ものすごい速さで意識が浮上していくのが分かる。そして唐突に、真っ暗だった目の前が開けた。そのことに驚いて、ジョミーは大きく目を見開く。飛び込んできた光景もまた、ジョミーの驚きを助長する。暗い中、誰かが頭上でナイフを振り上げていたからだ。逆光になっているせいで、その人の姿をはっきりと見て取ることはできない。かろうじて男ということが分かるぐらいだ。ただ、光るナイフだけが鮮やかに視界に映っている。逃れようともがいても、やたら大きな手に肩口をつかまれて背後の壁に押し付けられているのと、体に奇妙な違和感があるせいで上手く動くことができない。
けれどそんな抵抗にもならないような抵抗にも、ナイフを振り上げている大柄な人物は、苛立ったように舌打ちを漏らして、そのナイフを一気に振り下ろした。
振り下ろされたそれは、重力に腕の力が加えられて、見る見るうちに近づいてくる。刃先は、人の命を絶つのに足る鋭さ。心臓目がけて振り下ろされたそれが刺されば、絶命することに間違いはないだろうと判断するのに、ほんの一瞬あれば十分だった。
「っ――!」
ジョミーは思わず目を瞑って、言葉にならない叫びを発した。同時に、青い光がジョミーの体を包み込む。振り下ろされたナイフは、その光の膜にさえぎられ、肉に突き刺さることはなかった。しかし、命の危険に対するとっさのサイオンの発動は、ただ身を守るだけに留まらず、周囲を破壊することにも力を及ぼす。
しまった、と思って慌ててサイオンを収束させるが、それでも半径にして五メートルは根こそぎ破壊されてしまった。
しかし、建物も地面も分解されて灰燼と化してしまったのに、ジョミーを殺そうとした男は生きて、そこに立っていた。彼もまた、ジョミーと同じように青いサイオンを身にまとって。それは、ジョミーのサイオンが発動した瞬間、男もまたサイオンを発動させておのが身を守ったということを意味していた。
それを見たジョミーは驚きに目を見張り、無意識にぽつりとつぶやいた。
「ミュウ……?」
しかもサイオンの色から判別して、明らかにタイプブルー。今存在するタイプブルーの男は、ジョミーとトォニィとタキオン。ブルーもタージオンもコブも、人との戦いの中で死んでしまったから、その三人――ジョミーを除けば二人だけだ。男の正体を見極めようとして目を凝らすが、目深にかぶられた帽子のせいで顔はほとんど見えない。しかしそれでも、彼がトォニィでもタキオンでもないことぐらいの判断はついた。雰囲気がまるで違うし、二人とも長身だったがここまで大きくなかった。それに、二人がジョミーを殺そうとするわけがないことをジョミーはよく知っていた。
見知らぬミュウ。しかも、己と同等の力を持つタイプブルー。ジョミーは目を鋭くして、正体不明の男を睨み付けた。
「誰だ?」
ジョミーはその後に、どうして僕を殺そうとする?と付け加えるつもりだったのだが、それが口を出ることはなかった。発した声が、まるで自分のものではないもののように感じられたからだ。先ほど声を発したときは、驚愕に意識を取られていたせいで気付かなかったが、今喉から出る声は、自分のものよりもずっと高い。
驚きのあまり何度も目を瞬かせているジョミーに向かって、男は低く話しかけてくる。
「……次は殺す」
「え?」
その内容よりも、聞こえた声のトーンに驚いて、ジョミーは大きく目を見開く。それは昔、聞いたことがある声に似ていた。
ジョミーが動きを止めている間に、男はふっとその場から姿を消す。瞬間移動だ。
男が姿を消した地点をじっと見つめて、ジョミーは戸惑ったように瞳を揺らした。
「今の声……ブルーに似ていた……」
けれど雰囲気がまるで違う。ブルーからは、もっと穏やかで繊細で、同時にめったなことでは折れない強さも感じた。今の男の雰囲気はひどくすさんでいて、どこか脆い。同じなのは声だけだ。大体ブルーはあんなに大きくなかった。
そんなことを思っていると、突然目の前に青い光が弾けた。今度は何だと思って身構えた直後、どしんと衝撃が体を襲う。
「ジョミー!!」
そう言って、ぎゅうぎゅうと遠慮容赦ない力で抱きしめられる。人間には決して持ちえぬオレンジ色の髪が、視界いっぱいに飛び込んでくる。声も、色も、この必死さも。それは全てジョミーがよく知る人物のもので。抱きついてきたのが誰なのか、考え込むまでもなくすぐに分かった。
トォニィ、と名前を呼ぼうと口を開きかけるが、そうするよりも先にトォニィに続いて、空間を切り裂いて三人の人物が現れる。タキオン、ペスタチオ、ツェーレンだ。三人はこの場に現れたかと思うと、即座にこちらへ走り寄ってくる。トォニィのように抱きついてくることがなかったのは、すでにトォニィがジョミーに抱きついているせいで、抱きつきようがなかったせいだろう。
(……大きい……)
トォニィに抱きしめられた体勢で三人を見上げながら、ジョミーは顔を引きつらせた。一番小さなペスタチオでさえ、見上げなければ顔が見えない。タキオンなんか、視線を合わせようとすれば首が痛くなる。ツェーレンも、そしてジョミーを抱きしめているトォニィもだが、記憶にあるよりずっと大きくなっている。
「ジョミー、無事だったんだな!」
「よかったぁ!」
「心配したんだから!」
三人からは抱きつきこそされなかったものの、ひどく近いところから声がステレオで降ってくる。聞き取りにくいから別々に話せ、ともっともな文句を言おうと口を開きかけたところで、またもや新たなる邪魔が入る。
「何やってんですかあんたたちはー!!」
今度は知らない声だった。タキオンたちにさえぎられて姿を見ることはできないが、声は若いから青年だろうかとあたりをつける。
「こいつの前には姿を見せないって決めたのはあんたたちでしたよね!?そうでしたよね!?」
「うるさいなぁ」
面倒くさそうに顔をしかめたペスタチオが振り返って言う。
「こんなときにそんなこと言ってられないでしょ」
「そうよ。大体、一瞬でもジョミーから目を離したあんたが悪い」
「クリスの役立たず」
ツェーレンとタキオンが続けて述べる。そうやって喧々轟々とした会話が続く中、トォニィはとことんマイペースに、ジョミーに抱きつくばかりか頬ずりまでしてくる。
「ジョミー、ジョミー、ああ、無事でよかった……もう一度貴方を失うなんて、耐え切れない……」
(もう一度……?)
意味の分からない言葉に、ジョミーは眉を顰めた。
そもそもがそもそも、いったいどうしてこんな事態に陥っているのかが分からない。意識が戻って最初の場面が場面だったため、すっかり意識の外に追い出していたが、自分は死んだはずだ。グランド・マザーに殺された記憶が、ジョミーの中にはある。それなのにどうして自分はここにいるのだろうか。
(……訳が分からない)
考えても、答えは出ない。ジョミーは小さなため息を吐くと、気分を切り替えるように頭を振って、頬をなすりつけてくるトォニィに向かって話しかけた。
「聞きたいことは山ほどあるが……とりあえずトォニィ、僕を放せ」
自分のものとは違う高い声に対する違和感に耐えながら、ジョミーがそう言い放つと、トォニィがぴたりと動きを止める。同時に、タキオンたち三人VSクリスという男の間で行われていたやり取りも止まり、タキオンたち三人は信じられないような顔をして振り向いて、まじまじとこちらを見つめてくる。
(何なんだ、いったい……)
ジョミーが居心地の悪い思いを味わっていると、ぎこちない動きでジョミーから少し体を離したトォニィが、やはり信じられないような目をして、瞬きもしないでジョミーを見つめてくる。
「……ジョミー?本当に?」
恐る恐る、といった表現がぴったりな様子での問いかけに、ジョミーは思い切り眉根を寄せる。
「さっきまで僕の名前を連呼しておきながら、今さら本当にも何もないだろう。何が言いたいんだ、お前は」
そう言ってから冷たい視線を向けると、トォニィは泣きそうな顔になる。ジョミーは焦った。まさかこれぐらいで泣くとは思ってなかったからである。焦るジョミーの視線の先で、トォニィは唇を噛み締めて肩を震わせながら、わななく唇を開く。
「この冷たい態度……本当にジョミーだ!」
そして、うれしそうな声でそう言ったかと思うと、何の前触れもなく抱きつかれた。泣くのかと思っていたら、喜ばれた。訳が分からない。焦り損だ。しかも冷たい態度で喜ばれるなんて、いつの間にトォニィは苛められて喜ぶ危ない性質を身につけたのだろう。非常に謎だ。
「貴方なんだね、ジョミー!会いたかった……ずっと、貴方に会いたかったんだ!」
「ぶっ……!」
感極まった様子のトォニィの硬い胸板に、顔を思い切り押し付けることになってしまったジョミーは、奇妙な声を上げた後痛みにうめくことになった。そんなことにも気付かず、トォニィはぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。押しつぶすような勢いと力に耐えかねて、ジョミーは渾身の力――だけではびくともしなかったのでサイオンをプラスしてトォニィの胸板に手をついて隙間を作ると、大声で叫んだ。
「訳の分からないことを言ってないでさっさと離れろ!」
同時に、腹に蹴りを入れてやる。これはさすがにサイオンを使わないで、脚力だけだ。それでも、トォニィはようやくジョミーのことを放した。
「ひどいよ……」
「うるさい。黙れ」
恨みがましい言葉を一蹴して、ジョミーは硬直しているタキオンたちに目をやった。この状態の彼らに問いかけて、まともな答えが返ってくるかどうかははなはだ疑問だったが、黙っていても話は進まない。ジョミーは口を開いた。
「ここはどこだ?どうして僕は生きている?」
質問には答えず、ペスタチオが眉をハの字にした困惑顔で、か細い声で問いかけてくる。
「……ジョミー……あたしたちのこと、分かるの?」
「だから!さっきから何を言っているんだ、お前たちは!」
ナスカの子らの誕生を誰よりも強く望んでいたのは、ジョミーだ。そのジョミーが、その子どもたちのことを忘れたりするわけがない。ナスカが滅んでからは、冷たく当たってばかりだったが、まさかジョミーが彼らの存在を忘れるほど、彼らのことを厭っていたとでも思っているのだろうか。冷たく当たっていたのはジョミーなのだから自業自得なのだが、さすがにそれは落ち込む。
ジョミーが沈み込んでいると、タキオンたちを押しのけて、一人の青年がこちらにやって来た。
「何を言っているんだって聞きたいのは、こっちの方だ!」
見知らぬ青年――声から判断して、先ほどまでタキオンたちと言い争っていたクリスという名の青年だ――は、ジョミーに向かってそう叫んだ。
「お前、この人たちと面識ないんじゃないのか!?ってああもう、そんなことはどうでもいい!通り魔が流行ってるから注意するように、って言っただろう!何でベルと離れて、こんな人が来ない路地裏に入ったりするんだ!」
知り合いではないはずなのに、クリスはまるでジョミーのことを知っているかのような態度で叱り付けてくる。ジョミーが眉を顰めていると、彼は鋭い視線を向けて一喝してくる。
「聞いてるのか!?」
「……君は誰だ?」
あえて質問には答えず、ジョミーがそう問いかけると、クリスは奇妙な表情になって黙り込んだ後、やはり奇妙な顔をして問い返してきた。
「……何の冗談だ?」
「僕は真面目に話しているつもりだが」
「なお悪い!」
真顔で返すと、間髪いれずに言い返される。
「師匠の顔を忘れるやつがあるか!集中力はないし、いつまで経っても力が目覚める気配はないし、散々な生徒だとは思っていたが……物覚えは悪くないと思っていたのに……!」
ひどい言われようだ。自称師匠なんかにここまで言われる謂れはない。ジョミーが気分を害していると、すかさずトォニィから制裁鉄拳が飛んだ。
「ジョミーになんてこと言うんだ!クリスのくせに!」
「っ……!」
クリスは頭を抱えてうずくまる。しばらくして、クリスは涙目でトォニィを睨み付けた。
「何するんですかっ!」
「ジョミーを悪く言うからだ」
トォニィは胸を張って、無駄に自信満々な態度で答える。クリスは何やら言い返そうとしたが、その前に再びトォニィが口を開く。
「とりあえず、シャングリラに戻ろう。かなり騒いだから、人が来るかもしれない」
そう言ったトォニィに腕をつかまれたかと思うと、次の瞬間、ジョミーとトォニィは暗い路地裏から明るい室内に移動していた。間を置かず、タキオン、ツェーレン、ペスタチオ、クリスの順で同じ室内に瞬間移動してくる。
「ここは……シャングリラか?」
ところどころ様変わりしているが、基本は見慣れた内装だ。ただ、何となく家具が大きいような気がするが、気のせいだろうか。
「うん、僕の部屋」
「そうか……」
トォニィとジョミーの会話を聞いて、怪訝な顔をして何事か言おうとしたクリスが、ツェーレンに止められているのが視界の端に映る。ずっと上にあるトォニィの目と視線を合わせるため、首が痛くなるほど上を向いて、ジョミーは問いかけた。
「彼は誰だ?見覚えはないが、新しく目覚めたミュウか?」
「あー……うん、タイプブルーだけど……新しくって言うには語弊が……」
何故か、トォニィは言いにくそうに口ごもった。それが何故か気にならないわけではなかったが、それよりも優先したい問いがあったので、先にそちらを問うことにする。
「皆はどうしている?フィシスは?リオは?ハーレイにブラウ、エラ、ゼルたちも……元気にしているか?」
そう聞くと、トォニィは何故か言葉に詰まって、タキオンたちと困ったような顔で視線を交わしている。
ジョミーは何だか嫌な予感がした。
「トォニィ?」
促すように名前を呼ぶと、トォニィはやっと口を開く。
「……皆、もういないよ」
「え?」
「僕たち以外――僕とタキオンとツェーレンとペスタチオ以外、貴方が知っているミュウは、もう生きていない」
「な、にを……?」
それは、トォニィに全てを託したあの後、人とミュウとの戦いは終わらず、四人を残してミュウは滅んでしまったということだろうか。
「違う。そうじゃないよ」
ジョミーの想像を、トォニィはきっぱり否定した。考えを読まれるのは今さらだったから、特にとがめようという気は起きてこない。ただ、疑問だけが湧いてくる。
「では、なぜだ?なぜ、皆……」
死んでしまったのか、と。言葉にすることは、どうしてもできなかった。それは、皆の死を認めたくなかったからなのかもしれない。
言葉に詰まるジョミーを痛ましげに見つめながら、トォニィは言った。
「ジョミー……信じられないかもしれないけど、あれから――ミュウが地球にたどり着いてから、五百年の月日が経っているんだ」
「五百年……?」
信じられない思いで、ジョミーはトォニィの言葉を反芻する。
「だから、人との戦いに生き残った者たちも、僕ら以外は皆、寿命が尽きて死んでしまった……残っているのは、僕たちナスカの子だけだ」
途方もない話に、めまいがした。
痛みを訴える頭を押さえようとして、ジョミーはぴたりと動きを止める。
「……何だ、これは……?」
目の前にある手のひらは、見慣れない形をしていた。丸みを帯びた形は、まるで子どものようだ。握って、開いて。何度もそれを繰り返して、この手が自分のものではない確証を得ようとするが、逆の結果に終わるだけだった。
ジョミーは周囲を見渡して、鏡を探した。しかし見当たる範囲内に探し物は見つからず、それなら、と代わりにベッドに飛び乗って、窓を姿見代わりにする。靴を脱ぐことは忘れていたが、誰も怒る者はいない。外が明るいせいで、ガラスに映る姿をはっきりと見て取ることは難しかったが、それでもぼんやりとした姿を見るぐらいは十分だった。
ジョミーは大きく目を見開いて、窓ガラスを――窓ガラスに映る自分の姿を見つめた。
「……子ども……?」
そこに映っているのは、成人と認定される十四歳の少年ではなく、もっと幼い子どもの姿だった。