合わせ鏡の虚無 鏡合わせのゼロ

「そう言えばさ、ゼロの声って、ルルーシュの声と似てるよなー」
 アッシュフォード学園、午後の生徒会室。
 体調が悪くて学校を休んでいるカレン、そして軍務で休んでいるスザクを除いた役員たちが集まって、仕事の処理に追われている最中。何を思ったのか、唐突にリヴァルが上のようなことを言い出した。
「……そうか?」
 ルルーシュは無表情のまま、わずかに首をかしげる。
 それもそうだ。自分の声だと思っている音と、他人がその人の声だと認識している音との間には、ずれがある。だから、テレビを通して聞く他人――つまりはゼロの声と、自分の声が似ていると言われても、言われている本人には良く分からないのだ。
 ゼロとは、ブリタニアへの反抗勢力の一つで、正義の味方を名乗る黒の騎士団のリーダーである。常に頭全体を覆うマスクに顔を隠し、長いマントを身にまとう、正体不明の謎の人物だ。
 正直ルルーシュはこっそり、あの服装かっこいいなと思っている。誰にも言っていないが。
 そんなつまらないことはともかくとして。黒の騎士団に対する、世間の評価は真っ二つに割れている。正義のヒーローとして彼を崇める者もいれば、所詮はテロリストに過ぎないのだと侮蔑をあらわにする者もいる。
 ルルーシュは、どちらかと言えば、前者に近かった。崇めるほどではないが、それなりに好意を持ってゼロの行動を見ている。
 ゼロの行動パターン、思考回路、その他諸々のことを分析してみると、それらは驚くほどにルルーシュのものと似通っている。
 だから、ゼロの行動を見ていると、将来自分がやろうとしていた計画を前倒しにされているような気がするのだ。それは、少々の不快感と同時に、大きな安堵をルルーシュにもたらした。
 ブリタニアへの反逆。それはいずれ、自分がやろうと思っていたことだった。
 
 ――ブリタニアをぶっ壊す。
 
 祖国に――実の父親に見捨てられた七年前のあの日、ルルーシュは心に決めたのだ。子供の戯言だと言われようと、ルルーシュは本気だった。本気で、ブリタニアを壊そうと思った。双子の兄を失った日、その決意はさらに強いものになった。
 もう二度と、大切な家族を失わずに済むように。最愛の妹が、幸せに生きていける場所を作るために。ルルーシュは、ブリタニアを壊すことを決めた。
 けれどそのためには、たとえそれが偽りの上に成り立っていたものであろうと、今の幸せを壊さなければならない。ナナリーが気に入っている、このアッシュフォード学園という箱庭を、捨てなければならない日が、いつか来るのだ。
 ナナリーが悲しむことを思うと、ルルーシュの決意は鈍った。
 だから、ナナリーの幸せを壊すことなく、ルルーシュではなく誰か別の人間がブリタニアを壊してくれるのなら、ルルーシュはそれでもいいと思っていた。
 自分以外の人間があの父親を殺すのかと思うと、少し不愉快になったが、それぐらいは譲歩するべきだろう。
 
 ルルーシュが無表情のまま、そんなことをつらつらと考えていると、シャーリーも笑顔でリヴァルの話に乗ってくる。
「ホント、言われてみれば似てるー!ルルのより、ゼロの方が声に深みがある感じだけど……こう……仕草がいちいち芝居がかってるところとかも似てない?」
「あ、似てる似てる!」
「でしょー!」
「リヴァル、シャーリー……二人とも、俺を何だと思ってるんだ?」
 悪乗りするリヴァルとシャーリーを見て、ルルーシュが呆れ顔になっていると、二人はいたずらっ子のような顔をして、事前に打ち合わせをしていたかのように声をそろえて言った。
「「カッコ付け!」」
「……はあ」
 ルルーシュは大きくため息を吐く。
 同時に、それまで大人しく仕事をしていたミレイが勢い良く立ち上がり、握りこぶしを作って言った。
「甘いわ、二人とも!!ルルちゃんはカッコ付けじゃなくて、女王様なのよ!この美貌、気品、生まれながらの傲慢さ!女王様にぴったりじゃない!」
 その言葉に、おおー、と納得したような声を上げる一同の姿を見て、ルルーシュは心底この場にナナリーがいなくて良かったと思った。最愛の妹がいる前で、女王様なんて言われた上に、部屋中の人間から同意までされてしまったら、やっていけない。
 大体、誰が生来の傲慢人間なんだと思う。自分で言うのもなんだが、ルルーシュは一応、子供のころはずいぶんと謙虚な性格をしていた。ひねくれてしまった今となっては、その面影は微塵も残っていないが。
 子供のころからの知り合いのミレイが、それを知らないはずもないというのに、あんなことを言うのは――単に、面白がっているだけである。
 反論しても楽しませるだけだと、身をもって知っているルルーシュは、ミレイの女王様発言を軽く聞き流すことに決めて、ため息を吐いて口を開いた。
「そんなことより会長、さっさと仕事してください」
「ああん、ルルちゃん冷たい!あ、そうだわ、紅茶入れてきてあげる。皆、喉渇いたでしょ?」
「……そんなこと言って、また逃亡する気でしょう?」
 ルルーシュが呆れ顔で言うと、ミレイは芝居がかった動作で手を組み、瞳を潤ませて口を開いた。
「そんなっ……親切で言ったことをそんなふうに思われるなんて……お母さんはそんな子に育てた覚えはありませんわよ!」
「誰が俺の母ですか。あなたに育てられた覚えは、これっぽっちもないんですが、俺の記憶違いでしょうか?」
「もうっ!ちょっとぐらい乗ってくれてもいいじゃないの!これだからルルちゃんは……」
 ぶつぶつと文句を言いながら、ミレイは自然な動作で扉へ向かおうとする。他の皆はうっかり見逃しそうになったが、ルルーシュはしっかりと逃亡しようとしているミレイの意図に気付いて、かつて皇室で鍛えたロイヤルスマイルを浮かべて言った。
「会長。言っておきますが、俺は自分のノルマ以外の仕事はやりませんから。会長も、自分の分はちゃんとやってくださいね。後で間に合わないって言っても、俺は手伝いませんよ」
「チッ……!」
 行儀悪く舌打ちをしたミレイは、ようやく部屋を出る、というか逃亡することをあきらめて、自分の席に再び着いた。
「あー、もう……つまんなーい」
「ミレイちゃん、そんなこと言ったら駄目だよ……」
 困ったような顔をして、ニーナがミレイをたしなめる。
 そのとき、生徒会室の扉が開いて、スザクが中に入ってきた。
「こんにちは」
 軍の仕事で休んでいたはずの幼馴染の姿に、ルルーシュはわずかに目を見開いて、驚きの意を示した。
「スザク?今日は休みじゃなかったのか?」
「うん、でも今日の仕事はもう終わったから、君に会いに来たんだ」
「そうか。じゃあ、久しぶりに夕飯を食べていくか?お前がいると、ナナリーも喜ぶからな」
 まるで口説き文句のようなスザクの言葉を、ルルーシュはさらりと流して、笑顔で妹の話題を持ち出してくる。恐るべし、シスコン。
 スザクの言葉の真意を気にしているのは、ルルーシュではなく、周囲の人間だった。特に、ルルーシュに恋する乙女シャーリーなどは、混乱しているような顔をして、スザクとルルーシュを見比べている。
 そんな周囲をすっぱり無視して、スザクは不思議そうな顔をしてルルーシュを見た。
「それよりルルーシュ、何だか楽しそうな声が外まで聞こえてたけど、何の話をしてたの?」
「ん?ああ……リヴァルの奴が突然、俺とゼロの声が似てるなんて言い出すから……」
 ため息を吐きそうな顔で、ルルーシュが話の最初から説明しようとすると、スザクが突然声を荒げた。
「似てないよ!」
 驚いて黙り込むルルーシュに向かって、スザクは大声で言う。
「全然似てない!あんなテロリストと君が似てるなんて、そんなこと絶対ない!!」
「……スザク、誰も俺がゼロだと言っているわけじゃないんだ。似てると言われただけで、そこまで怒ることないだろう?」
「だって……!」
「別にいいじゃないか。ほら、そんなことより、スザクもせっかく来たのなら手伝え」
 不満そうな顔をするスザクを座らせて、ルルーシュは大量の書類をスザクの前に置く。案の定、多すぎる書類にスザクは意識をそらされて、引きつった顔になる。
 すると、今までスザクの剣幕に口を挟めなかったリヴァルとシャーリーが、気まずそうな顔で話しかけてこようとするが、ルルーシュは手を振るだけでそれをあしらって、再び書類に目を通し始めた。
 そして、仕事をする手は休めることなく、ルルーシュはひっそりと物思いにふける。
(スザクは否定したが……リヴァルとシャーリーは、あんなことで嘘は吐かない。ゼロと俺の声は似ている、か……まさか、あいつが生きて……?いや、あの状態で助かったはずがない……馬鹿だな、俺は……)
 自嘲するような笑みを口元に刷いて、ルルーシュは目を閉じる。
 ルルーシュが思い浮かべているのは、七年前に死んでしまった兄。外見も声も考え方も、何から何までルルーシュとそっくりだった、双子の兄だ。
 ゼロと似ていると言われて、最初に思ったのは、まさか彼が生きていてゼロになったのでは、ということだった。
 そんなことはありえないと分かっていながら、何とも愚かしいことだと、ルルーシュは自分を嗤う。
 兄がもうこの世に生きていないことは、双子の片割れであるルルーシュが一番良く分かっている。
 七年前、ブリタニアが日本に攻め込んだ際、兄とルルーシュとナナリーはアッシュフォードに保護されるまでの短い間、瓦礫と化した土地をさまよったことがあった。兄と交代でナナリーを背負って歩き、必死に生き延びようとした。
 そしてルルーシュたちは、ある日、暴徒と化した民衆に襲われた。明らかに異国人と分かる外見をしたルルーシュたち兄弟は、日本人たちの行き場のない怒りをぶつけるための、格好の的となったのだ。
 逃げようと思ったが、ナナリーを背負っていて大人から逃げ切れるほど、ルルーシュは足が速くなかった。だから、ルルーシュとナナリーをかばって、兄が暴徒に捕まった。
 ナナリーを背負っていたのが兄で、もし彼が捕まりそうになっていたとした、二人を助けるために、ルルーシュもきっと同じことをした。
 だから、暴徒に捕まった兄が逃げろと言ったとき、ルルーシュはナナリーを背負ったまま、逃げた。兄の気持ちを無駄にしないために。ここでルルーシュたちまで捕まったら、兄が自分を犠牲にした意味が無くなってしまう。
 だからルルーシュは、逃げた。自分の無力さが悔しくて、涙があふれてこようと。足が棒のようになって、もう走れないと思っても。逃げて逃げて逃げて、逃げ続けた。
 ルルーシュたちを襲った大人たちは、鉄の棒やナイフなどの、たくさんの武器を持っていた。そして、突然の戦争のせいで、人々はひどい恐慌状態に陥っていた。
 そんな状況の中で、つかまった兄が生き残る可能性を、ルルーシュの優秀な頭脳は否定した。それに、もし生きていたとしたら、兄がルルーシュたちの前に姿を現さないはずがない。
 そして何よりルルーシュの、双子としての勘が、兄は死んだのだと教えた。兄と別れてから数十分、あるいは数時間後、それとも数十秒後だったのだろうか。それを感じたのがいつだったのか、はっきりと覚えていないけれど、何の前触れもなくただ、失ったと、そう思った。
 だから、兄が生きているはずはないのだ。
 ルルーシュは、兄を見捨てた。見殺しにした。兄は、ルルーシュが殺したも同然だ。
 自嘲するように笑っていると、ふと誰かの視線を感じて、ルルーシュは閉じていた目を開ける。同時にうつむき気味になっていた顔を上げると、心配そうな顔をしたスザクがルルーシュを見ていた。
 学園で再会した日、スザクには、兄が死んだことを伝えた。だからスザクは、兄が死んでしまったことを知っている。
 その事実を知っているからスザクは、ゼロとルルーシュの声が似ていると言われたことで、ルルーシュが何を思うのか何となく分かっていたのだろう。だからあんなふうに怒って、こんなふうに心配している。
 大丈夫だとの意を込めて、ルルーシュはスザクに笑いかける。
(ありえない夢を抱いて、ゼロに――黒の騎士団に傾倒するほど、俺は愚かになれないんだ、スザク)
 声が似ているというだけで、ゼロを兄と重ねて見るほど、ルルーシュは夢見がちではない。
 お前の心配は杞憂に過ぎないのだと、ルルーシュは笑顔の下で思った。


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