そこは神根島にある洞窟の中だった。薄暗いその中には三人の人間がいた。
一人は銃を持ち、呆然とした様子で座りこむカレンだ。残りの二人はスザクとルルーシュであり、彼らは対峙して立っていた。とは言っても、敵意を露にしているのはあくまでそのうち一人だけであり、もう一方は悠然とした態度を崩そうとしない。二人が向かい合っている分、その態度の落差はひどく際立っている。
刺々しい空気を発している方の少年――スザクは険しい顔をして、燃えるような怒りをたぎらせた目をしていた。その様子が尋常ではないことは、誰が見ても明らかだ。手に持った銃は、親友であるはずの相手に向けられている。しかしその照準は定まっていない。強すぎる憎しみのために、手が、体全体が震えているためである。
そしてもう一方のルルーシュはと言えば、先に言ったとおり、この危機的状況にあってあくまで平然としていた。
そんなものは単なる虚勢にすぎないと、この状況を見た人は言うかもしれない。しかし、決してそんなものではなかった。スザクに撃てるはずがない。ルルーシュはそれを確信していた。
スザクには撃てない。だから、向けられた銃口は、まったく恐れる必要のないものなのだ。
絶対とも言える確信。その由来は、以前ルルーシュがスザクにかけたギアスにあった。「生きろ」という、単純かつ端的な絶対至上命令。
ルルーシュのギアスは、絶対遵守の力。それは一人に対してただ一度しか使うことはできないが、その効力は絶対。ゆえにギアスをかけたあのときあの瞬間から、生きるということが、スザクにとってもっとも優先される事項となった。
ただし、死ねないとは言っても、もちろん例外は存在する。
例えば、寿命や老衰や事故といった本人の意思に関係なく訪れる不幸だ。そうした事態であれば、おそらくスザクも死ねるだろう。ルルーシュのギアスでは、避けようのない事態を回避することはできないからだ。つまり、道を歩いている途中、大型トラックに突っ込んでこられたりしたら、普通の人間と同じように死んでしまうわけである……人間離れした身体能力を有するスザクなら、トラックぐらい避けてしまいそうだが、とにかくギアスとはそうした力なのだ。しかし、自らの意思で死ぬことはできないし、死ぬかもしれないと思うような行動を取ることもできない。そう、まるで死に急ぐように正しいことに固執するスザクが、ギアスをかけた直後、命令に従うという正しい過程よりも、自分の命が助かることを選んだように。
だからスザクは、今ここでルルーシュを撃つことはできない。
この胸の上にある流体サクラダイトは、ルルーシュの心臓が止まったときに爆発するように設定してある。ルルーシュはさっき、そう宣言した。本当のことを言えば、そんな設定はしていないのだが、スザクにそんなことは分からない。
脅しが事実である必要はないのだ。実際はそうでなくとも、ルルーシュを殺したら流体サクラダイトが爆発して、挙句自分も死んでしまう。その疑いを抱かせることができれば、その時点で脅しは効力を持つのだから。
とは言っても、これが他のブリタニア軍人相手ならば、「たとえ刺し違えてでも!」という覚悟で向かってくる場合を想定し、その対策を練る必要がある。しかし、スザクに関してはそれの必要はなかった。「生きろ」というギアスが効力を発揮している限り、自分を犠牲にして相手を倒すという思考回路は働くはずがないからだ。ルルーシュの発言が完全にシロだと確信できない限り、スザクには撃てない。
それでも、もしスザクがこんな状態になく、冷静でいることができたならば、死なない部位に狙いを定めて発砲することもできただろう。しかし、今のスザクには無理だ。銃を持つ彼の手は、おこりのように震えている。そんな状態では、まともに照準を合わせることなんて不可能だ。絶対に殺さない部位を撃ちぬける。その確信がなければ、スザクに引き金を引くことはできない。
しかしルルーシュは、こんなふうに脅さなくても、スザクに自分を撃つことができるとは思っていなかった。胸に置いた流体サクラダイト入りのカプセルは、スザク以外の人間で、すでにギアスを使ってしまった敵が追ってきた場合に、使おうと思っていた保険の一つに過ぎない。
それをここで出したのは、幼馴染への優しさだ。脅されたから殺せなかった。そう思わせることで、正しいことに固執するスザクの罪悪感を減らそうという、せめてもの。
それはそうと、脅しがなくても、スザクがルルーシュを殺さないという確信はどこから来るのかというと、親友という自分たちの関係にあった。
黒の騎士団への誘いを何度断られても、どれだけゼロの行いと主義主張を否定されようと、何度となく黒の騎士団を危機的状況に追い込んだ白兜のパイロットがスザクだと知った後も、スザクがユーフェミアの騎士になっても、ルルーシュにスザクを切り捨てることができなかったように。また、憎むことも殺すこともできなかったように。たとえルルーシュが黒の騎士団のリーダーで、スザクの主を殺した仇であろうと、スザクもまた、ルルーシュを殺すことなどできないのだと信じていた。
スザクはルルーシュにとって大切な親友であり、スザクもまた同じように思っていることを知っていたからだ。
だからルルーシュは、向けられる銃口を恐れることはなかった。
「それより取引だ。お前にギアスを教えたのは誰だ?そいつとナナリーは……」
「ここから先のことはっ、お前には関係ない!」
悲鳴のような声で、スザクがルルーシュの言葉をさえぎる。
それを聞いたルルーシュは、信じられない思いで目を見開いた。
目の前の親友は、今、果たして何と言ったのだろう。関係ないと、そう言ったのか。ここから先の――ナナリーの関することに、ルルーシュは関係ないと。
思いもよらない言葉に頭が真っ白になるのが分かった。
ナナリーを守るのは元々、ルルーシュの役目だった。そこに八年前、強引に割り込んできた身でありながら、スザクはいったい何を言うのだろう。
自分たち兄妹に関係ないのはスザクの方だ。図々しくも、無理やり割り込んできたのはスザクの方だ。けれど、ナナリーがスザクに心を許すようになって、だんだんとスザクの存在を受け入れるようになったから、ルルーシュもスザクのことを受け入れた。ナナリーはおそらく、ルルーシュが受け入れたから、自分もスザクに心を許したのだと考えているだろうが、本当は逆だ。ナナリーがスザクを受け入れたから、ルルーシュもまた彼のことを受け入れた。
つまり、スザクとルルーシュの友情は、ナナリーを守ることによって確立されたと言ってもいい。
それなのにスザクは、関係ないと言った。ナナリーの関することに、ルルーシュは関係ないと。それはつまり、二人の間に存在する友情を、真っ向から否定する言葉である。おそらくスザクには、そこまでの意図はなかっただろう。テロリストとなってしまったルルーシュに、大切なナナリーを触れさせたくない、そう思って発言しただけなのだろう。けれどスザクがどう思って発言したにせよ、重要なのはそこではない。ルルーシュがその言葉を、どう受け取ったか、だ。
どんな状況にあろうとルルーシュには、スザクへの友情を捨てることはできなかった。しかし、スザクは違う。彼には、ルルーシュを切り捨てることができるのだ。そう思った瞬間ルルーシュは、頭を金槌で叩き割られるような衝撃を受けた。
スザクはそこへ、さらに追い討ちをかけるように叫ぶ。
「お前の存在が間違っていたんだ!」
ルルーシュはさらに大きく目を見開いた。元々白い肌が一気に血の気を失って、死人のような色へと変わる。いまやその顔色は、意識を保っているのが不思議なほどひどいものとなっていた。
親友だと思っていた少年の言葉はルルーシュに、八年前の出来事を鮮明に思い出させた。
――弱者に用はない。それが、皇族というものだ。
ルルーシュにそう告げたのは、実の父親だった。
――……死んでおる。お前は、生まれたときから死んでおるのだ。
この世に生み出したのは誰だ、父親であるはずの皇帝だ、その彼が、ルルーシュの存在を否定した。死んでいると言った。
決して慕っていたわけではなかった。母を愛したように、父を愛したことはなかった。けれどそれでも、何と言えば良いのだろう、『父親』なのだとは思っていた。つまり、自分を庇護してくれるものだと思っていた。けれど違った。
――身にまとったその服は、誰が与えた。家も食事も命すらも、全てわしが与えたもの。つまり、お前は生きたことは一度もないのだ!然るに、なんたる愚かしさ!
父にとってのルルーシュは、愛すべき子どもではなかった。
――日本へ行け、ルルーシュ。皇子と皇女、取引材料としては十分だろう。
ルルーシュは父にとって、ただの駒に過ぎなかったのだ。そう悟ったとき、ルルーシュは他人を信じることができなくなった。たった一人、ナナリーだけがその例外だった。実の父親からの存在否定は、ルルーシュに大きな心的外傷を植えつけたのだ。
スザクに出会ったのはそんなときだった。横暴で自分勝手でわがままで強情で……最初は大嫌いだった。普段の態度も最悪だったが、出会いが最悪だったのも、さらにその感情に拍車をかけた。けれど、スザクの言動にはいつだって裏がなかった。ルルーシュからしてみれば、馬鹿みたいだと思うぐらいにまっすぐなスザク。仲良くなったのはナナリーがきっかけだったけれど、ルルーシュがスザクに対して本当の友情を抱くようになったのは、スザクがスザクだったからだ。信じようと思ったのは、スザクだったからだ。それなのに、そのスザクが――。
(――お前が俺を否定するのか……)
ルルーシュは愕然とした思いで、目の前のスザクを見つめた。
大切だった。ナナリーの次に大切だと、そう思っていた。決して失うことのできない、かけがえない親友だと、そう思っていた。けれどスザクにとってのルルーシュは、そうではなかったのだ。そのことを、今の言葉で嫌と言うほど思い知らされた。
何かが軋むような音が、頭蓋へ響く。そこでようやくルルーシュは、自分が痛いぐらい歯を噛み締めていることに気付いた。目の裏が熱い。拳を握りしめていたせいで、手袋越しに爪の食い込んだ手のひらが、鈍い痛みを訴えている。硬い地面が、今にも崩れてしまいそうな気がする。耳鳴りがする。ひどい頭痛がした。しかしそんなものよりも、何より痛いのは心だった。
スザクは、自分の言葉がどれだけ相手に衝撃を与えたのか、気付く様子などまるでなく言葉を続ける。
「お前は世界から弾き出されたんだ!」
世界から弾き出された?そんなこと、ずっと前から分かっている――分からずには、いられなかった。父親に死んでいると言われたその日、否応なしに理解させられた。
母親が死んだ悲しみとこれからへの不安を抱くルルーシュに、誰が何をしてくれただろうか。足を撃たれ、視界を失ったナナリーに、優しくしてくれた人間がいただろうか。答えは否だ。いや、何もしてくれなかったと言うと語弊はあるかもしれない。日本へ送られるまでの間、ルルーシュたちにはそれまでと変わらない生活が提供された。ナナリーにも、申し分のない治療は与えられた。けれどそれだけだった。誰も慰めてなんてくれなかった。ナナリーを見舞う人間なんていなかった。ルルーシュたちを助けようとしてくれる人間なんて、一人もいなかった。それまで仲良くしていたクロヴィスにコーネリア、そしてルルーシュに恋愛感情を抱いていたユーフェミアでさえ!
世界はルルーシュたちに優しくなかった。だから、優しい世界を作ろうと思った。世界が自分たちを認めないというのなら、認めてくれる世界を作ればいいのだと、そう思って。
特別な何かが欲しいわけじゃなかった。ナナリーと二人で、どんな危険にも脅かされることのない平和な毎日が欲しいだけだった。ルルーシュが望んだのは、たったそれだけのことだった。
「ナナリーは俺が……!」
俺が何だと言うのだ。おれが守るとでも言うつもりなのだろうか。笑わせてくれる。誰よりも大切にすべき主一人守りきれなかった騎士に、いったいどれほどのことができるというのか。
大体、今さら何を言うつもりなのだろう。ナナリーではなく、ユーフェミアを選んだのはスザクだ。他人の騎士となった人間が、どの口でそんなことを言うのだ。今の今までルルーシュたちのことなんて忘れて、ユーフェミアを守っていたくせに。
ユーフェミアが死んだから、今度はナナリーを守るとでも言うのか。ナナリーを、失ったユーフェミアの代わりにしようとでも言うのか。
ふざけるなと思った。ひどい侮辱だ。この男は、どれだけナナリーを、ルルーシュを馬鹿にするつもりなのだろう。スザク本人はそんな心を自覚しておらず、ナナリーのためにやっているのだと思っているからこそ、余計に腹が立った。現実を理解しないで理想論ばかりを吐き、自分が、自分だけが正しいのだと言わんばかりのその態度には、もううんざりだった。
「ッ……スザク!!」
叫びながら、衝動的に銃口をスザクに向ける。
こんなにも、人を憎いと思ったのは初めてだった。かけがいのない親友だと、大切だと思っていた分の感情が、裏返ってマイナスへと変化する。衝動のまま、照準を定めることもせず引き金にかけた指に力を込める。
何かが破裂するような音が洞窟内に響き渡って、その直後ルルーシュは胸に熱を感じた。視線を下ろすと、ちょうど心臓の真上に赤い花が広がっていた。衣装が暗い色をしているせいで分かりにくいが、この色は、匂いは、間違えようもない。
撃たれたのだ。そうと分かった瞬間、足から力が抜けてルルーシュはその場に崩れ落ちる。悲鳴が聞こえたような気がした。カレンだろうか、それとも――。