教育ステーションE-1077 気持ち悪い

 教育ステーションにやって来て一ヶ月近くも経つころには、大体いつも一緒に行動する人間は決まるものである。
 ジョミーの場合もその例に漏れず、たいていは同期であるキースとサムと三人で固まっていることが多かった。そして少し前から、そこにサムの幼馴染であるらしいスウェナが加わって、合計四人で過ごすことが当然になった。もちろん、ほとんどの生徒たちから敬遠されがちなキースから少しでも離れれば、瞬く間に他の生徒たちに囲まれてしまうのが人気者であるジョミーの常だったが、基本的に行動を共にしている人間は誰だと言われると、上記に挙げた三人であることは明らかだ。そしておかしなことに、普通ならジョミーを中心に人が集まるものなのだが、この四人の場合、中心になっているのは誰から見てもキースであった。ジョミーは子供のような無邪気さでもってキースにごろごろとなついているし、サムは人に誤解されがちな無愛想人間キースのことを特に気にかけているし、スウェナがキースに想いを寄せているのは傍から見てもバレバレ。彼女の想いに気付いていないのなんて、朴念仁のキースぐらいだ。
 とまあそんなわけで今日も今日とて、その四人は一緒になって昼食のテーブルを囲んでいた。円形のテーブルを、サムから左へ向かってキース、ジョミー、スウェナの順に並んでいる。落ち着いた様子で作法どおりにナイフとフォークを使って食事を片付けているキースの隣では、ジョミーが全く少女らしくない旺盛な食欲を発揮して、大盛りの皿の中身をパクパクと猛スピードで平らげていっている。だがその様子が少しもみっともなく見えないのは、旺盛な食欲と食事スピードの速さに隠されてはいるがマナーがきちんとしているからだ。
 すでに食後のコーヒータイムに突入していたスウェナは、そんなジョミーのことをじっと見つめていた。彼女はジョミーが食事を終えるのを見計らって、少しためらいがちに口を開いた。
「……ねえ、ジョミー。少し聞いてもいいかしら?」
「何?」
「何日か前に言ってたけど……成人検査の前のこと、全然覚えてないって話……あれって本当なの?」
「本当だよ」
 ジョミーがそう答えるのとほとんど変わらないタイミングで、キースが自分の分と、ついでにジョミーの分のトレイを持って席を立つ。その背中に向かって、ジョミーは遠慮なく叫んだ。
「あ、キース!僕、今日はアイスティーがいい!」
「分かった」
 当たり前のように答えを返すキースの態度から、このやり取りがいつもの光景なのだと窺える。しかしその様子は、同年の友人同士と言うより、まるで手のかかる子供と世話焼きの母親のようだ。無愛想で人嫌いだと勘違いされやすいキースだが、サムやスウェナには最近では少し打ち解けた態度を取ることもあるし、ジョミーに対しては打ち解けるなんてレベルを通り越してかなり甘い。教育ステーションにやって来てからのこの短い間で、機械の申し子というあだ名が付くほど人間らしくないと思われているキースでも、どうやらジョミーに対してはそれも崩れるらしい。
「ジョミー、もう何度言ったか忘れたけど……貴方はキースに甘えすぎだわ」
「うーん、だってキースって優しいしあったかいし、ママってこんな感じの人だったかなーと思うんだよ。だからつい甘えたくなるんだよね」
 スウェナのたしなめに、ジョミーは悪びれることなくあははと笑いながら言う。
「ま、ママ……?」
「キースをママ……さすがジョミー……言うことが違うぜ」
 キースのイメージとは180度違う言葉に、スウェナは目を白黒させているし、まだ食事途中だったサムはフォークを動かす手を止めていっそ感心している。さらに言うと、近くの席に座っていた生徒たちは、げほごほとむせていたり、口にしていたものを噴き出したりとたいへんな目に合っていた。彼らの思いはいずれも変わらない。それは、あのキース・アニアンをママと称するとは!の一言に尽きた。
 そんなことをしているうちに、ジョミーの分のアイスティーと、自分のコーヒーを手に持ったキースが席に戻ってくる。
「ほら、アイスティーだ」
「ありがとう、キース」
 差し出されたグラスを受け取って、ジョミーはグラスから飛び出ているストローにかじりついた。
「で、話を戻すけど、どうしてそんなこと聞きたいの?」
「だって、ジョミーとキースだけでしょう?成人検査の前のこと、一つも覚えていない人なんて。私もサムも、成人検査の前のことは曖昧だけどちゃんと覚えているもの」
「まあ、おかしいよね」
 ジョミーはあっさりと肩をすくめて言った。
「でも何で何も覚えてないのか、僕もキースも分からないから、それは聞かれても答えられないよ。アタラクシアでのことも、成人検査についても、ホントに何も覚えてないんだ」
「アタラクシア!?ジョミー、貴方、アタラクシア出身なの?」
「……言ってなかったっけ?」
 ジョミーがぱちぱちと目を瞬かせていると、スウェナは困惑したような顔になる。
「聞いてないわ。それより、何で覚えてないのかしら、私ったら、もう……私もサムもアタラクシア出身なのに」
「……そうなんだ。二人が同じところの出身だってのは聞いてたけど……僕と同じでアタラクシアだったんだ」
 ふんふんとのん気に頷いているジョミーに、これまたのん気な顔をしたサムが言う。
「へえ、ジョミーみたいな目立つ奴がいたら、忘れたりしないと思ってたんだけどな……これも成人検査のせいだろうな」
「そうね……ほとんどの記憶は、テラズ・ナンバー5に消されちゃったし……大人になるためには必要なことなんだから、仕方ないわよね……」
 ほうとスウェナがため息を吐いていると、不思議そうな顔をしたジョミーがこてんと首を傾げて問いかける。
「テラズ・ナンバー5?何それ?」
「……ああ、そうね……ジョミーは成人検査のことも覚えてないのよね」
「うん」
「テラズ・ナンバー5はね、成人検査を担当するコンピュータよ。子供の頃の不要な記憶を消去して、テラで生きるための知識を私たちに与えてくれるの」
「不要な記憶を消去……」
 スウェナの説明に、ジョミーは一瞬暗い顔になる。それを正面から見ることになったスウェナは、不安げに眉根を寄せてジョミーの名を呼んだ。
「ジョミー?どうしたの?」
「……不要な記憶って何?僕が何も覚えてないのは、これまでの僕の14年間が全部いらなかったからってこと……?」
「ジョミー、前にも言っただろう。大切なのは過去ではなくて、これから……」
 初めて会った日、同じように不安をのぞかせたジョミーに言ったことを繰り返そうとするキースを睨みつけて、ジョミーは叫ぶように言った。
「そんなの言われなくても分かってるよ!!」
 しんと周囲が静まり返る。その中で、ジョミーは音を立てて椅子から立ち上がると、泣きそうな顔をしてぽつりと言った。
「分かっても、納得できないから言ってるんじゃないか……忘れちゃった先にあること、僕は思い出したい。昔のこと、忘れたくなんてなかった……でも皆には、分からないんだね。……必要なことだって……それは分かってるけど、やっぱり僕は嫌だよ……」
 テーブルに両手をついて唇を噛み締めていると、左手につけた端末からコール音が鳴り響いた。
「……マザー・イライザからのコールだ」
 ジョミーはため息を吐いてくるりと踵を返すと、そのままメディカルカウンセリングルームのある方向へ向けて歩き出す。
「多分、午後の授業には出られないから、教授にはそう伝えておいて」
 振り返ることなくジョミーはそう言って、挑むような足取りで進んで行った。



◇ ◇ ◇



 人のいない通路を歩いて、ここ一ヶ月という短い間で何度も呼び出された部屋へと向かう。目的地となる部屋の前で、一瞬ためらうように立ち止まったジョミーだったが、すぐに顔を引き締めて足を進めた。
「……ジョミー・マーキス・シン、入ります」
 部屋の中に一歩足を踏み入れると、美しい黒髪の女性の姿をしたマザー・イライザがふわりと目の前に出没する。
『ようこそ、ジョミー……貴方の心が不安定なので呼びました。貴方はいったい、何がそんなにも怖いのですか?』
 実体のない白い手が、ジョミーの頬に触れようとする。ジョミーはそれから逃れるように一歩下がって、いつまで経ってもなじむことのできないマザー・イライザの存在から視線を逸らした。
「思い……出せないことが……」
『ですが、それは必要なことなのだと、貴方にも分かっているのでしょう?』
「分かっていても納得できない……矛盾するその心があるからこそ、僕らは人間であると言えるのではないのですか?」
 挑むような表情でジョミーがマザー・イライザを睨みつけると、彼女は驚いたように目を瞠った。
『まあ……そう言えば貴方は、哲学の成績はキースと並んでトップだったのですね……確かにその通りです、ジョミー。人は矛盾を乗り越えてこそ成長する生き物……感情を知り超越する者のみが、テラを正しく導くにふさわしい存在……ですが、貴方の感情の振れはあまりに大きすぎますね。感情過多……――の性質の一つですね。まさかとは思いますが……一度検査をした方がいいでしょう』
「検査……?」
『さあ、ここに横になりなさい、ジョミー。怖いことはありませんよ、30通りばかりの思想検査と、感情分析をするだけですから』
 マザー・イライザは優しく微笑んでそう言ったけれど、その笑顔はやはり、嘘臭いものにしかジョミーには思えなかった。



◇ ◇ ◇



「あああああああ!」
 脳の中をぐちゃぐちゃにされるような感覚に襲われる。無数の触手で脳内をかき回されているような気持ち悪い感じだ。怖い気持ち悪い耐え切れない嫌だやめてといくら心の中で叫んでも声から出るのは意味を成さない悲鳴ばかりだ。逃げたくても両手両足を固定されていて逃げられない。それならせめて頭を振ってこの感覚から逃れようともがこうちとしても、頭まで固定されているためそれだけのことさえ許されない。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
「あ、あああ……あああ!」
『現在レベル9……サイオン反応の検出はなし……この子がミュウならば、とっくに覚醒しているか、精神崩壊を起こしているところですね……いいでしょう、検査は終了です』
 その声とともに、頭の中を探っていた見えない触手はぴたりと活動を止める。信じられないほどの苦痛から解放されたジョミーは、そのまま眠るように意識を手放した。暗闇に落ちる意識の中で、誰かに名前を呼ばれた気がした。

 ――……ジョミー……。

 その声は、ジョミーの記憶に残っていたたった一つの言葉を言ったのと、同じ声をしているように思えた。
(だ、れ……?)
 まぶたの裏に、白銀の髪が翻るのが見えたような、そんな気がした。


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