夜に咲く 03

 スザクと別れた後、ルルーシュは町全体に結界を張った。自分の存在を、他の魔族たちに気付かれないようにすると同時に、魔族がこの町に足を踏み入れれば、即座に感知できるようにするために。
 まだ生まれて十数年の若輩者にも関らず、頭脳を使うことにかけては、魔界でも飛びぬけた才を放つルルーシュである。
 類まれなるその頭脳は、己の魔力の欠片すら外に漏らさぬように、既存の結界に応用を加えることすら、労なく可能にする。ルルーシュ以外の他者には、そこに結界が張ってあると気付くこともできないようにする、高度な応用である。
 そうして結界を張った後、さらにもう一つ、己の周囲にだけ強固な結界を張る。もし、町全体を覆う結界内に侵入した魔族がいた場合、その者に見つけられないための結界だ。
 たったそれだけの仕事は、わずか数分もたたずに終わってしまった。そうなると、ルルーシュには何もすることがなくなってしまう。
 夜空の上で、漆黒の翼をはためかせながら、ルルーシュは美しい顔をわずかに歪ませる。
「さて、どうしたものか……」
 とりあえず、仮宿を探すべきだろうかとルルーシュは考えた。
 これは、無期限のかくれんぼだ。
 いや、正しく言うのならば一応、父である皇帝が、ルルーシュとシュナイゼルとの結婚話を白紙に戻すまで、という期限は定めてある。もちろんそれは、ルルーシュが勝手に定めた期限なのだが。
 しかし、あの強情な父が一度決めたことをたやすく翻すとは思えない。長期戦になることは、間違いないと考えて良いだろう。
 そうなると、下手に移動を繰り返すと、居場所が発覚する可能性は、極めて高くなってしまう。
 同じことを何度も繰り返す際に、もっとも恐れるべきことは、慣れによる怠惰だ。自分でそうと意識することはなくとも、何度も何度も同じことを繰り返していると、そこに必ず隙ができる。
 だから、下手に移動するよりも、この町に腰を据えて、絶対に見つからないよう息を潜めている方が好ましいだろう。
 数秒の思考の後、あっさりとそう結論付けたルルーシュは、目に付いた高級そうなホテル目掛けて飛んでいく。
 そして、明かりのついていない最上階の部屋に、窓をすり抜けて入り込むと、そのまま一直線にベッドへと向かった。今日一日の間に色々なことがあったせいで、ひどく疲れていて、眠かったためである。
 大きくてふかふかのベッドの上に倒れ込んで、ルルーシュは眠りの底へと落ちていった。
 
 
 
 翌朝。
 ルルーシュは、見知らぬ人間の声で目を覚ました。
 半ば寝ぼけたままで、ゆっくりと身を起こしてそちらを見ると、同じ服を着た女が二人、ルルーシュの姿を見て固まっていた。
 彼女らはホテルの従業員であったが、人間の世界に疎いルルーシュに、それを知る術は無い。しかし、高貴な生まれのため、他者にかしずかれて育ってきた彼には、彼女らが城に仕えていた侍女のようなものなのだと、簡単に推測できた。
 ぼんやりとした脳内で、そんなことを考えているルルーシュの視線の先で、二人の女は呆けたような顔をして、頬を真っ赤に染めている。
 どうやら、寝起きのルルーシュを直視してしまったせいで、ルルーシュの美貌と色気に当てられてしまったらしい。それは、人間の反応としては当たり前のものだった。
 しばらく、ルルーシュはぼんやりと寝ぼけていた。しかし、ややもすると意識が覚醒してくる。
 そうなると、今やるべきことも、自然と頭に浮かび上がってきた。
 するべきは、情報収集。
 この世界にやって来たばかりのルルーシュは、人というものに対しても、この世界の常識についても、あまりに無知すぎる。母が人間であったため、他の魔族よりはまだマシなのだろうが、頭脳を武器とするルルーシュにとって、無知とは耐え切れないものなのだ。
 嫣然と微笑んで、ルルーシュはそっと口を開いた。
「……来い」
 そう言って、誘うように首をかしげると、顔の横でさらりと長い髪が揺れる。
 今の今までルルーシュは忘れていたのだが、シュナイゼルのせいで女の体になっていたのだ。肉体としては同じ性となっているルルーシュに、人間の女がたぶらかされてくれるか、ルルーシュとしては果てしなく疑問だったのだが、心配するようなことは何もなかった。
 女二人は、ぎこちない仕草で頷いて、ぎくしゃくとした動きでベッド脇まで近づいてくる。人形のような従順さだ。生気を感じさせない動きの中で、彼女たちの瞳だけが熱を持って、ルルーシュの美貌を見つめている。
 ルルーシュは、側に寄ってきた二人のうち、一方の女の腕を取ると彼女の体を引き寄せ、その瞳を覗き込んで言う。
「見せろ。俺に、お前の知るこの世界の全てを」
 その瞬間、女と合わせた瞳から、膨大な量の情報が流れ込んでくる。
 目をすがめて、それらの情報を脳内にインプットしていると、突然目の前の女は、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
 あふれんばかりの情報が、その瞬間一気に霧散する。
 しかしすでに、必要だと思うだけの情報を手に入れたルルーシュは、特にそれを気にするわけでもなく、もう一人の女に顔を向けて命じる。
「何か理由を付けて、このホテルの総支配人を呼んで来い」
 どうやらルルーシュは、この部屋を仮宿として定めたらしい。
 この世界の金など持っていない彼は、手っ取り早く、支配人に暗示をかけてこの部屋に居座ろうとしているようだ。
 ぎこちなく頷いて、惜しむような目でルルーシュを見てから、女は名残惜しそうに歩き始める。
 そこへ、ルルーシュが呼びかけた。
「あと、この世界の服をいくつか見繕ってきてくれ。この格好では、どうも目立ってしまうようだからな。あまり派手な色のものは、できれば避けてくれ」
 呼び止められた女は、うれしそうな顔で振り向いて、うっとりとした眼差しでルルーシュを見つめていた。
 行け、という意味を込めて、ルルーシュが軽く手を振ると、女は従順にそれに従って、言いつけを守るために部屋の外へと向かっていった。
 それを見届けてから、ルルーシュは視線を下へと向けた。そして、床に膝をついて荒い息を繰り返している女を見て、そっと手を伸ばした。
 それに気付いた女が、ゆっくりとした動きで顔を上げる。ルルーシュの手に触れられて、女は陶然とした顔になった。
「大丈夫か?すまなかった。人の身で、俺の瞳を直視するのは苦しかっただろう。少し休んでいれば、楽になるから、それまで我慢してくれ。」
 申し訳なさそうな顔をするルルーシュを、うっとりとした目で見上げて、女は荒い息の中、そうとは思えないほど幸せそうにほほ笑んで、小さく頷く。
 それに釣られて、ルルーシュもかすかな笑みを浮かべていると、部屋の扉が開いて、高級そうなスーツを着た壮年の紳士が入ってきた。その隣には、先ほど部屋を出て行った女がいる。
 つまり、この壮年の男が、ホテルの支配人ということだ。
 ルルーシュは、ゆっくりとした動きでそちらを向く。
 そして、男の目を見て、花もかすむように美しい笑みを浮かべた。
「お前が、ここの支配人か?」
 支配人は、硬直したように、ルルーシュの瞳に見入っている。
 魔族ですら抗えない、ルルーシュの魅了眼を直視してしまったのだから、それは当然の反応だった。
「しばらくの間、俺はこの部屋に住みたいと思っているのだが……異存は無いな?」
 男の返事は、わざわざ聞くまでもなく、明らかだった。


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