月影 02

 窓ガラスに映る見慣れない姿に、しばらくの間ジョミーは呆然としていたが、ややもせず正気に戻る。十四歳のときからずっと続けてきたソルジャー生活のせいで、たとえどれだけ信じられない出来事が起こっても、そのままずっと呆けていられるほど繊細な神経はどこかへ消えてしまった。否、消さなくてはやっていけなかったと言うべきか。特に、ナスカが消えた後は。
 だから喉から出たのは、訳の分からない事態に直面しているとは思えないほど、平坦で落ち着いた声だった。
「……トォニィ」
「な、何?」
 当事者ではないはずのトォニィの方がよっぽど挙動不審だ。お前がうろたえてどうすると思いながらも、それを口には出さず、ジョミーは問いかけを発した。
「この体は何だ?」
 トォニィは答えない。答えたくないのか、それとも答えられないのか。その判断はまだ、今はつかない。
 丸みを帯びた小さな手も、短い手足も、普通の家具を大きいと感じる小さな背丈も、こんなものをジョミーは知らない。否、かつて子どもだったころには同じようなものを持っていたのだろうが、あいにくジョミーはとっくに幼少期を逸している。だからこれがジョミーのものであるはずがないのだ。
 窓に映る自分を見つめながら、ジョミーは目を細めた。それは思考に耽るときの癖だった。
(トォニィたちが大きくなったと思ったけれど、違う……僕が小さくなったのか……)
 同様に、ジョミーを襲った正体不明のあの男もまた、目にしたときにはひどく大柄な人間だと思ったけれど、実際はそうでもないのだろう。相手が大きいのではなく、ジョミーが小さかっただけだ。
 男から逃れようともがいたとき体に感じた違和も、これで納得がいく。突然縮んだ肉体に、違和感を覚えない方がおかしい。
(……けれど、なぜだ?)
 窓から視線を外して、ジョミーはまじまじと自分の体を見下ろした。直接自分の目で確かめても、見下ろした先にあるのは、本当に幼い子どもの体だった。
 そうしていると、自分が土足でベッドの上に立っていることに、ジョミーはようやくのこと気付いた。自分では落ち着いているつもりだったが、実際はそうでもなかったらしい。そうでなければ、こんな失態はありえない。ジョミーは気を落ち着けるため一つため息を吐いた後、窓に背を向けてベッドの上から飛び降り、一番目線の近い少女を見上げて、先ほどと同じ問いかけをした。
「ペスタチオ、この体は何なんだ?」
「それは……」
 ペスタチオは困ったような顔で言葉に詰まって、助けを求めるように周囲に視線をやった。
 答えが返ってこないことに苛立ちながらも、現状を把握するため、ジョミーは質問を続ける。
「どうして僕は子どもになっているんだ?トォニィ、お前はあれから五百年が経っていると言ったが、それならどうして僕はここにいる?僕はあのときに死んだはずだ。生きていたとしても、五百年間も眠っていたとでも言うのか?傷を癒すためだとしても、五百年は長すぎる」
 ペスタチオからトォニィ、ツェーレン、ツェーレンの横にいるクリスは飛ばしてタキオン、と次々に視線を移していくが、誰も答えない。皆が皆同じように、困ったような顔をして視線を交わしている。
 いい加減我慢も限界になってきたジョミーは、経験上一番篭絡しやすいと知っているトォニィに視線を戻して、できるだけ冷たい顔を作り、命令口調で短く告げた。
「答えろ」
 他の大人たちにどれだけ反抗しても、トォニィはジョミーにだけは従順だった。いや、正しく言うと、反抗されたことがなかったわけではないのだが、そのことを思い出すといたたまれない気持ちになるので、今は忘れることにする。とにかくトォニィは、ジョミーの言うことだけは素直に聞いた。それは彼が、ジョミーに嫌われることを一番恐れていたからだ。あれから五百年も経った今、トォニィが同じことを恐れていると思うほど自惚れているわけではないが、幼少期の刷り込みは小さくないはずだ。
 その目論見は正解だった。
 冷たい顔を向けるジョミーに、トォニィはうろたえたように肩を揺らして、助けを求めるようにおろおろと視線をさまよわせる。しかし誰からも助けの手が入らないと知ると、彼はやがて観念したように口を開いた。
「生きていたわけじゃない……五百年前、貴方は確かに死んだ」
 死んだと断言されても、さしてショックを受けるようなことはなかった。ジョミーの中にはちゃんと、トォニィに全てを託して死んでいった記憶がある。トォニィたちにとっては五百年まえのことであろうが、ジョミーの感覚ではついさっきの出来事なのだから、むしろ本当は生きていたと言われた場合の方が余程驚いただろう。
「死んだと言うのなら、なぜ僕はここにいる?」
「分からない」
 トォニィはそう言いながら、ゆっくりと首を横に振る。その仕草は、重ねてきた年齢を思わせる落ち着きを備えていて、そのことでジョミーは月日の流れを現実のものとして感じることになった。ジョミーが覚えているトォニィは、体は大きくなったけれど精神面にはまだまだ幼さが残っていて、そのことがふとした仕草にもよく表れていた。けれど、目の前にいる青年は違う。ジョミーに対する態度は幼い頃と全く変わっていないけれど、仕草や醸し出す雰囲気に幼さはほとんど感じられない。
(……成長したな……)
 時間の経過以上に、感じたのはそれだった。長すぎる月日よりも、そちらの方が心に沁みた。あれから五百年も経っているのなら、とっくに年齢なんて抜かされているけれど、赤ん坊の頃から知っている相手だ。生きている年月を抜かされようと、そんなことは関係ない。
 しかし、そんなことにばかり気を取られているわけにもいかないので、ジョミーは気を取り直して質問を続けることにした。
「では、さっきも聞いたが……この体は何だ?いや、違うな……この体は誰のものだ?」
「っ……何で!?」
 驚き顔で叫ぶトォニィに向けて、ジョミーは淡々と告げる。
「驚くようなことでもないだろう。僕はすでに死んでいる。それならば、この肉体は僕のものではないと考えるのは当然のことだ。分かっているのは、僕と同じで名前はジョミー」
 これは、この体の中にいるのが自分であると発覚する前から、トォニィたちがこの子どもにジョミーと呼びかけていたことから。
「なぜかは知らないが、大事にしているにも関わらず、お前たちはこれまでこの子どもに会おうとしなかったこと」
 これは、皆の会話からの推測。
「そして、そこにいるクリスという青年の教え子であるということ」
 場所を移してから、初めてクリスに視線をやってそう言うと、クリスはうろたえたような顔になった。ジョミーと面識がない分、この中での状況理解度は、ジョミーと同じぐらい低いのだろう。見知った生徒の中身が突然違う人間になったのだから、その同様も当然だ。
 それはともかくとして、分かっていることは全て挙げた。ジョミーはトォニィに視線を戻して答えを求めた。
「それで、どうなんだ?」
「……貴方の生まれ変わりだよ」
 ジョミーはきょとんと目を見開いてから、言った。
「生まれ変わりということは一応、見ず知らずの他人に乗り移っている、と言うわけではないのだな」
「……冷静だね」
「別にそんなわけじゃないさ」
 タキオンからのつっこみを軽く流すと、疑わしげな目が向けられた。これでも十分驚いているのだ。ただ、人がいる前では感情を表に出さない癖ができているだけだ。
「だが、騒いでも現状は変わらないだろう」
 補足するように言った後、ジョミーは難しい顔になり、顎に手を当てて目を細めた。
「しかし、生まれ変わりか……一応確認しておくが、この子にはちゃんと、この子の人格があったんだな?」
 その問いには、周囲の全員がそれぞれ肯定の言葉を言ったり、頷いたりした。
「そうか……それが突然僕に変わった……」
 たとえこの子どもがジョミーの生まれ変わりだとしても、この子どもにはちゃんとジョミーとは異なる人格があった。この子どもの生は、この子どものものだったのだ。人は皆、一度きりしか生きることはできないのだから。それなのにどこかで摂理が狂って、新しい命を生きていたはずの人格の上に、終わってしまったはずのジョミーが表れてしまった。それはなぜかと考えて、意識が戻ってからのことを思い出す。まず一番に脳裏をよぎったのは、逆光に照らされたナイフの輝き。
「きっかけは、おそらくあれだな……」
 殺されそうになったこと。今のところ、理由はそれぐらいしか考えられない。目覚めたときのタイミングから考えてみても、そのこと以上の理由は思いつかなかった。
 けれど、だからと言って、そう簡単に前世の人格なんてものが表層に出てくるものだろうか。たとえ殺されそうになったとしても、果たしてそんなことで前世の人格がよみがえるものなのか。不思議でたまらなかったが、実際こんな事態に陥っている以上、疑っても納得するしかない。
 そんなことよりも、心配なのは、この子どもの人格がどうなっているかということだ。生まれ変わり云々ということを聞いた直後、ジョミーは軽く自分の精神にもぐってみたが、子どもの精神は見つからなかった。深層心理にまでもぐれば見つかるのかもしれないが、あいにくとジョミーのサイオンはそういった繊細な作業には向いていないのだ。表層心理にまでなら何とかもぐれるが、それ以上となるととても無理だ。
 ジョミーが苛立ちに眉を顰めて考え込んでいると、ふとそれまで黙っていたクリスが口を開いた。
「あの……」
「何だ?」
「君は」
 そこでクリスは言葉に詰まった。トォニィたちがいっせいに非難の視線を向けたからだ。どうやら、ジョミーに対する二人称が気に入らなかったらしい。クリスは咳払いをして言いなおした。
「……貴方は、僕が知るジョミーではないんですよね。じゃあ、結局のところ誰なんですか?」
 正直に言うべきか否か。少し悩んだけれど、ここまで話を聞かれていた以上、黙っていても仕方ない。そう判断して、ジョミーはクリスの目を見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「僕はジョミー」
 これだけでは、この子どもと変わらないので、続けて述べる。
「ジョミー・マーキス・シンと、そう言えば分かるか?」
「ジョミー・マーキス・シン……」
 ぽかんと口を開けて、間の抜けた表情をさらしていたクリスは、やがて驚きに目を見開いて叫び声を上げた。
「……ってことは、ソルジャー・シン!?」
「うるさい」
 ツェーレンがすかさずクリスの頭をはたいた。



 その後、いつまでも立っているのも疲れるし、視線の高さが違いすぎて話しにくいので、とりあえず座ろうということになった。トォニィの部屋は広く、部屋の中央寄りの場所に都合よくテーブルがあったので、そこに移ることにする。しかし、問題が一つ。
「……低い」
 大人用の椅子は、現在子どものジョミーが座ると、何とかテーブルの上に目線が来るぐらいだ。全く高さが合っていない。
「だってこれまでこのテーブル、大人しか使わなかったからね」
 ジョミーの不満そうな顔を見ていたトォニィは、肩をすくめてそう言った後、ふと何か良いことを思いついたような顔になると、両手を広げて満面の笑みを浮かべた。
「ジョミー」
 さあおいでと言わんばかりの姿勢に、何を要求されているのか、言葉がなくとも分かる。分かるが、だからと言って受け入れられるかどうかは別だ。ジョミーはものすごいしかめっ面をして、半眼でトォニィを睨んだ。
「……何の冗談だ」
「冗談なんかじゃないよ。高さの問題は解決するし、僕はうれしいしで一石二鳥」
「お前にだけな」
 ジョミーは全くうれしくない。
 しかし本当に、これでは話をすることすらままならない。だがだからと言って、トォニィの提案に乗るのも癪だ。どうしたものかと思っていると、視界の端に、先ほど土足で上ったベッドが目に入った。シーツの上には、いくつかのクッションが無造作に置いてある。いいものを見つけたと思い、ジョミーはサイオンで三つほどそれを取り寄せた。そして宙に浮かんで椅子からどいた後、クッション三つを椅子の上に重ねて、その上に座る。
「よし、これで問題ないな」
 話しやすい高さに満足して、ジョミーは頷いた。トォニィの恨みがましい視線は無視して話を進めることにする。
「さて、何から話すべきか……」
 思案をめぐらせるため少しうつむいた後、しばらくしてから顔を上げて言った。
「先ほどの話の続きになるが……僕という人格が表れた理由について、一つ心当たりがある。殺されかけたことだ」
 とたん、トォニィたちがおおげさな反応を見せるが、ジョミーは気にせず話を続けた。
「僕には、自分が死んでいった記憶がちゃんとある。それなのに何故か、気付いたらこの状態になっていて、見知らぬ相手に殺されそうになっていた。タイミングから考えて、あれが人格交代のきっかけになったことは間違いないと思う。それで聞きたいんだが、この子は誰かに恨まれていたりするのか?先ほど通り魔が流行っているとクリスは言ったが、あれが単なる通り魔だとは僕には思えない。僕を襲った相手は、次は殺すと言っていた。通り魔なら、一度失敗した相手にわざわざこだわる必要はないだろう」
 その疑問には、クリスがきっぱりとした口調で否定をした。
「ジョミーは、誰かに恨まれるような子どもではありません」
 硬い顔をし彼は続ける。
「今流行っている通り魔は、ミュウを狙っているんです。力の弱いもの、幼い子どもを中心に、もう何人ものミュウが襲われて命を落としました」
「ミュウを狙っている……?」
「はい。ジョミーは生まれた直後、この人たち――」
 クリスはトォニィたちにぐるりと視線をやってから、ジョミーに視線を戻して続けた。
「――にタイプブルーだと判断され、サイオン制御のために同じタイプブルーである僕が教師に付けられましたが、いっこうにサイオンが目覚める気配はなく、ミュウとは名ばかりの、普通の人間のような子どもだったんです。だから多分、そのせいで通り魔に狙われたんだと思います」
「待て……僕を襲ったのは、ミュウの男だった。ミュウが、同じミュウを襲うのか?」
「まさか!」
 ペスタチオが大きく音を立てて立ち上がる。
「どうしてミュウが、同じ仲間を殺す必要があるの!?」
「落ち着け、ペス。それは僕にも分からない。けれど殺されそうになったとき、僕はとっさにサイオンを使った。突然のことだったから、つい暴走して……すぐに収束させたが、僕は相手を殺したと思った。けれど、僕を襲った男は生きていた。彼は自分の周囲にサイオンシールドを張って、僕のサイオンをしのいだんだ」
「暴走したジョミーのサイオンを、ほんの数秒でもしのいだ……?そんな、ありえない……」
 困惑したような口調でつぶやいて、ペスタチオはぺたんと椅子に座り込む。
「だが、事実だ。相手はタイプブルーだった」
「タイプブルー!?」
 そこにいたジョミー以外の全員が、信じられないような声を上げた。
「ありえないわ……」
「なぜだ?」
 心底困惑したような顔をするツェーレンに問うと、彼女は困惑した顔のままこちらを見つめてきて、答えた。
「だって現存するタイプブルーは、ここにいるあたしたちとベルとジョミー……貴方のことじゃなくて、その子のことだけど……とにかく、それ以外にはいないんだもの。昔はもう一人いたんだけど、その子は死んじゃったし……。とにかく、ジョミーを襲ったのがあたしたちじゃないことは確かで、ベルだって違うわ。だって、ジョミーがいなくなったって連絡、クリスに入れたのはあの子だもの。それにジョミー、襲ってきたのは男って言ったわよね。ベルの性別は確かに男だけど、男って言うような年じゃないわ。あの子確か、まだ七歳よ」
「それは確かに違うな。僕を襲ったのは……顔が見えなかったからはっきりしないがおそらく、外見はトォニィとそう変わらないぐらいだったと思うから……しかし、今でもタイプブルーはそんなに少ないのか?それとも、ミュウ全体が生まれなくなってきていると?」
「ううん。ミュウの数自体は、ジョミーが知ってる頃よりずっと増えてる。でも、数が増えるにつれて、力の強いミュウがめったに生まれてこなくなっただけ。この五百年の間に生まれたタイプブルーは、四人だけしかいないわ」
「少ないな……他に存在する可能性は?」
 その問いにはトォニィが答えた。
「ないと思う。サイオンが暴走するのを防ぐのと、ミュウに対する偏見をなくすために、今は全人類に定期的なサイオンチェックが行われているんだ」
「キースの側にいたミュウのことを忘れたか?サイオンチェックは、くぐり抜けることも可能だ」
「でも、昔ならともかく、今の時勢でミュウであることを隠す意味なんて……」
 難しい顔でうつむいたトォニィだったが、慌てて補足を口にする。
「あ、ジョミー。今はね、人間もミュウも一緒になって仲良く暮らしているんだ」
「そうか……」
 ブルーが望んだ、そして彼の遺志を受け継いだジョミーが望んだ、人とミュウとが共存する世界。それが実現したのかと思うと、うれしさのあまり泣きたくなる。
 しかしだからと言って、その言葉を頭から受け入れられるほど、ジョミーは楽観的ではなかった。
 人とミュウの争いが終わった中を過ごしてきたトォニィたちと違って、ジョミーの記憶はグランド・マザーとの戦いで終わっている。だから、トォニィの言葉をうれしいと感じても、人間という生き物の醜い性質を忘れることはできなかった。
「……だが、人間はもともと、自分とは違うものを拒絶する性質を持っている。大半の者たちが互いに偏見なく過ごしていたとしても、例外がいないとも限らない。そういった者の中に生まれてしまったら、自分がミュウであることを認めたがらない者がいたとしても不思議ではない」
 トォニィたちは、ジョミーが言ったことに心当たりがあるのか、はっとしたように息を呑む。やはり、手を取り合えたと言っても、ミュウを認めたがらない人間は存在するということなのだろう。
(やはり、人とミュウは、完全に分かり合うことはできないのか……それがたとえ、ほんの一部の者だけだとしても……悲しいものだな……)
 ジョミーが小さなため息を吐いていると、突然クリスが顔を上げて、どこを見るでもなく宙に視線を向けた。いったい何事かと思っていると、やがてクリスはこちらを向いて、困ったように眉尻を下げて言った。
「あの……通信が入ったとテレパシーで連絡が来たんですけど……それがジョミーの家からで、ジョミーはどうなってるんだと騒いでいるらしくて……」
 その後、どうしましょうと続けられる。
 そんなことを聞かれても、答えなんて出てこなかった。名前は同じでも、ジョミーはこの体の持ち主とは全く別の人格なのだから。


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