nightmare 05

 その声で名前を呼ばれてなお、ナナリーは信じられなかった。
 日本が侵略されてからの七年間、ずっとナナリーの存在を隠して続けてきたアッシュフォード家が、今になってルルーシュに知らせるわけがない。
 スザクのように、河口湖でのホテルジャックで人質に取られていた映像を見て気づいたという線も考えにくい。いくらあの日あの場でサクラダイトの生産国会議が行われていたといっても、しょせんは殖民エリアでの出来事だ。ブリタニアの殖民エリアでテロが起こるなど、そう珍しいことでもない。本国でも一応はニュースとして扱われただろうが、エリア11のように大きく取り扱われたことはないだろう。人質は全員無事で救出されたのだから、なおさらだ。
 では、いい加減アッシュフォード家に捜索を任せるのをやめて、姉が自分の手でナナリーを捜し始めたという線はないかと考えて、即座に否定する。そうするのなら、どうしてあれから七年も経った今になってという矛盾が先立つ。そもそも、ルルーシュの立場で直接ナナリーを捜すのは危険すぎる。
 それに、もし何らかの手段でナナリーの生存を知ったとしても、どうやってナナリーの携帯の番号を知ったというのだ。アッシュフォード家が教えたという線は、上述の理由と同じでありえないし、本国にいる姉と知り合うきっかけのないスザクも除外していいだろう。学園内に親しい友人がいないナナリーの番号を知るものは、ごく少数だ。具体的に挙げれば、ルーベン、ミレイを含めた生徒会メンバー、スザク、咲世子ぐらいだ。スザクと同じ理由で、生徒会メンバーや咲世子という線も消える。
 ではいったいどうやって携帯の番号を知ったのか。
 そう考え込むが、そんなものは再び名前を呼んでくる懐かしい声を前に、いともあっけなく霧散する。
『ナナリー……本当にナナリーなのか……?』
 この声が偽物であるはずがない。姉の声がどんなものだったかなんて、八年の間にほとんど忘れてしまった。けれど、まるで触れれば壊れてしまう繊細な宝物でも呼ぶような響きでナナリーの名前を呼ぶ人を、姉以外に知らない。こんなふうにナナリーの名前を呼ぶ人が、姉以外の誰かであるはずがない。それは確信だった。
 ナナリーは震える唇を動かして、問いかけた。
「お姉さま、なのですね……?」
『っ……ナナリー!ナナリー、ナナリー、ナナリー!!本当に生きていたんだな!どこにも怪我はしていないか!?何か不自由なことは!?ああ、そんなことより今どこにいる!?すぐ迎えに、うぐっ』
 鈍い音とともに悲鳴が聞こえた後、ルルーシュの声は途切れて、代わりにがしゃんと金属が何かにぶつかる音が聞こえてくる。それが、姉が誰かに殴られて電話を取り落とした音だと気づいた瞬間、ナナリーは人目があることも忘れて携帯に向かって叫んでいた。
「お姉さま!?どうなさったのですか、お姉さま!?」
 ナナリーは運動神経抜群で体力も人並み以上だが、普段はいたって物静かに過ごしている。そんな少女が声を荒げているという異常事態に、廊下を通っていた生徒たちから、またわざわざ教室から出てきた生徒たちから奇異の目が向けられる。ナナリーはそれにもかまわず、必死になって姉に呼びかけた。
「お姉さま、返事をしてください!お姉さま、お姉さまぁっ!」
『必死だねえ』
「誰っ!?」
 電話の向こうから聞こえてきたのは、それまでの声とはまるで違う男の、神経をさかなでるような声だった。ルルーシュに危害を加えたかもしれない、誰かの声。
「あなた、誰なんですか!?お姉さまに何をっ」
『ああ、怖い声だ。大好きなオネエサマに手を出されて、怒り心頭って声』
「お姉さまに何をしたんです、答えなさい!」
『知りたい?じゃあおいでよ、シンジュクゲットー――君がC.C.と出会った場所にね』
 そう言って、一方的に通話が切られる。
 ナナリーは即座にかけなおしたが、電話がつながることはなかった。仕方なく通話を諦めて、机の上もそのまま、鞄も教室に置いたまま走り出す。
 クラブハウスに入ると、掃除をしていた咲世子が不思議そうな顔をして声をかけてきたが、それに答える余裕なんてなかった。ナナリーは咲世子を無視して、C.C.がいるはずの自室に飛び込んだ。
「C.C.さん!!」
「何だ、騒がしい。私は食事中だ。用があるなら後に」
「あなたが私といることを知っている方で、お姉さまに危害を加えるような方に心当たりは?」
 ナナリーはC.C.の言い分を途中でさえぎって、ベッドの上でピザを食べている彼女に詰め寄る。
 C.C.にしてみれば、訳の分からない質問で大好物を食べているのを邪魔されたわけだ。彼女は当然の権利として、不機嫌そうな顔になった。
「何の話だ」
「いいから!答えてください!」
「……私の知り合いで、私がここにいることを知る者などいない」
 不機嫌な顔をしていたC.C.だが、ナナリーの勢いに押されたのかしぶしぶとではあるが口を開く。
 しかしそれは、ナナリーの望んでいた答えではない。
「そんなはずありません!もっとちゃんと考えてください!」
「そんなはずがない?何を根拠にそんなことを?」
「だってあの人は電話でシンジュクゲットーに、私とC.C.さんが出会った場所に来いって言いました!C.C.さんの知り合いじゃないなら、どうしてそんなことを言うんですか!?」
「……待て。お前と私が出会った場所がシンジュクゲットーだと、どうしてそいつは知っているんだ?」
「そんなこと知りません、でもっ」
「落ち着け」
 C.C.は興奮して詰め寄ろうとするナナリーの肩を押さえて、無理やりベッドに座らせる。
「電話と言ったな。どんな電話だったのか、最初から詳しく説明しろ」
 そんな暇はないと叫びかけたナナリーだが、今の自分が著しく冷静さを欠いて判断力を失っていることは分かっていた。口から出かけた叫びを喉の奥に押し込めて、できる限り落ち着いた態度で主観が混ざらないように、先ほどかかってきた電話の詳細を説明する。
 大人しくそれを聞いていたC.C.は説明が終わった後、難しい顔をして思索にふけり始める。そしてしばらくしてから、彼女は信じられないとでも言いたげに大きく目を見開いた。
「っ……まさか、マオ……?」
「マオ?その人がお姉さまに危害を加えたのですか!?」
「早まるな。可能性の一つではあるが、確定しているわけではない」
「ですが、思い当たるのはその人以外いないのでしょう?」
 間髪入れずに言い返すと、C.C.は苦い顔になって小さく頷く。
「……そうだ」
「その人は何の目的でお姉さまをっ」
「マオの目的は私だ。ルルーシュを狙ったのは……今、私と一緒にいるお前の急所がルルーシュだからだ」
 ではC.C.の都合に巻き込まれて、姉は危険な目に遭っているというのか。ナナリーはそう言いかけて、すんでのところで踏みとどまった。
 こうしてC.C.と一緒にいるのは、C.C.だけの都合ではない。決してナナリーから望んだわけではないが、マークネモの暴走を止められるのがC.C.だけであり、ナナリーの素性に気づかれているかもしれないという疑いがある限り、ナナリーもまた一緒にいた方が好都合だと思っている。そうである以上、一概にC.C.だけを責めることはできない。
 ナナリーは深呼吸をして、何とか気を落ち着けた。
「……マオという方は、なぜあなたを?」
「……」
「私の急所がお姉さまだと、どうやって知ったのですか?お姉さまの事だけじゃありません。私の携帯の番号も、私とC.C.さんが出会った場所がシンジュクゲットーだということも、いったいどうやって知ったっていうんですか?」
「……」
「……その人も、あなたと契約をして力を得たのですね」
 ナナリーが何も答えないでいるC.C.にそう言うと、相手ははっとしたように顔を上げてわずかに目を瞠った。驚いているようだが、そう判断する材料を与えたのは他でもない彼女自身だ。
「ゲットーで初めてお会いしたときに、おっしゃいましたよね。C.C.さんの願いは自分ではかなえられない類のものだから、誰かにかなえてもらうために契約を持ちかけるのだと。私の前に誰か、私と同じように契約していた方がいてもおかしくありません。マオは、私よりも前に契約していた方なのでしょう?そして彼ではあなたの望みをかなえることはできなかった。だからあなたは彼を見限って、新しい契約者を求めた。けれど彼の側では、まだあなたを必要としている。マークネモの暴走を止められるのがあなただけであるように、マオの力が暴走するのを止められるのもあなただけだから」
 言ったことの半分ぐらいはあてずっぽうだが、おそらく間違ってはいないだろう。ナナリーには姉ルルーシュのような頭の良さはないが、その代わりとでも言わんばかりに勘の方は優れている。C.C.の言葉と電話の内容と、合わせて考えてみたときぱっと思い浮かんだのが、今言った考えだった。
「そしておそらく、あなたが与えた力とネモが与えた力が異なっていたように、契約することで得られる能力は人によって異なっている。私の急所を見抜いたことなどその他説明がつかないことも、マオが有する何らかのギアスによるものだと考えれば不思議ではない……違いますか?」
「……違わない」
 C.C.は諦めたようにため息をついて、ナナリーの視線から逃れるように窓の外を向く。
「ギアスの発現の仕方は人によって異なる。マオのギアスは、他人の心を読む能力だ。集中すれば最大五百メートル先の思考を読むことができる。その気になれば深層意識まで読み取れる……お前のギアスとは相性が悪い。お前が知った未来を、お前の心を読むことで、あいつも同じように知ることができるんだからな」
「ならマークネモで!」
「最愛の姉を人質に取られたとして、できるのか?ルルーシュの身を危険にさらす可能性があると分かっていながら、マークネモでマオを倒すことが。それともルルーシュを傷つけずに、マオ一人だけを倒すことができる自信があるとでも?」
「それ、は……」
 ナナリーは頼りなげに目を泳がせてうつむき、唇を噛み締めた。そんな自信、あるわけがない。いくらマークネモが思ったとおり自在に動くとは言え、ナイトメアはそんな繊細な救出活動には向いていない。マオがルルーシュを自分から離れた場所に拘束しているのなら話は簡単だが、他人の心を読む彼はマークネモのことや、機体がその場にないからといって気を抜いてはならないということを知っている可能性がある。楽観視しない方がいいだろう。それに、もしナナリーが何かしようとしたとしても、心を読む彼は思った瞬間にそれを悟ってしまう。そんな相手を、どうやって出し抜くことができるというのだ。
「……何か弱点は?」
「しいて挙げるなら、お前が予想したとおりあいつのギアスそのものだ。お前が自力でマークネモを御することができないように、マオは能力をオフにできない。常に周囲の心の声が聞こえてしまう。本人が望もうと望むまいと」
 それは状況によっては役に立ったかもしれない情報だったが、今現在においては役に立ちそうになかった。呼び出された場所はシンジュクゲットー――少し前に壊滅した街だ。人はほとんどいなくなってしまったと聞く。現地人に混ざることで自分の存在を隠すことが無理ならば、ゲットーの外から人を連れて行くというのはどうだろうか。そう考えるが、ナナリーの立場では下手に警察を頼ることはできないし、警察以外で人を動員できるほどの心当たりはない。いや、もし政庁まで行って自らの身分を名乗り出て兄にすがれば、彼は軍を動かしてくれるかもしれない。しかし、姉の身に危険が及ぶ可能性を考えるとそれもできない。
 ルルーシュに会いたい一心で、ナナリーは力を手に入れた。けれど今、それが何の役にも立たない。河口湖のときと同じで、皇女としての力を使ったとしても、ナナリーに姉を救うことはできない。ずっと会いたかった姉に危険が及んでいるかもしれないというのに、ナナリーには何もできない。苛立ちのあまりきつく握り締めたこぶしの中で、爪が手のひらに食い込んで皮膚を破ろうとする。
「私が説得してみる」
「……それでおとなしく引いてくれるような方なのですか?」
「引かないというのなら……私がけりをつけよう」
 猜疑の目を向けるナナリーから逃れるように、C.C.は視線を落としてうつむいた。
 それが本当かどうかなんて分からなかった。けれど自分ひとりではどうしようもなかったから、その言葉にすがるほかなかった。



 C.C.が着替えるのを待ってクラブハウスを出る。本当はそんな時間も惜しかったのだが、C.C.は基本的に拘束衣が常の服装だ。まさかそんな格好で堂々と外出するわけにもいくまい。怪しすぎるし目立ちすぎる。
 この間初めてシンジュクゲットーに行ったときナナリーは走って行ったが、あれはどこへ行くのか分からず呼ぶ声に引かれるままその声のする方へ向かっていたからだ。今回は最初から向かう場所が分かっているので、走って行くなんて愚は冒さない。体力を温存しておくためでもあるし、走って行けば時間を食うからということもある。
 ナナリーはタクシーを利用しようと思っていたのだが、その前にC.C.が不良からバイクを巻き上げたので、今回ばかりはありがたくそれに便乗することにした。考えてみれば、ゲットーの手前までしか使えないタクシーと違って、バイクならばそのまま内部まで進むことができる。タクシーよりもずっと使い勝手がいい。
 C.C.が放り投げてきたヘルメットをかぶって、ナナリーはタンデムシートに乗り込んだ。とたん、猛スピードでバイクが走り始める。
「ところでナナリー!」
 前を向いてバイクを運転しながらC.C.が話しかけてくる。
 抱きついている腹筋の動き方からしてかなり声を張り上げているようだが、バイクの音で声が聞こえにくい。ナナリーも負けじと大声を上げた。
「何ですか!」
「私と初めて会った場所がどこにあるか覚えているか!?」
「大まかな方向ぐらいしか分かりません!」
「実は私もだ!」
「……」
「……」
 とりあえずはまず、ゲットーまで行くことにした。
 大まかな方向は分かっていたので、ゲットーに入った後はそちらに向かって進む。しばらくはバイクを使うことができたが、中心部に入るにつれて町並みの破壊はひどくなっていたので、仕方なく途中で乗り捨てた。
 あいまいな記憶を頼りに、マオが指定した場所を探そう走り出そうとする。しかしその前に、いつの間にか姿を現していたネモが腕をつかんできたので立ち止まらざるを得なくなる。
「待て」
「放してください!早くしないとお姉さまがっ」
「落ち着け。闇雲に探し回っても時間を食うだけだ。ギアスを使った方が早い」
 ネモはそう言うが、ナナリーだってゲットーの中に入ったばかりのとき、C.C.の後ろで試してみた。けれど未来線は無数にあふれていて、うまく読み取ることができなかった。思えばナナリーがギアスを使うときはいつだって、マークネモに乗って、意識をネモに半ば乗っ取られているときばかりだった。もしかしたら、ネモではなくてナナリーの意識が強いときには使うことはできないのかもしれない。
 口に出さないそんな思いを、感情を共有しているネモはつぶさに読み取って、即座に否定する。
「違う。私はお前の能力を利用していただけであって、力を使っているのはあくまでナナリー、お前だ。さっきやったのがうまくいかなかったのは、使い方がなっていないからさ」
 ネモはそう言って、乱暴にナナリーの頭をつかんだ。
 そのとたん、白く光る無数の筋が左目の視界を埋め尽くす。その筋一つ一つが、この場を支配する未来線だ。
「あ、ああ……!」
 ちょうど額に押し当てられたネモの手のひらから、焼けそうな熱が伝わってくる。すると無数の未来線は瞬く間に数を減らしていき、両手の指は超えるがそれでも数えられるぐらいにまで減少する。ばらばらのところを流れていくその白い筋は明らかに、一つの地点に収束していた。
 もっと先を、その場所を見せてと願うと、離れた場所で一つにまとまった白い筋は結合部分で大きく膨らみ、二人の人間の姿をナナリーに見せた。それは、サングラスで目元を隠した猫背のひょろ長い男と、ぐったりと意識を失って地面に倒れ付している少女の姿だった。少女は怪我をしているのか頭から出血しており、男はそんな彼女の頭に銃口を向けている。長い髪に隠れて半分ほど顔が見えないが、それぐらいで分からないはずがない。その少女は、ナナリー何よりも大切だと思っている姉だった。
「お姉さま!」
 叫んだ瞬間、左の視界から男の姿もルルーシュの姿も消えて、右目と同じ世界を映し出す。いつの間にか、ネモの手は頭から離れていた。ナナリーは怒りにかそれとも恐怖にか、震えている自分の体を抱きしめてへたり込んだ。そこへ、そんな様子など知ったことではないとでも言わんばかりの口調でC.C.が話しかけてくる。
「おい、分かったのか?」
 答える余裕なんて、姉が銃を突きつけられている姿を見た瞬間吹っ飛んでしまっていた。もはや右目と同じものしか映さなくなっている左目を手で押さえて立ち上がる。ナナリーは話しかけてくるC.C.の腕を振り払って、未来線が指し示した場所へ向かって走り始める。
 許せなかった。姉に危害を加えたあの男が、どうしても許せなかった。ナナリーの一番を壊そうとする相手を許すことなんてできるはずがない。
 感情が荒れ狂う。制御できない怒りが胸の中で暴れている。今までなら、とっくにネモに意識を支配されてマークネモを暴走させていてもおかしくないぐらい、ナナリーの心は荒れていた。そうならなかったのは、マークネモで暴れてしまえば姉に怪我をさせてしまうかもしれない、もっとひどければ死なせてしまうかもしれないという恐怖がそれを凌駕したからだ。
 隆起した地面も倒壊したビルもコンクリートに開いた大きな穴も、ナナリーの行く手をさえぎることはない。怒りの感情が、もともと桁外れに高い身体能力を最大限に引き出していた。走り始めてから数十秒もしないうちに、C.C.の声は聞こえなくなった。多分、とうてい通れるはずのないところを無理やり直進して駆けるナナリーについて来られなかったのだろう。それにもかまわず、ナナリーは駆けた。
 数分もすると、見覚えのある大きな穴が見えてくる。そしてその中に、二人の人間がいるのが見えた。ナナリーはためらうことなく飛び降りて、まるで猫科の獣のように見事な着地を決めた後、姉の頭に銃口を突きつけている男をにらみつけた。
「お姉さまを放しなさい!」
 そこにあったのは、未来線で見た光景とまったく同じものだった。


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