月も中天に昇り切って地平に下り始め、すっかり夜も更けたころ。具体的に言えばすでに真夜中の十二時、つまりは日付変更時刻をとっくに過ぎて、もう二時にもなろうかという時間帯だ。
閑静な高級住宅地の一角にあるランペルージ宅で、ルルーシュ・ランペルージは静かな自室にこもり、高速でキーボードを叩いていた。白く光るパソコン画面を見るその顔は、どこか切羽詰った様相を呈している。
そこへ、至極偉そうな声がかけられる。
「おい、まだか」
その声の持ち主――C.C.などという疑うまでもない明らかな偽名で世の中を渡り歩いている女は、ベッドの上にごろんと寝転がって、ひたすらだらだらしていた。ここはルルーシュの部屋だ。となれば当然、ベッドもまたルルーシュのものである。他人のベッドに寝転がっている身でありながら、その態度はあまりに尊大だ。
ルルーシュは思わずぷちっと切れてしまいそうになるのを、必死になって堪えた。とは言ってもさすがに、声に不機嫌な色がにじむことまでは抑え切れない。
「……あとはエピローグだけだ。静かにしていろ」
「私は腹が減ったぞ、ルルーシュ」
C.C.は傲然とした態度で、女王様然として言い放つ。その態度はどこまでも怠惰で、どこまでも偉そうだ。
それでも何とかルルーシュは耐えた。この女との付き合いは、ルルーシュが生きている年月とほぼイコールで当てはまる。そのため、この偉そうで他人をまるで省みない態度にも、いくらか耐性はできている。正直言って、そんなもの全力で欲しくないと常々思っているのだが。
ルルーシュは口元を盛大に引きつらせながら、それでもキーを打つスピードを落とすことなく、呪うように低い声で言い返す。
「冷凍庫にピザがあるから勝手に作って食ってこい」
「冷凍のやつは嫌だ」
ルルーシュは耐えた。
「……こんな時間に宅配なんかやってる店があるか。我慢しろ」
「じゃあせめて、お前が作れ。私は動きたくないんだ」
そのあんまりな言葉には、いくらルルーシュでも、いい加減堪え切れなかった。
「お前はっ!」
そう叫んで、拳をデスクに叩きつける。キーボードが壊れたら困るという理性は残っていたため、きちんと手の位置を変えてからだ。そしてそれから、許可もなく勝手に他人のベッドでごろごろしている女を強く睨み付けた。
働きたくないならニートの一言で片がつくが、動きたくないはいくらなんでもひどい。働きたくないより重症だ。どれだけ面倒くさがり屋なんだ。ニートの進化形態でネオニートとでも呼んでやろうか。そんなどうでもいい考えが脳裏を駆け巡る。
C.C.は鋭い視線を向けられても何ら動揺することなく、勝手にベッドを占領している。それだけではなく、勝手に持ち込んだチーズくんという名の奇妙で大きなぬいぐるみを抱きしめたり上に乗って潰したりと戯れている。しかも、そのチーズくんなるぬいぐるみは、C.C.がいないときにもルルーシュの寝台を占領しているのだ。どうして今年で十七歳にもなる男の部屋に、巨大ぬいぐるみが置かれてなければならないのだろうか。いかにも少女趣味のものではなくて、かわいいのかかわいくないのかさえ理解に苦しむような謎の物体であるだけまだマシというものかもしれないが、正直言って邪魔なのだ。
以前夕食の席で、それについて愚痴をこぼしたことがあった。母親は「なら捨てればいいじゃない」と言ってきた。それもそうだ。勝手に持ち込まれたのだから、勝手に捨てても文句を言われる筋合いはない。しかし、いくら邪魔だとは思っていても、そこまでするのはためらわれた。友人の持ち込んだぬいぐるみを、捨てればいいと笑顔で口にする母親よりも、ルルーシュは優しい性格をしていたからだ。外見だけを見れば、母親が優しそうでとルルーシュは冷たそうなナリをしているのだが、実際は逆だ。おっとり垂れ目がちな母親は以外と辛らつな性格をしていて、つんと冷たい雰囲気のルルーシュの方が優しい。ただしその優しさが発揮されるのは、身近な人間に対してだけなのが難点だ。
そしてもちろん、その優しさにも限界はある。
C.C.はもう何年も前から、ほとんどこの部屋に住み着いていると言ってもいい。しかし、ここは彼女の部屋ではない。だというのに、彼女はいつも俺様態度を崩さない。この女は遠慮という言葉を知らないのだろうかと常々思っているルルーシュだが、一方では、そうではないことを分かっていた。C.C.のこの態度は、一種の甘えだ。例えばルルーシュが溺愛している妹に対するときは、彼女はずっと礼儀正しくなる――と言っては本当に礼儀正しい人間に対して失礼だが、ルルーシュに対する態度よりはずっとマシな態度を取る。遠慮というものを蹴倒してぐりぐりと踏みにじった挙句燃えるごみに出すという、回収させてリサイクルすることさえ許さない傍若無人な態度は、ひねくれきった女の甘えなのだ。
ただ、その甘え方が甘え方なので、ルルーシュの堪忍袋の緒が限界を迎えることは珍しくもない。
「袋から出して、予熱したオーブンで焼けばいいだけのことだろう!それぐらい自分でやれ!」
真夜中だからと思って我慢していたが、ランペルージ宅は防音完璧。少々叫び声を上げたところで、すでに眠ってしまっている母や妹に聞こえる心配はない。
父親のことは嫌いも嫌い大嫌いのルルーシュだが、愛人に過ぎない母とその子供である自分たちに、こんな高級住宅地に建てた家をぽんと与えた気前のよさだけは認めてやってもいいと思っている。もっともそれ以上に、何でも金で解決できると思うなよクソ親父がと憎く思う気持ちの方が大きいが。
「私が作るより、お前が作ったほうが美味い」
C.C.は大真面目な顔をしている。
オーブンで焼くだけの冷凍ピザに、美味い不味いの差など出るかとルルーシュは思うが、反論するのはやめた。目の前でごろごろしている女は、世紀のものぐさ人間なのだ。反論しても、自分が動かずにいるためならば、どんな正論を言ってもピザピザ騒ぐだろう。長年の付き合いで、それぐらいのことはお見通しだ。
ルルーシュは怒りを吐き出すように、大きく息を吐いた。
「……これが終わったら作ってやる。だからもう黙っていろ」
「む、では仕方がないな。大人しく待っていてやろうではないか」
お前はどこの女王様だと思わず問いたくなるような尊大な態度で言って、ベッドの上のC.C.は大人しくチーズ君と再び戯れ始める。
夜にピザなんてカロリーの高いものを食べたら太るぞという脅し文句は、この女には無意味だ。日がなピザばかり食べてだらだらと暮らしているくせに、この女の体型が変わったところなど一度として見たことがないのだから。物心付いたときから今まで、ほとんどずっと側にいたような仲だと言うのにだ。もっとも、全く年を取っていないように見えることに比べれば、それぐらい些細なことだ。
まだ母が女子高生だったころ撮ったという写真に、C.C.と一緒に写っているものが何枚かある。それに写っている姿と現在で、彼女は何一つ変わっていない。つまりルルーシュが生まれる何年も前から、彼女は今このときと全く変わらない姿をしていたわけなのだから、考えると空恐ろしいものがある。
まだ小さかったころ、ルルーシュは一度彼女に年を尋ねてみたことがある。女性に年齢を尋ねるのはタブーだが、そこは何年も家族同然に付き合ってきた相手だ。あまり悪いこととも思わず尋ねたのだが、返ってきたのは、私は永遠の十六歳だというふざけた返答だった。
確かに外見だけを見れば十代半ばの少女にしか見えないが、少なくとも母と同年かそれ以上のくせに十六歳と答えるなんて、図々しいにも程がある。現役十六歳に全力で謝罪しろと思ったルルーシュに非はないはずだ、多分。
ピザを作る約束をしてから数十分後。
「……終わった……」
ルルーシュはうめくように言って目を瞑り、椅子に背を預けてぐったりと体から力を抜いた。億劫そうな態度で文書を保存して印刷の手順を踏んでから立ち上がり、ふらふらと扉に向かって進んでいく。
「印刷が終わったら、目を通しておけ。俺はその間にピザを作ってきてやる」
「分かった。ああそうだ、ルルーシュ」
「何だ?」
ルルーシュは礼でも言ってくれるのかと、少し期待した。
「飲み物はオレンジジュースがいい」
「少しは自分で働け!」
そんなわけがなかった。相手はC.C.だ。感謝の念など、どこにも持ち合わせていないような、尊大で傲慢な俺様王様何様人間だ。この場合、期待なんかしたルルーシュが間違っている。
◇ ◇ ◇
ルルーシュ・ランペルージは現役高校生の十六歳という若さでありながら、すでに職業に就いている。作家だ。先ほど原稿云々と言っていた理由も、これで理解できるだろう。
ペンネームはゼロ。書いているジャンルは児童文学。どうして児童文学作家なんてものになったのかと聞かれたら、C.C.にはめられたからという答え以外に持ち合わせはない。
その詳しい経緯を説明するにはまず、ランペルージ家のことについて語らなければならないだろう。
ランペルージ家は、母マリアンヌと長男ルルーシュ、そして長女ナナリーの三人家族だ。父親シャルルは、世界を股に掛ける大企業ブリタニアグループのトップである。余談だが、父親が家族の中に入っていない理由は、ルルーシュが父親のことを大嫌いだということがまず第一に来て、父と母が正式に結婚していないということが二番目に来る。
マリアンヌは、シャルルの愛人だった。家の格とやらの問題で正式に結婚することこそできないものの、父が愛しているのは母だけであるらしい。そのため愛人の子という立場であっても、ルルーシュとナナリーはちゃんと認知されている。
何人もころころと正妻を変えていようと、それらの妻との間に何十人もの子供を設けていようと、それはブリタニアグループに必要なことだからで、決して父の本意ではない。ルルーシュはそのことを一応事実だとは認めている。あくまで一応。
そして認めてはいても、納得してはいない。父親の行動を見ていると、愛の重さを金で量れると思うなと殴りたくなってくるからだ。この家は父に与えられたものであるし、毎月養育費という面目で、母の口座には過ぎた養育費には金額が振り込まれている。誕生日には、今の年になっても大量の豪華なプレゼントが届けられるし、マメなことに母へのプレゼントを欠かすこともない。どう見ても、金で愛人を買っている嫌な男である。
今のルルーシュは、父の行動を少しだけ理解できるぐらい大人になったが、幼いころは本気で「金で愛が買えると思うなよ、このパイプオルガンが」と思っていた。シャルルは中世の音楽家のように、くるくるの髪型をしていた。だからパイプオルガン。
母もまた、金銭についてはルルーシュと似たようなことを思っているのか、働かずとも暮らしていくことができる立場にありながら、毎月父が送ってくる金に手をつけることはなく、バリバリのキャリアウーマンとして毎日忙しく働いている。
C.C.は、そんな母の友人である。物心付いたときには仕事であまり家にいなかった母と違って、他人であるはずのC.C.の方が何故か、ランペルージ宅に居着いていた。
家政婦として働くわけでも、ルルーシュたちの子守をするわけでもなく、ただ猫のようにごろごろしていた女。それがC.C.だ。大きくなるにつれて、この女いったい何の仕事をしているんだと思うようになったルルーシュだが、それは中学に上がった年に判明した。出版会社の人間だったのだ。
それが判明したきっかけは、ナナリーにある。
数年前までルルーシュは、夜遅くしか家に帰ってこない母の代わりに、妹のナナリーを寝かしつけるため絵本を読み聞かせることを日課にしていた。しかしあるとき、ナナリーが言った。お姫様はいつも守られてばかりなんですね、戦うお姫様のお話はないのですか、と。ナナリーはどうやら、守られるだけのお姫様よりも、強くてむしろ王子様を守っちゃうようなお姫様をご所望らしかった。母に似て活発な性格をしている妹には、守られてばかりいるお姫様は物足りなかったのかもしれない。
しかしルルーシュが知っている民話や童話の中に、ナナリーが望むような話はなかった。なかったが、ルルーシュはそこで諦めるような人間ではなかった。
妹の望みを叶えることができないなんて兄失格だと思ったルルーシュはそのとき、とっさに自分で話を作ってそれを聞かせた。ナナリーがそれに興味を示さなければ話はそこで終わったのだが、彼女はとっさの創作物をいたく気に入ったようで、次の日から寝る前にせがむのはその話ばかりになったのだ。
極度のシスコンで、無駄なまでに完璧主義のルルーシュが、とっさかつ適当に作ったものをいつまでも妹に話し続けることができるだろうか、反語。ルルーシュはもっとちゃんとした話を作ろうとして、構想やらネタやら話そのものやらを書き込むノートを作った。
とは言っても多感なお年頃のルルーシュ少年、作った話を妹に読み聞かせることに抵抗はなくとも、それを他人に知られるのは真っ平御免であり、ノートは厳重に保管していた。しかしあるときうっかりしまい忘れて、机の上に出しっぱなしにしたまま眠ってしまった日があった。
それを、自分の部屋同然にルルーシュの部屋に入り浸っているC.C.が見つけて、翌朝目を覚ましたルルーシュにつまらないと言い捨てて、鼻で笑った。
無駄に高いプライドがそこで発揮された。C.C.の鼻を明かしてやろうと書き直しては駄目出しされて、そんな攻防を続けて一年近く、ようやくC.C.に面白いと言わせるものが出来上がった。そのときには、話は元の何倍もの長さの長編に膨らんで、原型をほとんど留めていなかった。
そしてC.C.は完成したその話を読んだ後、唐突にこれを本にしてみないかという話を持ちかけてきた。
ルルーシュには当初そんな気は毛頭なかったのだが、C.C.の提案を聞いていたナナリーが、大きくてつぶらな瞳をキラキラさせて「お兄様の書いたお話が本になるのですか?」とものすごくうれしそうな顔をした瞬間にあっけなく陥落した。重度のシスコンが、妹の期待に逆らえるわけがなかった。
そして誕生したのが作家ゼロ。ルルーシュが中学に上がってすぐのことだった。
正直ルルーシュは、たった十二歳ぽっちの子供が書いた本なんて、まさか売れるはずがないだろうと考えていた。別に売れなくても困るわけじゃないし、ナナリーが喜べばそれでいいかという、至極軽い気持ちで本を出す契約にゴーサインを出したのだ。
しかし何故か、あれよあれよと言う間に売れ行きはうなぎのぼりに上昇した。発売から一年経ったころにはベストセラー小説とまで呼ばれて、児童文学でありながら子どもだけではなく大人にも広く読まれるようになった。児童文学でありながら、深い世界観や、現実で問題とされていることがさりげなく織り込まれていること、そして純粋に読んでいて面白いし感動できるということが評価されたのだ。
作家デビューからもうすぐ五年。一冊だけで終わるつもりだったのに、C.C.の挑発と、それ以上にナナリーから向けられる期待の目に逆らえなくて、ルルーシュは今でも話を書き続けている。
基本的に、本を出すペースは一年に二、三冊ほど。今は全八巻完結予定のシリーズ物にも手を出している。さっき書いていた原稿は、そのシリーズ三作目の最終章である。
処女作で人気の出た作家は基本的に、それ以外には駄作しか書けなくて消えていくか、面白いものをぽんぽんと出していくかの二通りに分かれる。ゼロは明らかに後者で、今では出せば売れる人気作家の一人だ。
しかもその人気は国内に留まることを知らず、ほとんどの作品が翻訳されて国外でも親しまれている。そのおかげで、印税もかなりの額が入ってきていて、学生の小遣い稼ぎというには過ぎる額が、ゼロ用の通帳には溜まっている。慎ましく生きていけば、これから先一生働かずに生きていけるぐらいの額だ。
ベストセラー作家が現役高校生でしかも美形とくれば、マスコミが食いついてきそうなものであるが、ルルーシュは顔も年も本名も隠して、正体不明の作家をやっているため、幸いなことにこれまでそんな面倒ごとに遭ったことはない。
そんなわけで、デビューから約五年。ナナリーが喜んでくれればいいとしか思っていなかったルルーシュは、意図せずベストセラー作家になっていた。