亡き皇子のためのパヴァーヌ 04

 目を開けたとたん、視界に飛び込んできたのは、金髪の青年の顔だった。知らない顔だ。しかし妙なことに、何だか見覚えがあるような気がする。
(どこかで見た?)
 青年を見上げながら、ぼんやりと考える。直接見たことがあるとすれば、これほど整った顔を記憶力に優れたルルーシュが忘れるわけがないから、その可能性は消してかまわない。
(……となると、残る可能性は三十七通り……)
 某幼馴染に知られれば、『何だよ、その三十七通りって……お前の頭の中はいったいどうなってるんだよ』と言われること確実な頭の使い方をしていると、不意に名前を呼ばれた。
「ルルーシュ」
「……誰だ、お前?」
 ルルーシュは思い切り顔をしかめて、青年をにらみつけた。チェスのプロなんてものをやっているルルーシュは一応、それなりの有名人である。しかし、知らない人間から親しげに名前を呼ばれて、愛想のいい返事をすることができるほどできた人間ではない。まるで知り合いみたいに親しみを込めて呼ばれても、鬱陶しいだけだ。口にしたことはないが、有名税なんてクソ食らえと常に思っている。
 不愉快なことに、青年は許可もなくルルーシュの髪に触れていた。その手を振り払って冷たい視線を向けてやると、青年は驚いたように何度か瞬きした後、戸惑ったように眉根を寄せる。まるで想像していないことを聞いたような顔だ。
「……ルルーシュ?」
 予想とは違う反応が返ってきたことに不審を覚え、ルルーシュはさらに顔をしかめた。
 どうもおかしい。知らないから誰だと聞いたのに、どうしてこんな顔をされなければならないのか。もしかしたら、ルルーシュのことを誰かと間違えているのかもしれない。しかし呼びかけられた名前から考えるに、その場合、名前も容姿もルルーシュと同じ人間が存在することになる。世の中には、自分に似た人間が三人は存在するというが、その三人の中で名前が一致する確率は果たしてどれだけのものか。普通に考えてありえない数字になるだろう。名前がありきたりなものであれば、まだ考えられるかもしれないが、ルルーシュという名前はそれなりに珍しいものだ。だからそんな馬鹿げた可能性はありえない、と冷静な頭は言っているのだが、どうにも納得できない。
 不思議に思いながらも、とりあえず現状を把握するため、ルルーシュは体を起こして周囲を見渡した。見覚えのない場所だった。洞窟か何かの中なのだろうか、照明は持ち込まれているものの、妙に薄暗い。何かの神殿の遺跡のような場所だった。
「どこだ、ここは……?」
 ルルーシュは途方にくれた顔になった。
 ついさっきまで美術館にいたはずなのに、どうしてこんなところに移動しているのか。上を見てもあるのはごつごつとした岩肌ばかりで、穴なんてどこにもない。周りにも、床の残骸なんてどこにもないから、抜けた床から落ちて直接ここにたどり着いたわけではないらしい。
 となると、意識がない間に誰かに運ばれたということになるが、そうなるといったい誰がという話になる。救助隊なら、まっすぐ病院に運んでくれるはずだ。人並みはずれた身体能力を有するため、あの状況を怪我一つすることなく切り抜けたスザクの仕業かもしれないと一瞬考えたが、すぐに却下する。スザクはああ見えて意外に優しいのだ。こんなところにルルーシュを一人置き去りにするなんてことはしない。
 大体、どうして怪我一つしていないのかが分からない。あの状況で怪我を回避できるような超人じみた真似は、スザクと違って、ルルーシュにはできない。無傷の身体を見下ろして困惑していると、気を取り直したのか青年が再び声をかけてきた。
「ルルーシュ、どうしたんだい?」
 声につられて顔を上げると、やはり青年は困惑したような顔をしてルルーシュを見下ろしていた。
 さらに後ろへ目をやると、どこかで見た覚えのある古臭い防護スーツに身を包んだ兵士たちがやはり、困惑したようにひそひそと言葉を交わしている。
「お知り合い……なのか……?」
「さあ……でも、どこかで聞いたことがあるような名前だな……」
「確か、七年前に亡くなられた皇子が、そんな名前じゃなかったか?」
「ああ、そう言えば……」
 皇子という日常ではあまり耳にすることがない単語に、ルルーシュはつい先ほどまでいた特別展を思い浮かべた。同時に、兵士たちが来ている防護スーツをどこで見たのか思い出す。歴史の資料集に載っていたのだ。写真の下には、かつてブリタニア帝国の兵士たちが使っていたものだという表記があった。それに思い至ると今度は、目の前の青年に既視感を覚えた理由も分かった。
 彼は、教科書に載っていたブリタニア帝国第九十九代皇帝の顔に、とてもよく似ているのだ。違うのは、年齢ぐらいだ。写真に写っていたのは、四十代前半に見える美中年だったが、それを十数歳若くすればこの青年そっくりになるに違いない。顔立ちだけではなく、目や髪の色までそっくりだから、余計に似て見える。
(しかし、紫の瞳か……俺以外でこの色を持っている人間、初めて見たな……)
 ずっと昔には、紫の瞳は、ブリタニア皇族特有の色とされていたらしい。実際には、皇族特有ということはなかっただろうが、それだけ珍しかったということなのだろう。事実、ルルーシュもこれまで生きてきた中で、自分以外に紫の目をした人間を見るのはこれが初めてだ。いや、ついさっき会ったルルーシュそっくりのあの子どもも紫色の目をしていたから、これで二人目か。
 どちらにしても希少なことに変わりはないので、ルルーシュが物珍しさから、まじまじと青年の目を見つめていると、彼は悲しげな顔をして話しかけてくる。
「私の顔を忘れてしまったのかい?悲しいな……異母腹とは言え、実の兄弟じゃないか」
 いかにも悲しいんですと言いたげな顔が、逆に嘘くさい。ルルーシュは思わず胡乱な目を向けるが、相手は何故かその反応を見て楽しそうに笑っている。何だか気持ち悪くて、座ったままじりじりと後ずさるが、ふと気になる単語に気付いて動きを止めた。
「ん?……兄弟?」
 ルルーシュは一人っ子だ。
(……人違いで決定だな)
 即効でそう結論付けた。
「人違いだと思いますが。俺の名前は確かにルルーシュですが、兄などいたことは過去一度としてありませんので」
「またそうやってしらばっくれるつもりかい?」
「しらばっくれるも何も……俺は本当のことしか言っていませんが……」
 そう言い返しても、青年は疑うような顔を崩さない。
 彼のことなんて、本当に何も知らない。兄なんて存在がいたことも、記憶にある限り一度もない。ましてや、異母腹の兄弟なんて寝耳に水だ。
「私が、大切な義弟のことを間違えるとでも?」
「……義弟?」
 ルルーシュはぱちくりと目を見開いた。が、すぐに今自分がしている格好に気付いて納得する。そう言えば、チェスの試合の帰りにそのままスザクと遊んでいたのだ。いくら少年のような格好をしていても、本当の性別は間違いなく女であるルルーシュは、確信を持って答えた。
「やけに自信たっぷりみたいですけど、間違えていますよ。こんなナリをしていますが、俺はれっきとした女ですので」
「……女?」
「ええ、女です」
 性別を名言した瞬間、青年は呆気に取られたような顔をして固まった。しかししばらくすると立ち直って、苦い笑みを浮かべる。
「いくら戻りたくないからと言って、すぐばれるような嘘を吐くのはやめなさい」
「……すぐばれるような嘘……?」
 ルルーシュは切れた。
(そうか、そんなに俺は女に見えないか!確かに男装をしていれば、初対面の奴らは誰も何も疑わず男だと思ってくれるさ!……そのときには確かに、女顔だなとは言われても、男装しているなんてばれたことは一度もないが……だからと言って……!)
 わざと男装をしているのは自分なのだから、女に見えないと言われても文句を言う資格などないのかもしれないが、それでも腹が立つものは腹が立つのだ。
「嘘だと思うのなら確かめてみればいいだろう!」
 そう叫んで、ルルーシュは青年の手を自分の胸に押し当てた。青年が固まる。
「……胸?」
「これで分かっただろう!俺は女だ!」
 スーツを着てしまえば目立たなくなるささやかな胸だが、胸は胸。小さくても、触れば女だと分かるはずだ。そう思っていたのだが、青年はしつこかった。
「ルルーシュ……いつの間に性転換を……?」
「いい加減に、俺がお前の義弟だという勘違いを改めろ!」
 信じられないような顔で、信じられないような問いをしてくる青年に、ルルーシュは血管が切れてしまいそうなぐらい激昂した。怒りのあまり、丁寧語がどこかへすっ飛んでいる。
「大体、自信満々なわりに何で間違えるんだ!ついうっかり人違いをするぐらい長い間その義弟と会っていなかったとでも言うのか!?それでそいつは会っていない間に性転換をしていてもおかしくないような変人なのか!?そんな変人に似ているなんて何の冗談だ!!」
 これを全て息継ぎしないで叫んだ後には、すっかり息が切れていた。
「とにかく、俺は生まれたときから女以外の性別だったことはない!人違いだ!」
 ルルーシュが言い切ると、青年は思案げに眉根を寄せる。ルルーシュが嘘を言っているわけではないのだと、ようやく分かってくれたのだろう。そう思って気を抜いたのが悪かった。
「……たとえそうだったとしても、不審者を見逃すわけには行かないのでね。少し、眠っていてもらおうか」
「な」
 不穏なつぶやきに身構えるよりも早く、首の後ろに衝撃が走る。手刀を叩き込まれたのだと悟ったが、だからと言って何ができるわけでもなく、ルルーシュの意識は闇に呑まれた。



◇ ◇ ◇



 次に目を覚ますと、無駄に豪奢な部屋の中にいた。とは言っても、目を覆いたくなるほどの派手さや煌びやかさはなく、重厚で落ち着いた印象の豪奢さだ。シャンデリアも壁紙も、置物も壁にかけられた絵画も、ソファーもテーブルも、大きな寝台もランプも、棚も長椅子も、趣味が悪いものは一つもない。しかもそのどれもが、今では滅多にお目にかかれないようなアンティーク物だ。
 寝台の上に寝かせられていたルルーシュは、白いシーツに手をついて起き上がりながら、
「……嫌味なぐらい趣味がいいな……どれだけ金がかかっているんだか……」
 と、内装を担当した人間が泣きそうな感想を漏らしてため息を吐いた。
 ルルーシュは別に、豪華な部屋を見るといつもこんな皮肉を言うようなひん曲がった人間というわけではない。ただ、気を失う前の状況から考えてみるに、この部屋は自分を気絶させたあの男が用意したものなのだと思うと、無性に腹が立ってくるからそのせいなのである。悪いのはあの男であって、ルルーシュではない。人を自分の義弟と間違えた上に、全く女には見えないと侮辱され、手刀で無理やり意識を奪われたのだ。暴れ回って部屋を破壊するようなことをせず、皮肉だけで済ませているのだから、感謝して欲しいぐらいだ。
「嫌味なぐらい、とはひどいね」
「お前……」
 穏やかな声が聞こえてきた方向に視線をやると、続きになっている部屋の扉をくぐってあの青年がやって来る。
 ルルーシュは、思い切り顔をしかめて嫌だという感情を表現した。相手は年上だが、相応の敬意を払おうという気持ちは既に霧散していた。しかし青年は、そんなことなど意にも介さず、穏やかな笑顔を浮かべている。それなのに、よく見てみると目は笑っていないので、気持ち悪くて直視できなかった。
「眠っている間に調べさせてもらったよ」
「……調べた?」
「ああ。何と言っても、君は突然あそこに現れた立派な不審者だ。身体検査は必要不可欠だったからね。そのついでにだが、DNA検査もさせてもらったよ。残念なことに、君が私の義弟ではないという話は本当らしいね」
 勝手にそんなことをされたのは不愉快極まりないが、それで疑いが晴れたのなら安いものだろうと、無理に自分を納得させる。
「だから、最初からそうだと言っているだろう」
「ああ、すまなかったね」
 青年は心底すまなさそうに謝ってくるが、やはり目の色が表情と違っていて気持ち悪い。ルルーシュは顔をしかめて、青年から目を逸らした。ルルーシュだって嘘を吐くことぐらいあるが、こんなふうに、息をするのと同じぐらい自然に嘘を吐く人間なんて初めて見た。それぐらい、青年の態度は不自然さがなかった。それなのに、どうして彼の態度と本心が別であることに気付いたのか、ルルーシュ本人にも分からない。否、気付いたというよりも、最初から知っていたような気がする。もちろん、そんなわけはないが。
「勘違いだと分かったのなら、もう俺がここにいる必要はないな?」
「それには同意できないね」
「……どうしてだ?」
「君が不審者だからだよ」
「どうして俺が不審者になるんだ?」
 地震に巻き込まれ、あわや命の危機かという状況にいたはずなのに、気付いたらあの場所にいただけなのに不審者扱いをされてはたまらない。むしろルルーシュにしてみれば、不審者はこの男の方だ。違うと言っているのにルルーシュを自分の義弟だと勘違いをしたり、勝手に気絶させた上に勝手に場所を移動させたり、無断で身体検査どころかDNA情報まで採取されたりと、訴えたら勝てるかもしれない。いや、きっと勝てるに違いない。
「これ」
 青年はそう言って、見覚えある財布を提示する。スラックスのポケットに入れておいたはずの、ルルーシュの財布だ。一応確認のためポケットに手をやるが、やはり無い。
「検査に回されたんだけど、どうにもおかしいということで、私のところまで報告が来てね」
「……返してくれませんか?」
「いいよ」
 あっさり返された。簡単には返してもらえないと思っていたので、わざわざ口調を敬語に戻して下手に出てみたりしたのに、何だか意外だ。こんな部屋を用意できるぐらいだから、中身が減っているということはないだろうが、念のため札とカードを確認していると、男が尋ねてくる。
「そこに入っている身分証、本物かい?」
「……仮に偽物だったとして、身分を詐称しようとしていたのならわざわざ偽物だと答えるような人間はいないと思うが」
 相手をするのが面倒で、ルルーシュは財布の中身を確認するのをやめもせず言った。
「うん、本物みたいだね……ところで、今は何年だと思う?」
「西暦2746年だろう?何を当たり前のことを」
「違うよ」
「は?じゃあいつだって言うんだ」
「2017年。今は皇暦2017年だ」
 ルルーシュは思わず、財布を確認するのを止めて顔を上げた。からかわれているだけなのだと思いたかったが、男は真剣な顔をしていた。冗談を言うような顔ではない。こいつは息をするように嘘を吐く男なのだから、と逃げ道を探そうとしても、瞳の色まで真剣だということに気付くと、混乱のあまり頭がガンガンとしてきた。
「な、何を馬鹿なことを。ブリタニアが滅びたのと同時に、皇暦という年号は使われなくなったはずだ。大体、皇暦2017年?いったい何百年前のことだと思って……」
「私も最初は何の冗談かと思ったよ。でも君は、その身分証を本物だと言うしね」
 青年はそう言って、ルルーシュの手の中ある財布を一瞥する。身分証――学生証には高校に入学した日付が記されているし、保険証には誕生日も記されている。
「それに君の現れ方は、信じられないぐらい不思議なものだったからね。未来から来たと言われても、そんな馬鹿なと切り捨てられなかったのだよ」
「未来、から……?馬鹿な……」
 そんなことがあるはずがない。男の言うことが信じられず、しかし嘘と言い切ることもできず、ルルーシュは混乱する。そのときふと、自分の腕時計が衛星時計だったことを思い出した。どこにいても、自動的に時間や場所等諸々の情報を教えてくれる優れものだ。男の言葉を嘘だと思いたくて、すがるように時計を見るが、そこに救いはなかった。衛星時計のデジタル画面は、約七百五十年前の年を示していたのだ。
 あまりのことに、ルルーシュはめまいを感じた。頭から血の気が一気に引いていくのが分かる。
「嘘だ、こんな………何なんだ、これは……?」
 もしかしたら夢なのかもしれない。そう思って頬をつねるが、普通に痛かった。
(訳が分からない……時計の故障か?それとも、この男が何か細工を?いや、もしかしたら……)
「さて、状況を理解したところで、君の名前は?」
「……身分証を見たのなら知っているだろう」
「私は君の口から聞きたいのだよ」
 混乱する思考の中、ルルーシュは考えた。どうやら自分は、訳の分からない状況に置かれているらしい。ついでに目の前にいるこの男は、ルルーシュを不審者扱いして、逃がしてくれるつもりはないようだ。そうなってくると、この男に逆らうのはあまり賢い対応だとは言いがたい。そんなわけで、大人しく名乗ることにした。
「ルルーシュ……ルルーシュ・ランペルージ」
「私はシュナイゼル。シュナイゼル・エル・ブリタニアだ」
 名乗り返された名前を聞いて、ルルーシュは思わず目を見開いた。その名前は、何百年も前に滅びたブリタニア帝国第九十九代皇帝と同じものだった。


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