「ブリキ野郎がっ、なんで日本にいるんだよ!」
「出てけよ!おれたちの国から!」
「シンリャクシャのくせに、でかい顔して歩いてんじゃねー!」
見知らぬ少年たちは口汚い罵り声を上げて、容赦なく暴力を振るってくる。最初は拳、床に転がってからはもっぱら足がやって来た。靴底で踏みつけられたかと思えば、別の少年に靴先で蹴りつけられる。
油断していたと言うべきだろうか、それとも運が悪かったとでも言うべきだろうか。ルルーシュは埒も明かないことを考えながら、果物の入った買い物かごを抱きしめて体を丸め、理不尽な暴力にじっと耐えていた。抵抗しても自分のひ弱さでは逃げられないことは分かっているし、逃げられないのなら抵抗しても無駄だ。むしろ生意気だと言われて暴力がひどくなるのだから、無駄どころか自分から事態を悪化させるだけである。亀のように沈黙して大人しくしていることが、これを終わらせる最善策。
手加減を知らない子どもの暴力は痛い。それでも、頭を蹴ってはまずいと思うぐらいの知能はあるらしい。それならば、体を丸めているこの状態では急所に攻撃を加えられることもないので、致命的な損傷を受けることもない。少し我慢していれば終わると自分に言い聞かせて、ルルーシュはただひたすら耐え忍んでいた。
襲われたのは、ナナリーが好きな果物を買いに行った帰りだった。
買い物をする店は、ブリタニア人のルルーシュ相手でも気兼ねなく物を売ってくれるところか、冷たい目を向け悪態をつきながらも客だから仕方がないと相手にしてくれるところ以外、立ち入らないようにしている。とは言っても、前者なんて本当に数少ないから、居心地の悪い思いですばやく買い物を済ませることがほとんどだ。また、行きのルートも帰りのルートも、遠回りになろうと通るのが困難な道であろうと、なるべく人目に付かないということを基準に選んだ。『以前』の記憶がある限り、どの店を選べばいいのか、どの道を選べばいいのかなんてことは、簡単に判断することができる。
そしてそれが功を奏して、日本に来てから約一ヶ月、すでに何度も町に買い物に出た中でこんなふうに襲われたことはこれまで一度もなかった。
だから油断していたのだろう。しかし、運が悪かったというのも確かに真実なのだと思う。この山道は険しくて、大人でさえほとんど使おうとしないのだから。今日だって、この少年たちが探検なんて名目でやって来なければ、ルルーシュは何の問題もなく買い物を済ませることができたはずだったのだ。
(もうこのルートは使えないな……)
一度使っているのを見つかった道は、もう安全ではない。特に相手が子どもならありあまる暇を持て余して、わざわざルルーシュが通るまでずっと待ち伏せをするなんて無駄な時間を過ごすことも考えられるから、なおさらだ。安全に通れる貴重な道が一つ消えたことを惜しんで、ルルーシュはため息をついた。
「反撃もして来ないのかよ!」
「ブリキ野郎は弱虫なんだろ!」
「女みたいな顔しやがって、おまえちんちんついてんのかよ!」
「何か言ったらどうなんだよ、このっ!」
女物しかなかった服は町に下りる前に、男物に見えるよう仕立て直した。ルルーシュは母親譲りの顔をしているが、つんとした強気な目のためなのか、女になってしまった今もズボンをはいていれば十分少年に見えるようだった。男だったときは女に間違えられて、女になると今度は逆になるのかと思うと、何だかおかしな気分になってくる。
背中、腕、足、肩、丸めて見えなくした体の前面と頭以外、余すところなく蹴りつけられる。
「何やってんだよ、おまえら!」
そんな声が降ってきたのは、それがどれだけ続いたときだっただろう。
それを境に少年たちからの暴力はぴたりと止んだ。代わりに怯えたような声が聞こえてくる。
「やべっ、スザクだ!」
「な、何だよ。おれたちはブリキ野郎に、身の程ってやつを教えてやってただけだぜ。何か文句でもあるのかよ!」
「おまえだって、ブリキなんて嫌いだって言ってただろ!」
「うるさい!!」
少し離れたところから、怒声がびりびりと空気を震わせる。
頭の上で、少年たちがびくりと体をすくませるのが見ずとも分かる。相変わらず正義感の強いことだと思いながら、ルルーシュは閉じていた目を開けて、こっそりかごの中身を確かめる。桃も梨も無事だ。ルルーシュはほっと微笑んだ。
「大人数で一人を囲んでやっつけるのは卑怯って言うんだよ。おれはな、そういうやつが一番嫌いなんだ!」
「ひっ!」
「おい、やばいぜ……」
「に、逃げるぞ!」
それを合図に、ルルーシュを囲んでいた少年たちは一目散に走り去っていく。逃げる背中は、振るっていた暴力の余韻もなく何とも情けない。
「こら、待ちやがれ!!」
ざざっと草を揺らしてスザクも走り出す音が聞こえる。
「大体なあ!こいつは野郎じゃなくて女なんだよ!女に手を上げるなんてみっともないことしてるの見たら、今度こそ殴ってやるからな!っておい、聞いてるのか!?」
その叫びが、全速力で逃げ出した少年たちの耳に届いていたのかどうかは定かではない。なぜならスザクは、地面に転がっているルルーシュのすぐ近くで立ち止まったからだ。
ぞうりを履いた足と、紺色をした袴の裾が見える。土蔵で殴られたときはほとんど姿を見ることも出来なかったし、洗濯をしていた途中花を渡されたときはずっと顔を睨み付けていたから、この装束の特殊さを意識して見るのはここに来て初めてだ。懐かしいと、嫌悪感もなくただそう思った自分をルルーシュは自覚していない。
「……大丈夫か?」
降ってくる声は、どこか気遣わしげだ。
それでいて膝を折ることもなく立ったままなのだから、その矛盾に笑ってしまいそうになる。手を貸すことさえ嫌なぐらいなら助けなければいいものを、正義感にあふれるこの子どもの選択肢にそれはなかったらしい。
ルルーシュは節々の痛みを堪えて起き上がり、至るところに付いた砂と土を、蹴られた部分に響かないようにそっと払っていく。すぐ隣に立つスザクに向かって、顔を向けることすらせずに言った。
「二度とかまうなと言ったのを忘れたか?」
「っ……」
スザクは怯んだように息を呑んだ。しかしぐっと地面を踏みしめて言い返してくる。
「だからって、女が殴られてるのを見て放っておけるか!しかも一人相手に大人数なんて卑怯なこと!」
「おれは女じゃない」
「嘘つけ!おまえの妹が、お姉さまって言ってただろ!それにスカートもはいてた!」
「ならば言い換えよう。肉体が女という性別に分類されていようと、おれの精神は間違いなく男のものだ。女だと思う必要はない」
「は?……何だよそれ?」
スザクにはまだ性同一性障害についての知識はないようだ。もっとも、肉体と精神が一致しない現在の状態を、たったその一言で言い表すことなど到底できないのだが。
「簡単に言えば」
ルルーシュはふらつきながらも立ち上がり、ここでようやくスザクと目を合わせた。
「おれを女扱いする必要はないということだ」
「……訳分かんねーよ」
「別に、おまえに理解してもらいたいとは思わない」
ルルーシュは必要以上に高慢な仕草でつんと顎を背ける。
成長して大人しくなった将来像とは違って、短気で素直な子どものスザクはそれに我慢できなくなったのか、足裏で地面を荒く踏みつけた。
「ああもう!おまえって、ほんっとかわいくないよな!あのな、いくらおまえが女扱いする必要はないって言っても、おまえは女なんだよ!だからおれはおまえが嫌がっても、またおまえがあんなふうに殴られてるのを見たら放っておかない!それが男というものだって、藤堂先生が言ってたからな!だからおまえが何と言おうと、おれはおまえを守る!勘違いするなよ!おれだって、おまえみたいなかわいくない女なんて嫌いだ!おれは、女が殴られてるのを見て知らん振りをするような男になりたくないから、そうするんだ!分かったな!」
こうなったスザクには何を言っても無駄だ。
ルルーシュは一つため息を落とした。
「……勝手にしろ」
「勝手にするさ!」
鼻息も荒く言い切ったスザクのことを、ルルーシュは真正面から見据えて言った。
「だが一つ言っておくことがある。先ほどのように、おれが女だということを人前で言うのはやめてもらおう」
「何でだよ!おまえが女だって知れば、あいつらだって殴ったりなんか!」
「そうかもな。だが、もっとひどいことをされる可能性がある」
「もっとひどいこと?」
「……誰かを屈服させようとするとき、相手が女だというのならそれがたとえ子どもでも、男が取る手段には下劣なものが混ざってくるというだけのことだ」
「相手が女だというのならって……え、あ!」
スザクはようやく思い当たったのか、一瞬で顔を真っ赤に染め上げる。
そう言えばこいつはマセガキだったな、と無駄な記憶がルルーシュの脳裏によみがえってきた。
「ふ、ふざけるな!日本人がそんなことするわけないだろ!」
「こんなことに人種など関係ないさ。さっきのやつらだって、おれがブリタニア人だからという理由だけで暴力を振るってきた。大人の男なら、その手段が少し増える。ただそれだけのことだ」
そう、今ではない過去――けれど今と同じ九歳だったあの日々に、枢木ゲンブが幼いナナリーを歪んだ欲望混じりの目で見ていたのと同じように、男なんて結局はそんなものなのだ。だからそんな目にあわないために、男としてふるまうことは必要だ。もっとも肉体の性別がどうであれ、ルルーシュの精神は紛れもなく男のものであるからして、意識して男としてふるまわずとも自然にしていればいいだけのことなのだが。
「信じたくないのなら信じなければいい。ただ、おまえの綺麗ごとに巻き込まれて痛い目を見るのは御免だ」
「綺麗ごとって何だよ!」
「綺麗ごとだよ。おまえが思うほど……日本人なんて綺麗なものじゃないさ。ああ、気に入らないなら言い直そうか?日本人だけじゃない。人間なんて、おまえが思っているほど綺麗なものじゃないんだよ。親は子を捨て、子は親を殺し……友は友を裏切る」
そこでルルーシュは、視線だけで人を殺せるならば間違いなくそれをなすだけの威力がある強い眼差しで、スザクのことをにらみつけた。
初対面で殴りつけたこと。スザクにしてみれば、嫌われる理由なんてそれぐらいしかない。けれどそれだけの理由にしてはあまりに深い憎悪を向けられて、スザクはひゅっと息を呑んだ。
「だからおれは、もう二度と誰かを信じたりなんかしない。どうせ裏切るんだ。どうせ、おまえは……それならっ……それぐらいなら、最初から誰もいらない。ナナリー以外なんて誰も……おまえなんていらないんだ!」
ルルーシュはそう言い捨てて走り出した。
地を蹴る足が痛い、買い物籠を抱える腕が痛い、風に吹かれるだけで肩が痛い、それでも足を止めない。けれどいくらも走らないうちに、バランスを崩して転んでしまう。
「っ……!」
転んだ拍子で、せっかく暴力から守り切った果物がころころと地面に転がっていく。砂ぼこりに汚れて少しだけ色を変えるそれを、ルルーシュは転んだままぼんやりと眺めていた。
どうしてなのだろう。どうして今、自分は女なのだろう。『以前』男だったときでさえルルーシュは非力だった。腕力も体力も全然なくて、同じ年の女の子にも負けそうなぐらい貧弱だった。今の自分は、そのころよりもさらに弱い。こんなことでは駄目なのに、こんなことでは誰よりも大切な妹を守ることなんてできないのに、どうして自分は女なんかになってしまったのだろう。
女なんかになってしまったから、スザクはあんなことを言って近づいてくる。もし男のままだったなら、スザクはきっとルルーシュのことを嫌いぬいていて、絶対に近づこうとなんてしなかったはずだ。それなのに、性別が一つ違うだけでどうしてこんなことになっているのだろう。スザクなんていらない。近づいてきて欲しくなんかない。もう友達になんてなりたくない。どうせ裏切るのなら、最初からいらない。
そう思っているのに、ルルーシュのことを嫌いだと言いながら守るのだと宣言したまっすぐな瞳は、昔のスザクそのままで、それが憎しみを曇らせる。感情をそのまま表すまっすぐなあの目が、一番幸せで楽しかったころの記憶をよみがえらせる。
やめろと叫びたかった。そんな目をするな、と。嘘つきのくせに、白兜のパイロットだったくせに、ユーフェミアの騎士になったくせに、友情を裏切ったくせに、どうして今になってそんな目を見せるのだ。何の垣根もなく、何のてらいもなく、ただ心のままに友達だと言うことのできたころのスザクと同じ目を。
成長したスザクは違った。あんなまっすぐな目をすることなんて一度もなかった。否、ある意味ではまっすぐだったのかもしれない。けれどそのまっすぐさは、かつてのものとは違ってしまっていた。ルルーシュの知る、どこまでも自分に素直だったスザクのまっすぐさは、成長したスザクからは――ルルーシュを裏切ったスザクからは消え失せていた。
それなのにここには、懐かしい瞳を持つスザクがいる。あのまっすぐさを持つスザクがいる。ルルーシュを裏切る前のスザクがいる。
そんなのはもういらないのに。そのはずなのに、あのまっすぐな目を見ていると、あの正直な言動を前にすると、胸をくすぶる憎悪が揺らいで形を変えてしまいそうになる。そんなことでは駄目なのに。
だって――どうせいつかあのまっすぐなスザクも成長して歪んで、いつかルルーシュを裏切るのだ。
だからいらない。そう思わないといけないはずなのに、心が揺らぐ。
全身に襲いかかる痛みのせいだけではない涙があふれそうになったとき、タイミングがいいのか悪いのか、ざっと地面を踏みしめる音が聞こえた。
「何で転がってるんだよ」
「……おまえには関係ない」
「ったく、本当にめんどくさいやつだよな……」
スザクは呆れたような声で言って、転がったままのルルーシュから買い物籠を取り上げた。そして地面に転がっている果物を拾い上げてそこに入れると、今度はしゃがみこんで背中を向けてくる。
「ほら」
「……何の真似だ?」
「歩けないんだろ。しょうがないからおんぶしてやるよ」
「そんなのいらな、ほわあ!」
拒絶の声は、無理やり腕を引かれて立ち上がらせられた挙句背中に乗せられたことで、驚愕へと意味を変えた。
「は、はなせ!」
「うわっ、暴れるなよ!落としたらどうするんだよ!」
ルルーシュはぴたりと暴れるのをやめた。決して自分が落とされることを恐怖してのことではない。スザクが持っている、もう一つのもののことを考えたのだ。スザクは今背中に背負ったルルーシュ以外に、果物の入った買い物籠を腕に通して持っている。ナナリーに買ってきた、大切な果物を。体を張って守りきったそれを、こんなことで無駄にしたくないから暴れるのをやめたのだ。
スザクは満足そうに鼻を鳴らした。
「最初からそうしてればいいんだよ」
「……もう暴れない。だから下ろせ」
「いいから大人しくしとけよ。土蔵までちゃんと運んでやるから」
「必要ない。自分で歩ける」
「転んでたくせに強がるなよ」
「別にあれは転んでたわけじゃない」
「じゃあ何だって言うんだよ」
「少し休んでいただけだ」
とっさに口をついて出たのは、自分でもどうかと思うほど粗末な言い訳だった。
スザクはそれまで、身長の変わらないルルーシュを背負っているとは思えない足取りで歩いていたが、それを聞いた瞬間ぴたりと足を止める。そしてそれからしばらくして、盛大に笑い始めた。
「ぶっ……あははははは!休んでただけって、おま、それはいくら何でも無理があるだろ!」
「わ、笑うな!」
「これが、笑わずにいられるかっ……くくっ……おまえ、以外と面白いやつだったんだな……あははっ!」
「面白いとは何だ!失敬な!」
「あははははは!」
スザクは思う存分笑った後、ようやく足を進めはじめる。
その足取りまで楽しそうで、背中にいるルルーシュにしてみれば乗り心地が悪いことこの上ない。
「あー、笑った!こんなに笑ったのなんて久しぶりだ」
「……それは良かったな」
「ああ」
盛大な皮肉を込めたルルーシュの声に、スザクは素直に頷くばかりだ。
そうだ、こいつはこういうやつだったと、ルルーシュは沈黙した。
「……なあ」
「何だ」
「さっき言ったの、訂正する」
「さっき?」
「おまえのこと嫌いだって言ったこと。おまえはかわいくないけど、面白い。おまえみたいなやつ、初めてだ。だからおれはおまえと友達になりたい」
ルルーシュはしんなりと眉を顰めた。
「……おれが言ったことを聞いていなかったのか?」
「聞いてたさ。でもおれは、おまえと友達になりたいんだ」
先ほどのあれを聞いていて、どうしてそんなことを思えるのだろうか。しかもわざわざこいつは後を追ってきて、ルルーシュを背負って山道を登っているのだから、もはや救いようのない馬鹿としか考えられない。
「おれはなりたくない」
「おれはなりたい」
「おまえが何と思っていようと、おれはおまえのことが嫌いだ」
「おれは嫌いじゃないからいい」
「っ……黙れ!おまえなんかいらないって言ってるだろう!どうせ裏切るくせにっ!」
「裏切らない」
その声は静謐だった。静かだからこそ真摯で、偽りは欠片もなかった。
「おれはおまえを裏切らない」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。だからおれと友達になろうぜ。おまえが誰に裏切られたのかなんて知らないけど、おれは裏切らない」
「うそだっ!」
だって裏切る(裏切った)のは、未来(過去)のスザクだ。大人になったスザクが、ルルーシュには決して捨てることのできなかった友情を裏切る(裏切った)。
「おまえは裏切る!おれの友情を、ナナリーをっ!」
この裏切り者が、未来(過去)のルルーシュを殺す(殺した)のだ。
そして悲憤の中、ルルーシュは思い出す。ここにやって来る直前、あの神根島で最後に何があったのか。
ルルーシュはスザクに銃口を向けた。スザクもまた同じことをした。けれど響いた銃声は一つ――二つではなく、一つだけだった。ルルーシュの胸に赤い華を咲かせた、あの一つだけ。そう、ルルーシュはあのとき引き金を引くことができなかった。憎くて憎くてたまらなかったはずなのに、それでも友情を捨て切ることができなかったのだ。
何のためらいもなくルルーシュの心臓を撃ち抜いたスザクとは違って。
憎んでいるのだと思いたかった。存在を否定されるほど憎まれるようになってもまだ、自分がスザクのことを大切に思っているなんて、そんなことを認めたくなかったから、悲しみを無理やり憎しみに変換した。撃てなかったのは結局、ルルーシュ自身の甘さのせいだ。
だから、今度こそ同じことを繰り返さないためにも、スザクと友達になるわけにはいかないのだ。次に対峙するときには、間違いなく引き金を引くことができるように、友達になんてなるわけにはいかないのだ。
それなのに、どうしてスザクは今さらこんなことを言うのだろう。
「裏切らないって言ってるだろ!!何で信じないんだよ!この馬鹿!」
ルルーシュは黙り込んだ。
この言葉を、十七歳だったあのときに聞けたらどれだけ良かっただろう。そう思うと、自然と涙があふれてきた。体が女のせいなのだろうか、前よりも涙腺が脆くなっているのかもしれない。
背負った体が震えていることに気付いたのか、スザクは顔だけで振り向く。そしてすぐ近くにあるルルーシュの顔が涙でぬれていることを知ると、ぎょっとしたように瞠目した。
「なっ、何でおまえが泣くんだよ!」
「……泣いてない……っ……」
「どう見ても泣いてるだろ!それともおまえは目から鼻水でも出せるのかよ!ああもう、ほんっとめんどくさいやつだな!」
スザクは苛立たしげな声を上げると、ルルーシュを背中から下ろして向き合い、胴着の袖でぐいぐいとルルーシュの目元を拭ってくる。
「言っとくけどな、おれがこんなことするなんて初めてなんだぞ。他のやつが泣いてたって、こんなことしないんだからな。友達だから、こうやって慰めてやってるんだ」
この態度のどこが慰めなんだとほとんどの人間は思うだろう。けれどルルーシュは知っている。この時分のスザクにとって、これは精一杯の慰めなのだと。耳に優しい言葉などなくても、このまっすぐな言葉と態度こそが、子どもだったスザクの優しさそのものなのだ。知っているから、切なくてたまらない。
なぜならこの優しさは、未来(過去)ではルルーシュのものではなくなってしまう(ルルーシュのものではなかった)のだから。
「っ……いやだ……」
「何がだよ」
「こんなの嫌だ……優しくなんてするな……どうせおまえは裏切るのに……」
「裏切らない!何度言ったら分かるんだよ、おまえは!」
「どうして……本当は、おれのことなんて何とも思っていなかったくせに……おまえのことを友達だと思っていたのは、大切だと思っていたのは、おれだけだったのに……どうして今さら、こんなふうに優しくするんだ……!」
「誰のことを言ってるんだよ!」
「おまえだ!おまえ以外、誰がいるというんだ……もう、嫌なんだ……最後に否定されるぐらいなら、最初から優しくされたくなんてなかった……仲良くなったあとで憎まれるぐらいなら、最初から憎まれていたかった……おれは、おまえと友達になんて、もう二度となりたくなんてない……それなのに……どうして!」
ルルーシュはそう言ったきり口をつぐんで、何度も首を横に振った。
どこまでもかたくななルルーシュを前に、スザクは苛立ったような声を上げる。
「ああもうっ……じゃあ、約束だ!言って分からないのなら、裏切らないって約束してやる!約束なら信じられるだろ!」
ルルーシュが返事をする間もなく、スザクはルルーシュの右手を取ると、小指と小指を絡み合わせた。
「指きりげんまん嘘ついたらハリセンボンのーますっ、指切った!これで約束成立だ!おれが裏切ったら、おまえはおれの指を切って拳骨一万回食らわせて、ハリセンボンを飲ませる権利が生まれる!おれはそんなの嫌だから、絶対約束は破らない!これでどうだ!」
「どうだって……どうしておまえはそこまで……」
ルルーシュは、止まったはずの涙が再びあふれそうになるのを感じた。
嘘つきのくせに(ルルーシュだってそうだ)、白兜の騎士だったくせに(スザクが悪いわけじゃない)、ユーフェミアの騎士になったくせに(それはナナリーの騎士になって欲しいと頼む前のことだったじゃないか)、友情を裏切ったくせに(先に裏切ってユーフェミアを手にかけたのはルルーシュだ)……ああ、何だ、悪いのはスザクだけじゃない。
スザクがルルーシュを殺したのは、ルルーシュがユーフェミアを殺したからだ。ルルーシュにとって一番大切なものがナナリーだったように、スザクにとっての一番がユーフェミアで、それをルルーシュが殺してしまったから、スザクはルルーシュのことを許さなかったのだ。
けれど今のスザクの一番は、まだ定まっていない。それならば、あの裏切りは回避できるものなのではないだろうか。スザクにとっての一番をルルーシュかナナリーにすることができたなら、彼と敵対する未来を避けることは可能なのではないだろうか。
スザクを失わなくてもいい道を、今のルルーシュならば、もしかしたら選べるのではないのだろうか……それはあまりに甘い誘惑だった。
ルルーシュは目尻からこぼれそうになっている涙を乱暴に手で拭うと、まっすぐにスザクを見つめた。
「……おまえが自分から約束したんだ。だから……破ったら絶対に許さない」
素直じゃないそれを受諾の言葉だと悟って、スザクはぱっと破顔する。
「破らねーから、そんな必要ねーよ!」
「破ったら本当におれは、おまえの指を切って拳骨一万回食らわせて、針千本飲ませてやる……おまえ、発音を聞いていた限り、あの『はりせんぼん』という文句を魚のハリセンボンだと思っているだろうが、それは間違いだ。あれは針一千本のことだからな」
「し、知ってたさ!おまえに言われなくても、そんなことぐらい!」
スザクはかっと頬に朱を乗せてそっぽを向いた。
「おまえじゃない」
「え?」
「ルルーシュだ。おれの名前はルルーシュ。友達だと言うのなら、おまえなんていうのよりふさわしい呼び方があるだろう」
「るるーしゅ……ルルーシュか、よし!覚えた!おれはスザクだ!ルルーシュもおれのこと、スザクって呼べよな!」
スザクは太陽みたいな笑顔を浮かべて、傲慢な口調で言い放つ。それは子どもだったころの――ルルーシュを裏切る前のスザクそのものだった。
このスザクとなら、きっとやり直すことができる。きっと敵対することなんてしなくて済む。自分が上手くやりさえすれば、きっと……そう思って、ルルーシュは神妙に頷いた。
「ああ、スザク」
このスザクは、ルルーシュたちを裏切る前のスザクだ。だから今度はそうならないように気をつければいい。その上で友情を築けばいい。
約束を破らないと言ったスザクを、誰よりも信じられたころと同じ目をしたスザクを、もう一度だけ信じてみてもいいとルルーシュは思った。そう、あと一度だけ。
それでも無理なら――今度こそ覚悟を決めようと、そのときルルーシュは決めたのだ。