V.V.と名乗った少年から教えられた通りの手順に従って、秘密通路を進んでいく。ブリタニア宮殿の奥も奥、最奥に位置する、皇帝以外は入れぬとされている神殿。そこへ続く抜け道は、秘密と言うだけのことはあってかび臭い空気に包まれていた。
進むたび、床から舞い上がるほこりが、禁忌の場所へ立ち入っているのだという事実を実感させる。しかし、緊張はなかった。失ったと思っていたルルーシュを――誰よりも大切な人がこの先にいるのだと思えば、ただ興奮だけがこの胸を占める。
許されない場所へ向かっているのだと分かっていても、足を止めようという気は少しも起こらない。ルールを冒すことに対する罪悪感なんかよりもずっと、今のスザクには大切なものがあるからだ。
もう一度ルルーシュに会うことができるなら、何だって良かった。出会ったばかりの少年の言ったことを信じたのも、だからだ。普段なら、いかにも怪しい人間の言葉を鵜呑みにして、こんな場所を歩いていたりしない。けれどその正常な判断基準を、ルルーシュだけが狂わせる。
歩いているうちに、行き止まりになっていて、これ以上進めなくなるところへ行き着いた。これが本当に行き止まりであるわけではなく、仕掛けによって入り口ができることは教えられていたから、スザクは焦ることなく、V.V.に言われた通りの順番でレンガを外していく。やがて、人が通れるほどの穴が開くと、迷うことなくその中へ身を進めた。
出たのは、雑然と物が並べられた物置らしき部屋だった。気配を殺して、また物音を立てぬようにそこを出て、周囲の気配を探る。不思議なほど、人の気配はなかった。感じ取れるのは、一人分の気配だけだ。
期待に胸を高鳴らせながら、スザクは足音を忍ばせながら移動する。
果たして、ルルーシュはいた。彼女がいるその部屋は、何とも奇妙なものだった。広い部屋の中、ほとんどの面積に何があるわけでもなく、部屋の奥にぽつんと祭壇らしきものがあるだけだ。
その祭壇に上るための階段の途中に、ルルーシュはひっそりと腰掛けて、何かの本を読んでいた。けれどその視線は文字を追っているようには見えず、ただぼんやりとページを眺めているだけのようだった。その様子は、ひどく厭世的な感を醸し出している。何もかもを諦めたようなその空気を、どこかで見たことがあるような気がした。けれどそれについて気にかかる心よりも、目の前に望んだ人がいるという歓喜の方が大きかった。
「ルルーシュ」
気配を殺すのを止めて、名前を呼びながら部屋の中に入って、彼女のいる場所へと近づいていく。
ゆっくりと顔を上げたルルーシュは、スザクの姿を見たとたん、信じられないように目を見開いた。左の目が、神秘的な紫から血のような紅に変化していることには気付いたが、次の瞬間かけられた声に、そんなことはどうでもよくなった。
「……スザク……?」
胸が震える。名前を呼ばれることがこんなにもうれしいなんて、今まで知らなかった。
「どうして、お前が……」
「攫いに来た」
唖然とした様子でいるルルーシュの腕を取って強引に抱き寄せ、その華奢な身体を抱きしめる。腕の中に感じる温もりに、我知らず頬を涙が伝っていく。無理やり抱きしめているはずなのに、その光景はどこか、迷子の子どもが保護者にすがり付いている図を髣髴とさせた。
「……君がいないと、意味がないんだ」
だから、側にいて。
◇ ◇ ◇
薄暗い部屋の中、その女は無表情に立っていた。何をするわけでもなく、何を言うでもなく、ただ立って床を見下ろしている。鳥が空を飛んでいるような形の記号が描かれ、不思議な光を放つ透明な床を。
彼女はふと、何かに気付いたように顔を上げた。その瞳は、驚愕に見開かれていた。
「……ルルーシュ?」
突然の喪失感が彼女の胸を襲った。己の領域から、契約者の気配が失せたことを感じたからだ。
慌てて走り出そうとしたそのとき、ぞわりと、背筋を悪寒が走りぬけた。とっさに両手で身体を抱きしめる。
床に描かれた鳳の記号が、そして透き通った床そのものが、それまでとは違った輝きを放っていた。
「久しぶりだね、C.C.」
背後から、誰かが呼びかけてくる。女――C.C.には、振り向く前からその正体が分かっていた。
「っ……V.V.!」
振り向きざま、鋭い視線を投げかける。予想通り、そこにいたのは金色の髪を長く垂らした少年だった。
神殿から消えたルルーシュの気配、そしてこのタイミングで現れたV.V.。この二つが無関係と思えるほど、C.C.は純粋でも善良でも馬鹿でもない。
「お前、どういうつもりだ!?」
「だって、ずるいじゃないか」
C.C.からの詰問に、V.V.は淡々とした口調で返す。
「君だけが手に入れるなんて、ずるい。僕のあの子は、もういないのに。契約を結ぶ前に世界からいなくなってしまったのに……君だけが幸せになるなんてそんなの、許せるわけがないだろう?」
V.V.は、あどけなさが残る顔立ちに似合わない酷薄な笑みを浮かべる。
彼がずるいと言う気持ちは、痛いほど分かる。C.C.とV.V.は同じだから。同じように永劫の時を生き、同じようにそれぞれただ一つの魂に執着し、捜し求める。二人とも、たった一つの魂に会うためだけに生きている。いつだって決して手に入ることのない、たった一つの魂を求めて。
そんな二人は、数百年前、ブリタニア皇国の建国に手を貸して、以降影からブリタニアという国を支えてきた。何代先になるかは分からない。けれど、皇帝となった男の血筋にいつか、望んだ魂を持つ者が生まれることを知ったからだ。
だから何百年もの間、待ち続けた。今度こそ望みのものを手に入れられるように、面倒な細工までして。
「ねえ、どうしてナナリーは死んじゃったんだろう……こんなにたくさんの贄を捧げたのに、どうしてあの子はいつも僕のものにはならないのかな?」
贄という言葉に、C.C.は思わず視線を下にやった。目に映るのは、透明な床の下、閉じ込められている数え切れないぐらい多くの人間の姿。贄という言葉は、そのままの意味だ。彼らは、C.C.とV.V.が選んだ人柱。いつだって手に入らない魂を手に入れるため、仕組んだ細工。一つの王の時代に一人、仮初の契約者を選んで王の力を与え、神殿の巫女とする。C.C.とV.V.は、その巫女を通して代々の皇帝に力を貸した。そして次の巫女が神殿に入ったときに、古い巫女を人柱として神に捧げる。その代償として、今度こそ願いは叶うはずだったのだ。それなのに、どこかで何かが狂った。
「こんな数じゃ足りない?契約者だったのに、マリアンヌが、皇帝に奪われたのが悪かった?それとも、どうやったって僕は、あの子を手に入れることはできないのか……」
「お前が何をどう思おうと、それはお前の自由だ。だが、私の邪魔をするな!」
今度こそ、手に入りかけていたのだ。それなのに邪魔をされて、どうして冷静でいられるだろう。
激昂するC.C.を見て、V.V.は嘲るように口の両端を吊り上げる。
「君だけが幸せになるなんて、許せない。そう言っただろう?」
そう言って、V.V.は衣服の胸元に手を突っ込むと、そこから子どもの手のひらほどの大きさをしたカプセルを取り出した。中央だけ透けて見える構造のそれに詰まっているのは、桜色の液体だ。
「それは……!」
「そう、流体サクラダイト。いくら僕らが不死身でも、この爆発の直撃を受けたらどうなるだろうね。跡形も残さず吹き飛べば、もしかしたら死ねると思わない?……僕はもう、疲れたんだ。だから……」
「ふざけるな!死にたいのなら、お前一人で……!」
焦るC.C.の目の前で、V.V.はうっすらと微笑んだまま、流体サクラダイトの爆発を促すスイッチを握る手に、力を込めた。白い閃光がその場を覆って――。
●シロクロニクル・END●