュのことを抱き上げたまま会場を出て行った。