季節は春の盛りを少し過ぎようとしていた。
庭師の手によって丹精に手入れされた庭園は、色とりどりの美しい花にあふれていた。やわらかな陽の光を受けて輝く花々と緑は、そこら中にむせ返るほど甘い香りを振りまいている。
その花々の中を、アーサー・ロウ・ブリタニアは必死になって走っていた。この庭園は、ブリタニア帝国第一皇子にして第一皇位継承者であるアーサーのために、彼の住居と定められているアルゴー宮の周囲に設けられたものである。その見事さは、訪れた者全てに簡単のため息を漏らさせるほどのものであり、迷路のようなその複雑さは、皇子の住まうアルゴー宮に不審者を容易に近づけさせることのないようにと意図されているゆえ、迷う者が多発するほどだ。迷路のような、と言うよりも実際迷路として仕立てられているのだからそれも当然だった。
しかしアルゴー宮の主――ひいてはこの庭園の主でもあるアーサーは、どれだけ複雑なものであっても迷路のような道筋の全てを把握していたし、五歳の幼子とは思えないほど頭が良く方向感覚にも優れた子供だったので、傍からはどれだけ無造作に走っているように見えても、自分が今庭園のどこを走っているのかちゃんと理解していた。
そう、たとえその菫の瞳を大人の身長よりもずっと高い生垣のさらに上に向けて走っていてさえ、アーサーは迷ってはいない。アーサーの視線は、庭と言うよりもむしろ芸術作品と評した方がいいように美しい庭園ではなくて、そのはるか上、風を切って飛ぶ一羽の鳥に向けられていた。
アーサーはその鳥を追って走っていた。
美しい羽色をした鳥である。そして、美しいさえずりを奏でる鳥だということを知っていた。それは数日前、叔母の一人であるコーネリア・リ・ブリタニアからアーサーに贈られたものであった。
特にどこが悪いと言うわけではないが、アーサーは生まれたときから病弱な子供だった。相応しい言葉を挙げるとすれば、蒲柳の性質。季節の変わり目には必ず体調を崩すし、少し無理をすればすぐに熱を出す。そしてやはり少し前から体調を崩していたアーサーの無聊を慰めるために叔母が贈ってくれたのが、あの鳥だった。
見た目にも美しく、愛らしい声でさえずるその鳥をアーサーは一目で気に入った。だから数日前からずっと、銀製の鳥かごに入れられたその鳥を愛でていたのだが、そのうち見ているだけでは満足できなくなって、手に乗せてみたいと思ってみたのが間違いだった。鳥かごから解放されたとたん、その鳥は開いていた窓から外へと逃げ出してしまったのだ。
甘やかしてくれるわけではないが、偽物ではない愛情を向けてくれるコーネリアのことがアーサーは好きだった。笑顔で取り繕ってすり寄ってくる他の皇族や貴族たちなんかよりもずっと。誰よりも尊敬する父親の次にコーネリアのことを好いていたし尊敬もしていた。その人に向かって、せっかくの贈り物を逃がしてしまったなんて言えるわけがない。
だから追っていた。自らの不注意のせいで逃がしてしまった鳥を、再びかごの中に捕まえるために。
本当は自分で追わなくても、一言誰かに命じればそれで済むことだと分かっていた。けれどそれはしたくなかった。それどころか、部屋の外に控えていた侍女にさえ何一つ言葉を残すことなく、鳥が出て行ったのと同じ窓から庭に飛び出してこうして一人走っている。未だ体調は完全に回復したわけではないので、時折強いめまいに襲われる。それだけならばまだ自分だけのことなので自業自得だと切り捨てられるが、アーサーが部屋からいなくなっていることが人の知るところとなれば、世話と見張り役を兼ねた侍女は罰せられるだろう。
それが分かっていてもアーサーは、あの鳥を自分でつかまえたかった。
アーサー・ロウ・ブリタニアは、現皇帝シュナイゼル・エル・ブリタニアの第一子にして唯一の子供である。先代皇帝であった祖父は軽く百を超える数の皇妃を有し、それらの者たちとの間に十数人の子供を設けたが、シュナイゼルは違った。彼はただ一人――アーサーの母である女性だけを唯一愛して皇妃として迎え、彼女が産後の肥立ち悪く亡くなってしまってからは、新しい妃を迎えようとはしなかった。
それは皇帝として、決して褒められた行為ではない。皇帝が絶対権力者であるこの国においては、皇族の血を残すことはもはや義務。普通ならば、皇子がただ一人だけなどという事態は許されるわけがない。けれどシュナイゼルは、皇帝としての絶対権力を行使してまで新たな妃を迎えることを拒否し続けた。
アーサーはそんな父を誇らしく思っていた。ただ一人に対する愛を貫き通すなんて、皇帝としては褒められたものではないかもしれないけれど、一個人としてはすばらしいと思う。いつか自分もそんな恋愛をしてみたいと夢想した。
けれど、肖像画で、写真で、その他映像媒体で見る亡き母親の姿を見るたび、不思議に思うのだ。この女のどこに、父にあそこまでさせる魅力があったのだろう、と。
確かに容姿は美しい女だった。茶色みがかってはいるがほとんど黒にしか見えない長い髪はゆるやかに波打ち、陽の光など知らぬように肌は白く、化粧で整えられた顔は美女と呼ぶに差し支えのない貴族の姫。けれどそれだけだ。しかも美しいと言っても、その美しさは別段美形ぞろいの皇族貴族の中にあっては飛びぬけているわけでもない。聡明と謳われたわけでもなく、特筆した何かを持つわけでもないありきたりの女。
父が愛した人を否定するわけではないけれど、母のどこが良かったのか理解できないのも確かだった。
アーサーはそんなふうに、死んでしまった母親のことを冷めた目で見ることしかできなかった。それは母が、偉大な父に似つかわしいように見えないという理由もあったし、それ以上にアーサーをこんな体に産んだことに対する恨みもあったのかもしれない。
ブリタニア帝国第一皇子にして第一皇位継承者。それがアーサーの身分だ。体が弱いという理由だけで、その立場に相応しくないと遠まわしに侮辱されたことは数え切れないぐらいある。けれどアーサーはその立場に相応しい自分であろうと常に努力していたから、体が弱いという理由だけで己を否定されることが、ひどく悔しかった。
こんな体に生まれたのは自分のせいではないのに、と何度思ったことだろう。
けれど、本当はアーサー自身分かっているのだ。彼らが言っていることは、決して間違いではないことぐらい。アーサーの肩書きとそれに付随する責任は、生半可なものではない。すぐ体調を崩す病弱な皇子などに、一体いかほどのことが成し遂げられようと懸念されても仕方がない。
それでも、それが分かっていても納得できるかどうかと言われればそれは否で。その気持ちが、体調を崩していることでいつもより膨れ上がっていたのかもしれない。他の誰に頼ることもなく、自分の力で逃げ出した小鳥を捕まえたいと思った。体が弱い自分でも成し遂げられることがあるのだと示したいと思ったのだ。他人にではなく、他でもない自分自身に。
こんなどうでもいいことでそんなふうにむきになっても意味はないとは分かっていたが、それでも追わずにいられなかった。分かっていながらそうせずにはいられないぐらい、アーサーは追いつめられていた。どれだけ些細なことでも一人で成し遂げられることを自分自身に証明して見せて、己が皇太子に相応しいことを確認したかったのだ。
けれど相手は空を飛ぶ生き物。地を這う人間の、しかもたった五歳の幼子の手にたやすく収まるようなものではない。
追っているうちに鳥は庭園の上空から、庭園の外に広がる人の手によって作られた森の上へと行ってしまう。道の全てを把握している庭園とは違って、森の中には定められた小道以外決まった道などほとんどない。
逡巡したのは一瞬。アーサーは庭園から抜け出して、森の中へ足を踏み入れた。
大型の獣が生息しない、野生の森ならばありえないいびつ。全て人の手によって作り出された森の中に足を取るような石ころなどは存在しない。だから視線をずっと空に向けて走っていたアーサーが転ぶことはない。
木々の間をすり抜けて、湖のほとりを駆け抜けて、花畑に咲く可憐な花を踏み潰して、アーサーは走った。途中、警備の者に幾度か姿を見咎められたが、主の姿を見知っている彼らがアーサーの邪魔をするようなことはありえない。まさかアーサーが勝手に病床を抜け出して走っているなんて、通達が来ない限り彼らには知りようなどないのだから。
そしていつの間にかアーサーは、これまで来たことがないような奥深い場所に来ていた。名すら知らぬ離宮の敷地。この離宮を守る警備の者の横をすり抜けていったとき、彼らは焦ったような顔でアーサーを止めようとしたが、邪魔をするなと一喝すると戸惑ったように腕をさまよわせたので、その間に入り込んだ。
誰を主として抱く宮殿かは知らないが、勝手に入り込んだ無礼は後で詫びればいい。
無礼は承知でそう思って、視線は空を飛ぶ鳥に向けたまま他人の敷地を荒らす。アルゴー宮にも劣らないほど美しく手入れされた庭を走り抜けていくと、視線の先で気紛れに鳥が降下する。その先には、一軒の東屋があった。白い石材で作られた小さなその建物の中にアーサーは迷うことなく飛び込んでいって、思わず息を止めた。
屋根を支える柱に隠れていたせいで足を踏み入れるまで気付かなかったが、その中には人がいた。それも、息を呑むほどに美しい人が。
東屋の中には、東屋と同じ白い石材で作られたベンチと机があって、彼女はそのベンチに腰掛けていた。視線は白い机の上に乗せられたチェス盤に向けられていて、その上に伸ばされた繊手が握るのは黒の駒。
年のころは十七、八だろうか。まるで雪のような白い肌をしているその人は、その白さを引き立てるような黒いドレスを身にまとっていた。化粧をしているようには見えないのに、唇は赤く色づいていて、滑らかな頬はうっすらとピンクに染まっている。切れ長の目はまるで紫水晶のようにきらめいており、長いまつげがそれを縁取っている。腰よりも長い黒髪はまるで夜のような色をしていて、一本一本が絹糸のように美しいそれが風に揺れる様は、夢のように美しい光景だった。片方の目は黒絹の眼帯で覆われ隠れているが、それが彼女の美しさの妨げとなるようなことはなかった。それどころか、黒絹と白い肌の対比が不思議な魅力を掻き立てている。
呆然絶句していたアーサーが正気に戻ったのは、ここ数日で聞き馴染んだ鳥のさえずりが聞こえたからだった。今まで気付かなかったが、追いかけた鳥はいつの間にかその美しい人の肩に乗っていた。
捕まえるには絶好のチャンスだと分かっていた。けれど何故か、アーサーは動くことができなかった。どうしようもない懐かしさと慕わしさが胸を締め付ける。何がこんなにも懐かしいのか、慕わしいのか、その理由さえ分からないと言うのに、それは泣きたくなるほど強く心を支配してやまない。
どうすることもできず、ただアーサーが飛び込んだままの体勢で固まっていると、左手方向から声が聞こえてきた。
「アーサー殿下!?」
その声に驚いて、目の前にいる佳人の肩に止まっていた鳥は、慌しく羽根を動かして東屋の外へと飛んでいってしまう。
「あ……」
空遠くへと羽ばたいていくその鳥に、未練がましげな目を向けるアーサーだったが、それ以上追いかけようという気は起こらない。鳥よりもずっと、東屋の中にいる美しい人のことが気にかかっていたからだ。
先ほど声を上げた女が近づいてきて簡単な礼を取り、それから困惑したような顔で問いかけてくる。
「殿下、どうしてこちらに……」
見たことのある顔だった。確かアッシュフォード家の一人娘で、ミレイといったはずだ。
「にげた鳥をおいかけていて……きょかもとらず入りこんでしまったことはすまないと思っている」
無礼をしたことは重々承知の上だったので、アーサーは殊勝な顔で言う。
「ところで、ここはどこだ?それに……」
そう言って美しい人にちらりと視線を向けたきり口ごもっていると、何を言いたいのか悟ったのだろう、ミレイは口を開いた。
「ええ、このアリエス宮の主はこちらにおられるルルーシュ様です」
その名前には覚えがあった。ルルーシュ。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。アーサーの叔母の一人で、何年も前から体調を崩していてアリエス宮にこもりきりになっているとのことで、これまで一度も会ったことはない人の名前だ。しかし確かルルーシュという名の叔母は、現在二十代半ばほどの年齢だったと記憶しているのだが、目の前に座っている美しい人は二十歳を超えているようには見えない。かと言って童顔と言うわけではないのだから不思議なものである。
「ルルーシュ……おばうえ……?」
叔母と呼ぶにはあまりに不似合いな雰囲気を持つ人だったので、アーサーはぎこちない口調で名前を呼ぶ。しかしルルーシュは、視線一つこちらに向けることすらしない。見たところ、無視しているというわけでもない。どちらかと言えば、全く気付いていないと言った方が正しいような気がする。アーサーが困惑していると、ミレイが視線を伏せながら言った。
「……申し訳ありませんが……どれだけ声をおかけになっても、今のルルーシュ様には意味がありません。ですので、どうか気を悪くすることのないようお願いいたします。私も、もう何年も……時間が許す限りこちらを訪ねているのですが……返事が返ってきたことはありませんでした」
何を言いたいのかと思ってミレイを見ると、彼女は金色の髪を揺らしながらゆっくりとルルーシュの側まで歩いていく。
「対外的には体調を崩しているということになっていますが……ルルーシュ様が崩されたのは体の調子ではなく、心です」
「こころ?」
「はい。大切に……他の何を切り捨ててもいいと思うほど大切にされていた妹姫がお亡くなりになったときに、ルルーシュ様は悲しみと絶望のあまり精神の均衡を崩してしまわれたのだと……そう聞いております」
理由がそれだけであるとは思いませんが、と風に溶けて消えてしまいそうなほど小さな声でつぶやいたミレイは、ルルーシュの隣まで歩いていってドレスの裾が地面に触れることも厭わずしゃがみこみ、そっとルルーシュの手からチェス駒を取り上げて手を握って注意を引こうとする。
「ルルーシュ様」
しかしミレイのその呼びかけにも、ルルーシュは答えを返すことはなく、ただ夢見るような瞳でチェス盤を眺めている。先の言葉から考えてみても、反応が返ってこないのはいつものことなのだろう。ミレイは少しも気にすることなく続ける。
「アーサー殿下がいらしていますよ」
「……アーサー……?」
ぽつりとつぶやいて首を傾げ周囲を見渡す仕草をするルルーシュの姿に、ミレイはあっけに取られたような顔をしている。
その間にルルーシュは、東屋に足を踏み入れたところで立ち尽くしているアーサーを見つけて、優雅な仕草で首を傾げて。
「……猫の……名前……」
謳うようにつぶやいた。
王の名前、と言われたことならある。実際、アーサーの名前はかの有名なアーサー王伝説の王にちなんで付けられたものなのだから、それは間違っていない。しかし、猫の名前――そんなことを言われたのは間違いなく初めてだし、まさかそんなことを言われるだろうとは夢にも思わなかったので、アーサーは絶句した。
そんなアーサーに向かって、ルルーシュは困ったような顔を向けてきて、ため息をこぼしながら言う。
「アーサー、お前にも困ったものだな……どうしてスザクには噛み付いてばかりいるんだ?あいつはお前と遊びたいだけなのに、噛み付いたりしたらかわいそうだろう?たまには撫でるぐらいさせてやれ」
「……る、ルルーシュ様?」
困惑したような顔でミレイが呼びかけると、ルルーシュはひっそりと柳眉を顰めて彼女を一瞥する。
「こんなところでやめてください、会長。誰かに聞かれたらどうするんですか」
「そ、そうよね、ごめんね、ルルちゃん」
「それよりも、ナナリーはどこですか?」
ルルーシュはそう言ってミレイから視線を外して、再びぐるりと視線をめぐらせる。そうしているうちにふと、猫の名前という発言に未だ固まっているアーサーと目が合った。その瞬間、ルルーシュはふわりと花がほころぶような笑みを浮かべる。
「ナナリー」
限りなく純然な好意と優しさのこもる笑みを向けられて、アーサーは泣きそうになってうつむいた。ルルーシュは正気ではないから、ナナリー――確かルルーシュの妹姫の名がナナリーといったはずだ――とアーサーを勘違いしているのだ。それが分かっていても、何の含みもない好意と無償の優しさなんてものを向けられたのは初めてだったので、どうすればいいか分からなくなった。
「ナナリー、どうしたんだい?」
うつむいて黙り込んでいると、ルルーシュが歩み寄ってきてしゃがみこみ、心配そうな顔でアーサーの頬に触れた。そのとたん、彼女は大きく目を見開く。
「熱があるじゃないか!駄目だろう、ちゃんと休まないと!」
そう言ったルルーシュは、手ずからアーサーの体を抱き上げて走り出し、アリエス宮の中に入った。彼女は迷うことなく一つの部屋に向かっていって、その部屋の中にある寝台の上に無理やりアーサーを寝かせると、てきぱきと周りの侍女たちに指示を与えて濡れタオルやら体温計やら医者やらの手配をし始める。
逆らう間もなくここまで連れてこられたアーサーはそれを見ながら、ベッドの上に横たわったまま呆然としていた。そうしていると、部屋までついてきていたミレイがそっと寄って来て、内緒話のように小さな声で告げてくる。
「……アーサー殿下のことを妹姫と勘違いされているようで……申し訳ありませんが、しばらくお付き合いください」
「それはかまわないが……その、ナナリーおばうえと僕は、まちがえるほどにているのか?」
「あまり似ているとは思いませんが……瞳の色に限っては、とてもよく似ているかもしれません。他はどちらかと言えば、ルルーシュ様との方が……」
そう言いかけたミレイは、苦いものを噛み潰したような顔になって首を横に振った。
「……いえ、何でもありません。忘れてください」
そうしていると、指示を出し終えたルルーシュが近づいてきた。
「ミレイ、せっかく訪ねてきてくれたのにすまないが、今日はもう帰ってくれるか?ナナリーを放っておくわけにはいかないからな」
「ええ、分かっています。それでは、またお会いしましょう」
ミレイが去っていくのを見送った後、ルルーシュはベッド脇の椅子に腰を下ろして、優しくアーサーの手を握ってくる。そんなことをされたのは初めてだったから、アーサーがぎくりと体をこわばらせると、ルルーシュは何かと勘違いしたのか優しく笑みながら口を開いた。
「眠るまで手を握っているから、心配いらないよ、ナナリー。どこにも行かない。ずっとお前の側にいるよ」
向けられる笑顔も、優しい言葉も、それは自分のためのものではないのだと分かっている。それでも何故か、どうしようもなく目の前の叔母のことが懐かしくて慕わしくて仕方がない。
『ナナリー』の代わりなんて嫌だと思った。死んでしまった妹姫ではなくて、アーサーのことを見てほしかった。
けれどきっとこの人は、アーサーが『ナナリー』ではないと気付いてしまったら、こんなふうに優しくしてくれることも、無償の愛を向けてくれることもないのだろう。そう思うと悲しくて、涙があふれそうになった。
悲哀と諦観に歯を食いしばるアーサーの手を握ったまま、ルルーシュは子守唄を歌い始める。その心地よい歌声に、アーサーはいつの間にか眠りの中に引き込まれていた。