りーぴ2 12

 ジョミーが驚いている間に、ほとんど死にかけてきた体はもたらされた他人の生命を拒むことなく受け入れた。目の前の闇が消えて、思考が澄み渡っていく。そのまま引きずられるように、ジョミーの意識は現実に戻った。
「ジョミー……!!」
 すぐ近くから声が聞こえてくる。聞き覚えがあるようでないような声だった。ジョミーはゆっくりと目を開けて、そしてそこにあったものを見て目を見開いた。
「とぉ、にぃ……?」
 見慣れた色の髪、瞳、そして顔立ち。けれど目の前で泣きながらジョミーのことを見つめているトォニィには、いつもとは決定的に違う点があった。年齢だ。現在はまだ三歳の幼児に過ぎないはずのトォニィは何故か、ジョミーよりも一つ二つばかり年下に見える年齢に成長していた。しかも何故か裸で髪の毛も伸びている。
「ジョミー、良かった!!」
「どうしてお前、そんな……」
 ちゃんとした質問には程遠いジョミーの言葉だったが、トォニィはそれの意味を正確に読み取って答えた。
「ジョミーを助けたかったからがんばったんだよ!」
 同時に、横たわったままのジョミーに覆いかぶさるように抱きついてくる。トォニィは至極うれしそうな雰囲気を醸し出していて、それまで泣いていたのが嘘のような顔で笑っている。周囲に見えたドクター・ノルディやナースたちもほっとしたような顔をしている。部屋と通路を隔てるガラスの向こうでは、アルテラたちや他のミュウたちが同じような顔をしているのが見えた。
 皆が喜びに包まれている中、けれどジョミーは顔をこわばらせていた。トォニィの言葉で、自分が助かった理由を悟ったためだった。
「……トォニィ……お前……なんてことを……」
 硬い声でジョミーは言った。それはあまりに小さくて、ジョミーに抱きついていたトォニィにしか聞こえないぐらいの声だった。だから周囲の雰囲気はそのままに、トォニィだけがぎくりと体をこわばらせて、何かを恐れるようにジョミーから身を離した。
 その肩をつかんで引き寄せて、それだけでなく自分も身を起こして距離を縮めて、ほとんど顔がくっつきそうな近さでジョミーは声を張り上げた。
「お前、自分が何をしたのか分かっているのか!」
 銃弾を何発も受けたはずの背は、そんなふうに雑に動いても全く痛むことはなかった。麻酔がまだ効いているとか、そんなふうな感覚ではない。傷など最初から負っていなかったような、普段と何ら変わらない感覚。否、違う。傷を負わなかったわけではない。単に負った傷が全て癒えてしまっただけのこと。ジョミーに分け与えられたトォニィの生命エネルギーが、ジョミーを死の淵から呼び戻したばかりか、負った傷さえ治癒したのだ。
 そのことで、ジョミーの命は助かったかもしれない。けれど、トォニィの命が磨り減ったことを思えば、自分の命が助かったことなんてどうだって良かった。誰よりもかわいがっている子供が自分のために命を削って、それを喜ぶ大人なんているわけがないのだから、ジョミーの憤りは当然だった。
 ジョミーの怒り様を見て、トォニィは一瞬怯んだように言葉につまるが、それでも目を逸らすことなく真正面から怒りを受け止めて口を開いた。
「……分かっているよ。消えそうになっていたジョミーの意識を追って行ったときに、ジョミーの記憶を見たから、何をしたかぐらいちゃんと分かってる」
「だったら……どうしてこんな真似を……!」
 分かっていてなおこんな愚かしい真似をしたのか、と憤りはさらに募る。自分なんかのためにいとし子の命が磨り減った事実。それがどうしても許せなかった。それはトォニィに対しての怒りというよりもずっと、自分自身に対しての怒りに近かった。
 その言葉を受けたトォニィははっと息を呑んで、ギリッと歯を食いしばった。こんな真似という言葉の間に、愚かしいという言葉が暗に含まれていることに気付いたのだろう。あるいは、ジョミーの心を読み取ったのかもしれない。咎めを宿したジョミーの瞳を睨み返して、叫ぶようにトォニィは言った。
「僕は貴方と同じことをしただけだ!貴方がソルジャー・ブルーにしたのと同じことを!」
「っ……!」
 その瞬間、ジョミーは凍りついたように動きを止めて息を詰めた。頭から血の気が引いていく。一瞬でカラカラに乾いてしまった口を開いて、ジョミーはほとんど無意識に問いかけていた。
「……どうして……」
「消えそうになっていた貴方の意識を追いかけて行ったときに、貴方の記憶を見たって言ったでしょう?……だから、全部知ってる。どうしてソルジャー・ブルーが起きないのかも……知ってる」
 最後は少し悔しそうな顔をして、トォニィはうつむきながら言った。けれど彼はすぐに顔を上げて、凍りついたように動かないジョミーを再度睨み付ける。
「あんなの、全然ジョミーのせいなんかじゃないじゃないか!ソルジャー・ブルーに死んで欲しくないからジョミーは自分の命を分け与えたのに……」
 自分の命を分け与えたという言葉のところで、周囲の人々が目を見開いてざわめいた。しかしジョミーはそのことを気にするどころの状態ではなかったし、トォニィはジョミーしか見ていなかったので話が途切れることはなかった。
「それを拒んで起きない方が悪いんだ!!老師たちだってアルタミラでジョミーに助けてもらわなかったら、今生きてることさえできなかったかもしれないのに、何も知らないでジョミーに当たり散らして……!」
 アルタミラ云々のくだりのところで周囲のざわめきはさらに大きなものとなって、皆が困惑の目で二人だけ事情が分かっているらしいジョミーとトォニィを見つめていたが、答えが返されることはなかった。
 ジョミーは未だに凍り付いていたし、トォニィは周囲の視線をまるで無視して――あるいはジョミーと話をするのに精一杯で気付いていないだけかもしれないが――唇を噛み締めて、つらそうな顔をして続ける。
「ソルジャーはずっと眠ってるし、長老たちはひどいこと言うし……ジョミーが、もうこれ以上生きたいと思わないのも……っ……こんな状況だったら仕方ないのかもしれないけど……でも、僕は嫌だよ……ジョミーに死んで欲しくなんかない……ジョミーが一緒にいてくれるのなら、僕の命が減るぐらい、どうだっていいんだ……だから、拒まないで……ジョミーがいないなんて嫌だよ……!」
 途中からは堪え切れなくなったのか、トォニィはぼろぼろと泣いてジョミーにすがりついてくる。
「……トォニィ……」
 何と返せばいいのか分からなくて、ただ名前を呼ぶことしかできないでいると、トォニィがさらに強い力ですがりついてくる。痛いくらいの力で抱きしめられるが、それに文句を言うことはせず、ジョミーはただ黙ってトォニィの背に自分の手を回して、トォニィを抱きしめ返した。
(……拒めるわけがない……)
 ジョミーは目を閉じて唇を噛み締めた。
(拒める、わけが……)
 トォニィの叫びは、かつてのジョミーの叫びだ。今のトォニィは、ただただブルーと一緒にいたくて、ブルーが死ぬなんてそんなことは許せなくて、自分の命を削ったジョミーと同じ。それが分かるからこそ、ジョミーにはトォニィを拒むなんてできなかった。
 馬鹿なことをしたと叱り付けたい気持ちは、今でも変わっていない。けれど、トォニィと同じことをしてブルーに拒まれたジョミーはそのつらさを知っているからこそ、トォニィを拒むことなんてできない。そんなことをできるわけがなかった。
 そうやってトォニィを抱きしめていたジョミーだったが、ふとあることに気付いてそっと視線を伏せた。
(……ブルー……僕が死んでしまいそうになっていても、貴方は目を覚ましてくれないんですね……)
 ジョミーとトォニィを取り巻く者たちの中にも、ガラス越しに部屋を伺っているミュウたちの中にも、望む人の姿は見当たらない。ジョミーのことを蛇蝎のごとく嫌っているゼルでさえ、向こうに姿が見えるのに、ただ一人望む人の姿だけがここにない。
 きっと今もブルーは、いつもと同じように蒼の間で静かに眠り続けているのだと直感的にジョミーは理解した。ジョミーが死にそうになっていても、彼は決して目を覚ますことなく眠り続けているのだ。その事実は、治しようがないほど深くジョミーの心を抉った。
 もうずっと眠り続けているブルーだが、ジョミーの命が危険にさらされるようなことがあれば、もしかしたら起きてくれるかもしれない。何故ならブルーはジョミーのことを好きだと言ってくれたから。
 そんなことを一度でも考えたことがないかと聞かれれば、ジョミーは答えることができなかっただろう。そして答えることができないということが、その問いの答えだった。そしてそれは死にそうになっていたときにも一瞬心をよぎった考えだった。最後にせめて一度でも会いたいと願ったと言えば、聞こえはいいかもしれない。けれど、本音はそんな殊勝なものよりもずっとあさましい考えの方が大きかった。ジョミーの命が危険になるようなことがあればいくらブルーでも起きてくれるはずだという、醜い考えが。
(……っ……僕は……汚い……)
 死にそうになっていたのに、そんなふうなことを考えていた自分の性根がひどく醜いものに感じられて、ジョミーはトォニィの肩口に顔を埋めながら眉を顰めて唇を噛み締める。自分の命を軽々しく扱ったトォニィを叱り付けておきながら、自分はそんなことを考えていたのだ。矛盾している。矛盾している上に、救いようがないほど愚かであまりに傲慢だ。
 そしてそんな自分をあさましいと感じながらも、同時にブルーに失望している自分がいることに、己のあさましさをさらに自覚する。
 ブルーが悪いわけではない。目を覚ましてくれないからと言ってブルーを責めるのは間違っている。そう思っているはずなのに心のもう一方で、ジョミーの命の危機にさえ目を覚ましてくれないブルーに絶望を覚えている自分がいるのだ。
 死の淵にさらされたとき、どうしようもなくブルーのことが好きなのだという気持ちを自覚したはずなのに、それさえも絶望にかすんで薄れていく。悲しくて寂しくてつらくて切なくて、今度こそジョミーには本当に自分の気持ちが分からなくなってしまった。
(ブルー……)
 あの人の名前を呼ぶときに胸を占める感情が、恋しさなのか絶望なのかさえ、今のジョミーには分からない。分からないけれど、ただどうしようもなく悲しくて、ジョミーはすがるようにトォニィの体を抱き返した。自分の思いさえ分からなくなった今、ジョミーにとってただ一つ確かなのは、一心にジョミーのことを慕ってくるトォニィの思いだけだった。
 待つことに疲れて、どれだけ望んでも叶わない願いに絶望した心に、まっすぐなトォニィの思慕はどうしようもなく心地よかった。



◇ ◇ ◇



「あの……ジョミー?自分の命を分け与えたって……どういうことでしょうか……?」
 完全に二人の世界を作っていたトォニィとジョミーに皆が声をかけることをためらっている中、彼らを現実に引きずり戻したのはカリナだった。自分の息子が関係していることだから、他の者たちのように黙っていることなどできなかったのだろう。
「カリナ……」
 トォニィの肩口にくっつけていた顔を上げて、密着していたトォニィの体をそっと押し返して、ジョミーは治療台のすぐ側に立っているカリナを見上げた。ブルーのことを一時頭の中から追い出して弱い気持ちを切り替え、大人としての顔を作る。
「そうだな……君とユウイには、説明する義務がある」
 ジョミーのためにトォニィが本来ならばありえない成長を遂げてしまったこと、そして己の命を削ったこと。それに対する説明と謝罪をする義務がジョミーにはある。いくらトォニィ自身が選択して実行したことだと言っても、トォニィはまだ生まれてから三年しか経っていない子供に過ぎないのだ。まだ親の庇護下にあるべき子供にそんなことを選択させてしまったことを謝罪するのも、それがどのようなことかを説明するのも、大人としては当然だった。
 そんなことをつらつらと考えていると、むっとしたような顔をしてトォニィが言い募る。
「僕はもう子供じゃないよ!ジョミーのために大きくなったんだから!」
 それは今の会話の流れから出てくるような言葉ではなかったので思考を読まれたことはすぐに分かったが、何だかもうあからさますぎて咎める気にもならない。しかも言っていることが言っていることだけに、なおさらだった。自分はもう子供ではないとトォニィは言うが、体だけ大きくなっても精神年齢は変わらないはずだ。大体外見だって、大きくなったと言っても精々ジョミーよりも少し年下ぐらいにしか見えない。
 黙ってそう思っていると、やはり考えを読んだのか、トォニィが不機嫌そうな顔をして口を開いた。
「じゃあもっと大きくなる」
「は?」
 訳が分からなくて間の抜けた声を上げている間に、トォニィの体を青い色をしたサイオンが包んで、その光の中でジョミーよりも小さかったはずの体がどんどんと成長していく。十七、八歳ぐらいに見える姿まで成長したときになって、トォニィは見た目に似合わないあどけなさで首を傾げた。
「これだったら大人に見える?」
 あまりのことにジョミーは呆然となった。トォニィはそれを質問に対する否定だと思ったのだろう。
「駄目?じゃあもっと大きく……」
「それでいい!」
 さらに成長しようとするトォニィを、ジョミーは慌てて引きとめた。
「もう十分だから、それ以上はやめろ!ちゃんと大人に見えるから!!」
「ジョミーがそう言うなら」
 素直に従ったトォニィは、大人に見えると言われたことがうれしかったのか、にこにこと笑いながら再びジョミーに抱きついてくる。つい先ほどまでは抱きつくと表現するのにぴったりだった子供の体は、今はもう抱きしめると言ったほうがよほど正しく見えるような青年のものに変化している。ここにいる皆が初めて見るはずのその青年の姿に、ジョミーは見覚えがあった。この子供がトォニィという名前だと決まったとき、一瞬まさかとは思ったのだが、やはり未来で会ったあの青年はトォニィの成長した姿だったのだ。
 それを思ってジョミーはついついため息をこぼすが、他人であるジョミーよりもずっと、実の両親であるカリナとユウイの困惑の方が大きいはずだ。それが分かっていたので、ジョミーは抱きついてくるトォニィを引き剥がすと、今度こそ話をするために、カリナといつの間にか治療室の中に入ってその隣に立っていたユウイの二人と視線を合わせた。
「さあ、何から話そうか……」


|| BACK || NEXT ||