教育ステーションE-1077。その宇宙港のゲートの一つに、一隻の宇宙船が到着する。
『アテンション・プリーズ。ステーション・ポートE−1077ゲート3に宇宙船エネルゲイアC-4到着いたしました。これより同船は……』
機械の合成音がポート中に響き渡る。しばらくして、その船から、幾人かの少年少女が不安そうな顔をして降りてきた。彼らは固まって宙港のロビーまで案内される。そして、同じように不安げな面持ちをした同じ年頃の集団と合流した。彼らは、これからこの教育ステーションE-1077に入学するエリート候補の新入生たちである。皆が親元を離れたばかりの十四歳で、しかも成人検査の直後であるため、これまでの記憶が曖昧になっている。そのため、彼らが総じて不安そうな顔をしているのは当然と言えた。
しかしそんな新入生たちの中でたった一人だけ、不安ではなく、燃えるような激しい怒りに顔を歪ませている者がいた。それは、つい先ほどこの新入生集団に合流した、エネルゲイアからの船でやって来たうちの一人で、黒い髪に夜空のような深い蒼色の瞳をした小柄な少年だった。周囲の皆が、そわそわと落ち着きない態度でいる中で、強い意志を持った瞳で睨むように前を見据えるその姿は、周囲とは一線を画していた。けれど、周囲の少年少女は自分のことで手一杯なのか、その異質さに気づく様子はない。
『これより、新入生ガイダンスを行います。新入生の皆さんは、センターホールにお集まりください』
そのアナウンスが流されてからややもせず、案内役の上級生がやって来て、新入生たちをセンターホールまで先導する。黒髪蒼目の少年――シロエも大人しくそれに続いた。
しばらく歩くと、センターホールにたどり着く。新入生全員が入ってもまだ随分余裕がある、広いホールだった。周りの新入生たちが雑談しているのを、シロエがひどく冷めた目で睥睨していると、突如ホール内の照明が落とされて、鈍い音とともに正面のスクリーンにステーションのロゴ映像が映し出される。
『新入生諸君、入学おめでとう。教育ステーションE-1077は君たちを歓迎する。君たちは無事成人検査を通過し、大人への第一歩を踏み出した。親元から離れ、不安なこともあるだろう。だが決して君たちは孤独ではない』
機械の合成音がそう締めくくった後、スクリーンに映し出される映像が変化する。ステーション、地球、青空を背景に整然として美しい都市――それから、それが打って変わって荒廃した様、砂地に横たわる動物の骨。次々に映像が移り変わっていく間にも、合成音声は話を続ける。やがて映像は再び青い地球を映し出し、合成音声のつづる話はSD体制の説明へと移った。
映像と話の内容に、いちいち反応して表情を変える周囲を見てシロエは顔をしかめ、他には聞こえない小さな声でぽつりと言う。
「……くだらない……」
地球の映像と耳ざわりのいい言葉に、新入生たちはそれまでの不安などすっかり忘れて、ためらいがちながらも笑みを浮かべて隣同士手を取り合っている。その様は、異様にシロエの気に障った。シロエのすぐ近くにいる者たちも、周りと同じように手を取り合おうとして話しかけてこようとするが、不機嫌な空気を身にまとうことで言外にそれを拒絶する。馴れ合いなど御免だ。
地球への思慕。それは確かにシロエの中にも存在する。けれどだからと言って、周りにいる他の者たちのように、甘言を弄してくる相手に乗せられてやるつもりなど、シロエにはない。むしろ、他の皆がどうしてこんなにも簡単に陥落させられるのか不思議に思う。成人検査での不安を、地球への思慕と耳に心地よい甘言で別の感情にすり替えようとしている意図が見え見えなのに、どうしてこんなにも簡単に相手の手口にはまってしまうのか。どうしてこんなにも簡単に、あの忌まわしい成人検査に対する疑念と不審を捨ててしまえるのか。
理解できないと思うその気持ちは、たやすく軽蔑へと置き換わった。
(宥められればすぐに不安も消える……簡単に自分の意思を変える、エネルギーの抜けた性格……皆、腑抜けばかりだ……僕は違う。僕は、こんな奴らと同じになったりしない……!)
手を取り合っている新入生たちをぐるりと睥睨して、いつの間にか再びステーションのロゴ映像を映し出しているスクリーンを睨み付ける。
(この怒りも憎しみも、僕は忘れない……忘れたりなんかしない……!)
生まれてからこれまでの十四年間、エネルゲイアで過ごしてきた大切な記憶。けれどその記憶は、成人検査によってシロエから奪われた。生まれ育った町のこと、友達のこと、父親と母親のこと。ほとんどの記憶が否応なしに奪われた。今頭の中に残る記憶は、最初持っていたものの残滓に過ぎない。大好きだった父と母のことに関する記憶さえ、今はもう途切れ途切れにしか思い出せない。
(失いたくなんて、なかったのに……!)
無意識に食いしばった奥歯が、わずかに軋む音を立てる。その形相は紛れもない憤りに歪んでいたけれど、怒りにたぎる瞳の奥にあるのは、どうしようもないほどの悲しみだった。
図書館の一角でシロエは、真剣な顔をしてコンピュータの画面を見つめていた。
『エネルゲイアは、技術関係のエキスパートを育成するための育英都市で、ほとんどの者が成人検査後……』
ヘッドフォンから聞こえてくる情報。それはエネルゲイアに関する基本的な知識だ。けれどそんな基本的な知識にさえ、実感が伴わない。マザーからコールを受けるたび、残っていたはずのわずかな記憶さえ曖昧になっていく。このステーションに入所してから、わずか二ヶ月しか経っていないというのに、二ヶ月前は覚えていたはずのエネルゲイアの町並みも、今では遠い。画面に映るのは見慣れた町並みのはずなのに、まるで知らない都市を見ているような気分になる。
そのことに、どうしようもない気持ち悪さを感じたシロエは、かかる負荷に全く頓着することなくコンピュータを強制終了させてから、小さく吐き捨てた。
「……吐き気がする……」
そして乱暴に椅子から立ち上がり、まっすぐ出口に向かう。途中、誰かにぶつかったけれど、顔を見ることすらせず軽い謝罪をするだけでその場を立ち去る。背後から悪態を吐く声が聞こえてくるが、相手をする気分にはなれなかった。
気持ち悪くて仕方がない。
成人検査の際テラズナンバー5がシロエから奪っていった、十四年間の記憶。けれどそれだけでは飽きたらず、機械は――マザー・イライザは、シロエに残されたわずかな記憶までも奪おうと言うのか。感じた嫌悪に、まるでそれから逃げるように自然と足が速まる。
(そんな権利が機械なんかのどこにあるんだ!僕は忘れたくない……ただ、忘れたくないだけなのに……)
そう考えることがこのステーションの――否、社会の中においてどれだけ異質であるか学んだ今になっても、シロエにはどうしても怒りを抑えることはできなかった。大切な記憶を忘れたくない。そう願うことの何がいけないのだろう。思い出したい。そう切望することがどうしていけないのか。これから様々なことを学んでいくためには、そんな記憶など邪魔なだけだとマザー・イライザに言われた。言うに事欠いて、邪魔!確かに、記憶の容量を新たに増やすよりも、無理やり古いものを捨てさせる方が簡単なのだから、その言葉が完全に間違っていると言い切ることはできないのかもしれない。けれど、古い記憶を捨てるべきか否か、その判断をしてもいいのはシロエ本人だけだ。断じて機械なんかじゃない。
それなのに、他の者たちはそんな当然のことに気付こうとさえしない。しかも彼らは成人検査で記憶を奪われたことに怒りを覚えないばかりか、今現在においてさえ徐々に過去の記憶を削られていっていることに気付いてさえいないのだ。自分の身に何が起こっているのか知りもしないで、聖母面をしたマザー・イライザに飼いならされて、従順な子羊と化していく。
ふと、もしかしたらいつか自分も、そんな人間の仲間入りをしてしまうのかもしれないという考えが一瞬シロエの脳裏をよぎった。成人検査を、機械を、引いてはこの社会の成り立ちを許せないと思う感情も、消されていく記憶と同じようにいつかこの頭の中から消去されてしまって、機械の思い通りになってしまう自分――想像して、ぞっとした。冷たい汗が背中を流れ落ちていくのが分かる。
思わず立ち止まって、嫌な想像のせいで冷えた自分の体を抱きしめていると、ほぼ真上から誰かの声が聞こえてきた。
「キースー!」
見上げると、長い金色の髪をした少女が二階の手すりの上に体重をかけて、上半身をほとんど手すりの外側に身を乗り出しながら、下にいる誰かに向かって叫んでいるところだった。
「これから皆で電子弓やるんだけど、キースも一緒にやらな、わっ……!」
言葉の途中で、少女は突然素っ頓狂な声を上げてバランスを崩した。それは決して彼女の責任などではなくて、後ろから誰かが思い切り彼女にぶつかったからだというのが、上階の様子がほとんど見えない位置にいたシロエの目にもはっきり分かった。しかも、どう見ても故意だ。あまりのことに唖然としているシロエに向かって、数メートル上でバランスを崩した少女が落ちてくる。その刹那、落ちてくる少女と、見上げていたシロエの目が合った。
とても綺麗に澄んだ、印象的な翠の目だった。それにどこか懐かしさを覚えて、シロエは動くことも忘れる。このままではぶつかるという危険については、彼女と目が合ったとたん頭の中から吹き飛んでいた。シロエが呆然と見上げる先で、しかし少女はくるりと空中で半回転して体勢を立て直すと、壁を蹴り接触を回避してシロエのすぐ横に着地する。拍手を送りたいほど見事な身のこなしは、まるで空を飛んでいるかのようにも見えた。
ピーター・パンみたいだと思いながら、シロエがぼんやりと少女のことを見つめていると、再び上から別の声が降ってくる。
「あら、ごめんなさい、ジョミー。大丈夫だったかしら?」
ジョミーと呼ばれた少女から視線を外して見上げると、貼り付けたような笑みを浮かべた女が手すりからわずかに身を乗り出していた。言葉での謝罪に、明らかに態度が伴っていないのが分かる。
「まあ、猿みたいに身が軽い貴方なら、この程度の高さから落ちても大丈夫よね」
「……確かに、これぐらいの高さなら僕は怪我一つしない。でもだからって、人を突き落とすのは感心しないよ、マリーア」
「失礼ね、何を根拠にそんなことを言うの?私はぶつかっただけよ。突き落としたりなんてしてないわ」
「目撃者ならそこらじゅうにいると思うけど」
ぐるりと周囲を見渡してジョミーが言うと、いつの間にか近くまで来ていた一人の青年がそれに相槌を返しながら言う。
「少なくとも僕の目には、君の行動はひどくわざとらしいものに映った」
「はい、証人一人確保」
そう言って、ジョミーは青年の手をつかんで上げさせる。マリーアと呼ばれた女は、怯んだような顔になってぐっと詰まった。青年は厳しい眼差しでマリーアを一瞥した後、一転して心配そうな目をジョミーに向けて問いかける。
「怪我はないか?」
「平気だよ」
青年に軽く微笑んでから、ジョミーは顔を上げてマリーアを見据えた。
「……でも、落ちても僕一人なら怪我なんてしないけど、下には人がいた。結果的には何もなかったけど、もしかしたら僕はこの子を巻き込んで怪我をしていたかもしれない。君はそのことを少しでも考えなかったのか?ああ、それともそんなこと、考えつきもしなかった?だとしたら、随分軽い頭をしてるんだね」
「なっ……!だから私は突き落としてなんて……」
マリーアがそう声を上げたところで、マザー・イライザからのコールが鳴る。マリーアの左手にある端末から鳴り響くそれは、間違いなくマリーアへの呼び出しだった。
「申し開きはマザー・イライザにするんだね」
冷たい目でジョミーが言うと、マリーアは悔しそうな顔で唇を噛み締めて無言で立ち去っていった。それを見送った後、ジョミーは大きなため息を吐くと、くるりと振り向いて事態を傍観していたシロエの方を向いた。幼げな顔立ちをしているし身長も高くないから、シロエと同学年かせいぜい一つ上と見ていたが、よく見てみると、着ている制服はメンバーズ・エリート候補生しか着ることのできない最上級生用のものだ。そのことにシロエが驚いていると、ジョミーは申し訳なさそうな顔で謝罪してきた。
「ごめんね、変なことに巻き込んじゃって。ちゃんと避けたと思うんだけど、怪我はなかった?」
「大丈夫ですけど、何なんですか、アレ」
「えー……それはまあ、何て言うか……」
隣に立っている青年をちらりと一瞥して、ジョミーは肩をすくめる。
「まあ、顔のいい朴念仁と仲良くしてる弊害かな」
「誰のことだ?」
青年は不思議そうに眉根を寄せている。どうしてジョミーがあんなことをされたのか、本気で分かっていないようだ。確かにこれは朴念仁だな、とシロエが静かに納得していると、何故かジョミーがまじまじとシロエを見つめながら不思議そうに首を傾げていることに気付いた。
「……何か?」
「んー……君、僕とどこかで会ったことない?」
とたん、空気がぴしりと固まった。どこのナンパ男のセリフかとつっこみたくなるほど典型的なナンパの言葉だ。普段ならそんなもの、冷たい視線と言葉を浴びせて一刀両断するのだが、今回シロエはそれを選びはしなかった。
「いえ、記憶にある限り初対面だと思いますが……奇遇ですね、僕も貴方とは初めて会った気がしません」
「だよね!」
シロエが言うと、ジョミーはぱっと笑みを浮かべる。
目が合った瞬間に感じた懐かしさ。シロエにはそれが、勘違いだとは思えなかった。相手も同じものを感じたのだとすれば、それはなおさらだ。消えてしまった――否、奪われたシロエの記憶のどこかに、彼女がいたのかもしれない。
「育英都市で知り合いだった、とかかな?」
「僕はエネルゲイア出身ですけど、貴方もですか?」
「いや、僕はアタラクシア……となると、気のせいなのかな?でもなあ……」
難しい顔をしてぶつぶつつぶやくジョミーほどあからさまではなくとも、生まれ育った育英都市が違うことにシロエは落胆を覚えながら、シロエはとりあえず遅まきながらも自己紹介をすることにした。
「ところで、僕はセキ・レイ・シロエと言いますが、貴方の名前は?」
「あ、ごめん。僕はジョミー。ジョミー・マーキス・シン……えーと、セキ、君?変わった名前だね」
「それはファミリーネームです。ファーストネームはシロエの方なので、どうぞシロエって呼んでください」
「分かった。僕のこともジョミーって呼んでほしい」
「分かりました。あと、一つ聞きたいんですけど……先輩、ですよね?」
「うわ、ひどい!この制服着てるの見てそれ言うの!?」
「仕方ないだろう。お前は新入生の頃から、身長も顔もおかしなぐらい成長してないんだからな」
「だってそれは、その方が……!」
口を挟んできた青年に食ってかかったジョミーだが、言葉の途中で戸惑ったように口ごもった。青年が不思議そうな顔をして問い返す。
「その方が、何だ?」
「……何だろう?」
自分で言いかけたことのはずなのに、ジョミーは困惑したような顔で何度も首をかしげている。しかしいくら考えても、何を言おうとしたのか思い出せなかったのか、やがて諦めたようなため息を吐き、シロエに向き直った。
「とにかく、僕はれっきとした最上級生で十八歳だから。あ、でも堅苦しいのは嫌いだから、先輩とかは付けないでくれるとうれしい。それで……」
ジョミーは隣に立っている青年の腕を引っ張って、シロエの前に持ってきてから続けた。
「こっちはキース・アニアン。僕と同じで最上級生だよ」
「そうですか」
シロエは一応紹介されたキースに一瞥を向けるが、すぐに興味を無くしたように視線を逸らした。シロエが教授から、または生徒たちの噂からキース・アニアンの名前を知るまで、まだ少しの時間がかかる。そのため、現時点のシロエには、キースと特別関わりを持とうという気は起きなかった。だからシロエは、ジョミーだけに向けてにこやかに微笑みながら言った。
「これからよろしくお願いします、ジョミー」
マザー・イライザに飼いならされた羊しかいないこのステーションの中で、他人と馴れ合うつもりなど、今の今までなかった。けれど、理由の分からない懐かしさからか、それとも他の理由からなのかは分からないけれど、ジョミーとは仲良くなりたいと、シロエはそう思った。