中華連邦の問題にひとまず片がついたので、ルルーシュはひとまず日本へと戻っていた。
蜃気楼に乗って地下水路を通り、学園まで戻った足でロロと登校していた途中、生徒会室の前の壁にシャーリーがもたれかかっているのを見つけた。いつも溌剌としている彼女にしては珍しく、今日は何やら考え込んでいるようだ。
「シャーリー?」
「ルル!?」
不思議に思って近づきながら声をかけると、それまでうつむき気味だったシャーリーは弾かれたように顔を上げた。そのあまりの勢いに思わず後ずさりそうになるが、シャーリーはそんなことを意にも留めず、大きな目を精一杯に見開いてまじまじとこちらを見つめてくる。スライドグラスに貼り付けられて顕微鏡で観察される対象はこんな気分になるのだろうか。あまりの熱視線にさらされた影響か、妙な考えが頭に浮かぶ。ルルーシュはそれを振り払うように頭を軽く振った。
「えーっと、何かあったのか?」
「……何か?」
事態を把握しようとして問いかけに対して、シャーリーは普段より一オクターブ低い声でつぶやいた後、今度は下を向いてくつくつと笑い始めた。はっきり言って怖い。不気味だ。普段が明朗快活とした屈託ない少女であるだけに、いっそう恐ろしい。自分がよくそういった類の笑いをしていることは棚に上げてそんなことを思ったルルーシュは、顔を引きつらせてその場から一歩下がった。
「あ、あの、シャーリー?」
「何かなんて……あったに決まってるじゃないルルの馬鹿ーっ!」
「なっ!?」
暗い声で笑っていたかと思ったシャーリーは、突如顔を上げて突進してきて、両手で頭をわしづかみにしてきた。突然のことに、ルルーシュは思わず硬直する。間近で直視することになった目は、普段の無邪気さとは裏腹に据わり切っていて、この友人の身にいったい何があったのかと本心からの懸念を抱かせる。
「ねえルル、わたしたち友達だよね!?」
「あ、ああ、もちろんだ」
ルルーシュは一も二もなく首を縦に振った。それは本心であることに違いはなかったが、肯定しないとヤバイと思わせる空気を感じたからだ。しかしシャーリーが身にまとう空気がいつもどおりに戻ることはなかった。それまでと変わったことには変わったのだが、今度はなぜか泣きそうになっている。
「じゃあ、何で……何で!」
シャーリーはそう言って、目尻に涙をたたえたまま、唇を噛み締めて見据えてくる。
そんな目をされる覚えはない。少なくともルルーシュ本人にはない。それでも一応自分の行動を思い返してみるルルーシュは律儀だ。
昨日電話で、あるカップルを別れさせたい云々の相談をしたときには普通だった。相談するだけ相談して、まだ話している途中で通話を切り上げたことを怒っているのかと一瞬疑ったが、そんなことはいつものことだ。今さらシャーリーが怒るとも思えない。そうなると、あの電話の後に何かがあったということになる。しかしあれ以降、ルルーシュはシャーリーと接していない。電話もしていない。それが導き出す答えはつまり。
(何をした、咲世子!?)
中華連邦に行っていた間、スザクに不在がばれないように影武者として残していった咲世子が何かをしたとしか思えなかった。しかし、何か変わったことはと尋ねて返ってきたのは、緊急のものは特になかったという答えだった。咲世子は自分の失態を隠すようなタイプではない。そうなると、この事態にそう重きを置いていないか、あるいはシャーリーがこんな状態になっていることを知らないのか……確証はないが、多分後者のような気がした。咲世子は有能だが、重度の天然なのだ。
常に穏やかな笑みを浮かべているメイドの姿を思い出して、気が抜けそうになっていたそのとき、左脇から間の抜けた機械音が聞こえてきた。つられて視線を向けると、淡い桃色の髪をした少女が携帯電話をこちらに向けて立っているのが見える。
「なっ……」
(ナイト・オブ・シックスだと!?)
ルルーシュは目を見開いて後ずさった。
中等部の制服に身を包んだその姿は、一見どこにでもいる女子中学生のようにしか見えないが、間違いない。史上最年少のナイト・オブ・シックス――アーニャ・アールストレイムだ。資料で確認しただけなら人違いだという可能性もあるが、中華連邦の迎賓館でナイト・オブ・ラウンズの制服を着ていた彼女の姿を、ルルーシュは間近で見ている。人違いであるわけがない。
(どうしてここに……)
「おはよう、ルルーシュさん」
呆然とするルルーシュに向かって、アーニャは無感動な声で挨拶してくる。そこへ続いて、ナイト・オブ・ラウンズがもう一人生徒会室の中からひょっこり顔をのぞかせた。
「やあ、待っていたよ」
ジノ・ヴァインベルグ――スザクの歓迎会が終わった後に屋上で会ったその男は、にこやかな笑みを浮かべてこちらへ近づいてくる。アーニャの態度が中華の迎賓館でもこの場でもほとんど変わらないのとは違って、ジノの態度は迎賓館にいたときとはまるで違っていた。緊張感や鋭さといったものはすっかり抜け落ちていて、以前屋上で会ったあのときと同じように、人好きのする空気を身にまとっている。
「副会長のランペルージ嬢だね。わたしたちは……」
「おれたち」
続いてミレイと並んで部屋から出てきたリヴァルが、ジノの言葉をさえぎるように口を挟む。
「ああ、そうか……」
ジノはそれに怒るでもなく鷹揚に頷いて続ける。
「おれたち、この学園に入ることにしたんだ。それと、社会的立場は学校では無視してくれたまえ」
言っていることは立派だが、口調はどこまでも偉そうだ。ルルーシュはひくりと頬を引きつらせた。貴族嫌いの精神がむくむくと頭をもたげてきそうになったが、裏賭場や街中ならばともかく、さすがに学校で問題を起こすわけにもいかない。しかも相手はナイト・オブ・ラウンズの一人だ。何が目的でこんなところまでやって来たのかは分からないが、下手なことをして目をつけられたらたまらない。
「普通の学生ってのを経験したいんだって」
「今話し方を教えてたとこ」
ミレイとリヴァルが続けて言う。編入の理由は、大貴族や皇族に生まれた人間にはそう珍しいものでもなかったが、本当にそうなのだろうか。普通の学生をやりたい。ただそれだけのために、この学園に編入してきたというのだろうか。
ルルーシュが無言で灰色の脳細胞を働かせていると、ジノはそこへ陽気な笑い声を上げながら走り寄ってくる。
「あはははは、よろしくぅ!」
大きく振り上げられた手に、そのままの勢いでバシバシ肩を叩かれるのかと思っていたら、下ろされる途中で手から勢いは消えて、やんわりと肩をつかまれた。
「せんぱい」
「あ……はい」
言いなれないだろう単語を使って落ち着いた声で呼びかけてくるジノに、ルルーシュは内心の焦りなど微塵もうかがわせない態度で返事をした。
その日は結局、スザクに続けてナイト・オブ・ラウンズが二人も編入してきたということで、学校中がお祭り騒ぎになってしまったため、朝以降シャーリーと話をする時間を取ることはできなかった。
そのため、シャーリーの態度がおかしかった理由が判明したのは、夜になってからだった。中華連邦に行っていた間、ルルーシュの影武者をやっていた咲世子に学園内であったことの詳細をまとめさせた報告書の中に、その答えはあった。どうやら、メガネを取り払ったルルーシュの素顔――正確には咲世子が変装したルルーシュの顔をシャーリーに見られてしまったらしい。図書室にある地下司令部の入り口から出てきたばかりのところを鉢合わせてしまい、本棚が入り口を隠してしまうまでの時間を稼ごうとした結果とのことだ。何でも、床に蹴躓いたふりをしてシャーリーを巻き込んで床に倒れこんだときに、シャーリーの手がひっかかってメガネを顔から飛ばしてしまったのだという。正直、もう少し別の手段はなかったかと言いたくなったが、それ以外の部分においては良くやってくれていたので、不問にすることにした。
その処置に対してロロはどうにも不満そうだったが、実際そうたいした問題ではないとルルーシュは思っていた。素顔を見られないようにと警戒していたのは、あくまで貴族や軍人だ。シャーリーは一般市民だから、警戒しなければならない人間には入っていない。それは彼女一人にとどまらず、この学園内の人間ほとんどにも同じことが言えるのだが、外来の人間がやって来る日にだけ変装するわけにもいかないから、毎日続けているだけのことだ。
だからシャーリーに素顔を知られてしまったのは、たいした問題ではない。もちろんシャーリーの機嫌を損ねてしまったことはもちろん問題で、正直素顔を見られたことがどうしてあんな態度に繋がっているのかも全く分かっていないのが現状だったが、別に悪いことをしたわけではない。すぐに元通りになるだろうと思っていた。
しかし事はそう甘くなかった。
翌日は休日だった。
朝から黒の騎士団の活動に精を出していたルルーシュが、学園の敷地に帰ってくることができたのは、夜もすっかり更けたころだった。
「遅い!」
「……シャーリー?」
クラブハウスの前には、なぜかシャーリーが立ちふさがっていた。眉は釣りあがっているし、若草色の目は完全に据わっている。戦場で敵と対峙するのとはまた違った恐怖が、ここにあった。
「どこ行ってたのよ!わたし、ルルが帰ってくるのずっと待ってたんだよ!?」
「どこって、ちょっと買い物に……」
「こんな時間まで!?どうせまた、いつもみたいに危ないことしてたんでしょ」
「いや、そんなことは……」
「口答えしない!」
「はい!」
いつにない迫力に押されて、ルルーシュはとっさに背筋を伸ばして頷いた。
その後で、どうしてこんな状況に陥っているのだろうと内心首を傾げた。帰りが遅くなったからと言って、シャーリーに怒られる筋合いはない。何か約束をしていたのならその態度も解せるが、影武者をしていた咲世子は特に何か約束をしたというようなことは言っていなかった。つまり、待っていたのはシャーリーの勝手であり、これはいわゆる八つ当たりということになる。
「……なあ、シャーリー。どうしてそんなに機嫌が悪いんだ?」
「どうして!?ルルはそんなことも分かんないの!?」
事実なのでルルーシュは無言で頷いた。シャーリーの言いようだと、やはりルルーシュに原因があるらしいが、素顔を見たぐらいでどうしてこんな態度を取られなければならないのか本気で理解できない。困惑しているルルーシュに向かって、シャーリーは声高に叫びを上げた。
「そんなの、ルルがそんな野暮ったいメガネにその顔隠してたからに決まってるでしょー!!」
「……は?」
ルルーシュはぽかんと口を開けた。そんなの、はっきり言って今さらだ。それに、怒られるようなことでもないはずである。
「別にメガネもおさげも、ルルが好きでやってるのなら今までそれでいいと思ってたけど、でも、でも……!何その顔、何その顔!?」
二度も言われた。そんなふうに言われるほど、ひどい顔はしていないと思っていたのだが、それは勘違いだったのだろうか。ひそかに落ち込むルルーシュだったが、すぐに勘違いだと判明する。
「その顔を隠すなんて、もったいないを通り越してもう罪だよ!ねえルル、わたしたち友達だよね!」
「あ、ああ」
急な方向転換にはついていけなかったが、とりあえず頷いておく。
「なら、わたしにぐらいその顔のこと教えてくれてもよかったじゃない!そしたら、賭けチェスなんて危ないこと絶対させなかったのに!ルルはそんなだから、もし負けてもお金取られておしまいでそうなったら少しはこりるかなーぐらいにしか思ってなかったけど、メガネを取ったら実は超絶美少女でしたなんてことがばれたら、負けたことを盾にあーんなことやそーんなことまでされちゃったりするかもしれないのよ!?」
「いや、おれは負けないし、そんなことには……」
「それにそれに、ルルの顔のこと知ってたら、一緒にブティック巡って着せ替え遊びなんかしちゃったりもできたのに!男女逆転祭りのときだって猫祭りのときだって、知ってればもっと気合の入った衣装見繕ったのに!その顔ちゃんと見せてれば、ルルもてもてになって、そしたらいくらルルでも恋なんかしちゃったりしてコイバナもできたりしたかもしれないのにーっ!」
シャーリーはそう言って地団駄を踏む。
何と言うか、機嫌を損ねていた理由はこれではっきりしたのだが……ものすごく、理不尽な気がした。明らかに、ルルーシュは悪くないような気がする。釈然としない思いでいると、そこへミレイの声が降ってくる。
「そのとーり!!」
同時に、視界が一気に明るくなる。見上げると、奇妙な帽子を頭と左手の上に乗せたミレイが、バルコニーに立って照明に照らし出されている。
ルルーシュもシャーリーも、ぽかんと口を開けてそれを見上げた。
「花の女子高生だと言うのに、そのお耽美な顔を隠して地味ーっに過ごしちゃってるルルちゃん!」
「誰が耽美ですか!」
聞き捨てならない表現に、ルルーシュはとっさにつっこみを入れる。言っている意味は分からないでもないが、言葉の使い方が間違っている。
しかしミレイはそんなことなど気にせず続ける。
「ミレイさんは知っている、メガネの下に隠された顔が絶世の美人であることを!……青春をいったい何だと思ってるの!女が花である時間なんて、あっと言う間に過ぎてっちゃうのよ!それなのに、その短い時期をそんな姿で過ごすなんて……」
「人の勝手でしょう!」
「若者ってのは普通、綺麗に着飾って異性の目を意識しちゃったりして、毎日ワクワクドキドキ過ごすものなのよ!青春の醍醐味とはぁ……ずばり、恋!」
「ですよね、会長!」
隣のシャーリーは目を輝かせて何度も頷いているが、ルルーシュはうんざりしていた。
「と言うわけでぇ、決めました、わたしの卒業イベント!名づけて、キューピッドの日!!」
対照的な表情をしている二人に向かって、ミレイは高らかに宣言した。