夜に咲く 01

 生きた草木どころか、枯れた木さえ生えぬ山々は、険しい稜線を描いて、天へ向けてそびえ立っている。
 植物さえ育たぬそこに、果たしてどのような生物が存在することを許されるだろう。少なくとも、人や動物のような生命体が生き延びることは、不可能であった。
 広い荒野は、ひび割れた大地をさらしているばかりで、それ以外の色を見つけることは不可能に等しい。草一本、花の一つでさえ、そこには芽吹いていない。硬い岩石ですら、乾燥しきった空気に砂となるのが常である。
 強い風に吹かれて、砂嵐が宙を舞うのが、そこで動く全てのものだった。
 視線を変えて上を見てみると、空は暗くよどんでいる。
 ほとんど黒に近い灰色をした雲が、獣の咆哮のような音を立てる。それから少し遅れて、暗く凝った空を切り裂くように、一筋の神鳴りが地へと落ちる。神鳴り、すなわち雷。この世を創り出した神の怒りが、この荒れ果てた地を焼こうとするのだ。
 しかし神の手でさえ、この世界を滅ぼすことは出来ない。
 ここは魔界。神さえ立ち入ることのできない、魔族たちの住まう土地である。
この世界を支配する生きた法律は、神ではなく、魔界の皇帝。
 そして魔界の奥、さらにその最果てに。魔界皇帝の住む城は存在する。



◇ ◇ ◇



 暗い。それが、この大広間を見たときに、誰もが思い浮かべる第一印象だろう。
 漆黒の闇に包まれているように、周囲を取り囲む壁は混じり気のない漆黒であり、床に敷かれた絨毯は、まるで鮮血のような紅だ。天を突くほど高い天井には、水晶で作られたシャンデリアが吊るされていて、まるで夜空に浮かぶ月のように淡い光を発している。他の光源は、どこにも存在しなかった。
 しかし、それがこの場を暗いと感じる原因なのかと聞かれれば、誰もが否と首を横に振るに違いない。
 禍々しい色をした内装や、月光のように儚い薄明かりなどよりも、この場に漂う重苦しい空気が何よりもの原因だ。そして、この空気を醸し出しているのは、魔界の皇帝であるたった一人の男なのである。この広間に足を踏み入れることを許された者たちは、身をもってそれを知っている。
 ルルーシュもまた、その一人だ。
 しかし、それを知ってはいても、ルルーシュは父のことを恐ろしいとは思わない。それは、魔界を統べる皇帝である父ほどではなくとも、卓抜した魔力をルルーシュが有しているからである。
 今でこそ父親にはかなわないが、その素質だけを見るならば、ルルーシュの力は現皇帝のものでさえ凌駕するほどのものであった。

 その大広間の中で、誰もが真面目な態度で、皇帝の話に耳を傾けている最中。ルルーシュは無表情の仮面の裏で、あくびを噛み殺していた。
(つまらない……)
 そう思って、誰にも聞こえないように気をつけながら、小さなため息を吐く。
 魔界の皇帝の息子として生を受けたルルーシュは、皇帝に最も愛されている子供の一人である。
 第11皇子という、皇位継承にはほとんど関係ない位に生まれながらも、数いる多くの子供の中で、ルルーシュは誰よりも愛されていた。
 それは、ルルーシュが母親に生き写しであることが、一つの理由として挙げられる。
 ルルーシュの母マリアンヌは、とても美しい女であった。彼女は人間の身でありながら、父の寵姫だった。父が気まぐれに人間界へと赴いた際、見初められて妃に召し上げられたのだ。
 絹のような手触りの黒髪、陶器のように滑らかで白い美しい肌、スッと通った鼻筋、キスを誘っているような唇。母を形作っていたそのパーツのどれもが、ルルーシュへと受け継がれている。
 似なかったのは、ただ一つ。内面の美しさがにじみ出ているような、優しげな瞳だけだ。
 しかしそれは、ルルーシュの瞳が美しくないということを示すわけではない。
 母ではなく父に似た彼の瞳は、最高級の紫水晶のようであると、よく讃えられた。誇り高い精神と不遜さを宿したその瞳は、物言わぬ宝石とは比べ物にならないほどに美しい至玉であったのだ。
 けれど、皇帝が愛したのは決して、母によく似た外見だけではない。並み居る子供たちの中でも、飛び抜けた力を持ち、誰よりも優秀な頭脳を持つからこそ、彼はルルーシュを溺愛した。
 その証拠に、顔だけを見れば、ルルーシュよりもずっとマリアンヌに似ているナナリーに対して、父はあまり興味を示そうとはしない。
 そして、ルルーシュへの愛情の傾きは、マリアンヌが死んだ後、より顕著になった。
 他の皇子や皇女が好きに飛び回っている中、ルルーシュは城の中から出ることさえ自由にできないのである。ルルーシュがうんざりしてしまっても、それは仕方のないことだと言えた。
 それでも、外を駆け回るよりも、部屋の中でチェスをしている方が楽しいと感じる性格が幸いして、それをさほど苦に思うことはなかった。だからルルーシュは、これまで父親に反抗するようなことをしたことはなかった。
 これまでと同じように、このまま、退屈な一生をこの城の中で過ごすのだと思っていた。
 しかし。
 重要な発表がある、と言い置いてから発せられた皇帝の言を聞いて。ルルーシュは驚愕の後に、忌々しげに顔をくしゃりと歪めた。



◇ ◇ ◇



 広間から出るなり、ルルーシュは目的の人物の背中を探し出して、その後を追った。人混みを掻き分けて、広い背中を見失わないように目を細める。
 やがて、ようやく人の波が途切れて、ルルーシュはホッと一息ついた。そして前を歩く兄に向かって走り出す。
「義兄上!」
 長い廊下を走り、兄の一人である彼を呼ぶ。しかし、本当に気付いていないのか、はたまた故意なのかは知らないが、その人は振り返る素振りすら見せはしない。
 確かに、この城の中には数多くの兄弟姉妹が暮らしているのだから、ただ義兄と呼んだだけでは特定の人物を表すことはできない。だから、彼が気付かなくても、それは仕方のないことなのだ。
 そう思いながらも、ルルーシュは不機嫌に眉根を寄せて、再度声を張り上げることにした。
「シュナイゼル義兄上!」
「何だい?」
 シュナイゼルは優雅な仕草で振り向いて、ルルーシュに向かってほほ笑みかける。
 しかし、ルルーシュは険しい顔を崩そうともせず、義兄の美しい顔をキッと睨みつけて言う。
「『何だい?』じゃありません!先ほどの父上の話は何なんですか!?俺はあんなこと、一言も聞いてません!」
「そうだろうね。今朝決まったばかりだ」
「そんなことが聞きたいわけじゃありません!」
 ルルーシュは悲鳴のような声を上げる。
 いつも冷製沈着で落ち着き払ったルルーシュが、我を忘れて取り乱す様を見下ろして、シュナイゼルは楽しげに目を細める。
「では、何が聞きたいんだい?」
 フッと笑みを漏らすシュナイゼルを見て、ルルーシュは我に返った。そして、気を静めようと大きく息を吸って、深呼吸を繰り返す。
しばらくそうしていると、平常心が戻ってくる。いくら動揺していようと、それを表に出すのは、ルルーシュのプライドが許さない。
「……義兄上と俺との結婚が決まったとは、いったいどういうことでしょうか」
「言葉通りだ、ルルーシュ。君は、私と結婚するのだよ」
 深い笑みを浮かべて、シュナイゼルはあっさりとした口調で言い切る。
 それを聞いて、ルルーシュは唇をかみ締めた。紫電の瞳で義兄のことを睨み上げて、怒りを押し殺した声を出す。
「ふざけないでください」
「ふざける?私は本気だよ。君をくれるよう、ずっと前から父に頼んでいたのだが、ようやく了承がもらえた。父上も、下手な輩に渡すより、私に嫁がせる方がいいと判断されたのだろう。私が相手なら、君を城から出して他所へやる必要もないしね。君を手放したくない父上にしてみれば、この上ない良縁というわけだ」
「何を馬鹿な……!俺たちは血のつながった兄弟なんですよ!大体、俺も義兄上も男じゃないですか!」
 咎めるような口調で、ルルーシュが言う。
 しかしシュナイゼルは、ルルーシュの言っていることが理解できないとでも言いたげな顔をして、やれやれと首を横に振った。
「相変わらず、君はまるで人間のようなことを言うね、ルルーシュ。親兄弟だからと言って、それが我らに何の関係があるというんだい?」
 魔族にとって、近親相姦は咎められるべきことではない。
 混沌、悪徳、不実が推奨される魔界において、そのような出来事は極々一般的に行われている。だから、魔族の普通の考え方と照らし合わせてみれば、シュナイゼルの反応の方が正しいのであって、ルルーシュの言い分は理解されるようなものではないのである。
 シュナイゼルは、ルルーシュの顔を見てため息を吐く。憂うような顔になったシュナイゼルは、口を開いてぽつりと言った。
「やはり、母親が悪かったのかな?父上も酔狂なことをなさる。たかだか人間風情の女などに手を出すなど……」
「母上を悪く言うな!!!」
 ルルーシュは冷静さをかなぐり捨て声を張り上げ、憎々しげにシュナイゼルを見上げた。数年前に儚くなってしまった母親を、ルルーシュはとても大事にしていたのだ。その母を悪く言われて、怒らないはずがない。
 ルルーシュの地雷を踏んだことに気付いたのか、シュナイゼルは眉尻を下げると、小さく苦笑を漏らす。宥めるような表情を浮かべた彼は、ルルーシュの肩に手を置いて言った。
「そう怒らないでくれ、ルルーシュ。君は信じないかもしれないが、私は彼女に感謝の念すら抱いているのだよ?何と言ってもマリアンヌ皇妃は、君を産んでくれた女性なのだからね」
「……」
 しかし、ルルーシュは、険しい顔を崩そうとしない。
 鋭い目で睨みつけてくるルルーシュに向かって、シュナイゼルは陶然としたような目を向けてくる。ルルーシュに睨まれていることなど、意にも介していないようだ。
ルルーシュが悔しげに唇をかみ締めていると、シュナイゼルは肩に置いていた手を滑らせて、ルルーシュの顎をつかんだ。
「本当に君は美しい。怒っている顔でさえ、君はとても美しいのだね。だが、あまり人前でそんな顔をしない方がいい。……矜持の高い君がひれ伏して、その瞳が涙に濡れる様を見てみたくなる」
 そう言って、シュナイゼルは冷たい美貌に笑みを載せる。それと同時に、ルルーシュの顎を捕らえた指に、強い力が込められる。
「っ……!」
 痛みに息を呑んだルルーシュを引き寄せて、シュナイゼルは言う。
「それに性別など、気になるのであれば、君が女性体に変化すればいいだけの話だろう?もちろん、私は君が男であろうと女であろうと、どちらでも別に構わないがね」
 そう言って、顎を捕らえている手とは反対の手で、シュナイゼルはルルーシュの腰に手をやった。
 そして、彼が意味深な笑みを浮かべたとたん、ルルーシュの身体に変化が起こり始める。
「あ……」
 突然自分を取り囲んだ魔力の奔流に耐え切れず、ルルーシュはくらりと眩暈を覚えて、目の前にあったシュナイゼルの胸にすがる。
 その間にも、ルルーシュの変化は進む。平らだった胸が膨らみ始め、ただでさえ細かった腰はくびれを作り、全体的に曲線的な体つきになっていく。高かった身長も縮み始め、短かった髪が長くなっていく。
 全てが終わったときには、女性体に変化したルルーシュが、シュナイゼルに寄りかかった状態でその場に立っていた。
「は、あ……」
 くらくらと眩暈のする頭を押さえて、ルルーシュはそっと息を吐く。
 しかし、ルルーシュの腰を支えていたはずの腕が不埒な動きを見せ始めたとたん、ルルーシュはシュナイゼルのことを突き飛ばしていた。低くなった身長で、ずっと上にある義兄の顔を睨み上げるが、シュナイゼルは感情の読めない笑みを崩そうとしない。
 彼は舐めるように、ルルーシュのことを眺めている。
 ぴったりとした服を着ていたせいで、身体のラインが丸見えになっていたのである。それに気付いたルルーシュは、羽織っていたマントを身体に巻きつけて、シュナイゼルのことを睨みつけた。
 シュナイゼルは演技がかった動作で、大げさに肩をすくめる。
「冷たいな。未来の夫に対して、その態度はないんじゃないかな?」
「……俺は了承していません。大体、人の身体を勝手に作りかえるのはやめてください。確かに俺は女性体にもなれますが、男性体でいる方が気に入ってるんです」
「ふむ……男の身体で抱かれるのが好みか?」
「誰がそんなことを言いました!」
 馬鹿にされていると感じたのか、ルルーシュは怒りに顔を染めて声を荒げる。
 すぐに我に返って声量を抑えたルルーシュだったが、それでも苛々とした様子は隠しきれていない。
「とにかく俺は、義兄上との結婚など御免です。俺は、自分の相手は自分で選びます」
「父上が、そんな勝手を許すとでも思うのかい?」
「いいえ。……だから、家出します」
 据わった目で、ルルーシュは言った。
「この結婚の話が白紙になるまで、ここには帰らないつもりなので、父上にはどうぞ、そう伝えて置いてください」
 シュナイゼルが呆気に取られた顔で固まっている間に、ルルーシュは「C.C.!」と叫んで眷属を呼び出すと亜空間へと飛び込み、住み慣れた城を後にした。


|| BACK || NEXT ||