亡き皇子のためのパヴァーヌ 02

 昼を食べた後、今度は手を離して並んで歩きながら、ルルーシュとスザクはまたもめていた。
「何でお前が勝手に払うんだよ、自分の分ぐらい自分で払う!」
「うるさいな。おごってやるって言ってるんだから、素直におごられればいいだろ」
「お前におごられる理由がない」
「あるよ。女連れで店に入って、財布を出させるなんてできるかよ」
「今の格好じゃ、男二人にしか見えないだろ」
 面倒そうな顔のスザクに、ルルーシュはぶすっとした顔で返す。おごられるのは、対等じゃないみたいで嫌なのだ。素直に甘えておけばいいと思う心がないわけでもないのだが、プライドがそれを許さない。
 それはおそらく、ルルーシュの家庭の事情のためなのだろう。
 ルルーシュには家族がいない。子どもの頃、両親を事故で亡くしたルルーシュは、母方の遠い親戚に引き取られた。けれどそれはあくまで義務からの行動に過ぎず、彼らはルルーシュを愛してはくれなかった。スザクは、その親戚の家の隣に住んでいた。最初は互いに気に入らないと思っていたのだが、家族を喪って悲しんでいたルルーシュを、スザクは不器用ながらも慰めてくれた。二人はそれをきっかけに仲良くなった。傍目には喧嘩ばかりしているように見えるが、二人は一番の親友だった。
 そして、親友だからこそスザクは、あまり人には知られたくないルルーシュの事情も熟知している。
 今のルルーシュは、チェスのプロになって賞金を荒稼ぎしているため、金に困っているようなことはない。困るどころか、稼いだ賞金でマンションを買って一人暮らしをしているぐらいだ。普通の高校生なんかよりずっと金持ちだが、数年前までは全くそんなことはなかった。チェスで稼ぐようになるまでは、必要最低限の金しか与えられていなかったため、身の回りのものも満足に買えないような状態だったのだ。
 そのときのルルーシュを知らない相手になら、おごられることにも抵抗がないかもしれないが、スザクは知っている。知っているから、受け入れられない。同情されているみたいに思えて、嫌なのだ。スザクは暴君な性格に似合わない家柄の出――いやある意味ぴったりかもしれないが、つまりは良いところのお坊ちゃんなので、女連れなら自分が財布を出すのは当然だと思っている節がある。だから別に、ルルーシュ相手におごるのも同情なんかじゃないと分かっている。分かっていて受け入れられないのは多分、意地だ。スザクとは、男とか女とかそんなことに関係なく、対等でいたいという意地。
 だからルルーシュは、いい加減うんざりした顔になってきたスザクに向けて、びしっと人差し指を向けて宣言した。
「じゃあ、食事はお前におごられてやるとして、次だ!確かお前、今日は映画を見たいからとか言って俺を誘ったんだよな?映画の代金は俺が払うからな!」
 ルルーシュの意地を知っているのか、それともこのやりとりはいつものことだから抗っても無駄だと悟っているのか、スザクは反論しなかった。代わりに肩をすくめて言う。
「ならポップコーンと飲み物代は俺が持つ」
「なっ……ならパンフレット代は俺だ!」
「じゃあ、美術館の入場料は俺な」
 映画の次は、ルルーシュの希望で美術館に行く予定だ。
 そんなふうに別れるまでの予定の中で、どこでどちらがお金を払うのかということについて、二人はしばし論争した。年頃の男女が二人出かけている姿としては、全く相応しくないことこの上ないが、これが二人にとっては日常なのだ。



 そうしているうちに、いつの間にか映画館に着いていた。張ってある映画の宣伝ポスターをチェックしながら、ルルーシュは宣言した。
「言っておくが恋愛物は却下だぞ」
「あれはあれで面白いじゃないか」
「……俺には面白くない」
 ルルーシュは、あまり恋愛物の映画は好かない。どうにも気恥ずかしくて、画面を見ていられないのだ。
 一方、スザクの方はルルーシュと違って、恋愛映画をそれなりに好んでいる。ただ、楽しみ方が一般人とは大いに異なっている。画面の中で俳優と女優がいちゃついているのを見て、大笑いするのだ。ルルーシュには理解できないのだが、現実にはありえないぐらいいちゃいちゃしているのが面白いらしい。間違いなく悪趣味な楽しみ方に分類されるだろう。
「それで、どれを見るんだ?アクション映画か?」
「お前、ホント顔に似合わずそういうの好きだよな」
「……顔は関係ないだろう」
 ぶすりとした顔でルルーシュは言い返す。
 スザクの言う通り、ルルーシュは昔から、アクション映画やそれに類するテレビ番組が好きだった。毎週日曜日の朝にやっているような戦隊物の番組なんかは、小さいころから欠かさず見ていたという何とも微妙な経歴を持っている。女の子らしくないと昔からよく言われたが、好きなものは好きなのだから仕方がない。
 ルルーシュの外見は、どうもそういったものとは不似合いに見られるようで、彼女はそのことを実に不満に思っていた。体力がないのも少々運動音痴なのも華奢なのも繊細な顔立ちをしていることも、全部ルルーシュのせいではなくて生来のものでしかないのに、そんなもので勝手にイメージを決められても困る。
「残念だけど、今日見るのはアクションじゃなくて、あれ」
 不機嫌顔のルルーシュを見て、スザクが楽しそうに笑いながらポスターのうち一つを指差す。誰かが扉の隙間からこちらを覗き見ているという、何ともおどろおどろしげな雰囲気のポスターだ。色調やあおり文句、眼球の血走り具合のせいで、はっきり言ってかなり怖い。構図としてはありきたりで奇をてらったものでも何でもないのだが、それゆえに恐怖のステレオタイプにぴたりと当てはまっている。
 ルルーシュは顔を引きつらせた。
「……お前、あんなものが見たいのか?」
 ルルーシュは誰かに弱味を見せることを極端に嫌っているから、こんなことを他人に告白したことはないが、実のところホラー物は大の苦手だった。それこそ、恋愛物なんかよりもずっと。怖いもの自体がダメと言うよりも、突然上がる甲高い悲鳴や、突然大画面に映し出される衝撃映像というものがダメなのだ。ルルーシュは突発的事態に弱かった。
「見たいからお前を誘ったんだろ」
「ホラー映画は、彼女が怖がってしがみついてくるのが楽しいって前に言ってたのは誰だよ。俺じゃなくて彼女と見ればいいだろう」
「何それ、嫉妬か?」
「どうして俺が嫉妬なんかする必要がある」
 にやにやと楽しそうな目を向けてくるスザクに、ルルーシュは呆れ返った視線を返す。当然のことを言ったつもりなのに、スザクは何だか面白くなさそうな顔になった。しかし、すぐにからかうような意地の悪い色を顔に浮かべる。
「分かった。怖いんだろ?」
「ふざけたことを言うな!いいだろう、あれを見るぞ、スザク!」
 売り言葉に買い言葉で、つい言ってしまった後にはもう遅い。
「じゃ、チケット買いに行くか」
 スザクはとてもいい笑顔を浮かべていた。



◇ ◇ ◇



 映画の後、ルルーシュはやたらぐったりとしていた。
「おい、大丈夫かよ?」
「……何がだ」
「何がって……そんなに苦手なら、先に言えば良かっただろ」
「別に、苦手なんかじゃない」
 悲鳴と衝撃映像の連続に驚きすぎて、ちょっとばかり体力と気力を消費しすぎてしまっただけだ。人はそれを苦手と言うのだが、生来の意地っ張りであるルルーシュがそんなこと素直に認めるはずがない。幼馴染であるスザクはそれを分かっているのか、それ以上追求してこようとはしなかった。ただ、映画館に着くまでよりずっとスザクの歩く速度が落ちていたから、多分意地を張っているのはバレバレなのだろう。
「そんなことより、映画に付き合ったんだから、次は俺の番だ」
「分かってる。美術館に行きたいんだろ」
 その美術館は、映画館からは歩いて十分もしない場所に建っているので、そろそろ建物の姿が見えてくるところだった。
「特別展示のやつが見たいんだっけ?今って何をやっているんだ?」
「あれ」
 ルルーシュは手を上げて、道端に並んでいるのぼりを指差した。
「……ブリタニア展?」
「そうだ。ちょうど一週間前からやっているらしくてな」
 ブリタニアとは何百年も昔、世界の三分の一もの地域を侵略し征服した軍事国家だ。当時としては珍しく、皇帝を頂点とした厳格な階級制度を保っていた国家で、特に有名なのが第九十八代皇帝。ちょうど彼が帝位にあったとき、ブリタニアは世界侵略を開始した。人間は平等ではないという超有名なスローガンを残したのも彼だ。しかしそれ以上に学生たちの間では、ひどく個性的な髪型が人気者の皇帝である。くるくるロールパンヘアーのおっさんは、落書きのいい的だ。あと、女生徒たちの間では、九十九代皇帝の人気も高い。しかし、九十九代皇帝の人気は髪型の奇妙さによるものではなく、容姿の端麗さによるものなので、落書きの的にされることはほとんどない。その分、男子生徒たちからはやっかみでひどい落書きをされることも多いが。
「何が展示されてるんだ?」
「皇室関係の資料とか、美術品が主らしい。あと、ナイトメアフレームも展示される」
「ああ……」
 ナイトメアフレームのところで、ルルーシュの瞳がとたんにキラキラと輝き始める。それを見ていたスザクは納得したように頷いた。美術品に興味があるわけでも、美術館めぐりが趣味だというわけでもないルルーシュが、どうしてわざわざ美術館になんか行きたがったのかということを理解したのだ。
 アクション映画が好きで、日曜朝の戦隊物が好きだったルルーシュは、その嗜好傾向に漏れずナイトメアにも興味津々だ。しかし、ナイトメアはそのあまりに強大な力のために、何百年も前に生産も行使も国際条約で禁止されてしまって、現存している数はかなり少ない。そのため、ほとんどお目にかかることはできないのだ。
 そのナイトメアが展示されると聞いて、ルルーシュが興味を示さないわけがない。



 それから数分後、二人は美術館の中にいた。
 通常公開の物には目もくれず、ルルーシュはスザクを引き連れて、美術品に囲まれた部屋の中を突き進む。やがて特別展が開かれている一角へたどりつくが、皇室関係の資料や絵画、王冠や宝飾品、諸々の美術品のコーナーなどには目もやらず、ナイトメアフレームの展示コーナーへと直進する。かなり大きいし重量のあるものだから一階に展示すればいいと素人のルルーシュは思うのだが、何故かナイトメアのコーナーは二階にあった。やはりこの特別展の目玉なのか、その周りだけ人ごみに囲まれている。
 ルルーシュも、その人ごみの中に加わろうとして早足に歩いていると、突然耳に誰かの声が届いた。

 ――見つけた、私の……。

「え……?」
 ルルーシュは思わず立ち止まって周囲を見渡した。不思議な響きの――まるで脳に直接響いてくるような声だった。しかし見渡す限り、それらしき人の姿は影も形もない。首をかしげながら、なおも周囲を見渡していると、不思議そうな顔をしたスザクが問いかけてくる。
「どうかしたのか?」
「いや……声が、聞こえた気がしたんだが……」
「声?」
 スザクはいっそう不思議そうな顔になった。
 それを見て、ルルーシュも不思議に思う。スザクは耳がいい。ルルーシュなんかよりもずっとだ。だから普通に考えて、ルルーシュに聞こえた声が、すぐ側にいたスザクに聞こえないなんてことはありえない。それと同じことをスザクも思ったのか、彼は怪訝な顔になった。
「幻聴でも聞いたのか?病院、行くか?」
「おまっ……本当に失礼な奴だな!」
 人差し指で自分の頭を軽く叩きながら聞いてくるスザクに、ルルーシュは憤慨した。空耳か何かかもしれないという可能性は自分でも考えたが、いくら何でもこの言いようにはイラッと来る。ルルーシュが短気なわけじゃない。スザクが悪いのだ。
「お前こそ、その性格を矯正してくれる医者にでもかかったらどうなんだ!」
 そう言い捨てて、スザクから視線を逸らすため思い切り横を向くと、ガラスケースの中にある展示品がふと目に入る。何か神殿のような建物の模型と、その隣に割と大きめの石版だ。石版には、鳥の羽ばたく姿に似たシンプルなマークが刻み込まれている。たったそれだけの記号が何故か気になって、自分でも気付かないうちにルルーシュはそれを凝視していた。スザクが何か言い返してきているのも耳に入らない。すると突然、その記号が赤い光を発し始めた。同時に地面が揺れて、石版のある位置を中心にガラガラと床が崩れ始める。
「なっ……何だ!?」
 さすがに正気に戻ったルルーシュだが、突発的事態に弱いせいでとっさに逃げることもできず、ただその場に立ち尽くすしかできない。
「馬鹿、こっちへ来い!」
 スザクの切羽詰った声が鼓膜を震わせる。それとほとんど時を同じくして、ルルーシュの足元がガラリと崩れた。落下するとき特有の、腹の底が冷えるような感覚に襲われる。
「ルルーシュ!」
 落ちていくルルーシュをつかもうとしてか、スザクがこちらに手を伸ばしている姿が目に入った。ルルーシュも反射的に手を伸ばす。しかし二人の手が触れ合うことはなく、ルルーシュは重力に従って、ただひたすらに落ちていった。


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