亡き皇子のためのパヴァーヌ 03

 落ちる、と。ただそれだけの思いに心を支配される。あまりに突然のことすぎて、恐怖する思考が現実に追いつかない。そんな状態でも、嫌になるほど回る頭は、このまま落ちたときの結果を弾き出す。このまま落ちて瓦礫に埋もれてしまえば、体力がなくてひ弱なルルーシュが生き残る可能性なんてほとんどないのだと。
「ルルーシュ!」
 呼ばれた名前が自分のものであることに気付いて、声の方向に視線を向けると、限界まで手を伸ばしたスザクが必死の表情でいるのが見えた。いつだって自分勝手でわがままでやりたい放題なスザクが、今にも泣きだしてしまいそうな顔をしている。そんな顔をさせているのが自分なのだと理解した瞬間、死にたくないという気持ちが猛烈に湧き上がってきた。
 一番寂しくて悲しかったときにずっと側にいてくれた、誰よりも大切な幼馴染。彼はルルーシュが死んだら、一人になってしまう。ルルーシュと違って、彼には家族がいる。それに、ルルーシュ以外の友達だっているし、恋人もいる。けれど、彼が真実心を許しているのは自分だけなのだということをルルーシュは知っていた。ルルーシュが心を許しているのが、彼だけであるように。
(駄目だ……)
 死ねない。スザク一人を残して死ねない。家族を喪ったときのルルーシュと同じ悲しみを、スザクに味合わせるなんて、そんなことさせたくない。けれど、そう思っても重力には逆らえない。
(こんなことで、俺は……!……スザク!!)
 死にたくない、死ぬわけにはいかない。強くそう思ったとき、ふと視界がガラリと切り替わる。一緒に落ちていたはずの瓦礫は瞬時に消え失せて、周囲は果てさえ分からない紺碧の闇に包まれる。薄い青色の、雷のようにそこらじゅうをほとばしる光がルルーシュの身体を、紺碧の闇のさらに奥へと引きずり込む。
(何だ、これは……!?)
 そう思っているうちに、何か扉のようなイメージのものの奥へと引きずりこまれる。直後、目の前にあふれたのは色とりどりの光だった。同時に、誰かの声が聞こえてくる。鼓膜を震わせる肉声ではなく、脳へと直接響いてくる奇妙な声だった。しかしその声はほとんどノイズのように耳障りな雑音となっていて、何を言っているのかほとんど聞き取ることができない。
 不意に、光が消えて妙な光景が目の前に広がった。二つの球体、光を発するひし形の物体、飛び散る無数の羽、何かが描かれた岩肌、古代の巫女のような格好をした数多の少女たち、そして宇宙と惑星。そしてそれが終わると、再び色とりどりの光に視界を覆われる。
 あるとき、再び光が途切れる。今度は、二人の子どもが血にまみれて倒れ伏している光景が見えた。黒髪の子どもが、自分よりも一回り小さな茶色い髪の女の子を守るように抱きしめている。黒い髪の子どもは傷だらけだった。出血は信じられないぐらい多く、打撲もひどい。素人目にも助からないだろうことは明白だ。茶色い髪の女の子は見たところ無傷だが、大きく見開いた瞳から大粒の涙をいくつもあふれさせながら、カタカタと震えている。見ているだけで涙が出てきそうに悲痛な光景だった。
 そこへ、若草色の髪をした少女が必死の形相で駆け寄って来る。何事かを叫びながら、彼女は子どもを揺り動かす。その拍子に、黒髪の子どもの顔がこちらを向いた。まぶたの裏に隠された瞳が、ゆっくりと露になる
(なっ……!?)
 ルルーシュは信じられないで息を呑んだ。
(……俺……?)
 肌の色が血の気を失っていても、髪の毛がぼさぼさになっていても、見間違えるわけがない。黒髪の子どもは、幼いころの自分とそっくりの姿をしていた。ルルーシュ本人から見ても、自分ではないのかと勘違いしてしまいそうになるほど似ている。
 あまりの相似に驚いたルルーシュが硬直していると、視線の先で黒髪の子どもは少女と視線を交わしていた。何事かを叫んだ少女に答えるように、子どもは小さく唇を動かす。
 その瞬間、不意にその光景はぷつりと途切れて、視界を占めるのは色とりどりの光。けれど今度は光の向こうに、何かの姿が見える。目を凝らして見てみると、それはあの黒髪の子どもだった。かすむ視界の中で。子どもの唇が動くのが見て取れる。

 ――……ーを……け………。

 子どもは、必死になってこちらに何かを伝えようとしている。その必死さにほだされて、ルルーシュは何とか子どもの言っていることを聞き取ろうとした。しかし、聞こえてくる声は、何かに邪魔をされているようにノイズがかかっていて、上手く聞き取ることが難しい。
「おい、何が言いたいんだ!?」

 ――……がい……ぼ……もう、む……から……か……を……って………。

「聞いて欲しいなら、もっと大きな声で話せ!」
 そう叫ぶと、ルルーシュに子どもの声が聞こえないのとは違って、子どもにはルルーシュの声が聞き取れたのか、子どもは叫ぶように大きく口を開いた。けれどやはり聞こえてくる声は、砂混じりのようにザラザラだ。
 まどろっこしくなって、子どものいるところへ近づこうとする。ずっと遠くにいるようにも、すぐ隣にいるようにも感じられた子どもは、歩いて数歩のところにいた。ルルーシュが側に行くと、子どもはとてもうれしそうに笑う。何故か、自分が取り返しのつかないことをしてしまったような、そんな気がした。
 ルルーシュはふと、奇妙なことに気付いた。子どもの左の瞳には、あの鳥に似たマークが赤々と浮かび上がっていたのだ。不気味に思って、とっさに後ろに下がろうとするが、できない。まるで背後に透明な壁があるようだ。
 子どもは至極うれしそうに笑いながら、左の目に右手をやって、何のためらいもなく眼球を抉り出す。不思議なことに、眼球はするりと外れた。空になった眼窩からは、血も出ていない。神経や肉が顔をのぞかせることもなく、ただぽっかりと黒い空洞があるだけだ。しかしだからと言って、薄気味悪さが軽減するわけでもない。
 顔をしかめているルルーシュに向かって、子どもは眼球を持つ手を差し出した。

 ――あげる。

 今度の声は、はっきりと脳に響いた。
「いるかっ、そんなもの!」
 拒絶の言葉など聞こえないように、子どもはぐいぐいと眼球を押し付けようとしてくる。それを振り払おうとしたとき、偶然、指先がむき出しの眼球に触れた。とたん、何かが頭の中に入ってくるような感覚に襲われて、ルルーシュはその場にしゃがみこんだ。
「う……ああ……!」
 意識が遠ざかっていく。目の前にいる子どもの姿が消えて、周囲にあふれていた光も消える。いつの間にかあたりは、一番最初の紺碧の闇に変わっていた。薄い青色をした、雷のような光が身体にまとわりつく。その光はさらうように、ルルーシュの身体を闇のさらに奥へと引きずり込んでいった。



◇ ◇ ◇



 暗いはずのその洞窟は、明るい光に照らされていた。いくつもの照明器具が中に持ち込まれているからだ。
 洞窟の中には、何かの遺跡らしきものが存在した。巨大な柱、洞窟の途中から岩壁を覆う滑らかな壁、そして階段で区切られて他より高い位置にある奥のところには何やら祭壇のようなものがある。中央にどんとたたずんでいるのは、何かの金属でできているように見える四角錐。それは人の子どもほどの大きさもあろうほどのものだった。洞窟の入り口に向けた面には、鳥が空を飛んでいるような形のインタリヨが刻まれており、さらにその記号を避けるようにして不思議な形をした文字がつらつらと並んでいる。そして、その四角錐の背後の壁には、やはり鳥が空を飛んでいるようなマークと、それを中心にしてひどくシンプルな陰刻があった。
 ところどころ、色をぬった部分が薄くはがれていたり苔が生えていたりするが、かなり保存状態のいい遺跡だ。
 一人の青年が、大きな四角錐から少し離れたところに立っていた。淡い金色の髪、優しげで柔和なのに女々しさなど微塵も感じさせない端正な顔立ちの青年だ。背が高いため平均男性より少し細身に見えるが、身にまとった正装らしき衣服を堂々と着こなしている様から、実際はそんなことはないのだとすぐに分かる。不必要に痩せていれば、立派な服装は似合わないものなのだ。
 彼の後ろには、追従するように壮年の男性が立っていた。そしてさらに背後には、彼らを――否、金色の髪をした青年を守るようにして、武装した何人もの兵士たちが周囲に向かって銃を構えている。
 非常に仰々しい体制だが、守られている青年はこんなことには慣れっこなのか、全く気にする様子を見せない。ゆったりとした態度で四角錐を見て、そこから目線を上げて壁に刻まれた陰刻を見つめた。
「……やはり、興味深いね。侵略各地で、これに似た遺跡がいくつも見つけられている。父君は、いったい何を考えておられるのかな」
「は?シュナイゼル殿下、何かおっしゃいましたか?」
「いや、何もないよ」
 小さくつぶやいた言葉を聞きとがめて、問いかけてくる背後の壮年に否定を返して、シュナイゼル殿下と呼ばれた青年は穏やかに笑う。シュナイゼル・エル・ブリタニア。それが、彼を表す名称だ。現在世界でもっとも権勢を振るっている超大国ブリタニア帝国の第二皇子であり、白きカリスマと呼ばれて軍部に数多の支持者を有し、次代皇帝に最も近い男と言われている。そんな身の上であるからして、こんなにも大仰に守られることに対して慣れているように見えるのも、ごくごく当然のことだった。
 周りを、銃を持った男たちに固められているとはとても思えないほど穏やかな顔で笑っているシュナイゼルだが、その顔が一変して驚愕に彩られる。四角錐と壁に刻まれている鳥の形に似た二つの陰刻が、突然ぱあっと赤い光を放ち始めたからだ。
「何……!?」
 驚きに目を見開いたシュナイゼルは、すぐに瞳を厳しいものへと変える。いったいこの場で何が起こっているのか、少しも見逃さない構えだ。
「お、お下がりください、殿下!」
 背後にいた壮年の男は、シュナイゼルの落ち着いた態度とは違って、おろおろとした様子で主を下がらせようとする。しかしシュナイゼルは、目を細めたまま動こうとしなかった。男が何とかして主を下がらせようと、情けない顔でシュナイゼルの腕に触れたそのとき、

 二つの記号が放つ光が、爆発するように弾けた。

 一帯を、目を射るほど眩い光が覆う。
「っ……!」
 さすがにそれを真っ向から見つめ続けることはできないので、シュナイゼルは目をかばうために手を上げて、ほとんど閉じてしまいそうなぐらい目を細める。不自由な視界の中、それでも必死に目を凝らしていると、そのうちほんの少し目が慣れてきた。そしてシュナイゼルは、光の中心部に奇妙なものを見つける。
「……何だ、あれは……?」
 シュナイゼルは眉根を寄せた。
 ゆっくりと、目を焼くほど強烈な光が弱まっていく。それと同時に、その奇妙なものの形もはっきりと見えてくる。それは人の形をしていた。赤く光る四角錐の上で、その人間らしき物体は重力に反して、赤い光の中ふわふわと宙に浮かんでいる。突然出現した上に宙に浮くなど、とても人間業とは思わないが、少なくとも外見は人間にしか見えない形をしていた。格好から考えて、どうやら少年のようだ。
 赤い光はさらに弱まっていく。それにつれて、光の中にいる少年を浮かび上がらせている力も弱くなり、ゆっくりと地面との距離が短くなっていく。少年と地面の距離がゼロになろうとしたとき、彼の顔を隠していた髪がふわりと舞い上がり、露になった容貌が視界に飛び込んでくる。同時に、閉じられていた瞳がそっと開いて、夢見るようにぼんやりとシュナイゼルを見た後、またすぐに閉じられた。
「なっ……まさか……」
 シュナイゼルは信じられない思いで目を見開いた。
 少年の顔は、八年前に死んだはずの異母弟ルルーシュが育てばこうなるに違いないと誰もが言うだろうほど、件の異母弟にそっくりだったのだ。黒檀のように黒い髪も、兄弟たちの中で誰よりも深い色をした紫の双眸も、透けるように白い肌の色も、飛びぬけて整った顔立ちも、全部同じで違う部分など一つもない。
 驚きのあまり、シュナイゼルが息を呑んで立ち尽くしている間に、赤い光は完全に消滅する。そのときにはもう重力に反した力もすっかり消えていて、死んだはずの異母弟そっくりの少年は、四角錐の前の床に横たわっていた。
 突然出没したいかにも怪しげな不審者のところへ、兵士たちの一部が銃を構えて走り寄って行く。そのすばやい行動は、普段なら奨励すべきものであったが、今は違った。
「やめろ!」
 シュナイゼルは声を張り上げて、兵士たちの動きを制限する。
「しかし……」
「私がやめろと言っているんだ、聞けないのか!」
 常ならぬ厳しさで、シュナイゼルは命令する。どんなときにも穏やかな態度を崩さない第二皇子の異変に、兵士たちは困惑した顔をしながらも、大人しく足を止めてその場で立ち尽くす。ブリタニアにおいて、皇族の命令は絶対なのだ。
 困惑する周囲を無視して、シュナイゼルはゆっくりと歩を進め、四角錐のオブジェの前に横たわる少年に近づいていく。祭壇らしき場所へと続く階段を上りながら考えるのは、死んだはずの異母弟のことだった。
 ルルーシュ、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。幼いながらに、ひどく聡明な子だった。庶出の皇妃が生んだ皇子であったために周囲からは軽んじられていたけれど、何事もなく成長すれば、己の才覚だけで上り詰めることができただろう。それぐらい賢い子どもだった。けれど、同時にひどく愚かでもあった。情を捨てられなかったために、あの子は愚かしくも自らを死地に追いやって、日本――今はエリア11と呼ばれる土地で、あの子が誰よりもかわいがっていた妹と共に命を落とした。
 兄弟の中でたった一人、笑顔の裏に隠しているシュナイゼルの本性に気付いた子ども。年端もいかぬ子どもに気付かれたことに興味を引かれて、気の向いたときにちょっかいをかけることにした。そのときの、怯えて警戒しているくせに何でもないような顔で接してくる態度が面白かったから、時間さえあればかまうようになった。シュナイゼルには笑わないくせに、他の人間には無邪気に笑いかけるのが気に食わなくて、子どもみたいな意地悪をしたことが何度もあった。
 その行動がどんな感情からもたらされたのか知ったのは、ルルーシュが死んだと聞いたときだった。喪って初めて、シュナイゼルは異母弟への気持ちに気付いた。最初は興味に過ぎなかった。それは間違いない。けれどいつの間にか、愛していた。相手は小さな子どもだとか、同じ性別だとか、半分血が繋がっているとか、そんなことはどうでもよかった。
 けれど気付いたときにはもう遅くて、ルルーシュは、どうやっても手の届かないところへ行ってしまった後だった。
 シュナイゼルはしゃがみこんで、横たわる少年の髪に触れ、顔を隠しているそれをそっと払いのけた。現れた顔はやはり、異母弟そっくりだった。顔だけではない。絹糸のように滑らかな黒髪の手触りも、白い肌の感触も、あの子のものと何も変わらない。
「……ルルーシュ……」
 ぽつりとつぶやくと、それが耳に届いたのか、少年は意識を取り戻してうっすらと目を開ける。
 その瞬間シュナイゼルは、この少年が異母弟なのだと確信した。顔立ちが、色彩がそっくりなだけの人間なら、探せばいるかもしれない。けれど、どうやっても目だけはごまかせない。
「ルルーシュ」
 喪ったと思っていた。けれど、生きていた。シュナイゼルは珍しく、心からの笑みを浮かべて異母弟の名前を呼んだ。
 しかし、意識を取り戻した少年はそれを見て、いぶかしげに眉根を寄せると、警戒心がたっぷり詰まった声で言った。
「……誰だ、お前?」


|| BACK || NEXT ||