亡き皇子のためのパヴァーヌ 09

 薄暗い倉庫である。
 打ちっぱなしのコンクリートの壁、それを覆うほど多量のダンボール、かすかに漂う埃臭さ。薄汚れた床は、間違ってもそのまま膝をつきたいとは思えないが、あいにくとそんなわがままが通る状況ではない。銃を突きつけられているのだ。言われるままに座り込み、頭の後ろで手を組んで抵抗の意がないことを態度に示す。  開いた扉から見える廊下の壮麗さが、明るさが、清潔さが、この場に押し込められた惨めさを助長するかのようだった。
 倉庫の入り口を塞ぐように、三人の男が立っている。二人はこちらに向かって銃を構え、真ん中にいる男は手に持った日本刀を杖のように床についている。
「日本解放戦線の草壁である。日本解放の独立解放のために立ち上がった。諸君は軍属ではないが、ブリタニア人だ。我々を支配するものだ!大人しくしているならばよし!さもなくば……」
 日本刀を持つ男が、つらつらと己の言い分を述べ始める。張り上げた声の大きさは、自らを鼓舞するためか、己が為したことに対する興奮のためか、それともこれから先の展開に関する不安を打ち消そうとしているのか。
 ともかく、男の言い分はひどく身勝手で独善的だった。
 それが分かっているのに、何をすることもできない。歯がゆさに顔を歪ませると、それを怯えと取ったのか、隣にいたユーフェミアがそっと身を寄せてくる。
「大丈夫、心配しないで……」
 余人には聞こえないぐらいの小さな声でそう言って、彼女は励ますようにぎゅっと手を握ってくる。自分で思った以上に緊張していたのだろう、ユーフェミアの手はひどく温かく感じられた。
 何の根拠もない励ましの言葉に、表面上は力ない笑みを浮かべて返しながら、これから先どう行動すべきかにという実際的な対策に頭を悩ませ始めた。



◇ ◇ ◇



 ルルーシュが何故こんなことに巻き込まれているのか。それを説明するためには、一週間ほど時間をさかのぼる必要がある。

 ユーフェミアが学園をやめ、副総督としてエリア11に派遣されてから約一ヶ月。半月ほど前までは、赴任したばかりで忙しかったのかほとんど連絡がなかったが、ここ二週間は三日に一度の割合で通信が来ていた。
 とは言っても、別段身のある話をするわけではない。たいてい近況報告や世間話に終始して、正直なところを言えばつまらないの一言に尽きるわけだが、相手は仮にも皇女様である。そんなことを素直に口にするわけにもいかない。
 ただ、ユーフェミアが口にすることの中で一つだけ、気になることがあった。シュナイゼルが推薦したという、ユーフェミアの専任騎士のことである。名前は枢木スザク、性別男、年齢はユーフェミアよりも一つ上でルルーシュと同じ。彼は名誉ブリタニア人だから、選任騎士とは言ってもほとんど会う機会がなくて、赴任した最初の日、総督府から抜け出したときに出会ったきり。ユーフェミアはもう一度会ってちゃんと話をしたいと思っているのだが、姉であるコーネリアがそれを許さないらしい。
 とまあ、そんな情報はどうでもいいとして、問題は名前だ。”スザク”という名前。漢字で書けば、おそらく朱雀。それは四方を司る神の一柱であり、日本人には馴染み深い名前だ。しかし、人の名前としては珍しい部類に入る。ルルーシュも今まで、幼馴染である男以外その名前を持つ人間を見たことはない。そのため、専任騎士に抜擢されたというその男が、ルルーシュの知るスザクではないかと疑っているのだ。
 しかし苗字が違うし、何よりユーフェミアから聞いた”枢木スザク”像が、ルルーシュの知るスザクに当てはまらない。”枢木スザク”は、人のよさそうな顔をしていて優しくて付き合いがよくて控えめで、猫に嫌われていて、自分の考えをしっかり持っていて、体術がとても強い男だそうだ。どこの誰だという話である。スザクとは、猫に嫌われるという点と、体術が強いというところぐらいしか一致しない。
 スザクは童顔だが我の強さが外に表れているような顔をしているから、人がよさそうだなんてとても言えない。優しいなんて、まずありえない。付き合いがいいどころか、一匹狼だ。あの俺様男を控えめだというのなら、きっと世界中の人間全てを控えめと称することが許される。自分の考えは持っているのかもしれないが、初対面の人間にそれを話すような気軽さはまず持っていない。
 だから、その専任騎士は自分の幼馴染ではないと思うのだが、どうしても名前が同じというところが引っかかるのだ。
 あのとき、地震で崩れた床に巻き込まれて落ちていったルルーシュがこうして過去に飛ばされたというのなら、もしかしたら一緒にいたスザクもこちらに来ているのではないか。そんな考えが消えない。”枢木スザク”という男は、日本最後の首相――ブリタニアに侵略されて、エリア11という名前になる前までという意味での最後である――の息子で、身元がしっかりと証明されているらしいのだが、ルルーシュが”ルルーシュ”と間違えられたように、スザクが”枢木スザク”と間違えられてそのまま入れ替わっているという可能性も考えられる。ミーハーを気取ってユーフェミアに、専任騎士の容姿を聞いてみたところ、茶色い癖毛に緑色の目をしていて、表情は優しそうなのだが眉は意外としっかりしていて、年齢よりも幼く見られがちな人という答えが帰ってきた。表情が優しそうというところを除けば、全てスザクにも当てはまる特徴である。
 そんなふうに、彼女の専任騎士が己の幼馴染であるのかそうではないのか、どうやって確かめようかと思案をめぐらせていたときだった。彼女が、次のようなことを切り出してきたのは。
「ねえ、ルルーシュ。来週に連休があるでしょう?」
「ああ、そういえばそうですね」
 平日は半ば義務として学校へ行き、休日はシュナイゼルに与えられた家にほぼ閉じこもって過ごすルルーシュは、日付感覚というものが薄い。気のない返事をするルルーシュにもめげず、ユーフェミアは言った。
「そのときにね、こちらに遊びに来ない?」
「こちらと言うと、にほ……エリア11に、ですか?」
「ええ、そう。連休の初日にね、河口湖でサクラダイト生産国会議があって、私はそれに出席しないといけないんだけど、そこ、エリア11でも有数のリゾート地なの。それで、最近ずっと働き詰めだったし、せっかくだから何日かそこで休んできたらどうだ、ってお姉様が言ってくれてね。でも、一人だとつまらないから……ルルーシュが来てくれたら、うれしいなあと思って。ほら、ルルーシュ、前から一度エリア11に行ってみたいって言っていたでしょう?」
 確かに、今の時代日本はどうなっているのかということが知りたいので、一度行ってみたいとは思っていたし、世間話の一環としてそれをユーフェミアに話したこともある。しかし、随分と前に話したことなので、悪く言えば抜けた彼女がそんなことを覚えているとは思わなかった。ルルーシュの失礼な思考に気付くことなく、ユーフェミアは続ける。
「それに、こちらにはルルーシュの後見のアスプルンド伯爵がいるでしょう?彼はもう何ヶ月もこちらにいるみたいだし、久しぶりに会えたらルルーシュもうれしいんじゃないかな、と思ったんだけど……駄目かしら?」
 自分の都合だけではなく、ルルーシュのメリットもきちんと話の中に盛り込んでくるあたり、意外と交渉上手だ。割といい感覚をしているのかもしれない。ただし、あくまで意外と交渉が上手いという程度であって、詰めが甘い。だから赴任してからまだ一ヶ月しか経っていないのに、ネットですでにお飾りだと叩かれてしまうのだ。
 後見人への挨拶など、別に通信で事足りる。まして、ルルーシュとロイドの場合、普通の後見人と被後見人の関係ではないのでなおさらだ。シュナイゼルを介しての関係でしかないのだから、わざわざ直接顔を合わせる必要性も感情も、双方共に持っていない。しいて言えば、ロイドからナイトメアの話を聞いてみたいとは思う心がないではないが、それも別に直接会う必要があるわけではない。
 自分たちの関係にシュナイゼルが絡んでいることを知らないにしても、やはり考え方が甘い。しかし口に出す言葉は、誘いへの了承だった。
「いいえ。何の予定もありませんし、喜んで」
 ユーフェミアの誘いは渡りに船だった。彼女と会うのなら、もしかしたら専任騎士である”枢木スザク”の姿を見ることができるかもしれない。彼が自分の幼馴染なのか、確かめることができるかもしれない。それは、非常に魅力的な誘惑だった。話を持ちかけてきたのが皇女殿下であるために、誘いに乗っても、皇族の誘いを断ることはできなかったと言って、シュナイゼルに言い訳することができる。
 ルルーシュは珍しく、心からの笑みを浮かべていた。



◇ ◇ ◇



 そして翌週の週末、ルルーシュはエリア11の地にいた。
 この小旅行について、思ったとおりシュナイゼルはいい顔をしなかったのだが、ユーフェミアからの直々の誘いだと言えば、仕方がないと諦めてくれた。諦める代わりに、シュナイゼルの正規軍から二人護衛を連れて行くように言われた。護衛ではなく監視の間違いだろうと思ったが、円滑な人間関係のため、もちろん口に出したりはしなかった。

 河口湖へ着いたのは、十時を半分以上過ぎた頃だった。
 前日の晩にブリタニアを発ったのに、どうしてこんなに時間がかかったのかと言うと、河口湖付近にはヘリポートはあっても飛行機が着陸できるような場所はなかったからだ。そのため、トーキョー租界で飛行機から列車に乗り換える必要があったのだが、乗り換えに少し時間がかかったのと、単純に列車での移動が時間を食った。
 ちなみに、空港から河口湖までをどうして車で移動しなかったのかと言うと、単に安全性の問題である。列車よりも高速道路の方が、テロリストたちが入り込みやすいらしいのだ。そんな事情があったにしても、ブリタニアにいたときの移動手段がずっと車であったために、ルルーシュは列車での旅を楽しんでいた。ルルーシュの生まれた時代には、すでにすたれた技術だったから、物珍しかったのだ。できることなら、車内を色々と観察したかったのだが、護衛にという名の監視にぴったりくっつかれていたため不審と取られる行動をするわけにもいかず、断念せざるを得なかったのだけが残念である。
 泊まる予定になっているコンベンションセンターホテルのフロントで、護衛の一人がチェックインの手続きを取っているのを、ロビーに設置された椅子に腰掛けながら眺めるでもなく眺めていると、突然視界が真っ暗になった。
 視界を塞いでいるのは、やわらかい手のひらだ。一般人に偽装はしているが、シュナイゼルの正規軍に所属している人間が、変な人間を護衛対象に近づけるはずがないから、不審人物ではないことは確かである。そうなると犯人は絞られてくる。ルルーシュの知り合いで、身元がしっかりしている人物。ルルーシュにはこの時代での知り合いの少なく、しかもブリタニアではないこの場所であるからして、思い当たる人間は一人しかいなかった。ルルーシュを、ここへ来るように誘ってきた相手である。
 ここまで考えたのが、ほんの一秒にも満たない間。
「だーれだ!」
 予想を裏付けるように、のん気な声が後ろから降ってくる。
「……ユーフェミア様」
「当たり」
 うれしそうな声が聞こえたかと思うと、視界を塞いでいた手が外される。立ち上がろうとするが、目を塞いでいた手を肩に置かれたのでかなわず、仕方なく座ったまま振り向くと、眼鏡をかけたユーフェミアの顔が目に入った。視線を少し下ろすと、着ている服が一般人のようなものであることに気付く。まるで変装をしているようだと思っていると、ユーフェミアが小声で話しかけてくる。
「でも駄目よ、ルルーシュ。ここにいる間は、ユフィって呼んでね。私がここに来ていることは、内緒なの」
 それなら、そのことをルルーシュにばらしても良かったのかとつっこみを入れたくなったが、止めた。いくらお日様思考の彼女でも、やっていいことと悪いことの区別ぐらいつくはずだ。多分。
「……こんなところで私にかまっていないで、用事はいいんですか?」
「ええ。会議が始まるのは一時からなの」
 身分は秘密とのことなので、わざと用事とぼかした物言いをしたルルーシュの気遣いを、思い切り台無しにする答えが返ってきた。こいつ本当に隠す気あるのかよ、と思わず顔が引きつりそうになるが、我慢だ。
「ですが、その格好のままでいるわけにもいかないでしょう?」
 ここにいることは公的には内密なのだとしても、会議の場で求められるのは皇女としてのユーフェミアなのだから、こんな砕けた格好をしているわけにもいかないはずだ。
「大丈夫。支度なんて、三十分もあればできるもの」
 お姫様の支度にしては早い方なのだろうが、それでも三十分はかかるらしい。常識の差を感じたが、それ以上に面倒だなと思った。一般人に生まれてよかったと心底思った。今の生活は決して一般人とは言えないのが悲しいが。
「だから、あと一時間半は大丈夫」
 これから一時間半で、十二時を少し回ったぐらい。それから三十分の支度で、十二時半。空白の三十分は、何かあったときの保険だろう。さすがに時間ギリギリまで自由にしていて、周囲に迷惑をかけるほど子供ではないらしい。そのことだけは評価してもいいと思った。



 それから半時間ほど話をした後、少し早めの昼食と決め込んだユーフェミアに連れられて、ロビーの階段を上がった先にあるカフェで昼食を取ることになった。それぞれの護衛が、ルルーシュたちが座るテーブルと隣り合った席を陣取る。
「うーん、何にしようかしら……ね、ルルーシュはもう決めた?」
「そうですね……ベーグルサンドと珈琲と、プリンアラモードで」
 さして悩みもせず、注文を待つウェイターに告げれば、ユーフェミアもそれに続く。
「じゃあ、私はフレンチトーストとミルクティーと、うーん……デザートは、ストロベリータルトのバニラアイス添えにするわ」
「……また、甘そうなものを頼みましたね」
 聞いているだけで胸焼けしそうな組み合わせだ。これまでの付き合いから、ユーフェミアはミルクティーにたっぷり砂糖を入れることを知っているから、余計に甘く感じられた。
 ルルーシュだって別に、甘いものが嫌いなわけじゃない。人並みに好きではあるし、好物の一つはプリンだ。しかし、甘いものだけの食事というのは正直勘弁してもらいたい。
 嫌そうに顔を歪めるルルーシュを見て、ユーフェミアは子供っぽく唇を尖らせた。
「だって、最近仕事ばっかりで太ったんじゃないかって、お姉様があまり甘いものを食べさせてくれないの。だから、お姉さまがいないところで食べ溜めておくことにしたの」
「太ったって……以前と変わりないように見えますが」
「……見た目には分からないけど、変わっている部分っていうのはあるものなのよ……」
「はあ、そうですか」
 気のない返事をしながら、ふと、最近の補正下着はもはや詐欺だとこぼしていたスザクのことを思い出した。つまり、服に隠れた部分がいくら変わろうと隠しようはあるということなのだろう。しかし、体型が変わったという自覚がわずかなりともあり、それを気にしているのなら、姉に強制されなくても甘いものを自制すべきではないのだろうか。所詮他人事だから、どうでもいいが。
「うう……食べても太らない体質のルルーシュには分からないわよね……ずるい」
「生まれつきの体質に文句を言われても……」
「うらやましい」
「……ユフィだって十分細いくせに、絡んでこないでください」
「これは、横着なルルーシュと違って、努力の結晶によって成り立っているものなのよ!」
 それから延々と、女というものの外面がいかにして保たれているかについて力説された。ルルーシュは別に気にしないが、姫という存在にわずかなりとも夢を見ている誰かに聞かれたら、確実に幻滅されるだろうと思った。
 それを示すように、一般人に変装している今でさえ、食事を運んできたウェイターが引きつった顔をして足を止めている。彼がここへ近づけない気持ちは何となく理解できたので、ルルーシュは助け舟を出してやることにした。
「ユフィ、落ち着いて」
 そう言って、少し離れたところで立ち尽くしているウェイターのことを、そっと指で指し示す。それから数泊して、正気に戻ったユーフェミアは、ようやく人目があることに気付いたのか、恥ずかしそうにうつむいて黙り込んだ。
 そこでようやく、トレイを持ったウェイターが近づいてくる。給仕する手がぎこちなかったのは、可憐な少女に対する男の夢をぶち壊されたせいだろう。女のルルーシュでも少し引き気味だったので、無理はない。
 ウェイターが去ると、今度はやって来る沈黙。少し、いたたまれない。
「……食べましょうか?」
 情けないが、これ以外出てくる言葉がなかった。


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