Case01以降のショートカット
→Case02:枢木スザク
→Case03:C.C.
→Case04:紅月カレン、あるいはカレン・シュタットフェルト
Case01:ユーフェミア・リ・ブリタニア
学園祭でシュナイゼルの親衛隊によって保護されたユーフェミアは、すぐにその場から――ルルーシュから引き離された。
自分がいなくなった後ルルーシュがどうなったのかとても気になっていたが、ごねて優しい兄の親衛隊に迷惑をかけるわけにもいかない。ユーフェミアは至極大人しい態度で、シュナイゼルの親衛隊によって総督府まで送り届けられた。
お忍びで出かけていたため、姉に外出がばれないように車は従業員専用の裏口付近に止めてもらった。正面入り口から入ったのではすぐコーネリアにばれてしまうからだ。
こっそりと総督府の中に入ると、一緒に送り届けてもらった護衛二人が付いてこようとする。その二人に向かって、ルルーシュたちがどうなったのか分かったら教えてくれと頼んで、自室へと向かう。一人になりたいから、ついて来ないで欲しいと頼んだ上で。
(まさか、あんなところにシュナイゼルお義兄様がいらっしゃるなんて……)
歩きながら、どこかぼんやりとした表情でユーフェミアは思う。
あんなところとアッシュフォード学園のことを指した言葉は、学園の生徒に聞かれれば眉を顰められるようなものだが、ブリタニア帝国宰相閣下であるシュナイゼルが訪れるにはあまりに不似合いなのだから、そうとしか言いようがない。日本に数少ないブリタニアの子女のために作られた学園だからと言って、普通ならば一国の宰相が訪れるようなことはありえない。
シュナイゼルがどうしてあんな場所に来たのか。ルルーシュとナナリーはこれからどうするつもりなのか。皇室に戻ってくるのだろうか。もしそうだと言うのならば、また昔みたいに一緒に過ごすことができるのだろうか。
考えることが多すぎて思考が定まらない。
ぼんやりとした顔、ふらふらとした足取りで、ユーフェミアは一人自室へと向かっていた。その途中、一般人とまるで変わらぬ軽装のユーフェミアを見て、いったい何事かと目を見開く者たちがいたが、彼女はそのことにすら気付いていない。
やがて部屋へとたどり着くと、ユーフェミアは憂慮するようにか細い吐息を漏らして、背後の扉を閉めた。そして慣れない軽装を脱ぎ捨て、普段着のドレスに着替え始める。
着替え終わったちょうどそのとき、通信機がピピピと小さな音を立てた。ボタンを押して通信をつなぐと、報告はルルーシュがどうなったかということを報告するものだった。意外なぐらい早いが、それはユーフェミアが知りたかったことを教えてくれた。
事の次第を聞いて、ユーフェミアは複雑な表情で目を伏せる。
「そう……ルルーシュは結局、ブリタニアへ帰ることにしたのですね」
短い報告はすぐに終わって、通信機は何もしゃべらなくなった。
ルルーシュが戻ってくるのはとてもうれしい。幸せだった昔みたいに、また一緒に楽しく過ごすことができたなら、それはどれだけの幸福であろうか。けれど、戻りたくないと思っていたはずの彼女の気持ちを慮ると、ひどく切ない気持ちに駆られる。
竜胆色に近い薄紫の瞳を細めて、ユーフェミアはため息を吐いた。さらに、もしかしたらの可能性的事項がユーフェミアの胸に重くのしかかっていた。
(シュナイゼルお兄様がルルーシュを見つけたのは、もしかしたら私のせい……なのかしら……)
ユーフェミアはたまたま今日アッシュフォード学園を訪れて、たまたまルルーシュたちを見つけた。本当に偶然だった。その偶然のせいで、ルルーシュたちが見つかってしまった可能性はゼロではないはずだ。
ユーフェミアが総督府を抜け出したことに気付いて、優しいシュナイゼルがこっそり護衛を付けてくれて、その護衛がルルーシュたちの存在をシュナイゼルに報告して、と。そうやってユーフェミアのせいでルルーシュがブリタニアに連れ帰られることになったのだとしたら、ユーフェミアはどれだけひどいことをしてしまったのだろうか。
(ルルーシュはあんなに戻りたくないと思っていたのに……ゼロになって、ブリタニアを壊そうと思うぐらいに……)
花のように愛らしい顔を悔いるようにしかめたユーフェミアは、長い桃色の髪を揺らしながら衣装棚を離れて、重い足取りで部屋を横切っていく。ややもせず、窓際にある豪奢なテーブルセットのところにたどり着いた彼女は、二つある椅子の一つに腰を下ろした。
窓の外に広がるのは、姉がユーフェミアのために作ってくれた広い庭園。その緑あふれる癒しの光景を見る気すら、今は起きてこない。
(ルルーシュ……)
それは、七年前に行われたブリタニアによる日本侵略の際に死んだと思っていた異母姉の名前だ。ユーフェミアだけがそう思っていたわけではない。本国でもまた、公式にそのように発表されている。
(でも、生きてた)
ブリタニア帝国第三皇女ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとしてではなく、一般人の男子学生ルルーシュ・ランペルージとして。身分も名前も性別も経歴も全て偽って、けれどそれでも生きていた。
真綿にくるむようにかわいがってくれた実姉のコーネリアと違って、ルルーシュとは姉妹というよりもむしろ、友達のように一緒に遊んだ記憶がある。
目鼻立ち定まらぬ小さなころからまるで人形のように美しかったルルーシュのことが、ユーフェミアは大好きだった。恋愛的な意味ではないが、一番近い言葉を当てはめるのなら一目ぼれだ。女の子は綺麗なものが好きなのだ。性格よりも何よりも、ユーフェミアがルルーシュの外見に惹かれてしまっても、それは当然のこと。もちろんルルーシュは性格も優しかったから、仲良くなるにつれて外見だけではなくて中身も大好きになった。
幼いながらに皇室の中でも飛びぬけた美貌を誇り、優秀だが控えめだったルルーシュは、他の兄弟たちからも愛されていた。ユーフェミアとコーネリア以外の姉妹たちは、兄弟たちとは反対にルルーシュの美貌に嫉妬していたのだが。女は、自分と人とを比べずにはいられない生き物だからそれも仕方のないことだった。ユーフェミアがそんな感情を持つことがなかったのは、ひとえにルルーシュのことが大好きだったからで、コーネリアの方はと言えば、ルルーシュの母であるマリアンヌ皇妃にあこがれていて、その娘であるルルーシュのことをかわいがりはしてもうらやむような理由はなかったからである。
しかし、姉妹についての話は今はほとんど関係ないから、終わらせることにする。問題は兄弟についてだ。
数多くいた兄弟の中でも特にシュナイゼルは、目に入れても痛くないほどルルーシュをかわいがっていた。けれどルルーシュは何故か、あんなに優しい兄のことを、苦手に思っていたらしい。
それでも、ルルーシュがユーフェミアに優しいことに変わりはなかったから、そのことについてあまり気にしたことはなかった。シュナイゼルのことをルルーシュが嫌っていても、ユーフェミアとルルーシュの関係には、何の係わり合いもなかったから。
多くの時間、ルルーシュとユーフェミアは一緒に遊んだ。
ルルーシュとナナリーとマリアンヌ皇妃と、並んで星を眺めたこともある。
ナナリーとルルーシュを取り合ったことは、数え切れないほどだ。
そんなふうに、ユーフェミアの中にある過去の記憶は幸せたっぷりで、まるで宝石箱のようにキラキラと輝いている。
そんな幸せな過去からルルーシュの姿が消えたのは、マリアンヌ皇妃が暗殺された後。ルルーシュはナナリーと、留学生という名目で日本へと送られた。実質は体のいい人質だ。
皇帝の命令だ。誰も逆らえるはずはなかった。
かくしてルルーシュは日本へと送られた。すぐに帰ってくるのだと、ユーフェミアはずっと思っていた。いくら非情と言われる父であれ、実の娘を見捨てたりするはずがないのだと信じていた。幼いがゆえの愚かしさと、人の善良さを信じる元来の性格のために。
けれどルルーシュは帰ってこなかった。
父は、ルルーシュとナナリーが日本にいるにも関わらず、ある日突然日本へと宣戦布告して、結果二人は亡くなったのだと聞いた。
それが間違っていたと気付いたのは、何年も経った後だった。
ホテルジャックの際、ユーフェミアはゼロに会った。声も体型も丸っきり男のものだったが、ユーフェミアはほとんど感覚的に気付いた。ゼロがルルーシュだと言うことを。
それは当たっていて、ルルーシュはゼロというテロリストになっていた。けれど誰かにそのことを言うつもりなんてなかった。大好きな異母姉が生きていたこと、それがうれしくてたまらなかった。同時に、ブリタニア皇族だという理由だけで憎まれていることが悲しくてたまらなかった。けれど、ルルーシュはユーフェミアを殺さなかった。神根島で二人きりになったとき、殺そうと思えば簡単に殺せたはずなのにルルーシュはそうしなかったのだ。
うれしかった。
たとえルルーシュがゼロなのだとしても、これからも仲良くしていけるのだと、そう思った。でも、ルルーシュは皇室には戻りたくないと思っている。
だからユーフェミアは、ゼロと――ルルーシュと一緒にいることができるために、何ができるか考えた。そして、あることを思いついたのだ。シュナイゼルも、その思いつきに太鼓判を押してくれた。
ルルーシュがゼロのままでも一緒にいられる、とてもいい思いつき。
それはルルーシュが皇室に戻ってしまったことで意味を成さなくなってしまったのだが、ルルーシュのためだけに考えたわけではないから問題は無い。
あんなにも憎んでいた皇室に戻ることになったルルーシュのことは心配だったが、彼女にはシュナイゼルが付いている。ルルーシュがシュナイゼルのことを嫌っていても、シュナイゼルの方は違う。
(シュナイゼルお兄様なら、ルルーシュのことを悪いようにはしないはず……だから、大丈夫よね……)
昔からシュナイゼルがルルーシュのことをとてもかわいがっているからこその、絶対の信頼。
シュナイゼルが付いているから、ルルーシュのことは心配いらない。そう思って、ユーフェミアは脳内思考を切り替えた。
ユーフェミアはエリア11の副総督だ。その役目を果たすため、今考えなければならないのはシュナイゼルにもお墨付きをもらった思いつき――行政特区日本を作るということ。
(私は、ブリタニアの支配体制は嫌い……ルルーシュだってそう……だからきっと、この考えにはルルーシュだって賛成してくれるはずだわ)
そう思って、ユーフェミアは微笑んだ。
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Case02:枢木スザク
「……スザク君、大丈夫?」
気遣いに満ちた、優しい少女の声。ふわふわと甘い、まるで砂糖菓子のような。けれどそれは、決してスザクの望むものではなかった。望むのはいつも、たった一人の少女の声。優しいが甘さなどなく凛とした、女性にしては少し低めの。
聞こえた声が望むものではなくとも、スザクは意識を戻した。いつの間にか、覚えも無いのにスザクは見慣れた部屋の中にいた。クラブハウスの中の部屋で、いつも生徒会が使っている一室だ。
訳が分からなくて呆然とするスザクのことを、左隣に座ったシャーリーが心配そうな目で見ている。先ほどの声は彼女のものなのだろう。
(どうしてこんなところに……)
周囲を見渡すと、長いテーブルを囲むようにして生徒会のメンバーが座っていた。ミレイ、ニーナ、リヴァル、シャーリー、カレン。
何があってこの場にいるのか、記憶がすっぽりと抜け落ちている。今日は確か学園祭ではなかっただろうか。本来なら忙しく立ちまわっていなければならない生徒会役員が、どうしてこの場所にそろっているのか。
(あれ?そろってる……?)
そのときふと、スザクはあることに気付いた。ルルーシュとナナリーの姿が、ここにはない。あの二人の姿だけがここに足りない。ナナリーは中等部の生徒で生徒会役員ではないから、この場に姿がなくても納得できる。でも、ルルーシュは違う。ルルーシュはれっきとした生徒会のメンバーの一人で、しかも副会長なのだ。
(どうして……)
一人で何か仕事でもしているのだろうか。スザクが疑問に思っていると、右隣からリヴァルの声が聞こえてくる。
「驚いたよなー。あのルルーシュがまさか皇族だったなんて!しかもホントは、男じゃなくて女だったとか、本気で驚いたし。ま、そういうことなら、男女逆転祭のときのあの男子からの人気っぷりにも納得はいくんだけどな」
「あ……」
スザクは目を見開いて硬直した。
(そうだ、ルルーシュは……)
抜け落ちていた記憶が、一気に脳内を駆け巡る。ユーフェミアの隣でナナリーをかばうように立っていたルルーシュ、怯えたような顔、信じられないように見開かれた瞳、青ざめた顔色、スザクをすがるように見た直後、諦めたように光を失った目、そしてブリタニア帝国第二皇子シュナイゼルの手を取った白い繊手。
その全てが、まざまざと頭の中によみがえる。
七年前に別れたきりだった親友。それと同時にルルーシュは、スザクにとって初恋の、他の誰とも比べられないぐらい大切な少女だった。
初めて会ったときは、格好が格好だったから男だと勘違いをしてしまい、殴ってしまったりと色々あった。けれど、初めてルルーシュが心からの笑顔を見せてくれたとき、スザクは彼女のことが好きになっていた。子供のときには、それが恋だとは気付かなかった。そうと気付くにはスザクの情緒は幼すぎたのだ。
男みたいな格好をして、男みたいなしゃべり方をして、けれど妹思いで優しくて笑顔がとてもかわいい少女。一年近くずっと一緒にいた彼女とは、ブリタニアが侵略してきた際離れ離れになった。生死さえ分からなかったけれど、数ヶ月前にようやく再会できた。そのときにようやく、スザクはルルーシュのことが恋愛の意味で好きなのだと気付いた。
男装の麗人に成長していた彼女は昔と変わらず優しくて、学校中の人気者だった。拒絶されるのが怖くて、ともに過ごす心地よい時間を壊したくなくて、告白することなんて考えたこともなかった。
ただの友達としてでも、側にいることができるのならそれで良かった。それだけで良かった。
それなのに今はもうそれすらも許されない。ルルーシュは連れ帰られてしまった。もしかしたら、もう二度と会うことすら叶わないかもしれない。
そう思って、絶望に打ちひしがれるスザクとは裏腹に、リヴァルは明るい口調で話している。
「これからはもう、ルルーシュなんて気軽に呼べないよな。はあ〜。……しっかし、皇女様か。すげーよなー」
(すごい?何が?……ルルーシュのことなんて何も知らないくせに……!)
スザクは歯を食いしばって、射るような眼差しでリヴァルを見た。母の身分も低く強力な後ろ盾も持たないルルーシュが、人質同然の身で日本に送られて、日本人からどんなひどい扱いを受けていたのかなんて知らないくせに。それなのに、皇女という身分だけを見てルルーシュの苦労など全く考えないリヴァルの発言が、ひどく腹立たしかった。悪気などないのだとしても、スザクには許せなかった。
「……何がすごいんだ?」
「へ?」
「皇女だからって、それが何になる?……八年前……ルルーシュは皇女だから人質同然の身で日本に来て……ブリタニア人だからって、いろんな人間に蔑まれて……出歩くたびに体中傷だらけにして、だから、俺が守ってやらなきゃってずっと思ってた……」
思い出につられて、口調もまた過去のものへと戻る。
現在のブリタニア人と日本人を、逆にした構図。過去、ルルーシュとスザクを取り巻いていたのは、それだった。
想像もしなかったのだろう、悲惨なルルーシュの過去に、部屋にいてそれを聞いていた全員が目を見開いて息を呑んだ。ただ、ミレイだけはつらそうな顔で視線を伏せて、何かに耐えるように口をつぐんでいる。けれど、リヴァルやシャーリーやニーナの表情は、映画を見て、それを悲惨だと思うような人のものに似ていた。所詮、他人事。きっと、そういうことだ。そして逆に、カレンの表情は心からの驚愕と憐憫、同時に信じられないという気持ちが表れていた。
今は、ブリタニアに日本が虐げられている。だから、ハーフのカレンはブリタニアを憎んでいて、黒の騎士団の一員としてブリタニアに抵抗している。愛国心あふれる彼女は、昔日本人がブリタニアと同じことをしていたということを信じたくないのだろう。日本人が幼いルルーシュを――力ない弱者を虐げていたなんてことを。
そんなカレンの心情は理解できたが、どうでも良かった。ルルーシュに関わること以外、今はもうどうだって良かったのだ。
歪んだ思いを抱きながら、スザクは話を続ける。
「最初は、全然気を許してくれなくて……でも少しずつ仲良くなっていって……あの夜が来た」
スザクが実の父親を刺し殺した、あの運命の夜。
「あのときルルーシュは言ったんだ……僕たちを見捨てたな、父上って……ルルーシュの父親はルルーシュを見捨てたんだ……そんな父親が治めてる国なんかに、戻りたいわけないじゃないか!!」
初めてルルーシュが自分からスザクにすがったあの瞬間。ルルーシュ以外のものなんて頭の中から吹っ飛んでいた。ナナリーを助けて、と。ルルーシュが言ったから、スザクは父を殺してナナリーを助けた。
その殺人をルルーシュのせいにする気なんてないけれど、それは変えようのない事実だ。
けれど実の父を手にかけたという罪の意識は、並大抵のものではなくて、スザクはそれから、堪えようのない苦しみにさいなまれるようになった。過ちを犯してしまったことに対する後悔と、ルルーシュの頼みを遂行できたということに対する満足。その二つの感情が心の中でせめぎ合った。そして、罪を犯してしまったというのに満足を覚えた汚い自分が許せなくて、スザクはその感情に蓋をした。
だから、だ。ブリタニアをぶっ壊すと、そう言ったルルーシュの思いを知っていながら、ブリタニア軍になんて入ることができたのは。ルルーシュのことを、何を犠牲にしても、何を壊してもいいほど大切だと思った感情に蓋をしたから、スザクはそんなことができた。
ブリタニア軍なんかに参加して、ルルーシュを傷つけた。この手が血にぬれていることを知られたくなくて、技術部の所属だから危ないことはしていないと嘘を吐いて、それがばれたときも多分、傷つけた。たくさん傷つけて、でも側にいたいという思いは本物だった。
昔からルルーシュは優しかったから、スザクが何をしたって結局は許してくれるのだという甘えが根底にはあったのかもしれない。
そんなふうに思っていたから、きっと失ったのだ。何よりも大切な人の側にいる権利を。ルルーシュの隣にいることを守ろうとすらしなかったから、この喪失はむしろ当然だったのかもしれない。
(僕は馬鹿だ……昔みたいに側にいることを、ルルーシュが当然みたいに許してくれたから……ずっと一緒にいられるんだと思ってた……)
ルルーシュが手の届かないところに行ってしまうなんて、考えもしなかったのだ。
「壊せば、良かった……」
ぽつりと、スザクはつぶやく。
こんなことになるのなら、七年前、たぎるような憎悪を瞳に宿らせてルルーシュが言ったように。
「ブリタニアなんて、壊せば良かったんだ……」
そうすればきっと、ずっと一緒にいられた。
物騒な発言を聞いても、部屋の中の誰一人、スザクを咎めようとする者はいなかった。そう言ったスザクの瞳が、あまりに暗い色を宿していたから。
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Case03:C.C.
連れ去られた。
奪われた。
かどわかされた。
攫われた。
そんな言葉ばかり、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
クラブハウスの中を歩いても、もうルルーシュはいない。ルルーシュが誰よりも大切にしている妹もここにはいない。あの姉妹がいない以上世話役も必要ないから、咲世子もいない。今ここにいるのはC.C.だけだ。
クラブハウスの一室、窓から月を見上げてC.C.は目を細める。
「ルルーシュ……」
呼んでももう、返ってくる声はない。ルルーシュはもうここには帰って来ない。それは予想ではなくて、確信だ。帰ってくるはずがない。
屋上で、巨大ピザ製作が失敗するのを見て失意に沈んでいたときだった。視界の下で、異様な光景が繰り広げられたのは。
たった一点に向かって、熱狂したように走る人の姿。その目的地にいるルルーシュとナナリー、そしてブリタニアの第四皇女。それぐらいの状況、ルルーシュならば上手く切り抜けるだろうと思っていた。
けれどそれは間違っていた。
そうと気付いたのは、傲慢な自信家で誰をも恐れぬルルーシュが、たった一人の男を恐れている光景を見たときだった。彼女は差し出された手を払いのけ、全身をハリネズミのように尖らせて、全力でその男を拒んでいた。
それなのに結局、ルルーシュは連れて行かれた。その存在を、ブリタニアの第二皇子に見つかってしまったから。
ルルーシュ。C.C.が選んだ契約者。運命を共にする者。今ではもう、C.C.の本名を知っているただ一人の人間。そして、契約を持ちかけてばかりだったC.C.に、初めて契約を与えてくれた稀有な契約者。
「そう、お前は言った。……お前の願いも私の願いも、まとめてかなえてみせると……」
ルルーシュ以外の誰もそんなことを言ってくれなかった。
ルルーシュの前の契約者――マオは以前のC.C.もそうであったように、ギアスが効かないというコード継承者の特異さゆえにC.C.に依存するようになって、C.C.の望みなど叶えられる状態ではなくなってしまった。その前の契約者も、さらにその前の契約者も、ギアスという巨大な力に呑み込まれてしまって、願いをかなえてくれた者などいなかった。それどころか、かなえようとしてくれた者さえいなかった
C.C.の願いをかなえるに足る域に至るという意味であれば、現在のルルーシュ以上契約の成就にふさわしい人間もいた。けれど彼らでは駄目だった。彼らの心は、不死の運命を肩代わりさせるにはあまりにもろくて、C.C.は自分から見切りをつけた。けれどルルーシュならあるいは、と思っている。
彼女が願いをかなえてくれる確証なんてどこにもない。その域に達せるかどうかも分からない。けれど、これまでの契約者とは明らかに違うルルーシュならば、全てを知ったとしても契約を果たしてくれるのではないのだろうか。C.C.に恨みを向けることなく、コードを引き継いでC.C.を終わらせてくれるのではないだろうか。そう思ってしまう。
「それなのに、こんなところで立ち止まってどうする、ルルーシュ?私の願いを叶えてくれるのだろう……?」
ぽつり、答えがないことを分かっていながら、ここにいない人間に向かって問いかける。
C.C.の願い。それは死ぬこと。ギアスを与えた人間がコードを引き継ぐことのできる領域にまで達したら、不死の運命を肩代わりさせて自分という存在を終わらせる。
今までの契約者の中に継承者たる人間がいなかったわけではない。それなのに未だC.C.が世界をさまよっているのは、問題が契約者の側にあるわけではなく、C.C.自身にあるからだ。それは自分でも良く分かっていた。
かつてC.C.に発現したギアスは、『愛される』能力。発現するギアスは、その当人の願いそのもの。奴隷として虐げられていたころ、C.C.は誰かに愛情を注がれ、誰かに愛情を注ぎたかった。未だ胸の奥に残るその当時の心が、いつになっても契約を成就する妨げとなる。
永遠を生きる苦しみ。皆が老いていく中で自分だけが取り残される苦しみ。終わりたいという渇望は、まるで病のごとくこの身をさいなむ。契約を結んだ相手がどんな人間でも――どれだけ優しくても、マオのように一途に慕ってくれても、その胸に不死の証を刻みたくなる。このおぞましい運命を肩代わりさせたくなる。
C.C.はそんな自分に耐えられない。愛に飢えた心が、愛されるにふさわしくない己の醜い心を拒絶する。だからそんなおぞましい欲望を行動に移す前に、相手が自分を憎めばいい。自分から離れてくれればいい。そうすれば、この胸に巣食う醜い心を見なくてもすむ。
向こうからC.C.を突き放すのなら諦めることもたやすい。マオのように、自分から相手を突き放したこともある。そうやって今回も駄目だったと見切りを付けて、新しい契約者を探す。いつだってそんなふうに、C.C.は契約を繰り返してきた。
今回のように、突き放されることも突き放すこともない前に契約者を奪われることも、これまでなかったわけではない。そうなった場合、取り戻すことが困難ならばそうするよりも新たな契約者を探すことを選んでいた。今回のケースは、明らかに困難な場合に分類される。けれど今、C.C.は新たな契約者を求めるのではなく、ルルーシュを取り戻すという困難な未来を選ぼうとしていた。
そうまでする価値がルルーシュにあるのか、それは分からない。ただC.C.はルルーシュを失いたくなかった。この終わりない生の中で、初めてC.C.に契約を与えてくれた存在を。
(何をしても取り戻してみせようじゃないか。私の契約者を……)
そのための手段を考えて目を細めていると、不意にルルーシュの部屋から物音が聞こえてきた。
「ん?誰だ?」
C.C.は足音を殺して、そちらに近づいていく。開いたままの扉からこっそりと中を覗き込むと、そこには枢木スザクの姿があった。
C.C.は眉を顰めた。ルルーシュの大切な友達で、彼女がひっそりと好意を向けていた相手。同時に、ルルーシュにとって最大の敵である男。
C.C.はこの男が嫌いだった。大切な契約者の心を惑わせる存在。ゼロとして側に来いと誘ったときに、きっぱりと断られたのだからそのときに切り捨ててしまえば良かったものを、ルルーシュがスザクを敵とみなすことはなかった。
不快だとあからさまな視線を向けるC.C.に気付くことなく、スザクはどこか虚ろで、わずかな狂気さえ感じさせる目をして、部屋の中央にぽつんと立ちつくしていた。彼はそのまま、ぽつりとつぶやく。
「……ルルーシュ……僕は……」
「今さら何の用だ」
我知らず、声が出ていた。
「っ……君は、ゼロの……どうして君がここに……?」
スザクの質問には答えず、C.C.は部屋の中へと歩を進めながら冷たい視線を返して告げる。
「あいつが差し伸べた手を振り払っておきながら、今さら何の用だと聞いている」
「僕が、ルルーシュの……?」
覚えがないとでも言いたげにしかめられた顔に、C.C.はさらに苛立つ。C.C.が言っているのは、ルルーシュがゼロの姿をしていたときのことだから、スザクに理解できなくても仕方がない。分かっていても、腹が立つものは腹が立つのだ。
「そうだ。あいつはお前のことを、あんなにも欲していたのに」
敵対したくないから黒の騎士団に入れ、と。ずっとずっと、ルルーシュはそう思っていたのに――拒まれた。
「かわいそうなルルーシュ。大切な親友と敵対し、大嫌いな国に戻らされて……」
「ふざけるな!」
「ぐっ……!」
突然胸倉をつかまれて、背後の壁に叩きつけられた。
「敵対だって!?俺がルルーシュと敵対なんて、そんなことするわけないだろ!」
穏やかな口調をかなぐり捨てて、そう言ったスザクの顔はあまりに必死だった。それはまるで、恋する者のような。
(これは……使えるかもな)
苦しい息の中、C.C.は顔を歪めながら思う。これまであまり接点を持ったことがなかったから分からなかったが、この男はちゃんとルルーシュのことを大切に思っているようだ。ルルーシュが抱いていたおままごとみたいな恋心とは別で、もっとドロドロした感情のようだが、本来ならば恋なんてそんなものだ。
それならば、ルルーシュがゼロだとばらせばこの男はどういう行動を取るだろうか。
(この様子なら、拒むことなどないだろう……引きずり込むか)
ルルーシュを取り戻すためにも、黒の騎士団の力は今後必要にもなってくる。しかし、元々あの組織はゼロのカリスマで保たれていたようなもの。ゼロが姿を消せば、たやすく瓦解してしまうのは目に見えている。C.C.が身代わりをやるにも限度がある。何せC.C.は、事実がどうであれ『ゼロの愛人』として騎士団の中を闊歩していたため、突然姿を消せば怪しまれること確実だ。
しかし、元々黒の騎士団のメンバーでないスザクならそんな心配はない。背丈はルルーシュとほとんど変わらないから問題ないし、声も変声機を使えばいいだけのこと。
C.C.は胸倉をつかまれているなんて事実がないように、にやりと笑みを浮かべる。
「ブリタニアの軍人のくせに、どうしてそんなことが言える?……ゼロと敵対していないなんて馬鹿げたことを」
「ぜ、ろ……?」
スザクは、訳が分からないように眉をしかめる。しかし頭の回転は遅くないようで、すぐに答えにたどり着いた。
「まさか……!……ルルーシュが……ゼロ……?」
「イエスだ」
傲慢な口調で答えて、C.C.は呆然として力の抜けたスザクの腕を振り払った。白い拘束着の襟元を直しながら、スザクの前に選択肢を提示する。
「お前が選ぶ道は二つある。一つはこの事実を聞かなかったことにして、日常に戻ること。もう一つは、ルルーシュが選んだ道を継いでゼロとなり、ルルーシュを取り戻すこと。……さあ、お前はどちらを選ぶ?」
どちらを選んでもたやすい道はありえない。それでも、どちらかの苦しみを選ばなければならない。
(さあ、お前は諦めるか取り戻すか、どちらの道を選ぶ……?)
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Case04:紅月カレン、あるいはカレン・シュタットフェルト
『本日は、七年前エリア11制定の際に亡くなられたと思われていた、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下についての特集を行いたいと思います。ルルーシュ殿下は――』
黒の騎士団の本部、巨大トレーラーの中で、カレンはテレビの大きな画面を眺めていた。
(本当に皇族だったんだ……)
映っているのは元クラスメイトの男子学生――本当の性別は女だったようだが――ルルーシュ・ランペルージ、本名をルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。ブリタニアの、亡くなったと公表されていた皇族の一人――第三皇女だ。
その人の特集が、テレビ番組として組まれている。
まずは、死んだと思われていた第三皇女が本当は生きていたことに対する喜びの言葉。華々しい言葉はやがて終わり、次に映し出されたのはブリタニア宮で開かれたパーティーに出席するルルーシュの姿。アッシュフォード学園の学生服を着ていたときには中性的な容貌ながらも美しい少年に見えていたのに、ドレスを着て薄く化粧を施された姿は女にしか見えない。それも絶世の美少女だ。
男として過ごすために胸を押しつぶしていたせいか、胸元のボリュームが少しばかり物足りないかもしれないが、そんなことなど問題にもならないほどの美貌。劣情を誘うような白雪の肌、それに影を落とす長いまつげ、口紅によってほんのりと色づいた唇、物憂げな色を宿すアメジストの瞳、語りだせばキリがないほど魅力的な容貌をしている。どうしてこんな美少女を男だと思っていたのだろうと過去の自分の目を疑いたくなってくる。
テレビから聞こえてくるリポーターの声も、華やかでどこか退廃的なルルーシュの美貌をしきりに褒め称える言葉を綴っている。
『さてルルーシュ殿下ですが、エリア11で生きておられた殿下とその妹君のナナリー殿下を見つけられたのは、我らがブリタニア帝国の白きカリスマ、シュナイゼル・エル・ブリタニア殿下です』
画面が切り替わって、ルルーシュ一人だけではなく、ルルーシュとそれをエスコートする第二皇子の姿が映し出される。
ルルーシュと並んでも劣らない優雅だが男性的な美貌、正装を着こなす体躯は長身で、洗練された動作はあくまで上品で美しい。
白を基調にした服と薄い金色の髪をしたシュナイゼルは、黒を基調にしたドレスを着て漆黒の髪色をしたルルーシュとは、全くもって対照的な色をしていたが、それが不似合いだということはなかった。むしろ、白と黒のコントラストが最初から対になるべく在ったかのようにしっくりとして見える。外見だけを見れば、誰も文句のつけようがないほど似合いの二人だった。しかし、それは外見だけのことである。
シュナイゼルのエスコートに、恥ずかしがるように視線を伏せて口元に笑みを浮かべるルルーシュ。けれど今のルルーシュは、彼女が誰よりも大切にしていた妹ナナリーに、親友のスザクに向けていた優しい瞳をしていない。口元に浮かべられた笑顔は綺麗だったが、綺麗すぎてまがい物のように感じられた。いつも冷静で無感動で世を斜めに見ているような印象のルルーシュだったが、ナナリーとスザクと一緒にいるときだけ違って見えた。そのときと同じ顔を、今のルルーシュはしていない。アッシュフォード学園で普通に過ごしていたときよりもひどい、人形のような顔をしている。
顔に浮かべる笑みも、庶民にはありえない上品な仕草も、美しすぎるほど美しいのに空っぽの箱の中を覗いているような気分になるのは、あそこにいるのがルルーシュの本意ではないからに他ならないのだろう。ルルーシュが皇族だと発覚したあの学園祭の日、スザクが生徒会室で言った言葉が全て真実であるとするならば。
――皇女だからって、それが何になる?……八年前……ルルーシュは、皇女だから人質同然の身で日本に来て……ブリタニア人だからって、いろんな人間に蔑まれて……出歩くたびに、体中傷だらけにして、だから、俺が守ってやらなきゃってずっと思ってた……。
――あのとき、ルルーシュは言ったんだ……僕たちを見捨てたな、父上って……ルルーシュの父親は、ルルーシュを見捨てたんだ……そんな父親が治めてる国なんかに、戻りたいわけないじゃないか!!
血を吐くような表情で、そう言ったスザクを思い出す。
カレンにとって、父親はいないも同然の人物だ。生まれたときからほとんど交流はなくて、七年前引き取られるときに初めて顔を合わせたけれど、何の感慨も湧いてこなかった。けれど、親に捨てられる気持ちなら少し分かる気がする。ルルーシュとは違って父親にではなく、母親にだが。
七年前、紅月カレンからカレン・シュタットフェルトになった日、カレンは母親に捨てられたのだと思った。母親は、自分の生活のためにカレンをシュタットフェルト家に売ったのだと、そう思った。
真実は違ったのだと気付いたのはほんの数ヶ月前。それまでずっと、カレンは母親に捨てられたのだと勘違いしていた。
勘違いしていた間はずっと、母親が憎かった。自分を捨てた母親が、カレンをシュタットフェルトに売って昔の男にすがろうとする母親が、憎くて疎ましくてたまらなかった。そして、認めたくなかったけれどそれ以上にカレンは悲しかった。実の親に捨てられたのだ。悲しくないはずがない。
実際のところ、母親はカレンのためを思ってそうしたのだけれど、ルルーシュは本当に実の親に見捨てられたのだ。それだけではない。政治の道具として人質同然の身で日本に送られて、今日本人がブリタニア人から受けているような理不尽を幼いルルーシュは一人で受けていた。
日本人がそんなことをしていたなんて考えたくないけれど、あんな顔で、あんな声で語られたことが真実ではないと思えない。だからつまり、そういうことなのだろう。
殴られるのも蔑まれるのも当たり前の生活。スザクは、そんなルルーシュを守らなきゃと思っていたと言ったけれど、それは個人の力でカバーしきれるほど生易しいものではなかったはずだ。
それでも、スザクがルルーシュを庇っていたことで、二人は仲良くなったのだろう。だから、妹以外にはおざなりな対応をするルルーシュにとって、スザクは唯一の例外になったのだ。ナナリーとスザク。その二人だけが、傍から見ているだけでもはっきりと分かるほど、ルルーシュにとっての例外的存在だった。
テレビ画面に映る映像は、また場面が変わって、今度はアッシュフォード学園の学園祭――シュナイゼルがルルーシュを見つけた光景が映し出されている。
優しげな笑みとともに差し伸べられた、シュナイゼルの手。そして、その手を取ったルルーシュの姿。
ルルーシュがシュナイゼルの手を取るまでにあった諸々は、なかったものとしてカットされている。これだけを見れば、ルルーシュは望んでシュナイゼルの手を取ったかのように見えるだろう。
(でも、私は知ってる……)
シュナイゼルの姿を見たとたん、ルルーシュが一気に顔から色をなくしたことも。怯えたように息を呑んで、すがりつくようにナナリーを抱きしめたことも。伸ばされた手を、一度は振り払ったことも。全部全部カレンは知っている。
(……ルルーシュは、戻りたくなんてなかったはずだ……)
それでもあの状況では、逃れることなんてできるわけがなかった。ブリタニアのやり口は、だから陰険だと言われるのだ。
ブリタニアから逃げていたけれど、結局は見つかって連れ戻されたかわいそうな皇女様。
世を斜めに見て批評家ぶって見えたルルーシュ・ランペルージのことが、カレンは嫌いだった。けれど、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアのことはかわいそうだと思う。
カレンは、ブリタニアなんて大嫌いだ。ブリタニアの国民も大嫌いで、ブリタニアの皇族なんてものはなおさらだ。それでもルルーシュの事情を知っているから、彼女のことだけはどうしても嫌いだと言い切ることはできない。
――ブリタニアなんて、大嫌いなのに。
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