亡き皇子のためのパヴァーヌ 06

 狭い――とは言えない、むしろその反対の広い部屋の中で、するのはただ、シュナイゼルを待つということだけ。見ることのできる外の景色は、窓の形に切り取られた四角だけで、ここ数日はまともに日光に当たっていない。そんな状態では、当然動く機会もほとんどない。もともとルルーシュは根っからのインドア派であるからにして、別に日頃から何かしら運動をしていたわけではない。しかし、それでもこの引きこもり状態に比べたら、随分と動いていた方に分類されるに違いない。食べても太らない体質で良かったと、ルルーシュはこの軟禁生活で初めて思った。普通の人間なら、間違いなく豚への道をまっしぐらだ。
 それにしても、男を待つだけの生活なんて、まるで愛人のようだと思わないでもないが、こっちは不審者であっちは皇子。普通なら、どうやったって、そんな不健全な関係に発展するとは思えない。それにシュナイゼルは、色事にうといルルーシュの目から見ても、容姿・身分・性格ともに極上の男だ。ただし、三つ目の性格については、猫を被っている限りはという注が付く。しかし傍目には完璧な男なので、一夜限りの遊びでもいいと望む女は多いだろう。
 不審者といって捕えた人間を、何の酔狂でこんなふうに扱っているのかは、ここ数日密かに探りを入れてもまるで分からなかった。チェスを得意とするだけに、ルルーシュは頭脳戦にはかなりの自信を持っている。だというのにシュナイゼルは、会話の中に仕掛けた罠や引っ掛けをことごとくかわしてしまうのだ。腹立たしいが、相手が悪かったと自分を慰めつつも、次なる手段を考えるべく頭を悩ませるしかできなかった。正直、頭脳戦でここまでてこずらせてくれた人間はこれまでいなかったので、少し楽しいと思う心がないわけでもない。
 しかしそれでも、ずっとこんな日々が続くのは到底御免である。この軟禁生活がいつまで続くのか。もしかしたらシュナイゼルには、このままルルーシュを解放する気などないのではないか。そう疑っていた矢先、変化は訪れる。
 それは、ルルーシュとシュナイゼルがチェスの試合をした次の日のことだった。シュナイゼルが初めて、軟禁部屋に自分以外の人間を連れてきたのだ。



「どうも〜、初めまして〜」
「……初めまして」
 シュナイゼルが連れてきたのは、しまりのない笑みと間延びした語尾のせいで、変人にしか見えない青年だった。思わず挨拶も遅れる。軽く会釈をしながら、ルルーシュは失礼にならない程度に相手を観察することにした。
 一見したところは変人にしか見えないが、顔立ちは悪くない。黙って顔を引き締めてさえいれば、涼やかな美青年に見えないこともない……見えないこともないのだが、表情と話し方のせいで台無だ。けれど良く見てみれば、笑みの形に細められた瞳の奥には、知性の光が感じられる。白衣を着ていることから考えて、何らかの技術者だろうとあたりをつけるが同時に、それなら間違いなくマッドサイエンティストっぽいなと失礼なことを考えていた。
 しかし、ルルーシュの失礼さなんて、外には表れない分かわいいものだった。相手はあからさまに、ルルーシュのことをじろじろと観察するような目を向けてきたのだ。腰をかがめて、間近から顔をのぞきこむような真似までされる。はっきり言って失礼なことこの上ない。見たところ、シュナイゼルとほとんど変わらないぐらいの年だというのに、こんな振る舞いで上手く世を渡っていけているのか少し不思議になった。もしかしたら、マッドサイエンティストだから、こんな態度も周囲は気にしないのかもしれないと、相手の態度に対抗するように失礼な思考が脳裏をよぎる。
「んー……あれ〜?……君、初めまして、だよねぇ?」
「はい」
「でも、どこかで見たことあるような顔してるんだけどなぁ……」
 おかしいなぁと首を傾げている相手は、どうにもすっきりしないような顔をしている。
 多分また、シュナイゼルの義弟とやらにそっくりだと言われるのだろうな、とルルーシュは当たり前のように思った。ここにやって来てからまともに顔を合わせたのはシュナイゼルただ一人で、ゆえに彼の義弟との相似を指摘されたのもその一人からだけだったが、出会い頭に猛烈な勢いで人違いをされたせいで、誰かに似ていると言われて一番に浮かんだのがその義弟だったのだ。
 だから、次の発言には正直意表をつかれた。
「ああ、分かった!君、マリアンヌ様に似てるんだ!」
「……は?」
 話がつかめず、ルルーシュは視線だけでシュナイゼルに助けを求める。シュナイゼルの義弟以外にも、ルルーシュそっくりの人間がいたのか、と。しかしシュナイゼルが口を開くよりも早く、青年が話を続ける。
「あ〜、すっきりしたぁ。ホントそっくりだね〜。あ、でも目元は君の方がきつい感じかな。あの方、閃光なんて派手な二つ名や挙げた武勲からは考えられないぐらい、見た目はたおやかな人だったしね〜」
「マリアンヌ……閃光……」
 別々に聞けば何も引っかかることなどなかっただろうその二つの単語は、同時に聞いたことで、ルルーシュの記憶の琴線に引っかかった。
「閃光のマリアンヌのことか!」
「知っているのかい?」
 シュナイゼルが驚いたように目を瞠る。未来から来たというのが本当なら、どうしてその名前を知っているのか不思議なのだろう。
 別の人間がいる手前、未来云々を口にするべきではないと判断したルルーシュは、当たり障りのない答えを返すことにした。
「彼女は有名ですから」
 閃光のマリアンヌと言えば、第三世代ナイトメアフレームのガニメデに乗り、それまではとても戦闘になど使えなかったナイトメアを、初めて実戦の域にまで高めたパイロットとして後世に名を残している。未来の第九十九代皇帝であるシュナイゼルや、その父である第九十八代皇帝ほどポピュラーではないが、ナイトメアフレームを語るにおいては絶対外せない人間である。ナイトメアの展示があるからという理由で、わざわざ特別展へ出かけるルルーシュが知らないはずがない。
「うーん、でも性別関係なしに言うなら、マリアンヌ様が産んだ皇子の方がもっと似てる感じがするなぁ。えーっと、何だったけ……確か、る、る……ルルーシュ殿下!」
 ナイトメア史に名を残す閃光のマリアンヌに似ていると言われて、ちょっと上機嫌になっていたルルーシュは、一気に機嫌を悪くした。結局また、”ルルーシュ”に似ていると言われるのかと。しかし、判明した新たな事実を脳に刻み付けることは忘れない。つまり、例の義弟とやらは、閃光のマリアンヌの息子であるということを。思い出してみれば確かに、閃光のマリアンヌが戦場で輝かしい功績を挙げたことで皇帝の目に止まり、皇妃に召し上げられたという事実は、以前読んだナイトメアフレーム関係の本に書かれていた。その後のことは書かれていなかったし、パイロットではない彼女のことに興味はなかったので調べなかったのだが、何がどこで繋がっているか分からないものである。
 そんなことを考えているルルーシュの斜め前で、シュナイゼルはと言えば、何やら納得できないような顔をしていた。
「ロイド……君、どうして分かったんだい?」
「はい?何がですかぁ、殿下?」
「この子が女性だということがだよ」
 ルルーシュは今日も男物の服を着ていた。初めて出会ったときに着ていたのが男物だったせいなのか、それとも義弟そっくりの人間が女物を着ているところなど見たくないからなのか、用意されている服が男物ばかりだからである。薄手のシャツの上にきっちり上着を着ているから、上着を脱ぐか直接触らないかしないと胸があるようには見えないかもしれないが、だからといってこの発言はいただけない。
 ルルーシュが怒りに顔を引きつらせる様を見て、シュナイゼルは己の失言を悟ったようだったが、もう遅い。
「そんなの、見れば分かるじゃないですか」
 しかし、ロイドという青年が、どうしてそんなことを尋ねられるのか理解できないというような顔で言った言葉に、剣呑な空気は霧散した。
 ルルーシュは思わず、ロイドの手をがしっと握りしめて、目を輝かせながら言った。
「いい人ですね、貴方」
「うわぁ、僕そんなこと言われたの、初めてかも」
 こんなことぐらいでいい人と言うのはあまりにも短絡的だが、最近シュナイゼルにしか接していないせいで、ルルーシュの判断基準――男装時の反応についてだけだが――はシュナイゼルになっていた。あの反応と比べれば、ロイドの反応なんて天と地ぐらいの隔たりがある。
「ロイド、離しなさい」
「はいはい。僕から触ったんじゃないのになぁ」
 ロイドは、シュナイゼルに咎められたことに不満そうな顔をしながらも、大人しく従う。ルルーシュとしても、別にどうしてもロイドの手を握っていたいわけではないので、促されるまま大人しく手を離した。
「でも、どうしてわざわざそんなこと聞いてきたんですかぁ?輪郭の線とか手とか、どこからどう見ても女の子じゃないですか。大体、男と女じゃ骨格がまるで違うんですよぉ?僕、一応医師免許持ってるんですから、そんなの間違えたりしませんって……まさか殿下、男の子の格好をしているからって、男と間違えたんじゃ……」
 シュナイゼルは答えず、すっと視線を逸らした。ルルーシュ本人がこの場にいるのに、ごまかしても無駄だと悟ったのか、潔いと言えば潔い態度だ。
「う〜わ〜、見てみたかったなぁ、その現場!貴方にしたら珍しい失態ですね〜。あ、もしかして、性別間違えただけじゃなくて、ルルーシュ殿下と間違えちゃったりしたとか?」
「……うるさい」
「あはは〜。そう言えば殿下、あの方には珍しくご執心でしたもんね〜」
「……ロイド」
「はいはい、黙りますよ〜」
 低い声を出すシュナイゼルに、ロイドは肩をすくめて口をつぐんだ。
 一応敬語らしきものは使っているし、言うことは聞いているが、彼とシュナイゼルとではとても主従には見えない。ロイドの態度が気安すぎるのだ。皇族や王族なんてものとは縁のない世界、そして国からやって来たルルーシュでも、もっとマシな態度で接している。
「まだ言ってなかったね。彼の名前はロイド・アスプルンドだ。これでも一応、伯爵の位を持っている」
「一応って何ですか、僕はれっきとした伯爵です〜。あ、僕堅苦しいの嫌いだから、ロイドでいいよぉ」
 シュナイゼルに抗議した後、ロイドはルルーシュに向かって言った。
 ルルーシュはと言えば、別のことに気を取られていたので、少し反応が遅れた。
「え……はい、分かりました」
 目の前のふざけた男が伯爵ということにも驚いたが、気を取られていたのは別のことだ。ロイド・アスプルンドと言えば、第七世代ナイトメアフレームを開発した研究者の名前である。閃光のマリアンヌのことで、頭がナイトメアフレーム関係にシフトされていたのですぐに思い当たった。シュナイゼルが言うには、今は皇暦2017年らしいから、別人という可能性はないと考えていいはずだ。彼が作った第七世代ナイトメアフレームが初めて実戦に投入されたのが、皇暦2017年だったという記憶に間違いがない限り。
 ロイドがナイトメアフレーム開発者だと分かった時点で、ルルーシュの愛想は格段に向上した。愛想笑いの質も上がる。ナイトメアについて、できることなら話を聞かせてもらいたいという下心のためである。ナイトメアフレームの製造技術はかつて、ブリタニアが独占していた。そんな中、ブリタニア以外で初めてナイトメアフレーム製造に成功したのはエリア11――日本であるという記述を読んだことがある。何の偶然か、その年はちょうどこの年であるが、史実と照らし合わせて考えてみるに、おそらく現時点ではまだ成功していないはずだ。もう少し後の年だったら、もう少し簡単に話を聞けたかもしれないが、今はおそらく無理だろう。けれど、万が一の可能性がないわけではないし、試してみるだけならただなのだ。愛想笑いの一つや二つで何が減るわけでもないのだから、やってみて損はない。
「では、ロイドさんと呼ばせてもらいます」
「うん、それでよろしく。で、君の名前は?」
「……聞いてないんですか?」
 わざわざ連れてきたぐらいなのだから、名前ぐらいは話していると思ったのだが、まさか何も話していなかったのだろうか。しかし、そう聞いて納得する心があるのも事実だった。ロイドは例の義弟皇子のことを知っていた。ルルーシュの名前を聞いていたなら、彼とルルーシュの相似を指摘した時点で何らかの反応を見せたはずだ。
「いやぁ、昨日の深夜いきなり連絡があってね〜。それで、ある少女の後見になってもらいたいって言われて承諾したのはいいんだけど、名前聞くの忘れてたんだよ」
 名前も教えないで一人の人間の後ろ盾になれと命じるシュナイゼルもシュナイゼルだが、それに応じるロイドもロイドだ。類は友を呼ぶというが、この二人、まさにそれである。しかし今重要なのはそんなことよりも。
「後見?」
 ルルーシュはしばし目を瞬かせた。
「どうしてそんなもの……」
「君には必要だろう?」
 当たり前のような顔でシュナイゼルは笑う。確かに、戸籍も何も持たないルルーシュが、この世界で生きていこうとするのならば、それは喉から手が出るほど欲しいものだ。貴族制度が実際に機能しているこの世の中では、伯爵位にあるような人間の後見を得ることができれば、無駄な苦労をすることなどないに違いないのだから。
 けれど、シュナイゼルが何を思ってルルーシュにそれを与えようとしているのか、それが分からない限り、安易に受け取るわけにはいかなかった。いや、これまでのシュナイゼルの態度や、ルルーシュへの待遇を考えれば、一つの仮説を立てることはできる。ただ、それがあまりに不道徳すぎるため、真実と決め付けることにためらいを覚えるのだ。しかし、ついさっきロイドが言った執着という言葉で、その仮説にますます真実味が出てきた。それでもルルーシュは、それが事実だとは思いたくなかった。それは、立てた仮説がルルーシュ自身にも大きく関わってくるからだった。
 シュナイゼルは、今は亡き義弟を家族愛ではない類の愛で愛していて、ルルーシュをその身代わりにしようとしているから、こんなにいい待遇をされているんだ、なんて仮説にしてもちょっと信じたくない話である。
 ルルーシュは他人にほとんど興味がない代わり、彼らがすることに対してかなり寛容だ。近親相姦でも同性愛でもSMでも何でも、自分に関係ないところで繰り広げられるのならどうだっていいと思っているし、好きにやればいいと考えている。しかし、そこに自分が巻き込まれるとなると話は別だ。幼稚園のときの淡い初恋以外恋愛経験のないルルーシュには、ディープすぎて手に負えない。それが分かっているから知らない振りをしているのに、こんなふうに惜しげもなく親切にされると、いい加減知らない振りをするのも、立てた仮説が勘違いに過ぎないのだと思い込むのも限界になってしまう。
 それでも、何の力も持たない小娘に過ぎない自分がここから逃げ出すなんて不可能だということは分かりきっているから、ルルーシュは何も気付いていない振りをして受け入れるしかないのだ。誰かの代わりにされるなんて御免だと思っていても、シュナイゼルの気持ちを悟ったことを知られてしまえば、きっとその瞬間に今の関係は崩れてしまう。崩れた後にどうなるかは分からないが、状況が好転するという確信がない限り、現状を維持することが今の時点では最善と言えた。
「……ありがとうございます」
 だからルルーシュは、何も知らない振りをして、ただ笑うしかできない。そうしている限り、シュナイゼルはルルーシュに何も求めてはこないから。少なくとも、今のところは。



◇ ◇ ◇



 ロイドと引き合わされてから数日後。
「では、私が呼んだら入ってきて、教壇の横まで来てください」
「はい、分かりました」
 控えめな笑みを浮かべて、きちんとした返事をする。令嬢として申し分ないその態度を見て、目の前の人物は満足そうに頷いた。彼女が踵を返して扉の向こうへ消えるのを確認した直後、ルルーシュは特大の猫を捨ててそれまでとは一転、思い切りやさぐれた顔になる。
「……どうしてこんなことに……」
 顔を歪めてぶつぶつと文句を言っていると、部屋の中からお呼びがかかる。仕方なく、再び特大の猫をかぶって大人しやかな少女を装い、室内へ一歩足を踏み入れた。とたん、感じるのは視線の嵐。伏し目がちになることでそれらを無視し、先ほど言われたとおり教壇の横まで歩いていく。
「転校生のランペルージさんです。……ランペルージさん、自己紹介を」
「ルルーシュ・ランペルージです。どうぞよろしくお願いします」
 そう言ってぺこりと頭を下げ、上品さを心がけた笑みを浮かべると、室内はおおむね好意的な空気に包まれる。見渡す限りにいるのは、ワンピース型の清楚な制服に身を包んだ同じ年頃の少女たちばかり。ルルーシュが身につけているのもまた、同じものだ。
 後見人をつけるぐらいなのだから、やっと外に出られるのだろうな、ということはうすうす想像が付いていた。しかしまさか、こんなところに放り込まれるなんて、誰が予想できただろう。
 ルルーシュが今いる場所は、ブリタニア国内でも屈指のお嬢様学校だった。


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