たとえば、『シュナイゼル・エル・ブリタニアという男を一言で表すと?』と聞かれたとする。それが遠慮なく言葉を発しても問題ない場合、ルルーシュは間違いなく次のように答えるだろう。『変なやつ』と。
テーブルの向かい側で、優雅にティーカップを傾けている男に胡散臭い者でも見るような目を向けながら、ルルーシュはここ数日聞きたかったことをとうとう口にすることに決めた。
「……貴方、そんなに暇なんですか」
「黙っていたと思っていたら、また唐突に何を言うんだい?」
「毎日欠かさずやって来て、何をするわけでもなくのんびりお茶飲んで帰って行く人間を見ていたら、誰だって言いたくなると思いますが」
口調は丁寧だが、内容はあからさまな皮肉だ。目の前にいる男が、ブリタニアという国の皇子という身分にあることを考慮して、一応口調を丁寧なものに戻すことにしてはいるのだが、相手は初対面で暴言を吐いてくれた男である。本人にそんなつもりはなくても、暴言は暴言。嫌味ぐらい言ってやらないと割に合わない。
「暇と言うよりは、むしろ忙しい方だと思うよ。これでも一応、帝国宰相の位を頂いているからね」
「じゃあ、昼間からこんなところに来てないで、さっさと仕事をしに行ったらどうですか」
「これも立派な仕事だよ。不審者の取調べというね」
する話と言えば、ルルーシュが聞きたがること――今の世界の現状についてや、後は当たり障りのない世間話ぐらいだというのに、何を言うかとか。これのどこが不審者の扱いなんだとか。お前絶対仕事サボっているだけだろうとか。言いたいことは山ほどあるけれど、ルルーシュは賢明にも口をつぐんだ。下手なことを言って、シュナイゼルの機嫌を損ねるのは得策ではないことは明らかだったからである。とは言っても、ほんの少し過ごしただけでも、そんなことを言ったからといって、彼が機嫌を損ねるような器の小さな男ではないことは悟っていたが。
しかし事実、ルルーシュの扱いは、不審者相手には全く相応しくないものだった。まず、用意された部屋。普通不審者が捕えられた場合、放り込まれるのは牢獄と相場が決まっているが、ルルーシュに与えられたのは普通の部屋――よりも随分と豪華なもの。洞窟で気絶させられた後、目を覚ました部屋からはまた眠っている間に一度移動させられていたが、次に用意されていた部屋も負けず劣らずすごかった。次に、周囲の態度。部屋の外には見張りの兵がいて外に出ることはかなわないのだが、話しかけたときにはものすごく丁寧な対応を返された。食事も豪華なものだし、用意された衣服も測ったようにぴったり、しかも本棚にはぎっしりと暇つぶし用の本まで詰まっている。
これのどこが不審者の扱いなんだと思わず叫びたくなったルルーシュに非はないはずだ。
不審者相手にいつもこんな対応をしているのだとしたら、この男、酔狂にもほどがある。
「そんなことより、何か不自由はないかい?」
「今のところは特に」
「本当に?」
「……あえて言うなら、いい加減暇つぶしの手段が本を読むかテレビを見るか、貴方の相手をするだけだということに飽きてきたぐらいです」
「そう言われてもね。君を外へ出すわけにはいかないし」
「それぐらい分かっています。だから、あえて言うならと先に付けておいたでしょう」
シュナイゼルに聞いたところ、ルルーシュはあの洞窟に、光があふれたかと思うとその中に突然現れたらしい。立派な不思議生命体だ。不審者どころか、実験及び解剖のためどこぞの研究所送りにされても仕方がない登場の仕方をしたというのに、こんないい扱いをされているのだから、言うべきは不満ではなく感謝だ。
そんなことは分かっている。分かっているのに、素直に感謝することはどうしてもできなかった。未だ自分が過去に来てしまったことが信じられないこともあるし、出会いが出会いだったこともあるし、シュナイゼルの言葉を頭から信じられないこともある。それに、何故か理由は分からないのだが、この男を向かい合っていると、気付けば『嫌い』そして『怖い』と考えている自分がいる。出会いが最悪だったからかと考えたこともあるのだが、それでは『嫌い』は分かっても『怖い』と感じる理由が理解できない。
「では、何かしたいことがあるなら教えてくれるかい?差し支えのないことであれば、叶えてあげるよ」
「……なら、チェスがしたい」
「チェス?」
「別に、相手を用意しろとまでは言いません。チェス盤と駒さえあれば一人で……どうかしましたか?」
「……君は……」
シュナイゼルの様子がおかしいことに気付いて、ルルーシュは首を傾げた。いつもなら、感情を窺わせない笑みを浮かべている彼は、何故か苦しそうな顔をしていた。
「何ですか?」
「いや……何もないよ」
しかしその表情はすぐに消える。シュナイゼルはいつもどおりの笑顔に戻って、先ほどの動揺など全く感じさせない穏やかで――そして平坦な声で言った。
「君はチェスをするのかい?」
「一応、それで生計を立てていましたから」
「君は学生では?」
「学生証を見たと言ったのは貴方でしょう」
「いや、そうだが……君は、その年で自活していたのかい?」
「あいにくと、普通なら養ってくれるはずの両親がすでにありませんので、必要に駆られて」
そう答えると、シュナイゼルはまたも複雑そうな顔になる。何を思っているのかは分からないが、同情をしているとか、そういった顔ではないことは確かだった。それを示すように、彼は訳が分からない問いをしてくる。
「……妹はいるかい?」
「はあ?」
質問の意図がつかめず、ルルーシュは首を傾げた。妹と言われたとき何故か胸が騒いだが、その理由は分からなかった。
「妹ですか?期待に添えず申し訳ないのですが、俺は一人っ子です」
そう、ルルーシュに兄弟姉妹など一人も存在しない。そのはずなのに、その事実を述べただけで、どうしてこんなにも泣きたい気分になるのか分からない。ただ、どうしようもなく胸が痛い。まるで自分が、自分ではない何かになってしまったようで気持ち悪くて、ルルーシュは必死になって平静を装う。
「そうか……さすがに、そこまで同じではないか……」
「同じ?何がですか?」
「いや、何でもないよ。それよりも、チェス盤と駒だね。すぐに用意させよう」
シュナイゼルは取り繕うように、けれどあくまで自然に笑みを作ると、ティーカップに残っていた紅茶を飲み干して立ち上がった。
「それでは今日はこれで失礼するよ」
そう言って出口へ向かって行った彼は、扉に手をかけたところで、何故か立ち止まった。普段ならそのまま出て行くはずなのに、珍しいこともあるものだ。彼はしばらく黙っていた後、扉の取っ手に手をかけたまま、振り返ることなくぽつりとルルーシュの名前を呼んでくる。
「何ですか?」
「次に来たときには……私と手合わせ願えるかな?」
「もちろん、喜んで」
その後はいつも通り。
シュナイゼルは出て行って、ルルーシュは残される。
一人になった部屋の中、椅子からベッドに移動して、掛けた寝台の上にばったりと後ろに倒れこんだ。そして、珍しくいつもと浮かべている笑顔とは違う表情を見せたシュナイゼルのことを、彼が言っていたことを思い出す。
「同じではない、ね……」
何でもないと誤魔化されても、分からないはずがない。比べられた対象は、間違いなくルルーシュそっくりだったらしい義弟だ。あの反応では、その義弟とやらも、ルルーシュと同じようにチェスを好んでいたのだろう。そして、ルルーシュと同じように親を亡くしている。シュナイゼルの義弟ということは、現ブリタニア皇帝の息子ということだから、亡くしたのは母親だけなのだろうが、親を亡くしたということに変わりはない。
引っかかるのが、妹はいるのかという質問だ。兄でも姉でも弟でもなく、妹。わざわざ指定して聞いてきたということは、その義弟にとってのキーワードが妹だということなのだろうが、わざわざルルーシュにそんなことを聞く必要はなかったはずだ。
DNA鑑定で違うとはっきり結果が出たらしいのに、まだルルーシュが自分の義弟ではないかと疑っているのか。それとも、違うと分かっていながらも、容姿以外に義弟と共通している点をルルーシュに見つけたせいで、ついその義弟と重ねそうになってしまったのか。どちらにしてもあまり愉快な気分ではない。
それにしても、と思う。あの息をするぐらい自然に嘘を吐き、貼り付けた仮面の笑顔を崩さない男は、義弟に関する事柄についてのみ、凪を保っていられないのだ。他人のことなんて、そこらへんに転がっている置物か退屈を紛らわす玩具ぐらいにしか思っていない人でなしのくせに、意外だという考えが一瞬頭をよぎる。しかしすぐに疑問を感じた。そんなことが分かるほど、自分はあの男のことを知らないのに、どうして、と。
その答えは、いくら考えても出てこなかった。
シュナイゼルの言葉通り、チェス盤と駒はその日中に届けられた。そして、シュナイゼルとの勝負は、次の日に。
結果はルルーシュの勝ち。最初はいい勝負だった、むしろともすれば負けそうだった――何と言うか、今まで何の根拠もなくこの人絶対性格悪いと決め付けていたけど、本当に性格悪いんだなあと思わせる打ち方をしてきた――のだが、途中でシュナイゼルが調子を崩したのだ。
その理由について彼は何も言わなかったけれど、盤面を信じられないように見つめるのを見ていれば、簡単に想像がついた。きっと、そっくりだったのだろう。容姿、色彩、好きなもの、境遇に加えて、チェスの打ち方までもが彼の義弟に。
◇ ◇ ◇
二人が初めてチェスをした夜、月が中天に昇りきった頃。
シュナイゼルは、月明かりだけが頼りの暗い部屋の中で、眠っているルルーシュのことを見下ろしていた。顔立ちや身にまとう色彩だけに留まらず、好むゲームに親を失ったという不幸、そして頭の回転の速さまで彼女は、今はもういない義弟そっくりだ。だがまさか、チェスの手まで似ているとは思わなかった。そのことに驚くあまり、ゲームに負けてしまうほど、彼女の打つ手は”ルルーシュ”のそれに似ていた。
けれど彼女は、シュナイゼルが唯一愛したあの義弟ではない。シーツの下の胸元が、ゆるやかに盛り上がっていることが、その事実を突きつけてくる。性別だけではない。それ以外に違う部分もたくさんある。ルルーシュは、警戒はしているけれど、それでも自然な態度でシュナイゼルに接する。義弟は、いつだってシュナイゼルに対して一線引いて接していた。いつだって無理をして作った笑みを浮かべて感情を隠そうとしていた義弟とは違って、ルルーシュは穏やかな作り笑いを浮かべていることが多いが、感情を隠そうとはしない。そんなふうに、ルルーシュと”ルルーシュ”の間には、違う部分だってたくさんある。
それなのにどうしてかシュナイゼルには、その相違にも関わらず、ルルーシュに”ルルーシュ”の姿がかぶって見えてしまうのだ。別人だと分かっているのに、ふとした瞬間、気付くと一緒にいる少女を義弟と勘違いしてしまいそうになる自分がいる。それぐらい、ルルーシュはあの義弟に似ていた。
「……どうしたものかな」
眠るルルーシュを見つめたまま、シュナイゼルはぽつりとつぶやく。
最初は、ただ容姿が似ていることに目を付けただけだった。今はもう二度と手に入ることのない義弟の身代わりにしようとして、閉じ込めた。性格なんてどうだって良かったから――むしろ下手に彼女という人間を知ってしまって、それが義弟とかけ離れたものであれば鬱陶しいだけだったから、会話も自然当たり障りのないものとなった。必要なのは、大切なのは義弟に瓜二つの容姿だけだったから、そうやって人格さえ無視して、かごの鳥とすることに罪悪感を覚えることなんてなかった。
それなのに、ルルーシュは外側だけではなく、内側まで義弟に似ていた。それに気付くと、かごの鳥にして終わらせることにためらいを感じてしまった。閉じ込めてしまえば、ルルーシュはシュナイゼルから離れることはない。けれどそうしてしまえば、彼女との関係は歪み、いつか破綻を迎える。それは嫌だった。”ルルーシュ”はシュナイゼルを怯え嫌っていたけれど、ルルーシュはまだそうではない。変なものでも見るような眼は向けてくるが、嫌われているわけではない。
”ルルーシュ”との関係はもはや修復することなどできない。しかし、義弟そっくりの彼女との関係は、これから築いていくことができる。そう思うと、不思議に心が躍った。
ルルーシュは”ルルーシュ”ではない。そんなことは分かりきっているのに、どうしてこんなにも胸が騒ぐのか。義弟そっくりで、けれど所詮は別人でしかないルルーシュ。欲しいのは義弟であって、今ここに存在する彼女ではない。ルルーシュは義弟の身代わりでしかない。そのはずなのに、何故。
すでにいない義弟と、未来からやって来たらしい少女。その二人はあまりに似すぎていて、だかからこそシュナイゼルには分からなかった。今この胸を占める感情の意味が。