「ねえキース、あれは……何だったんだろう……?」
二度目の訓練飛行の後で、ジョミーはキースの後を追って歩きながら、前を歩く彼に向かって話しかけた。
最初は、電波障害が起こったのだと思った。けれどそれは違った。通信がおかしくなったと思ったら、機体の制御が取れなくなって、突如通信画面に割り込んでくる画像があった。白銀の髪に赤い瞳をした、美しい青年が語りかけてくる画像。それを思い出しながら、ジョミーはぽつりとつぶやく。
「『僕はソルジャー・ブルー。ミュウの長として、地球にメッセージを送る』、だったっけ?……まるで、頭の中に直接話しかけられてるみたいだった……」
そして、話しかけられているあの瞬間、何かに押さえつけられているように体が動かなかった。何故か知らないがジョミーは無事だったのだけれど、あの後、キースも含めた皆が意識を無くしてしまって大変だったのだ。キースを叩き起こして、二人で協力して事に当たって何とか事なきを得たものの、下手をすればあのまま星に落ちていたかもしれない。
「あれは何?どうしてあんなことができるんだ……?キース……ミュウって、いったい何なんだ……?」
ジョミーが歩みを止めてうつむいていると、先を歩いていたキースが数歩引き返してきて、ぽんと頭を撫でてくる。
「僕にも分からない……怖かったのか?」
「……どうして?」
「震えている」
そう指摘されて初めて、ジョミーは自分が震えていることに気付いた。
「あれ、本当だ……」
かたかたと震える両手をぼんやりとして見つめていると、キースは自分の手でジョミーの手を包み込むようにしてきた。
「大丈夫だ、ジョミー」
「……キース……」
そうしているうちにやがて震えは収まってきた。キースは手を離して歩き出そうとするが、ジョミーがキースの手を離そうとしなかったため、手をつないだまま進むことになる。つないだ手から伝わってくるぬくもりに安堵を覚えながら、ジョミーはぼんやりと思考する。
(僕は、怖いんだろうか……)
ソルジャー・ブルーと名乗った青年を脳裏に思い浮かべて、ジョミーはすぐにその考えを否定した。彼の姿を見たとき胸をよぎったのは、恐怖ではなくむしろ歓喜だった。理由の分からない、どうしようもないほどの懐かしさが、あの人の姿を思い出すだけで胸によみがえってくる。怖いわけじゃなかった。それなのにどうしてさっき、自分はあんなに震えていたのだろう。いくら考えても分からなかったので、ジョミーは別のことを考えることにした。
(どうして懐かしいなんて思ったんだろう……あの人と、僕は知り合いだったのかな……?あんな……僕らを危険な目に遭わせた人と……)
不思議な力でジョミーたちを押さえつけた彼は、自分をミュウの代表だと言った。ミュウとはいったい何なのだろう。ジョミーは本当に、彼と知り合いだったのだろうか。そう考えて、ジョミーは慌てて首を横に振った。
(違う!あんな変な力を持った奴、僕は知らない!他人を危険な目に遭わせる奴なんかと、知り合いだったはずがない……そうに決まってる……)
手に力がこもっていたのか、心配そうな顔をしたキースが顔だけで振り返って視線を寄越す。何事かを言おうとしたキースが口を開きかけたそのとき、角の向こうから知った声が聞こえてきた。
「……キース……キース・アニアン……」
聞いたことがないぐらい弱々しい声をしていたけれど、それは間違いなくシロエの声だった。それに気付いたとたん、ジョミーはこれまで考えていたことを忘れて、慌ててシロエの姿を探し始めた。ややもしないうちに、ジョミーは目当ての人物を見つけることができた。シロエは、観葉植物と壁の間のスペースに隠れるようにして、ぐったりと背中を壁に預けながら座っていた。
「シロエ!?」
そう言ったジョミーが駆け寄るよりも先に、ジョミーよりもシロエに近いところにいたキースが、ジョミーの手を離してしゃがみこんでシロエの肩をつかむ。シロエは、図書室で話したときにも持っていた絵本を胸にしっかりと抱えながら、虚ろな目をして笑う。
「とうとう見つけましたよ、キース……貴方の秘密を……」
「キースの秘密?」
ジョミーが訝り顔で首を傾げると、それに気付いたシロエがこちらに視線を向けてくる。
「ああ、ジョミー、貴方もいたんですか……まさか、貴方もキースと、同じでマザー・イライザの、に……うだったなんて……」
「何?」
途中、肝心なところが聞こえなかったので、ジョミーは眉を顰めて問い返す。シロエはそれに答えようと、気だるげな動作で口を開いた。
「うっ……あ……!」
しかし答える前に、シロエは胸を押さえて苦しみ出してしまう。こうなれば、ゆっくり話
をしてなどいられない。
「シロエ、しっかりしろ、シロエ!何があったんだ、シロエ!」
腕に抱いた体を揺らさないように気をつけながら、キースが何度も呼びかける。しかしそれが功を発することはなく、シロエはやがて意識を失ってしまった。
「キース、早く医局へ!何だか分からないけど、早く治療しないと……!」
「いや……僕の部屋へ運ぶ」
キースから帰ってきた言葉に、ジョミーは耳を疑って目を見開いた。他人を自室の中に入れることは違反行為だ。キースがそれを知らないはずはない。それなのに今、マザー・イライザの申し子とまで言われた彼は自分から違反を犯そうとしている。それが信じられなかったからである。普段のキースなら、こんなことは絶対にしない。
「キース……?」
明らかにいつもとは違うキースの対応に、ジョミーは不審をあらわにして問いかける。キースは、自分でも戸惑っているような顔でジョミーから目を逸らしながら、けれどはっきりと言った。
「これが違反だということぐらい、分かっている。だが……邪魔の入らないところで、彼と話がしたいんだ……僕の秘密とは何なのか、僕は知りたい」
キースがそこまで言ったところで、通路の向こうが何やら騒がしくなっていることにジョミーは気付いた。観葉植物の隙間からこっそり視線をやると、そこでは保安部の制服を着た何人かの男たちが、まるで何かを探しているかのような動きをしている。何を探しているのかなんて、隠れるようにこの場にうずくまっていたシロエを見れば、深く考えるまでもなくすぐに分かった。医局になんて連れて行けば、シロエはすぐに彼らに拘束されてしまうだろう。そんなのは嫌だった。このステーションの中で唯一同じ思いを抱えるシロエのことが、ジョミーは好きだった。たった一人の仲間として、大切に思っていた。だから、医務室に連れて行くか、キースの部屋に連れて行くか。そのどちらを選ぶかなんて、考えるまでもなく明らかだった。
それから数時間後、シロエはゆっくりと目を開けた。
「あ、目が覚めた?」
「じょみー?……っ、ここは……!?」
ジョミーが声をかけると、シロエはぼうっとした表情で見つめ返してきたが、しばらくすると突然飛び上がってきょろきょろと周囲を見渡す。そして、枕元に置いてある絵本を見つけると、ほうっと息を吐いてそれを強く抱きしめた。
「僕の本!……よかった……」
しばらくの間そうやっていたシロエは、鬱陶しかったのか額から冷却シートを取り去ると、顔を上げてこちらを見る。ジョミー、テーブルの上に置いてある注射器、キースと視線を移していった彼は、再びジョミーに視線を戻して問いかけてきた。
「貴方が……?」
「ううん。着替えも看病も、ほとんどキースがした。僕じゃない。あと、さっきの質問にだけど、ここはキースの部屋だよ」
「キースの……?」
先にも述べたとおり、他人を個室の中に入れることは違反行為である。キースがそんなことをするなんて、とでも思っているのか、シロエはものすごく不審そうな顔をしている。その気持ちはよく分かるので、ジョミーは思わず苦笑する。
そうしていると突然、キースが詰問するような声を上げた。
「何をした?」
「ちょっ、キース!シロエは起きたばっかりなんだから……」
ジョミーがたしなめるのを無視して、キースは続ける。
「追われているのだろう?」
「……知ってて助けたのか?」
呆然とした表情でつぶやいたシロエは、すぐに皮肉げな笑みを浮かべて揶揄するように言う。
「いいんですか?マザー・イライザに叱られますよ」
「シロエもキースに喧嘩売らないでよ!」
ジョミーは泣きそうになって叫ぶが、キースもシロエもまるで聞き入れてくれない。と言うか、ジョミーの存在を完全無視して話を続ける。
「何故マザーに逆らう。……何故、そこまでする?」
「貴方らしい殺風景な部屋ですね。息が詰まりそうだ」
「マザーに逆らうことは、地球に逆らうということだ。……命が惜しくないのか?」
「命?」
シロエは嘲るような笑みを浮かべた。
「機械の言いなりになって生きることに、何の意味があると言うんですか?」
あまりの発言に、キースとジョミーは目を見開いて絶句した。けれど、そこまで過激なことこそ考えたことはないが、似たようなことならジョミーは何度も考えたことがある。皆が、マザーに盲目的に従って生きていくこのステーションに、ジョミーは何年過ごしても慣れることができなかった。どうしても、ここで生きる他の生徒たちの考えに馴染むことができなかった。
それでもジョミーは生きていたかったから、ここまで何とかだましだましやってくることができた。けれど、シロエは違うのだろう。
「僕は許せないんだ!聖母面して、僕の大切なものを奪った成人検査がね!」
そうやって声を荒げた後、シロエはくすりと笑って続ける。
「……貴方には分からない、か……」
嘲るような目でキースを一瞥した後、シロエは打って変わって真剣な目をしてジョミーを見つめた。
「ジョミー」
「え、はい!」
ジョミーが思わず背筋を正して返事をすると、シロエはおかしそうに笑って、けれどすぐ真剣な顔に戻った。
「貴方は以前、過去を思い出したいと言った」
「ジョミー!お前はまだそんなことを……!」
「貴方は黙っていてください。僕はジョミーに話しているんだ」
口を挟んだキースをぴしゃりとやりこめて、シロエは続ける。
「ねえジョミー、その気持ちは、今も変わりませんか?」
どうして今、そんなことを聞かれるのか分からなかったけれど、シロエが真剣なことは見て取れたから、ジョミーも真剣な顔で首を縦に振った。
「変わらない」
「たとえそれがどんな過去であっても、ですか?」
脅すような言葉に一瞬怯んだけれど、ジョミーはこくりと頷く。何も覚えていない父や母のこと、生まれた都市や友人たちについて、思い出すことができるのならば思い出したい。
ジョミーが頷いたのを見て、シロエはふわりと顔をほころばせた。
「ああ、やはり貴方はキースなんかとは違う。キースと同じで、マザー・イライザに作られた人形のはずなのに、貴方はこのステーションの誰より人間らしい」
「僕とキースが人形……?シロエ、君は何を言って……?」
「きっと、僕はもう駄目だけど……ジョミー、忘れないで。たとえキースと貴方が同じものなのだとしても、貴方は人形なんかじゃない。僕がそれを知っている。だから真実を知っても絶望したりしないでください。だって貴方は、貴方の心は、誰よりも……」
そのとき、シロエの言葉を途中でさえぎるように突然扉が開いて、保安部隊の人間が何人も部屋の中に入り込んできた。
「セキ・レイ・シロエ!マザー・イライザの命により、お前を逮捕する!」
「なっ……放せっ、はなせー!」
彼らは、暴れるシロエを無理やり連れて行こうとする。
「シロエ!やめろ、シロエを放せ!」
ジョミーは必死になって取りすがるが、大人の男数人相手にかなうわけがない。乱暴に振り払われてよろけたところを、後ろからキースに抱きしめられる。
「キース、何するんだよ!シロエが……!」
顔だけで振り向いて抗議すると、キースは苦い顔で口を開いた。
「やめろ……邪魔をすれば、お前に害が及ぶ」
「そんなのっ……!」
そんなことは関係ない。ジョミーはシロエを助けたいのだ。このステーションの中でたった一人の、同じ思いを共有する大切な友人を。ジョミーはキースの拘束から逃れようとするが、相手はこのステーションの中で、座学でも体術でも唯一ジョミーの上を行き続ける男だ。逃れられるわけがない。
「嫌だっ……嫌だよ、キース……!」
何もできない。ただ、シロエがベッドに押し付けられている様を、黙ってみているしかできない。それが悔しくて、ジョミーは涙を止められなかった。あふれる涙でにじむ視界の中で、シロエが逃れようとあがきながら大きな声を上げる。
「忘れるなっ!忘れるな、キース……そしてジョミーも!過去を知りたいと言うのなら、フロア001、フロア001へ行くんだ!自分の目でっ……真実を確かめ……!」
言葉の途中で、シロエはスタンガンで気絶させられる。
「シロエ!っ……放せ、シロエが……シロエが何をしたんだよ……!」
キースに拘束されたジョミーは、ぼろぼろと泣きながら保安部隊の男たちをにらみつけるが、返ってきたのはそっけない一言だった。
「機密事項だ……連れて行け!」
後半はジョミーにではなく、保安部隊の者たちに向けられたものだ。その言葉に従って、男たちはシロエを外に運び出していく。
「シロエ!」
「……やめろ、ジョミー」
苦虫を噛み潰したような顔をしたキースは、拘束しているジョミーの体を無理やり反転させると、ジョミーの顔を自分の胸に押し付けて、口を開くことをやめさせた。同時に、体全体でジョミーの抵抗を押さえつける。
「二人とも、あとでマザーからコールがある」
保安部隊の男がそう言って、部屋の中から出て行こうとするのが気配で分かった。このままでは、シロエが連れて行かれてしまう。止めなくては。そう思うのに、キースに抱きしめられて押さえつけられているせいで身動きすることさえほとんどできない。ジョミーがいくら暴れても、キースはびくともしない。それが悔しくて、ジョミーがいっそう涙をあふれさせていると、ふとキースが言った。
「……一つ頼みがある。ベッドの上にある本を、シロエと一緒に持っていってやってくれ」
それに対する返事はなかった。けれど男たちの気配がなくなってからしばらくして、キースがジョミーを解放したときには、シロエが大切にしていたあの絵本はシーツの上から消えていたから、多分キースの頼みは聞き入れられたのだろう。その頼みは決して、キースにとって何ら利益をもたらすようなことではなかった。純粋に、シロエを思っての行動だと、ジョミーにも分かっていた。けれど、キースがシロエを見捨てたことに変わりはない。保安部隊に追われているような人間をかばえば、かばった人間もまた罰せられる。だから別に、シロエを助けなかったのはキースが非情だからというわけではないし、むしろキースはジョミーのことを助けてくれたのだ。それが分かっていても、今口を開けばひどい言葉が出てきてしまいそうで、ジョミーは無言でキースの部屋を飛び出していた。