亡き皇子のためのパヴァーヌ 07

「学校に通ってはどうかと思うんだ」
 ことの始まりは、シュナイゼルの一言だった。それは、ほとんど顔を合わせるだけの短い時間でロイドが帰ってしまった後、いつもと同じようにシュナイゼルと二人、テーブルについてカップを傾けている最中のことだった。
「学校って……どうしてと聞いてもいいですか?」
 思いも寄らないことを言われて驚いたルルーシュだが、すぐに理由を問い返す。
 シュナイゼルの言葉は提案の形だったが、実際には断る権利なんてないことは分かっていた。それが、現在不審者扱いで軟禁中のルルーシュの立場なのだから。しかしだからと言って、唯々諾々と言われたことに従うことができるほど、従順な性格をしているわけではない。せめて、理由ぐらい聞かないと納得できなかった。
 もちろん、聞いたところでシュナイゼルが本当のことを言うとは思っていない。そして実際、シュナイゼルはいつもと同じ胡散臭い笑顔を浮かべて、短気な人間なら怒り出してしまいそうな答えを返してきた。
「君の年頃なら、学校へ行くのが普通だろう?君のいたところは違ったのかい?」
「いえ、そんなことはありませんが……」
 決して短気ではないルルーシュも、内心腹を立てていたがが、それを外に表すような短絡的な行動はしない。怒る代わり、困ったような顔を作って問いを投げる。
「それなら、私への疑いは晴れたと考えていいのでしょうか?」
 不審者として囚われた人間が外へ出られる場合、道は主に四つ。疑いが晴れてめでたく解放されるか、見張りつきで解放されるか、相手と何らかの取引をしてその代償に自由を得るか……物言わぬ死体となって外へ出るかだ。
 一つ目は、まずないと考えるべきだ。今が皇暦2017年だということに間違いがないならば、この世界のどの場所を探しても、ルルーシュの情報は一つも出てこない。この時代にはまだ、ルルーシュが生まれた時代ほど徹底した人口管理政策を取っていないはずだから、一人の人間のことを調べようと思えば相当の労力を必要とするに違いない。けれど、ブリタニアという超大国のほぼトップにいるような人間が、調べようと思って調べられないことなんてきっとほとんどないはずだ。それなのに、どこをどう探してもルルーシュの情報は存在しない。シュナイゼルは、ルルーシュが未来の人間だということを信じているように見えるけれど、実際は信じる心半分、正体を疑っている心半分といったところだろう。自分で言うのも何だが、ルルーシュはそこぬけに怪しい。シュナイゼルが執着していたしい義弟に、見た目も中身もそっくりで、しかも名前まで同じの人間。そんな人間が突然目の前に現れるなんて、偶然にしてはできすぎている。しかも、シュナイゼルは一般人ではなく、かなり立場ある人間だ。情報を探るため送り込まれた間諜と疑われても無理はない。現実とは思えないような現われ方をした上に、身上を偽るにしてもありえない身分証を有し、自分は約七百五十年後の未来に生きていたのだと主張するような、間諜と疑われるよりもまず精神異常者扱いされるようなおかしなスパイが存在するのなら、だが。
 そして二つ目。ロイドを後見にと連れてきたことと言い、この先の行動を指定する物言いと言い、これが一番ありえそうだ。ロイドを――アスプルンド伯爵を後見人にしたのは、決して身元のないルルーシュに対する親切心からではなく、何のしがらみもないルルーシュに鎖を付けるため。学校へ行ったらどうかという発言は、この軟禁場所から出した後も、自分の目の届く場所に押し込めようという魂胆なのだろう。
 三つ目の道については、ルルーシュが差し出せる対価が何もないので、これもきっとない。
 四つ目なんて論外だ。殺そうと思っているのなら、こんなまどろっこしいことをしないで、さっさと殺してしまっているはずだから。
「疑いを晴らそうにも……いくら調べても情報が出てこない人間の疑いなんて、どうやって晴らせと言うんだい?」
「まあ無理ですね」
 別に本気で問いかけたわけではなかったから、胡散臭い笑みを崩して少し困ったような顔になるシュナイゼルに、ルルーシュはあっさり同意した。
「ここが本当に過去だというのなら、この世界のどこを探しても、私の痕跡なんて見つかるわけがないのですから。むしろ、見つけられるものなら見つけてもらいたいぐらいだ」
 この時代に自分がこれまで生きていたという証拠が見つかって、自分は未来から来たのだという事実がいっそ何かの勘違いであると言われた方が、荒唐無稽な体験よりもずっと真実らしい。
「それとも、いっそ拷問でもしてみますか?虚しく調査を続けるよりは、建設的かもしれませんよ」
 くつりと皮肉じみた笑みを浮かべ、挑発するような目でシュナイゼルを見つめる。もちろん、拷問をされたいわけではない。それなのにわざわざこんな挑発するようなことをしたのは、確信が欲しかったからだ。シュナイゼルがルルーシュに害を与えることはないだろうということの確信を。ルルーシュがこの顔を持っていて、この性格をしている限り、絶対に。
 そして予想通り、シュナイゼルは困ったように笑って言った。
「そんな非人道的なことはしないよ」
 決定打、だった。予想が当たったことはうれしいのだが、その中身を思うと素直に喜ぶ気にはなれない。
 この時代、ブリタニアという国は血色にまみれている。その国の宰相でありながら、拷問の一つや二つ命じたことがないなんてことはありえない。本来なら、身の潔白を証明できないルルーシュも拷問にかけられるか、あるいはどこかの研究所送りにされて隅々まで調べられる運命だったはずだ。けれどそうはならなかった。シュナイゼルがそれを命じなかったからだ。浮かべている穏やかな笑みほど、シュナイゼルという男は温厚な人間ではない。むしろ、目的のためならどんな非道も笑顔で行えるタイプの人間だ。実力主義を謳う現在のブリタニアで、今の地位にあることがそれを証明している。それなのに、彼はルルーシュをひどい目にあわせようとはしなかった。ルルーシュが、彼の義弟にそっくりだから。
 シュナイゼルは、その義弟のことが好きなのだ。だから、その義弟にそっくりなルルーシュを、どうしても粗末に扱うことができない。むしろ、今はもういない義弟の身代わりにしようとして、ルルーシュを手懐けようとしている。
 まさかまさかと思いながら知らない振りをしてきたが、いい加減認めざるを得なかった。もちろん、悟っていることを相手に知られるとどうなるか分からないから、知らない振りは続けるが。
 それにしても、不毛なことだ。どれだけ似ていても、ルルーシュは決してその義弟ではない。シュナイゼルもそんなことぐらい分かっているはずだ。分かっていながらルルーシュに、今はもういない義弟の姿を重ねようとしているのだ。果たしてそれは、どれだけ虚しいことなのだろう。
 そう思うと、目の前にいるこの男が、初めて憐れに感じられた。



 そんなことがあり、ルルーシュは学校へ通うことに決まったのだが、それにあたって”ルルーシュ・ランペルージ”という人間の設定をいくつか押し付けられた。まさか、馬鹿正直に未来から来ましたなんてことを言うわけにはいかないからである。
 とは言っても、押し付けられた設定は決して多いものではない。アスプルンド伯爵家の遠縁の娘であるということ、病弱に生まれついたためこれまでずっと空気のいい田舎で静養していたということ、同じ理由で学校には通ったことがないということぐらいだ。これなら、少しぐらい世間知らずでもおかしくないだろうという配慮らしい。これだけしかない分、細かいところに矛盾が出ないようにするのが大変だが、そういった辻褄あわせはむしろ得意なので問題ない。
 あと言われたことと言えば、後見を引き受けたロイドに恥をかかせないようふるまうようにということぐらいだ。そう言われたときは、ルルーシュがどんなふうにふるまうにしても、あの変人に恥をかかせるより、恥をかかされる方が多いに違いないと思ったので特に気にしていなかった。だが今日、ここへ通うのだと言われて連れて来られた学校――どう見ても学校なんて言葉にふさわしくない豪華な校舎だった――を見て、在籍する生徒たちは皆貴族や名家の子女であるということを聞いたとき、悟った。ロイドという個人に対してではなく、アスプルンドという伯爵家の恥にならないよう、上品にふるまえという意味だったのだと。
 階級なんてほとんど存在しない社会に生きていたせいで、頭の回転の速さにかけては自信のあるルルーシュにしては珍しく含意に気付けなかったのだが、ここは七百五十年前のブリタニア――皇帝を頂点とした階級社会だ。ここは自分の時代、そして生きていた国ではないのだということをもっと意識するべきなのだと気付かされた。
 そんなわけで、いつもよりずっと気を張っていたルルーシュなのだが、それは結局空振りに終わったと言っても良かった。国内屈指の名門校に通うお嬢様と言えども、しょせんは十代半ばの少女たち。わざわざ気張らずとも片手間にあしらえるのだと気付いたのは、ホームルームの直後、机の周りに集まってきた少女たちと会話を始めてからすぐのことだった。
「ルルーシュさん、姓はランペルージとおっしゃったわよね?聞いたことのない家名だけど、何か爵位をいただいていらっしゃる?」
「いいえ。遠縁には一人、伯爵家の方がいらっしゃるのですが、私の家は何も……」
「あら、そうなの。でも気にすることはないわ。この学園に入ることができたということは、爵位はなくても相当の名家なのでしょう?」
 少女たちは一応探りを入れてくるのだが、率直過ぎてこんなもの、ルルーシュにとっては探りとも言えない。分厚い猫をかぶって、設定どおりの少女を演じる。敬語なのは、女言葉に慣れていないからだ。まさか伯爵家の遠縁にあたるお嬢様が、男言葉を話すわけにもいかない。
「そんなことは……先ほど言いましたけど、その伯爵家のご当主が後見を務めてくださったから入れたようなものなんです」
「その方のお名前をうかがってもいいかしら?」
「ロイド・アスプルンド伯爵と言いますが……それが何か?」
 少女たちの興味は、転校生の家柄がどの程度なのかというところにあるのは分かっていたが、あえて分からないふりをする。人慣れも世間慣れもしていない病弱な少女が、会話の裏を読み取るような真似をできるはずがないからだ。
「そう言えば、どうしてこんな時期に転入して来たの?」
「情けない話なのですが、実は私、昔からあまり体が丈夫じゃなくて、ずっと静養して暮らしていたんです。だからこれまで学校にも通ったことがなくて……最近になってようやく、お医者様から、学校へ行ってもいいと言われたんです」
「まあ、大丈夫なの?」
「はい。おかげさまで今はすっかり。……でも、もし体調を崩したときは、迷惑をかけるかもしれませんがお願いできますか?」
 控えめだが、決して卑屈にはならない態度で首を傾げると、少女たちは快く了解する。
 そんなふうに少女たちは、休み時間のたびに転校生を囲んで会話に花を咲かせて、昼休みになるころにはすっかり打ち解けていた。そしてそのころにはもう、ルルーシュが名家の令嬢であるということを疑うクラスメイトは一人もいなかった。


◇ ◇ ◇



 その人と出会ったのは、学園に入ってから一週間以上経った放課後のことだった。
 部活を紹介してくれるというクラスメイトたち数人に連れられて、廊下を歩いていたところだった。すれ違った誰かが背後で振り返る気配を感じて、その直後、知らない声に名前を呼ばれた。
「ルルーシュ……?」
 信じられないとでも言いたげなその声音は、またかと思わせるに十分な要素をはらんでいて、思わずうんざりしてしまう。こうして女子生徒用の制服を着ていてまで、亡き皇子に間違えられるのかと。
 小さなため息を付きながら、所作に気をつけてゆっくりと振り返った先で、目に入ったのは、立ち止まってこちらを凝視している一人の少女。振り向いたことで、彼と実の兄弟であったシュナイゼルをして”ルルーシュ”に瓜二つだと言わしめた容貌を正面から見ることになったせいか、少女は驚いたように大きく丸く目を見開く。
 しかし、驚いたのはルルーシュも同じだった。
 ルルーシュはその少女のことを、ずっと前から知っていた。直接相対した会ったわけでもないし、遠くから顔を見たことがあるというわけでもない。当然だ。ルルーシュがここへ――過去へやって来てから、まだ一ヶ月も経っていないのだから。外に出られるようになってからに限ると、ようやく十日程度である。しかも、外へ出られるようになったと言っても、学校以外に外出したことはまだ一度もない。
 彼女の姿を初めて見たのは小学校のときだ。社会の教科書に写真が載っていた。機関銃を手に、ドレスを血で汚しながら、ふわりと花のように笑う姿があまりに不似合いで、それゆえに強く記憶に残った。こうして相対した今、わざわざ記憶の引き出しを探る必要さえないほど印象的な写真だった。
 ブリタニア史上最も有名な皇帝を第九十八代皇帝とするならば、最も有名な皇女は間違いなく彼女だ。桃色の髪にすみれの瞳をした可憐な容貌からは、考えられないほどの悪辣な手段で大量の血を流した、ブリタニア史上最悪の魔女とされる女。
「ブラッディ・ユーフェミア……」
 思わず、その有名な異名が口から漏れる。流した血の多さと、それを為した手段の悪辣さから、彼女は恐れと嫌悪のためにそう呼ばれる。血染めの皇女(ブラッディ・ユーフェミア) 、と。
 ルルーシュを見て、信じられないような顔で立ち尽くす少女は、間違いなくその皇女だった。
 一瞬呆けてしまったルルーシュだが、すぐに正気に戻って、思わず口をついた言葉が周囲に聞かれていないか確認する。ひそかにあたりを見渡してみたところ、隣を歩いていたクラスメイトたちはルルーシュとユーフェミアを見比べて不思議そうな顔をしているし、廊下にいる他の生徒たちの反応も似たようなものだった。幸いなことに、誰にも聞かれていなかったようだ。
 ほっとして胸を撫で下ろしていると、いつの間に驚きから立ち直ったのか、ユーフェミアが抱きついてくる。
「ルルーシュ!」
 身長差はあるが、同じ女の体である。勢いよく飛び込んできた人間を余裕で受け止められるほど、ルルーシュは鍛えていない。二人して転ぶことは免れたが、大きくよろけてしまう。しかしユーフェミアは興奮のあまり、そんなことには気付いていないようだった。彼女はルルーシュの首に腕を回して抱きついたまま、感極まったような声を上げる。
「ルルーシュ、生きていたのね!会いたかった……会いたかったわ!もっとよく顔を見せて……ルルーシュ……八年前は、何もできなくてごめんなさい……こんなことを言っても、今さらだって分かってるわ。でも、でも……!本当に心配したのよ……!どうして今まで連絡してくれなかったの?今までどうやっていたの?どうしてこんなところにいるの?ああ、でも、また会えて本当にうれし、い……あら?」
 一瞬ぴたりと硬直した後、ユーフェミアは少しだけ体を離して、ルルーシュの胸元に目をやった。それからためらうようにして、そのふくらみの上に手を置いた後、すぐに弾かれたように手をどける。
「……ルルーシュ……?」
 どうして、とでも言いたげな顔をするユーフェミアに向かって、ルルーシュは困ったような顔で笑いかけた。
「……ここは目立つので、とりあえず移動しませんか?」


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