どこまでも残酷なきみに

 ギアス饗団からルルーシュに、ジェレミア・ゴッドバルドが刺客として送られてきた。
 一度対峙したが、彼にロロのギアスは通じなかった。それはつまり、純粋な体術だけで勝負しなければならないということだ。ロロは暗殺術としてナイフを仕込まれているが、自分よりも体格の優れた軍人相手にかなうほどの技術も力もない。ロロを一流の暗殺者足らしめたのは、あくまで暗殺に向いたギアスの存在だったのだ。
 それでもせめて、相手が平の兵士であれば話は別だったかもしれない。暗殺向きのギアスを持っていたロロは、幼いころから厳しい訓練を受けてきた。並大抵の相手ならば、ギアス無しに倒すこともできる。しかしジェレミアはその範疇に当てはまらない。彼は今でこそオレンジと言う蔑称で呼ばれているが、元はKMF操縦者としても剣の使い手としても名を馳せた優秀な軍人だ。ギアス無しにかなう相手ではない。
 それが分かっていたから、早く姉と合流しなければならないと思っていた。一人では適わない相手でも、ルルーシュと一緒ならどうにかすることができる。ルルーシュの戦略と自分の力があれば、これだけの不利があっても何とかできる。それを信じていたからだ。それは悪魔じみた頭脳への信頼もあったが、それ以上に姉という存在への依存と妄信が大きかった。
「先に行きます!」
 小型艇が、ルルーシュのいる建物の屋上の上へと差し掛かる。
 ロロは咲世子に言い捨てて席を立ち、手動で出口を開けた。屋上まではまだ三メートル以上高さがあったが、かまわず飛び降りる。これぐらいの高さなら、どうということはない。けれど鈍臭いルルーシュなら、きっと足をくじいてしまうのだろうなと思うと、自然と笑みが漏れてくる。自分の笑い声で我に返ったロロは、そんな場合じゃないと気を引き締めて走り出した。
 本来ならば咲世子もついてくるのだが、現在負傷中の彼女にあまり無茶を強いることはできない。一応の戦力として連れて来たが、正直あの状態でどれだけ役に立つかは不明だ。出来るだけ早くルルーシュと合流して、念入りに戦略を練らないと、と考えながら階段を駆け下りていく。
 階段を下りて、その階にルルーシュがいないことを確かめて、また階段を下りて同じことを繰り返す。何階分かの階段を駆け下りたあるとき、シャーリーと鉢合わせた。
「ロロ!」
「……シャーリーさん……」
 意外な人物の姿に、ロロはわずかに瞠目する。しかし驚きは一瞬、彼女が右手に持つ銃を見咎めて目を険しくする。一人でいるだろう姉、饗団からの刺客、銃を持ったシャーリー――優先すべきは何か。もちろんルルーシュだ。しかしだからこそ、目の前にいる彼女を放っておくことはできない。どうしてこの場所に都合よく、銃なんてものを持ったシャーリーがいるのか。理由はまだ分からない。けれどルルーシュに害なすかもしれない存在を、そのままにしておくことなどできない。
 殺すべきかと考えて、袖に仕込んだナイフに手を伸ばそうとする。
「答えて、ロロ……あなたは、ルルが好き?」
 伸ばした手は、思いがけない質問に硬直した。
 この女はいったい何を言っているのだろう。この状況で、どうしてこんな質問が出てくるのか。その意図が理解できず、ロロは目を細めてシャーリーを見据えた。
「わたしは、ルルが好き。大切な友達だから。あなたはどう?」
「好きだよ。たった一人の姉さんだもの」
「あなたは仲間なのねっ」
「え?」
 シャーリーの口から飛び出してきた言葉があまりに予想外で、ロロは大きく目を見開く。
「お願い、わたしも仲間に入れて!わたしもルルを守りたいの!」
 彼女は仲間と言った。それはつまり、ルルーシュのことが――ゼロの正体がばれているということなのだろうか。なぜばれた。いやまだそうとは限らない。もしばれていないとして、仲間とは何だ。守りたいとはどういうことだ。ルルーシュをただの学生だと思っている上で守りたいと彼女が言っているのなら、どうしてその手に銃を持つ必要がある。思考はぐるぐると迷走する。
 けれどシャーリーの目は真剣だった。ルルーシュのことを守りたいという気持ちに、嘘は見られない。彼女をどうするべきか、ロロは逡巡する。
「取り戻してあげたいの、ルルの幸せを!妹のナナちゃんだって一緒に!」
 その瞬間ロロは息を呑んだ。
 ナナちゃん――つまり、ナナリー。偽りの弟であるロロとは違って、ルルーシュの本当の妹。ルルーシュが一番大切にしている人間。
 駄目だと思った。シャーリーは駄目だ。ナナリーのことを取り戻したいなんて言う人間は、姉にはいらない。そんな余計なことを言う人間は必要ない。ナナリーが戻ってきたら、今の生活は壊れてしまう。そんなのは嫌だ。本当の妹なんて、そんなのはいらない。ルルーシュとロロの、二人だけでいい。
 本当はジノのことも気に入らないから殺したいけれど、彼はロロにとって望ましい変化をルルーシュにもたらしてくれたから、今のところ黙認している。
 ロロが本当の弟ではないとばれてから、ルルーシュとの間には少し壁ができたように感じていた。けれどその壁が、最近になって薄くなってきたのだ。一度ルルーシュから離れたジノが、もう一度ルルーシュの側に居つくようになって、ルルーシュの雰囲気は変わった。それまでのように張り詰めたような色は薄くなって、少しだけ優しくなった。ロロに対する態度も、これまでより何となく優しくなった。
 けれどシャーリーは駄目だ。彼女はルルーシュに、いらないことを思い出させる。そんな変化は必要ない。ナナリーなんて本物は、いらないのだ。姉には、ルルーシュにはロロだけで――。

 ロロは右目に宿った悪魔の力を静かに解き放った。



◇ ◇ ◇



 シャーリーが死んだ。
 ジノがそれを聞いたのは、もうすぐ夜の九時になろうとしているところだった。そしてそれを聞くや否や、ジノは取るものも取らず駆け出していた。仕事中だとか、そんなことは忘れていた。ルルーシュのところに行かないと。その考えだけが脳裏を占めている。車を用意させる時間も惜しくて、この前購入したバイクにまたがった。以前話した庶民デート――ただしルルーシュが言うには『ローマの休日』ごっこ――をしようと思って買っておいたのだ。
 大型のバイクは乗るものを選ぶが、並外れて優れた体躯のジノにはそれぐらいの方がちょうど良かった。車の合間を縫って走り、高速に乗る。その途中、やけに視線を感じて不思議に思ったが、何てことはない。目立っているのはラウンズの制服のまま飛び出してきたせいだった。せめてマントぐらい外してくるべきだったか、と風にはためく濃緑に気付いて少し後悔する。どこかに引っ掛けるようなへまをすることはないと思うが、万が一のことも考えられる。
 幸いにも、どこにもマントを引っ掛けることなくジノが運転するバイクは学園前へと到着した。エンジンだけ切って乗り捨てたバイクが倒れて大きな音を立てるのが聞こえたが、無視して学園の敷地へと足を踏み入れ、全速力でクラブハウスへと向かう。
 クラブハウスの鍵はついこの前ルルーシュからもらったばかりで、それがうれしくてジノは常に携帯していた。何も持たずにやって来たジノはクラブハウスの玄関を前にしてそれに気付き、携帯していたことを思い出すと持っていて良かったと息を吐いて扉を開けた。
「ルルーシュ!」
 中は暗かった。いつもはこの時間なら、ルルーシュとロロはダイニングで食事をしていたりリビングでテレビを見ていたりするのに、今日はそのどちらにも明かりがついていない。
「ルルーシュ、どこだ!?」
 奇妙だと言うのなら、こんなに騒いでいるのにロロが姿を現さないことが何より奇妙だ。ロロはたった一人の姉を途方もなく大切にしている。それはもう、異常とまで思えるぐらい。姉に近づく男には容赦しないし、まるで騎士のように姉のことを守っている。ジノへの態度も最近でこそ少しだけマシになったが、基本的にひどいものだった。だからこんなふうに騒ぎ立てれば、当然出てくるはずなのだ。それなのにその当然がやって来ない。
 それがまるで、今ルルーシュの身に起こっている異変を表しているような気がした。失礼は承知で、ジノはルルーシュの自室へと足を進めた。
「ルルーシュ!」
「……聞こえている。あまり騒ぐな」
 ジノが無断で扉を開けると、椅子に座ったルルーシュが、机の上に置いてあるノートパソコンを閉じているのが目に飛び込んできた。その態度があまりにいつもどおりで、ジノは一瞬、先ほどの報は間違いだったのかと思ってしまう。
「……ルルーシュ……?」
「何だ?」
「……ロロは?」
「少し用事があって出かけている。そんなことが聞きたかったのか?」
 ルルーシュはふいっと視線を外した。
 ジノは首を横に振る。何と言えばいいか分からず言葉に詰まって、結局率直に言うことしかできなかった。
「シャーリー先輩が、死んだって……」
「ああ。おれも聞いた」
「聞いたって……」
 ジノは言葉に詰まった。
 ジノはシャーリーとそれなりに親しくしていた。庶民の付き合い方について教えてもらったり、ルルーシュ攻略についての相談に乗ってもらったり、主にルルーシュ関連で。けれどあくまで”それなり”であり、死んだと聞いても普通なら聞き流して終わらせるぐらいの付き合いだった。それなのに、こうまでしてジノがやって来たのは、ルルーシュがシャーリーと仲良くしていたからだ。友達が死んだと聞いて、ルルーシュが涙に暮れていると思ってここまで来た。それなのに、こうまで平然とした態度は何なのだろうとジノは信じられない気持ちでいた。
「……ルルーシュ?」
「だから何だと聞いている」
 ルルーシュはこちらを見ない。いつものルルーシュはそんなことをしない。視線を外すときのルルーシュは、何かから逃げたがっているときだ。
 そのことに思い当たったジノはずかずかと部屋に侵入して、ルルーシュの肩をつかんで無理やりこちらを振り向かせる。
「っ……何をする!?」
「やっぱり……」
 ジノは眉を顰めた。すぐに気付かなかった自分を殴り飛ばしてやりたい。
 ルルーシュの瞳は悲しさに揺れていた。虚勢を張っていつもどおりを装っているけれど、ジノには覚えがあるから分かる。
 ジノは四男だったから母親にも父親にもほとんど期待されることはなく、放任主義と言えば聞こえはいいが要は無関心の中で育てられた。優しくしてくれる乳母がいたから不満を覚えたことはほとんどなかったけれど、それでも幼いころは、兄たちのように激励の言葉を父からもらったり、さすがわたしの子だわと優しく母に言ってもらったりしかたかった。けれどそんなことを誰にも言うことはできず、鏡に向かってその不満を口にすることでそれを解消してきた。その鏡に見た自分の瞳と同じ色が、ルルーシュの目の中にある。
 ルルーシュは悲しいのだ。悲しくて悲しくてたまらないのに、涙を我慢しているのだ。
「悲しいなら、泣けばいいんだ」
「っ……悲しくなんて」
「悲しいんだろう?無理する必要はない。泣いてしまえば楽になる」
 ルルーシュは目を見開いて、すぐにくしゃりと顔を歪めて叫んだ。
「そんな資格はおれにはない!」
「資格なんて」
「ないんだよ、おれには!……大切にしたかった。おれは、彼女の大切なものをたくさん奪ってしまったから、だから……それなのに……それなのにっ!どうしてシャーリーが死ななければいけなかったんだ!!……友達だって言ってくれた。おれの汚いところも知って、好きだって、友達だって、そう言ってくれたっ……それなのに、どうして……」
 ルルーシュは今にも泣き出してしまいそうな顔で、ジノの腕にすがった。けれど涙のたまった目尻から、それがあふれ出ることはない。
「いいから泣け!シャーリーはルルーシュのこと、好きだって、友達だって言ったんだろ!?それなら、ルルーシュがこんなふうに我慢することは望まないはずだ!」
「……無理だ……」
「無理じゃない!」
「……許されないっ……」
「わたしが許す!」
 いくら言っても、ルルーシュは泣き出しそうに瞳を揺らすだけで、いっこうに泣こうとしない。
「ルルーシュ!」
 何度目かの呼びかけのとき、ルルーシュは唇を噛んで、挑発するような眼差しでまっすぐジノのことを見つめ返してきた。
「……そんなに言うなら泣かせてみろ」
「え?」
「おれは泣けない。でもおまえは泣かせたいんだろ。それなら、シャーリーとは別のことで泣かせてみろよ!」
「別って……」
「分からないなんて言わないよな?……おれのことを泣かせてみろよ」
 挑発するような目と言葉の意味が分からないほど、ジノは初心ではないし鈍くもない。
 ルルーシュの意図を悟ったとき、こんなふうに奪ってもいいものだろうかとためらった。大切だから、好きだからこそ優しくしたい。
 けれど――本当は抱いてしまいたかった。自棄だとか弱みにつけ込むとかそんなことはどうだって良くて、この美しい人を自分だけのものにしてしまいたい。抱いて泣かせて喘がせて啼かせて、好きだという言葉を信じてもらえるようになって、ルルーシュも好きだと返してくれるようになるまで監禁してしまいたい。恋に臆病なこの人を閉じ込めて、ジノだけを見させるようにすることができたらどれだけ幸せだろう。
 それでも、こんな自棄なっているところをつけ込むみたいに抱いてはいけないと、なけなしの良心がルルーシュを求める欲に歯止めをかけた。ジノは首を横に振って、腕にすがり付いてくるルルーシュをそっと引き剥がそうとする。
「……いけない、ルルーシュ。そんなのは駄目だ」
「どうして!?おれのことが好きなんだろう、ならっ!」
「好きだからだ。ルルーシュのことを好きだから大切にしたいんだ」
 ジノは諭すように言い聞かせる。
 ルルーシュは眉根を寄せて視線を落とした。
「……分かった」
 分かってくれたのかと、ジノはほっと安堵に息を吐いた。けれどそれはつかの間。
「それなら、おまえ以外のやつに頼む」
「なっ……何を……」
「おまえがしてくれないのなら、別のやつに頼むと言っているんだ。さすがに学園の生徒は後が気まずいから、街で適当な相手でも引っ掛け」
「ふざけるなっ!!」
 ジノは激昂した。分かってくれたのだと思った。それなのにルルーシュは、別のやつに頼むと、そんなことを言った。ジノの気持ちを知っていながら、そんな残酷なことを口にした。許せなかった。どうしても、そんなルルーシュが許せなかった。
「きみがそのつもりなら、わたしはもう我慢しない」
 ジノはそう言ってルルーシュの唇を奪うと、華奢な体を抱き上げてベッドへと向かう。許された唇は、どこか悲しい味がした。
 泣かせるという目的なんて忘れて、ジノはルルーシュの体を貪った。


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