ところ変わってキッチン。
「お兄さま?」
C.C.のために冷凍のピザを焼いているルルーシュの耳に、ナナリーの声が聞こえてきた。
C.C.への怒りに占拠されていた頭が一気に冷めていく。ルルーシュはそれぐらい、妹を溺愛していた。この世で一番かわいいのはと聞かれたら迷うことなくナナリーだと答えるし、誰より愛しいのはと聞かれてももちろん同じ答えを返す。シスコンは伊達ではない。
ルルーシュは、それまでとは打って変わってとろけそうに甘く優しい笑みを浮かべて、キッチンの入り口にたたずむナナリーに顔を向けた。
「ごめん、うるさかったかな?」
「いいえ。少し喉が渇いて、それで起きてしまったんです。お兄様のせいではありませんので、お気になさらず」
「そうか。何を飲む?」
ルルーシュは戸棚から、二つグラスを取り出した。
ナナリーはそれを見て、慌てたように駆け寄ってくる。
「お兄さま!それぐらい、自分でやります!」
「いいよ。どうせ、C.C.のついでだ。それに、たまにはかわいい妹を甘やかさせてくれてもいいだろう?」
「……いつだって甘やかしてくださるくせに。私がわがままになっちゃったらどうしてくれるんですか」
「それは怖いな。そんな日が来ないよう、精々祈っておくことにするよ」
「もう、お兄さまったら!」
「はは。それで、何が飲みたい?」
ルルーシュは軽やかに笑って冷蔵庫の扉を開ける。
「では、お水をいただけますか?」
「分かったよ。……はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「ああ」
ルルーシュは、ミネラルウォーターを注いだグラスをナナリーに渡して、次にもう一つのグラスにオレンジジュースを注ぎ始める。言わずもがな、C.C.の分である。それが終わると飲み物を冷蔵庫にしまって、ピザの焼き時間が残りどれだけかということを確認する。
水を飲み終えたナナリーは、そんなルルーシュのことを見て、自分が使ったグラスを流しで洗いながら問いかけてくる。
「C.C.さん、またピザですか?」
「ああ、またピザだ」
最愛の妹からの問いかけにも、うんざりしきった声を隠すことができない。
しかしナナリーは、そんなルルーシュの様子に気付いているのかいないのか、水に濡れた手をタオルで拭きながら、ほうっとため息を吐いた。
「いいなあ、C.C.さん」
「何がだい?」
「だって、いくら食べても全然ぷにぷにーってならないんですもの。私もC.C.さんみたいな体質になりたいです」
「ナナリーだって、別にぷにぷにーっとなんかしていないだろう?むしろ細すぎるぐらいだ」
「あら、お兄さまだって細すぎですわ。この腰とか」
ナナリーは軽やかに笑ってルルーシュの腰に抱きついてくる。
「こら、くすぐったいよ」
ルルーシュもつられて笑いながら、抱きついてくるナナリーの頭を撫でている。十七歳と十四歳の兄妹とは思えないほど、ほのぼのとした光景である。
「ほらナナリー、飲み終わったのなら、もう一度眠っておいで。ちゃんと寝ないと、明日つらいのは自分だよ?」
「それはこっちが言いたいことですわ。お兄さまこそ、いい加減もう寝ないと明日の朝、寝坊しますよ?お疲れなのでしょう?」
ルルーシュは乾いた笑いしか返せなかった。
締め切り間近ということで、ここ最近まともに睡眠を取ることができなかったため、かなり疲労がたまっているのは事実だったからだ。居眠りの達人であるルルーシュは、学校で授業中、教師にばれないようにこっそり眠っているのだが、ベッドで眠るのと居眠りするのとではやはり違う。
「……多分、あれならC.C.も文句を言わないと思うから、明日からはぐっすり眠れると思うよ」
ルルーシュは遠い目になって希望的観測を述べた。今日はもう、午前三時近い時間になっているので、ぐっすり眠るという言葉が当てはまらない。なので、明日以降に希望を託して。
普段は始終ぐうたらしている駄目女のくせに、C.C.は仕事に関しては、確かで鋭く厳しい目を持っている。さっき完成したばかりの原稿だって、ネタや話の構成について考えている段階で、C.C.が何十回どころか何百回と駄目出しをしたから、こんな締め切りギリギリの完成となったのである。
妥協を一切許さないC.C.のおかげで、世の中に出る作品はいつも、ルルーシュ自身が後から読み返しても満足いくものに仕上がっているのだが、だからと言って体に溜まった疲労がなくなるわけではない。
しかも駄目出しと言っても、何かアドバイスをしてくるわけでもなく、ただ一言「つまらん」とか「こんな話で読者が釣れると思うなよ」とか「一度死んで出なおして来い」など、ただけなすだけで終わり。ルルーシュは元々負けず嫌いな性格をしているし、生まれたときからの付き合いで、C.C.の性格や態度をよく知っているからまだ堪えられるが、他の作家はこんな担当を付けられて胃に穴が開いたりしないのだろうかとたまに考える。
と言うか、C.C.はルルーシュ以外に担当作家を持っているのだろうか。一年の半分以上の時間をランペルージ家でごろごろしている女の謎を思って、ルルーシュはナナリーの頭を撫でつつ、こっそりと首を傾げた。
それを見ていたナナリーが、ルルーシュに抱きついたまま問いかけてくる。
「お兄さま?どうかしましたか?」
「いや、何でもないよ」
「そうですか……あの、お兄さま」
「何だい?」
「新しいお話、また読ませてくださいね」
控えめに頼んでくるナナリーに、ルルーシュは破顔する。
「もちろん。見本ができたらそれを一番にあげるから、それまで待ってくれるか?」
「はい、ありがとうございます」
ナナリーは清純可憐に微笑んだ。
それを見たルルーシュの頭は、妹はまるで殺伐とした地上に舞い降りた天使のようだと、兄馬鹿丸出しの思考に支配される。うちの妹は世界一かわいいとうっとりしていると、ちょうどそのときオーブンが音を立てた。ピザが焼きあがったのだ。
それをきっかけに、ナナリーはするりとルルーシュから離れていく。
「私はもう寝ますね。お休みなさい、お兄さま」
「ああ。お休み、ナナリー。良い夢を」
ナナリーがキッチンを出てしばらく、ルルーシュは優しくて頼りになる兄という顔を崩さずにいた。しかし階上で部屋の扉が開閉する音が聞こえてきたとたん、一気に体から力を抜いて、今にもこの場で眠ってしまいそうなほど、眠たげな顔になる。
それからはもう、ほとんど気力だけでピザとジュースをトレイに載せて、自分の部屋まで戻って行く。
「おい、持ってきてやったぞ」
「寄越せ」
ありがとうの一言もないのはいつものことなので、気にしない。このぐらいで怒っていたら、C.C.とやっていくのは無理だ。眠すぎて、怒る気力も湧いてこないというのもあったが。
C.C.は、ルルーシュのベッドの上に寝転がって、印刷された原稿を一字一句見逃さない体勢で眺めていた。
「食べるのならソファーにしろ。ベッドの上で物を食べるな」
「……お前は私の母親か」
「年齢的には逆だと思うがな」
ルルーシュが呆れたような顔をして言うと、C.C.は渋々立ち上がって、ソファーに移動を開始した。
それを見てルルーシュは満足そうに頷くと、ソファー前のローテーブルの上に、ピザとジュースの載ったトレイを置いて、ふらふらとした足取りで移動してベッドに倒れこんだ。
「……今日はもう寝る……気に入らない箇所があったら、付箋でもつけるか赤ペンでチェックでもしておけ。明日……というか、もう今日か……なお、す……」
締め切りは今日だ。昼間は学校があるから、前日までには完成させる気でいたのだが、少しぐらいの修正ならば学校が終わってからでも間に合うだろう。
C.C.の返事を聞きもせず、ルルーシュは眠りの世界に落ちていった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ルルーシュは、C.C.が運転する車で学校へと向かっていた。幸いなことに昨夜完成した話でC.C.も満足したのか、起き抜けに原稿の話題を持ち出されることはない。
ナナリーはテニス部の朝錬があるため、ルルーシュが目を覚ましたときにはすでに家にいなかった。運動神経は悪くないが人並み以下の体力しか持たないルルーシュとは違って、ナナリーは母親に似たのか、運動神経抜群の上に体力もあるのだ。
朝早く出ていくナナリーだが、普段のルルーシュはそれを見送るどころか、妹のために朝食の準備をするぐらい早起きだ。しかし修羅場後にはさすがにそれも無理だった。
なんと今朝ルルーシュが目を覚ましたのは、七時五十二分。いつものように電車で登校していれば、遅刻間違いなしの時間である。ルルーシュは決して優等生ではない。授業中に居眠りどころか、悪友に付き合って授業をふけることもままある。あるのだが、自分の意思でサボるのはよくても、駄目出しの鬼のせいで遅刻するのは癪に障った。そのため、いつの間にか隣にもぐりこんで寝ていたC.C.をたたき起こして、車を出させたのだ。
ちなみに車は、何年か前に父が母に贈ったスポーツカー。母にはちゃんと自分の金で買った愛車があるので、こういった機会でもなければほとんど使われることのない、普段は車庫の中で埋もれいている不憫な車である。
「私をこんなふうに使ったりして……後で覚えていろよ」
「お前が勝手に目覚ましを止めたりしなければ、電車でも間に合ったんだ」
「知らんな」
C.C.は尊大な態度でしらばっくれて、ルルーシュの恨み言を流す。
ルルーシュは怒りのあまり、口元が引きつるのを感じた。原稿で切羽詰っているときでも、ルルーシュはいつも七時三十分には目が覚めるように目覚ましをセットしている。それが、学校に遅刻しないで済むギリギリの時間だからだ。しかし今日、目覚ましはルルーシュが目を覚ます前に、C.C.の手によって止められていた。
「……大体お前、いい加減人の隣にもぐりこんでくるのはやめろ。俺だって、もう十七歳なんだぞ。襲われたいのか?」
「ふん。そんな勇気もない童貞坊やのくせに、うるさいぞ」
「女ならもう少し言葉を選んだらどうなんだ。お前は下品すぎる」
「ん?何だ、恥ずかしいのか?お前は初心だな。何なら、今度私が相手をしてやってもいいぞ」
「お前にはつつしみってものがないのか!?どこのエロ親父だ!」
「失礼な。こんな美少女を捕まえて何を言う」
「……少女なんて年でもないくせに、よく言うものだな……」
ぼそっと小声でつぶやいたルルーシュの声を、C.C.は耳ざとく聞きとがめたらしい。不機嫌な顔をして言う。
「黙れ、犯すぞ」
「おかっ……!?」
「穴があるのが女だけだと思うな。後ろにバイブつっこんであんあん言わせなが」
「お前が黙れっ!!!」
「バイブは嫌なのか?わがままだな。ならローターはどうだ?アナルパールは?うん?そんなものじゃなくて、双頭ディルドーで女に犯されているという感覚をもっと鮮明に味わいたいのか?倒錯的な趣味を持っているんだな、お前」
「誰がそんなことを言った!」
顔を真っ赤にして、叫び声を上げるルルーシュを見て、C.C.はにやにやと至極楽しそうな顔をしている。
これ以上何か言ったとしてもからかわれるだけだと悟って、ルルーシュはそれから学校に着くまで、貝のようにぴたりと口をつぐむことを決めた。
「大丈夫、女と違って男には前立腺があるからな。すぐ気持ちよくなる。後ろの快感は覚えると病みつきになるそうだぞ。そのうちつっこまれないとイけないようになるかもな。安心しろ、そうなったら責任取って私が娶ってやる」
……黙っていてもセクハラは続いたが。