夜に咲く 02

「うわあっ!」
 ペッ、と。
 まるでゴミでも吐き出すように、C.C.が創り出した亜空間から放り出されたルルーシュは、間の抜けた声を上げて地面に転がり落ちた。
「っつぅ……C.C.の奴、もう少し丁寧に扱えと何度言えば分かるんだ。これではいったい、どちらが主人だか……」
 あちこちぶつけた部分をさすりながら、ルルーシュはぶつぶつと文句を垂れている。
 彼はそのまま空を見上げて、そこに月が浮かび上がっていることに気付いた。真上に昇った月は、今が真夜中であることの証。魔族であるルルーシュにとっては、とても心地良い時間帯である。
「とりあえず、居場所がばれないように結界でも張るか……」
 範囲は、町全体を覆えばそれで十分だろう。それで不便が出れば、後で新しく張りなおせば良いだけの話である。
 目を瞑って集中し、緻密で繊細かつ完璧な結界を作り出すために魔力を練り上げていると、尻の下から声が聞こえてきた。
「あの……」
「っ!」
 ルルーシュは驚いて目を見開いた。練り上げていた魔力は、行き場を失ってその場で霧散する。
 そのままの体勢で、ルルーシュが氷のように固まりきっていると、声はさらに続ける。
「悪いけど、上からどいてくれるかな?」
「あ……す、すまない!」
 ルルーシュは慌てて、自分が下敷きにしていたらしい人物の上から飛びのいた。そのとき、長すぎるマントの裾を踏んでしまって、危うく転びそうになる。
「ほえあっ!?」
「危ない!」
 体勢を崩したルルーシュに向かって、つい今まで下敷きにしていた人物が、慌てたような声を上げて手を伸ばす。少年らしさを残しながらも、たくましく鍛えられたその腕の中に、ルルーシュは抱き込まれた。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。すまなかった」
 ルルーシュは地面の上に転がったような体勢のまま、下敷きになって助けてくれた人物を見下ろした。
 月明かりが、その人物の姿を映し出す。
 ルルーシュを助けたのは、優しげな顔立ちの少年だった。人間の中では、最上級のものに分類されるだろう整った顔は、ルルーシュが無事だったことに安堵したような色を浮かべている。
 翡翠のような瞳は、慈愛にあふれていて、とても美しかった。
 そして何よりも、目の前の少年の魂の色は、これまで見たこともないほど美しいものだった。子供のように純粋で、しかしそれだけではない。穢れを知ってなお気高くあり続けるその魂は、魔族にとっては極上の獲物となるだろう。
「……お前……」
 母親が人間であったためか、ルルーシュはこれまで人間の魂をもてあそぶことに、何ら興味を覚えたことはなかった。何と言っても、ルルーシュの半分には人間の血が流れているのだ。普通の魔族ほど、人という生き物に対して残虐ではいられなかった。
 そんなルルーシュでさえ、はっと息を呑んでしまうほどに、目の前の少年の魂は美しかった。
 美しい魂に陶然なって、機嫌のいい猫のように瞳を細めているルルーシュに正面から見つめられて、少年は頬を赤く染める。月をも欺くような美貌の主に見つめられた人間の反応として、それはとても正しいものだ。
 普通の人間ならば、そのまま口を開くこともできず、ルルーシュの美貌を見つめたままぼんやりとしていることしかできないだろう。
 けれど、この状況の中で、その少年はゆっくりと口を開いて言った。
「……君は誰?天使?」
「はあ?」
 思ってもみなかったことを問われ、ルルーシュは目を見開いた。
 それもそうだろう。性質の根本からして対極の位置にあり、敵対し続けてきた存在に間違えられる魔族など、普通ありえない。
 天使は光を、魔族は闇を司る。そして人は、天使とは輝かしい光のような生き物であると想像し、魔族とは闇に潜む恐ろしいものであると想像する。
 実際のところ、外見の色なんてものは、種族を見分けるためには何の役にも立たないのだが、人間の貧困な想像力ではそれを知ることはできない。
 だからこそ、ルルーシュは不思議に思う。
 漆黒の髪や紫色の光る魔性の瞳を見ても分かるように、ルルーシュの外見に光を思わせるような要素はない。しかも、身にまとっている衣装もまた漆黒を基調にしたもので、明るい色など何一つ入っていない。
 人間が想像する天使とは普通、金髪で白い衣装を身にまとっているものである。それなのに、どうしたらルルーシュを、天使なんていう生き物と間違えられるのだろうか。
 呆気に取られた様子で、ルルーシュが動きを止めていると、少年は不思議そうに首をかしげた。
「あれ、違うの?いきなり空から降ってきたから、てっきり天使なんだと思ったんだけど……僕の勘違いだったみたいだね」
 こんな年にもなって、天使なんていう非現実的な言葉を発したことを恥じるように、少年は苦い笑いを漏らす。
 それから彼は、上に乗ったままのルルーシュの肩を支えて、ゆっくりと身を起こした。未だにあっけに取られたような表情で固まっているルルーシュと向かい合って、その美しい瞳を臆することもなく正面から見つめながら、少年はまるで小さな子供をしかるような口調で言った。
「君みたいに綺麗な女の子が、こんな時間に出歩いたりしたら危ないよ」
「……女の子?」
 ルルーシュは訝しげに眉をひそめたが、先ほどシュナイゼルによって勝手に女性体に身体を作り変えられてから、それを元に戻していなかったことを思い出す。
 今のルルーシュが、俺は女なんかじゃないと言ったって、誰も信用したりしないだろう。何と言おうと、ルルーシュの肉体は女のものでしかないのだから。
 立ち上がったとき、マントを踏んでしまったのも、女の身体になっているせいだ。男性体のときに合わせて作ってある衣服は、女性体に変化した身体には大きすぎる。
 男の身体に戻りたい。ルルーシュは強くそう思った。
 しかし、今のルルーシュは、男性体に戻るわけにもいかないのだ。ここでシュナイゼルによってかけられた術を解くような行為をすれば、シュナイゼルはそのことから、ルルーシュの場所を瞬時に見つけてしまうだろう。
 意に沿わぬ結婚話が解消されるまで、慣れない女の身体で過ごさなければならないのかと思うと、無意識のうちにため息が口をつく。
 そんなルルーシュに、少年は心配そうな目を投げかけてくる。
「本当に大丈夫?さっき落ちてきたとき、もしかしてどこか打ったりしたんじゃ……」
「いや、問題ない」
 大きなため息を吐きながら、ルルーシュが首を横に振ると、少年はホッとしたように大きく息を吐いた。
「そう。良かった。それなら、早く帰った方がいいよ。一人で帰るのが怖いなら、僕が送っていってあげるから。僕が信用できないって言われると、どうしようもないんだけど……」
 そう言って、少年は穏やかにほほ笑む。
 無邪気で純粋なその笑みを見ていると、ルルーシュは妙に苛立ってくるのを感じた。こんな人間が、どうして今まで無事に生きてこられたのか、ルルーシュには不思議でならない。
「お前こそ、こんな夜中に出歩くな。お前みたいな人間が、どうして今まで目を付けられなかったのか知らないが……幸せに生きたいのなら、夜に外に出るな。夜外に出ればそれだけ、魔族の目に止まりやすくなる」
「魔族?」
 きょとんとした表情になる少年に、ルルーシュは人の悪い笑みを浮かべて言う。
「……俺のような生き物だ」
 ルルーシュは冷たい笑みを浮かべて、体内にしまっていた黒い羽を、バサリと音を立てて広げた。魔族の中でも、最上級の魔力を持つものしか有せぬ6枚羽が、わずかに空気を震わせる。
 人の背から、何の前触れもなく翼が生える場面を見た少年は、信じられないような顔をしている。
 翼を広げ、宙へと浮かび上がったルルーシュは、あざけるような笑みを浮かべてそれを見下ろした。
「怖いか?」
 そう問われた少年はしかし、しばらくして衝撃から立ち直ると、穏やかで優しい表情に戻って首を横に振った。
「……ううん。だって君、僕を傷つけようと思ってないだろ?」
 普通の人間では考えられないような反応を返されて、ルルーシュは大きく目を見開く。やがて、クツクツと笑い出したルルーシュは、心から楽しそうな笑みを浮かべていた。
「変な奴だな、お前」
「そうかな?普通だと思うんだけど……」
 複雑そうな顔になる少年を見下ろして、ルルーシュは晴れやかに笑った。
 ひとしきり笑った後、宙にふわりと浮き上がったルルーシュは、顔に笑みを浮かべたまま、白く細い指を少年の鼻先に突きつけた。
「とにかく、あまり夜には出歩くな。これは忠告だ。お前の魂は、魔族にとってはご馳走みたいなものなんだ」
「へえ、そうなんだ……君にも、僕はおいしそうに見える?」
「そうかもな」
 肩をすくめ、さらりと少年の問いを流したルルーシュは、翼を動かして空へと翔け上がろうとする。
 それを見た少年は慌てて声を張り上げて、自分の名前を告げた。
「僕はスザク、枢木スザク!君の名前は?」
 いとも簡単に真名を明かしてしまう少年を見下ろして、ルルーシュは呆れたようなため息を吐く。
 これがルルーシュ以外の魔族であったならば、スザクは命を落としてしまっていただろう。
「あまり簡単に、真名を明かすな。お前はうかつすぎる」
「真名?」
 聞きなれない言葉を耳にしたように、スザクは首をかしげる。
 人間の無知さに呆れ返りながらも、ルルーシュは丁寧に説明してやった。
「真実の名前。お前という存在を表すコードだ。相手が人間であると確信が持てるまでは、苗字か名前のどちらかしか名乗るな。それが、最低限の自衛手段になる」
「そうなんだ。教えてくれてありがとう」
 スザクは感心したような顔になって、何度も頷いている。
 ルルーシュは、その間に立ち去ってやろうと考えていたが、スザクはすぐに上を向いて、先ほどと同じ問いを投げかけてきた。
「それで、君の名前は?」
 ルルーシュは大きなため息を吐いて、仕方なく名前を言うことにした。
「……ルル……だ」
「それだけ?苗字とかは?君なら、もっと長ったらしい名前がありそうなのに……」
 のほほんとした顔で、妙に鋭いことを言うスザクを見て、ルルーシュは顔をしかめる。
「俺の真名は、お前が言うとおりもっと長い。だが、それを聞いた瞬間、お前はこの世のことわりから外れた存在になる。輪廻の輪からも外れ、二度と人の世に転生することはかなわない。その覚悟が、お前にあるか?」
 半ば脅しを込めて言うと、スザクは顔を青ざめさせて、素直に首を横に振った。
「ごめん。ない」
「なら、聞くな」
「うん」
「……じゃあな」
 ぶっきらぼうな口調で言って、ルルーシュはそっぽを向く。
 バサッと羽音を立てて、ルルーシュが宙を進むと、スザクは大きな叫び声を上げる。
「ねえ!また会える?」
 見下ろすと、先ほどまで青ざめていたのはどこへ行ったのやら、スザクは熱のこもった瞳でルルーシュを見上げてくる。
 ルルーシュは笑って、風変わりな人間に向かって言った。
「さあな」

 そして、翼のひるがえる音が、夜の闇に響いた。


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