01

 もう何年も前からルルーシュはずっと、嘘ばかりをついて生きてきた。
 生きているという嘘、名前も嘘、経歴も嘘、この姿も嘘――嘘、嘘、嘘……嘘ばかりだ。正体がばれないように嘘をついて仮面を被って、偽りに身を置く。ずっとそうやって生きてきた。そうやって生きていくことが当たり前だった。そうやってしか、生きていくことなんてできなかった。けれど。
「愛してるっ、ナナリー!」
 この思いには、妹を愛するこの気持ちにだけは、どこにも嘘はなかった。



◇ ◇ ◇



 ルルーシュが記憶を取り戻しているか否か。歓迎際が終わりに近づいてきたとき、スザクはそれを確かめるため、ナナリーと通話をつないだ電話を差し出してきた。最愛の妹に嘘をつくことはできない、けれど嘘をつかなければこの場をやり過ごすことはできない。いったいどうすれば――その窮地を救ったのは、ロロだった。密やかに屋上を訪れたロロは、会話を聞かれることがないように、ギアスでスザクの時間を止めてくれたのだ。そのおかげでルルーシュは、ナナリーと話すことができた。愛していると告げることができた。誰よりも大切な妹へ嘘をつかないで済んだのが、妹の居場所を奪った偽りの弟の力があったからだなんて、何という皮肉だろうか。
 けれどそのおかげで、スザクに確証を握られることは避けられた。ロロのギアスから解放されたスザクの前で、平然とした態度で、ナナリーと他人のふりをしてやり過ごすことができた。その結果、スザクはルルーシュに不審そうな目を向けてきながらも、大人しくこの場を去っていった。
 残されたルルーシュは一人、無言で虚空を見つめていた。
 その間に、眼下で行われていたダンスは終わりを告げていた。綺麗にドレスアップしていた男女の姿は消え、流れていた音楽もぴたりと止んでいる。歓迎会という名の祭りの最後を飾るステージを照らしていた炎はすっかり勢いを失い、残されたわずかな明るさの中、生徒たちが後片付けをしている姿が見えるばかりだ。
 その光景は、一年前までのアッシュフォード学園と何ら変わりない。しかしそれでいて、大きく異なっている。ブラックリベリオンの後、生徒会メンバーを残して学園にいた人間たちは皆本国へと帰り、生徒も教師も入れ替わった。生徒会のメンバーからもカレンとニーナが消えてしまった。スザクは戻ってきたけれど、一年前までのように二心なく接することはできない。そして何より――ナナリーがいない。
 誰よりも愛する妹が側にいない。いるのはロロ、偽りの弟で、ナナリーの居場所を奪った者。その事実が今、どうしようもなくルルーシュを打ちのめしていた。
「ナナリー……」
 呼んだ名前に、返事が返ってくることはない。一年前までは、当たり前のように側にいた大切な妹。彼女のことを守るために、いったいどれだけの嘘を重ねてきただろうか。自分たちの身分を知る誰かに見つかって、皇室に戻らされて、もう二度とナナリーが政治の駒として利用されることなどないように。そのためにルルーシュはずっと、数え切れないぐらいの嘘を重ねてきた。名前も嘘、経歴も嘘、級友に語る言葉も嘘ならば抱く思想もまた嘘であり、語る理想も嘘だった。
 それなのに、そうまでして守りたいと思った妹は皇室へ連れ戻され、今度総督としてこの地に赴任してくるという。おそらくは、ルルーシュに対する牽制と……そして人質として。それ以外、どうして彼女がエリア11へ――ゼロという屈指のテロリストがいるこのエリアへ派遣される理由があるだろうか。
 ゼロが再び現れたことで、日本国内ではブリタニア反逆の狼煙に一気に火がついた。そして、それを収めるだけの手腕は、ナナリーにはない。平和的解決に持ち込む完璧な方法を考え出すような頭脳――たとえばシュナイゼルやルルーシュのような、いっそ悪魔的と言っていいほどの頭脳はないし、だからと言って、テロリストたちを叩き潰す道を取ることもできない。上に立つ者としてはあまりに優しすぎるからだ。それでも平和なエリアならばやっていけただろう。しかし、今のこの土地では不可能だ。
 ルルーシュがゼロだとはっきりしていない今、彼女がここへ送られてくるということは、捨て駒として命を落としてもかまわないと思われていること。ルルーシュがゼロならば、ナナリーを害することはありえない。けれどそうでない場合、命を落としてしまう可能性だって十分ありえる。黒の騎士団以外のグループが、彼女を傷つける可能性も考えられる。この土地では、クロヴィスとユーフェミア、二人もの皇族が命を奪われている。ナナリーが三人目にならないという保証はない。
 取り戻さなければ、ルルーシュは強くそう思った。優しいあの子が傷つく前に、心無い者に傷つけられる前に、早く迎えに行かなければと。
 けれどすぐに自嘲する。ついさっき、他人のふりをすることでナナリーを傷つけた自分に、そんなことを思う資格があるものか。ロロのおかげで、ほんの少しだけ話をすることができた。事情があって他人のふりをしなければならない、必ず迎えに行く、愛している……けれど、ナナリーはきっと傷ついている。ルルーシュがナナリーを愛しているように、ナナリーもまたルルーシュのことを愛している。それは自惚れではない、厳然たる事実だ。それなのに他人のふりをすることを強いられて、彼女が傷つかないわけがない。
 それにもしロロが来ていなければ、それ以上に傷つける破目になっていたことだろう。ナナリーに嘘をつくことはできない、けれど記憶が戻っていることを知られればこの身が危なくなり、その結果ナナリーを迎えに行くこともできなくなる。だからあのときロロがいなければ、ルルーシュはきっとナナリーに嘘をついていたのだろう。もう一度ナナリーと一緒にいられる未来のために。
 けれどそのために、ナナリーを傷つけていいものだろうか。ナナリーに嘘をついていいものだろうか。否、そんなはずがない。守るための嘘ならばともかく、傷つけるような嘘をついていいわけがない。九年目前に母が殺された日からずっと、ルルーシュは妹を守るために生きてきたのだから。
 それなのに、傷つけてしまった。妹としてではなく、皇女殿下として、新しくやって来る総督としての会話は、どれだけ彼女を傷つけたことだろう。事情も分からず突きつけられた他人としての言葉に、もしかしたら今頃泣いてはいないだろうか。そう考えると、どうしようもなく胸が痛んだ。
 思えば、ナナリーを傷つける嘘をついたのはこれが初めてだった。
 初めて妹についた嘘は、九年前、日本へやって来たとき。新しい住まいはどんなところかと訪ねてくるナナリーに、居所として与えられた土蔵のような建物の本当を言うことなんかできなくて、ルルーシュはとっさに嘘をついた。嘘をつく生活が始まったのはそれからだった。
 日本人に殴られた怪我を、転んでできたのだと嘘をついた。枢木の家の人たちも町の人たちも優しくしてくれるから、何の心配もいらないのだと事実とは正反対のことを言った。戦争が始まった後には、死体の転がる町中を歩いたとき、死体から漂う異臭の正体を尋ねてきたナナリーに、何だろうねと答えをごまかした。ルーベンに――アッシュフォード家当主に保護された後には、ヴィ・ブリタニアという名前を捨てて、ランペルージという偽りの姓を名乗った。皇族ではなくて、ただの一般市民だと身分を偽った。嘘、嘘、嘘――数え切れないぐらいの嘘。それらは全てナナリーを守るためのものだった。
 この冴えない、ルルーシュの美意識にまるでそぐわない変装も、そのための嘘だ。
 ルルーシュの顔は、母であるマリアンヌに良く似ている。マリアンヌは垂れ目でルルーシュは釣り目、そして表情の作り方がまるで違っているから、一見したところあまり似ているようには思えないらしいが、良く見ると鼻筋や輪郭などのパーツは瓜二つと言ってもいいほど似ている。年を重ねるごとに母に似てくる容貌は、普通なら喜ばしいものであったのだろう。しかし正体を隠して生きている身には不都合でしかなかった。そのため、アッシュフォード学園に入学することを決めたときに、ルルーシュは変装することを決めたのだ。
 最初は男装しようかとも思っていたが、すぐに諦めた。成長期に入るまでなら何とでもごまかせただろうが、大人になるにつれて男女の差は広がるばかりで、そう長く続けられるものではない。そう判断したからだ。そして色々と試行錯誤した結果、長い黒髪をきっちり二つのみつあみにして、顔の半分を隠す瓶底メガネをかけるということに落ち着いた。性別を偽りでもしない限り、顔をそのままさらしるのはあまりに危険だと思ったからだ。
 しかし問題が一つ。アッシュフォード学園は良家の子女が通うものとして作られたため、メガネのレンズを薄くするための小金を出せないような家の生徒はいない。そのため悪目立ちする可能性もあったのだが、同じような格好をしたニーナがいたためにそれはまぬがれた。とは言っても、ニーナのメガネはごく薄いレンズでできていたので、瓶底メガネほど野暮ったくはなかったが。
 記憶を改ざんされて、変装する必要性を感じていなかったこの一年間も、ルルーシュはずっとこの格好をやめようとはしなかった。それはきっと心の奥底で、ナナリーを守るためにこれは必要なことなのだという意識が残っていたからなのだろう。
 しかしナナリーが皇室に連れ戻され、皇帝に己の存在を知られている今、こんな変装にいったい何の意味があるだろうか。
 嘘をつくことには慣れていた。それが自分たちにとって必要なことだったから、嘘をつくことに罪悪を感じたことなどなかった。けれど、たとえ不可抗力でも最愛の妹を傷つける嘘をついた今だけは、どんな嘘もついていたくなくて、ルルーシュはメガネを取って制服のポケットに押し込み、みつあみに編んでいた髪の毛をほどいた。
 元々はまっすぐであるはずの髪はみつあみにしていたせいで、今はゆるやかに波打っている。母の――そしてナナリーの髪質を思い出させるそれを見ていられなくて、ルルーシュは校庭へと視線を落とした。
 少し前までかすかに残っていたはずの炎は、いつの間にか消えてしまっていた。生徒たちもすっかり姿を消している。祭りはすでに終わっていた。
 携帯で時間を確認すると、いつも夕飯を取っている時間はすっかり過ぎてしまっていた。監視カメラがあるから、ルルーシュの場所はすぐに確認できるはずだ。それなのにロロが迎えに来ないのは、先ほどのことを気遣っているのだろうか。
 しかしその心配りに甘えているわけにはいかないことは分かっていた。いくらナナリーのことが気にかかっていても、ロロのことを放っておくわけにはいかない。ロロにはまだ利用価値があり、この先も必要となってくる場面がある。だからロロのことを、ナナリー以下に見ていると思わせてはいけない。ルルーシュにとってのロロは、あくまでかわいくて愛しい大切な弟――たとえ偽りのものであっても、そうだと思わせておかなければならない。ルルーシュがロロのことを大切な家族だと思っているから、ロロはルルーシュに協力する。それを今失うわけにはいかない。
 そう分かっていても、今は、今だけは偽りの中に帰りたくなかった。けれど、帰らなければならない。
「……帰ろう」
 ルルーシュは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 校庭にはもう人の姿はなかったが、影の形から、校舎内にはまだ明かりがともっていることが窺える。まだ中に生徒たちが残っていて、後片付けをしている証だ。アッシュフォード学園では何か夜までかかるような行事を開催するとき、本格的な後片付けや掃除は翌日の午前に時間が取られているが、おおまかな片付けはその日のうちにするように定められている。それをしている生徒たちがまだ残っているのなら、このまま帰るわけにはいかない。ルルーシュは再び変装をするため、ゆるやかに波打つ髪の毛に手櫛を入れ、二つの束に分けようとした。
 そのとき突然、背後から聞きなれない声が聞こえてきた。
「おーい、スザク、ここかあ?」
 驚いて振り向いた先には、知らない男がいた。
 薄暗くて見えにくいが、とにかく身長が高い。名前を呼んでいるのだから、スザクの知り合いなのだろう。しかしこの学園でスザクと親しい男となると、リヴァル一人だけだ。そうなると自然、外部の人間であることが分かる。制服ではなく私服を着ているし、間違いないだろう。分かることはまだある。今ではナイト・オブ・ラウンズの一員となったスザクのことを呼び捨てにしていることから考えて、かなり立場のある人間であるに違いない。貴族か、よほど高位の軍人か、それともラウンズ仲間か。
 一瞬でそれだけの情報を読み取ったルルーシュはさすがとしか言えなかったが、突発的事態に弱い性質は健在だった。自分が変装を解いていることを忘れていたのだ。
 男は呆けた様子でこちらを見つめていた。ルルーシュがそれを不思議に思って眉を顰めると、男はにこやかに笑ってこちらへ近づいてくる。
「こんばんは。スザクがどこにいるか知らない?せっかくだから一緒に帰ろうと思ったのに、電源を切っているみたいで携帯がつながらないんだ」
「いや……」
 ルルーシュは首を横に振った。
「ところで、きみの名前は?もし良かったら、これから食事でもどうだろう?」
「は?」
 ルルーシュは目を点にした。どこからどう見ても地味で野暮ったいみつあみメガネの女を誘うほど、女に不自由はしていないように見えるのだが、違うのだろうか。それとも地味な女が好きなだけなのか、あるいは病的にみつあみが好きだとかいう特殊な嗜好でもあるのか。さすがにそれはないなと思ったが、男の髪型を見て考えを改める。襟足を三本のみつあみにしていることから推測するに、あながち間違いでもないかもしれないと。馬鹿げたことを考えているルルーシュを見て何を思ったのか、男は人懐っこく笑いながら言う。
「ああ、失礼。まだ名乗ってなかったな。わたしはジノ・ヴァインベルグ。ナイト・オブ・スリーだ」
 やはりラウンズ。予想が当たったことに、ルルーシュは目を細めた。しかし、食事に誘ってきた意図はまだ分からない。
 そのとき、背後から風が吹いた。長い髪が風に吹かれてやわらかく頬を打つ。その感触に、自分が髪をほどいていたことを――変装を解いていたことを思い出して、ルルーシュは頬を引きつらせた。
 自分の顔立ちが人より整っていることを、ルルーシュは自覚している。その美貌と才覚で皇妃まで上り詰めたと言われた母の顔と、目と表情以外瓜二つなのだ。メガネを取って顔をさらせば、それなりに男の気を引く顔をしていることは分かっている。しかし思春期に入る前からずっと変装をしていたせいで、こういったときの対処法が分からない。
 ルルーシュが引きつった顔で固まっていると、ジノは大きな体をかがめて顔を寄せてくる。
「もしもーし?聞こえている?」
「ほわぁ!」
 聞こえてきた声の近さと、十センチもないところまで近づいていた顔に、ルルーシュは思わず奇声を上げて後ろに跳びすさる。その様を見て、ぱちくりと目を見開いていたジノは、すぐに子どものような無邪気さで声を上げて笑った。
「はは、おもしろい声」
 無邪気なその態度は、馬鹿にされるよりもずっと羞恥心を煽られる。いや、馬鹿にされたのならば羞恥心を感じることもなかっただろう。むしろ自分なら、その程度の失態を挙げ連ねる度量の小さい奴だと嘲笑うぐらいやる。けれど、ジノは本当におもしろいとしか思っていないようで、だからこそ冷静さを欠いてしまったことを恥ずかしく思った。
「失礼します!!」
 羞恥に堪えかねてルルーシュはこの場を逃げ出した。



「あれぇ?行っちゃった……」
 突然走り去っていった少女の背中を見送って、ジノは首を傾げた。約二メートルの大男がやって似合うはずもないその仕草は、不思議なことにジノにはよく似合っている。
「何でだ?」
 女性を食事に誘って断られたのは初めてだった。ヴァインベルグという姓、そしてナイト・オブ・スリーという地位にあるジノはもてる。家柄と地位に加えて、周りより頭一つ分飛びぬけた長身と整った容貌、高位の貴族階級に生まれただけあって優雅な物腰、大人びた外見と時折見せる子どもじみた態度のギャップ、そして高貴さと気さくさの合わさった雰囲気とくれば、もはや入れ食い状態が当たり前。
 夜会に出るときエスコートする女性に困ったことはないし、欲求不満を感じるほど夜の生活が長い間隔を空けたこともない。自分から声をかけるまでもなく、女という生き物はジノの周りに群がってきた。ラウンズの同僚なんかはともかく、たいていの女性はジノが声をかければ頬を赤く染められるのが普通だったし、誘えば一も二もなく頷いてついてくるのが当然だった。
 だからあの少女がどうして誘いを断ったのか理解できない。
「うーん、庶民には食事に誘うのに、何かルールでもあるのか?」
 周りに人がいたら馬鹿かおまえはとつっこまれそうな言葉だが、ジノは至って本気だ。
「好みだったんだけどなぁ……」
 思い返してみても、すばらしいとしか称えようのない美少女だった。スカートの裾から見える肌は、ほのかな月明かりの下で白く輝くようで、服の上からでも分かる細い腰は抱きしめれば折れてしまいそうなほど。ゆるやかに波打つ髪と、顔に影を落とす長いまつげは、それだけでもはや芸術作品のようで。漂う気品はとても庶民のものとは思えず、どこか退廃的な雰囲気が少女にいっそう雅やかな風情を与えていた。一つ難点を言えば、ジノの好みからすると少しばかり胸が小さすぎたぐらいだ。と言っても、別に貧乳というほど小さいわけではないから、これは欠点云々ではなく単に好みの問題だ。ジノは巨乳好みだった。
 目を丸く見開いた顔や戸惑ったような眼差し、それに驚いた声はかわいかったが、目を細めたときの顔は、美しいものなんて嫌と言うほど見慣れているジノでも見たことがないほど綺麗で、これはぜひともお相手をしてほしいと思ったのだが――結果は見てのとおりだ。
「何がいけなかったんだろう」
 しばらくの間、難しい顔で首を傾げていたジノだったが、すぐに立ち直って肩をすくめる。
「まあいいか……じゃあ、スザク捜索を再開しますか!」
 笑顔でそう言う姿は、食事に誘った少女にふられたことなど嘘のように元気だ。
 事実、ジノは全く気落ちしていなかった。誘いを断られたなんて初めてだったが、そんなことにいつまでもこだわっているほど恋愛に重きを置いているわけではないし、そこまであの少女に惹かれていたわけじゃない。ジノは恋多き男であったが、その恋は互いの欲望と打算を満たすためのものでしかなく、精神のつながりというよりも肉体のつながりに重きを置いたものであった。
 ジノにとっての恋とはそんなものであった――そんなものでしかなかった。


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