りーぴ2 11

 外からは気を失ったように見えても、実際は夢と現実の境を漂っているような状態にあったので、ジョミーの意識はまだ落ちてはいなかった。けれど、完全に意識を失ってしまった方がどれだけ楽だっただろう。意識があるせいで、撃たれた背が焼けるように痛むのをジョミーは絶えず感じていた。痛くて痛くてたまらないのに、痛みにうめくことさえできない。わずかに意識を保つのが精一杯で、それだけの体力さえ残されていなかった。
 どこかから声が聞こえる。それを言葉として理解することも、今のジョミーにはできなかった。
 誰かに抱き上げられた直後、馴染んだ空気を肌に感じる。シャングリラに帰ってきたのだ。一人で扉を開いたせいでシロエは疲れ切っているようだが、シロエもトォニィも傷を負ってはいないようだ。そのことに、無性に安堵した。
 遠くから、大勢の足音が近づいてくる。
 それからシロエとは別の誰かに抱き上げられて、別の場所へと運び込まれる。全身から痛みが消えて、全ての感覚が遠くなる。麻酔を施されたのだ。そこでようやくジョミーの意識は現実から切り離されて、眠りの底へと沈んでいく。



 気がつくと、何もない空間に立っていた。周囲に広がるのは闇ばかりで、立っているはずの足元にさえ何も見えない。
 一瞬死んでしまったのかと思うが、まだそうではないのだと何の理由もなく、ただ理解した。そして今はまだ死んでいなくとも、的確に急所を捉えていた銃弾によって傷つけられた己の肉体が、死に向かって進んでいることもまた。
 ここはジョミーの意識の中だ。何もない空間を一通り見渡して、ジョミーはぽつりとつぶやいた。
「僕は、死ぬのか……」
 死に対する覚悟があったわけでもないのに、不思議なくらい心が乱れることはなかった。トォニィが無事なことは分かっているからだろうか。
(でもまあ、無事って言っても目の前であんなことになったから、トラウマとかにならないといいけど……)
 そのことだけが心配だったが、それについては両親であるカリナやユウイ、あるいは医者であるノルディに任せておけば大丈夫だろう。シャングリラの皆は、あの中で最初に生まれたトォニィのことをとてもかわいがっているから、たとえトォニィが心の傷を負ったとしてもゆっくりと癒してくれるはずだ。そうやって皆の優しさにくるまれて、ジョミーのことなんて忘れてしまえばいい。
 できることなら、トォニィたちが健やかに成長していく様を見たかった。けれど、死んでしまうのならば仕方がないとも思う。トォニィのことはとても大切に思っているけれど、トォニィのために生きたいとは思うことができない自分を、ジョミーは良く知っていた。
 トォニィのことはかわいいと思うし、無条件で愛しいと思う。けれどそれは決して、ブルーを思うような気持ちではなかった。
「ブルー……」
 もう十何年もずっと目を覚ましてくれない人に思いを馳せる。
 ただ一緒にいたくて、そのためにジョミーが取った行動の結果、眠り続けて目を覚ましてくれない人。あのときは、置いていかれたくなくて無理やりブルーに自分の命を半分分け与えた。
 けれど今ジョミーは、ブルーよりも先に死に行こうとしている。
「変なの……あの人に置いていかれたくないと思ってたのに……先に死ぬのは僕の方なのか……」
(……死んじゃったら、もうあの人にも会えないな……)
 そう思っていると何故か無性に悲しくなってきて、頬を涙が伝うのを感じた。
「あれ……?な、んで……」
 堰を切ったように涙があふれて止まらない。ジョミーは困惑した。
 悲しくて寂しくて切なくて、どうしようもなく胸が痛む。死んでしまったら、もう二度とブルーに会えない。そう思っていただけなのに、どうしてこんなふうになってしまうのだろう。
「どうして僕、こんな……」
 どれだけ願い続けても目を覚ましてくれなかったから、だんだんと嫌いになっていったはずだった。もう離れていたら、顔もはっきりと思い出すことができないようになっていたはずだった。それなのに、ブルーにもう会えないと考えただけで、こんなにも胸が痛む。
「何だ……」
 両の目からぼろぼろと涙を流しながら、ジョミーは笑った。
「……僕、まだこんなにブルーのこと、好きだったんだ……」
 嫌いだと思う気持ちも嘘ではない。けれど、自分で思っていた以上にジョミーはまだブルーのことを好きだったようだ。そうじゃなければ、この胸の痛みの説明がつかない。
(ああ、でも……そんなことに気付いたからって、一体何になるって言うんだ……?このまま生きていても、どうせあの人は目を覚ましてくれない……)
 たとえここで生きながらえたとしても、この先決してブルーが目覚めてくれないのならば、生きていたって意味はないのではないだろうか。それならば、死んでしまうことも生きていることも大差はないのかもしれない。
 そんなふうに思ってしまうぐらい、ジョミーはブルーの目覚めを待つことに疲れてしまった。
 死にたいとは思わない。けれど、これ以上生きたいとも思うことができない。眠り続けるブルーを見るたび、引き裂かれそうになるほどの心の痛みを感じるのも、もう嫌だ。決して目を覚ましてくれない人を待ち続けることなんて、ジョミーには耐え切れない。
(もう、疲れた……)
 そう思った瞬間足元がぐずりと崩れて、深い闇がゆっくりとジョミーを呑み込んでいく。眠りよりもずっと深いところに、ジョミーの意識は沈んでいく。ジョミーはゆっくりと目を閉じた。



◇ ◇ ◇



 シャングリラへと帰ってきてから数時間後。銃弾の摘出が終わって集中治療室へと移されたジョミーのことを、室外と室内を隔てるガラスにべったりと張り付いて、ドクターたち以外は入ることは許されない部屋の中をトォニィはひたすらに眺めていた。
(ジョミー、ジョミー、ジョミー……!)
 銃弾の摘出は終わったからと言って、ジョミーの状態が安定したわけではない。シロエがキースと呼んでいた男が放った銃弾は、的確に生命活動を維持するために重要な臓器を傷つけていて、予断を許さない状態が続いている。
 ドクター・ノルディとカリナたちナースが懸命に看護しているが、目を閉じたジョミーの顔からはどんどんと生気が失われていっているのが見て取れた。
 隣で同じようにガラスに張り付いてジョミーのことを見つめていたアルテラたちにも、そのことは見て取れたのだろう。皆、自分の方が死にそうな顔をして目に涙を浮かべている。
「死んじゃやだぁ……」
「ジョミーが死ぬもんか!」
 不吉なことを言うアルテラをにらみつけて、トォニィは叫んだ。怒鳴りつけられた拍子に、瞳に溜めていた涙をぽろりとこぼしながらアルテラが言う。
「でもっ」
「ジョミーは僕のことのこして死んだりしない!!……死んだりしないもん……!」
 唇を噛み締めて、トォニィは必死になって言い募る。そうしなければ、心がくじけてしまいそうだった。
(ジョミー……!)
 ジョミーが傷つけられたあのとき、トォニィはすぐ側にいたのに何もできなかった。それどころか、ジョミーを傷つけられたことに対する怒りとジョミーを失うかもしれない恐怖のあまりサイオンバーストを起こしかけて、ジョミーに負担をかけた。守りたいと、たとえどんなことをしてでもジョミーのことを守りたいと思っていたのに、トォニィがしたことはジョミーに迷惑をかけただけだった。
(僕は……なにもできなかった……)
 シロエに子供と馬鹿にされても仕方がない自分を自覚する。悔しさのあまり、涙があふれて止まらない。
(悔しい……悔しい、悔しい……!どうして僕は、子供なんだろう……どうして僕は、こんなに無力なんだろう……!)
 力があれば、あんな人間なんかにジョミーを傷つけさせたりしなかった。力があれば、ジョミーを守ることができた。力があれば、今この瞬間も刻々と死に近づいていっているジョミーを助けることも、きっとできるはずだ。
(力がほしい……ジョミーを助けられるだけの、力がほしい……!)
 そう思って唇を噛み締めていると、少し離れたところに立っていた長老たちの中から、ヒルマンが近づいてきて、なだめるようにトォニィの頭を撫でようと手を伸ばしてくる。
「トォニィ、他人にあたるのはよしなさい」
 諭すようなその言葉と触れようとする指先を、けれどトォニィは拒絶でもって迎えた。
「さわるなっ!」
 ヒルマンの手をあらん限りの力で振り払って、トォニィはヒルマンのみならず、それまでヒルマンと一緒に固まっていたゼルやエラといった長老陣を睨み付ける。
「ジョミーにひどいことばっかり言ってたくせに、なんで先生たちがここにいるんだよ!?ジョミーのこと嫌いなくせに、ジョミーにちかづかないでよっ!」
 その言葉に、長老たちは一気に顔色をなくして立ち尽くした。そんな彼らのことを、トォニィが敵意にあふれた目でにらみつけていると、ガラスの向こうにある室内の空気が変わるのを感じた。 
 視線を向けると、ジョミーを取り巻くドクターたちの表情ががらりと変わっていた。それまで以上に切羽詰った色を浮かべたそれは、いよいよジョミーが危険な状態に入ったことの証だった。
 その瞬間、長老たちに対して抱いていた怒りなど霧散して、青ざめた顔色をしたジョミーのことだけが思考を占める。
(ジョミー……いやだ……いやだいやだいやだ……!死なないで、ジョミー!!)
 心の中でそう叫んだその瞬間、トォニィの体は目を射るように輝く青い光に包まれた。



◇ ◇ ◇



 ゆっくりと沈んでいく感覚。まるで水の奥底へでも沈んでいくように、底の見えない闇の中に落ちていく。それと同時に、ジョミーの意識もまた闇に絡め取られて視界は暗く染まっていく。
 どこか遠くから声が聞こえてくる。
 ドクター・ノルディやナースたちの呼びかけるような声。カリナたちの祈るような声。まだ小さなアルテラたちの泣きそうな声。
 そして、トォニィの「死なないで」という必死の叫び声。
 最後のそれに反射的に反応して、ジョミーはゆっくりと目を開けて慰めようと手を伸ばした。けれど闇の中に沈みこんでいくこの手はどこにも届くことなどない。ただゆっくりと、どろりとした闇の底へと沈み行くばかりだ。
 この闇に意識の全てを絡め取られたとき、自分は死んでしまうのだろうとはっきりしない思考の中で何となくそう感じた。
 死にたいとは思わない。けれどもうこれ以上生きたいとも思えないから、死につながっているこの闇から逃れようとジョミーがあがくことはなかった。もっと生きたいと思うには、ジョミーは待つことに疲れすぎていて、死んでしまったらブルーに会えないということに切なさを覚えても、どうせブルーは目覚めてくれないのだからこれ以上生きていても仕方がないと思ってしまう。
(……馬鹿だな、僕……どうしてあんな、目を覚ましてもくれない人のこと、こんなに好きなんだろう……)
 一緒に生きたい。ジョミーが望んだのはただそれだけのことだったのに、ブルーはそれを拒んだ。ジョミーのことを好きだと言ってくれた彼は、ジョミーと一緒に生きることを選んではくれなかった。そして今もずっと、それをすることを拒んでずっと眠り続けている。
 そのことを考えると、無意識のうちに瞳から涙があふれてきた。しかしそれもすぐに闇に溶けて消えていく。次々に涙があふれて、やはり次々に周囲を取り巻く闇に溶けていく涙の様は、悲しみさえも死んでしまったら無意味になってしまうことを示しているようで、そのことがひどく寂しく思えて、けれど同時にひどくすばらしいものに思えた。
(……ブルー……)
 また一粒、ジョミーの瞳からほろりと涙があふれる。それが闇に溶けるのと同じ速さで、ジョミーの意識もまた闇に溶けていく。理性も思慮も分別も溶けて消えていって、心の一番奥にある本心がさらけ出される。
(……っ……ブルー……!)
 そして最後に残ったのは、どうしようもないぐらい切ない恋心だった。ここ十数年の間に育ってしまった嫌いだとか憎らしいとかいう思いも溶けて消えてしまって、一番強くて一番純粋な思いだけが残る。
(会いたい……貴方に会いたいよ……)
 ただ、一緒にいたかった。ブルーが死ぬなんて、そんなことを考えたくもなかった。無理にあんなことをしたから、ブルーはきっとものすごく怒るのだろうと分かっていたけれど、まさか目を覚ましてもくれなくなるなんてそんなこと、考えもしなかったのだ。
(もう、眠っている貴方なんて見たくないんだ……起きて……お願いだから、起きて……!もう、あんな勝手なこと二度としない!許してくれなくてもいい……っ……どれだけ怒られてもいい……だから、起きて……貴方の赤い瞳が見たい……貴方の、声がっ……聞きたい……ブルー……)
 このまま死んでしまう前に、せめてもう一度だけでも会いたい。
 そう思ったとき、ふと、ずっと遠くで見慣れた青いマントがひるがえるのが見えた。その上で銀色の髪の毛がふわりと揺れる。マントを翻して、彼がゆっくりと振り返る。けれど何故かジョミーにはその顔が見えなかった。
(ブルー……!!)
 その方向に向かって、ジョミーは必死になって右手を伸ばした。けれど伸ばした手を、周囲の闇は二の腕から指先に向かってしゅるりと包み込んでいき、同時にジョミーの視界も闇に包まれる。そして同時に、ジョミーの中に最後まで残っていたブルーへの思いも闇に呑まれていく。
(……ぶ、るー……)
 何も見えなくなって、何も考えられなくなる。伸ばしていた右手から力が抜けていって、ゆっくりと落ちてくる。心地よいまどろみに襲われて、ジョミーはゆっくりと目を閉じた。不安も苦しみも切なさも悲しみも、全てが溶けて消えていく。もう苦しむ必要はないのだと言われたような気がした。
 闇に意識をゆだねようとしたそのとき、誰かに右の手をつかまれた。指先をつかんだその手は一瞬離れそうになるけれど、すぐにもっと強く指先ではなく手首をつかんできて、ジョミーを闇の中から引き上げようとする。
(……だれ……?)
 目を開けてみても、濃い闇にさえぎられてその姿を見ることはできない。ジョミーは戸惑うが、そんなことにかまわず腕の主はジョミーを闇の中から引っ張り上げようとする。この心地よいまどろみから、ジョミーを起こそうとしているのだ。そう気付いた瞬間、ジョミーは自分の手をつかんでいる手を振り払おうとするが、その手は決してジョミーの手を離そうとはしない。
 それどころかより強い力で引き寄せられて、ふと首筋に柔らかい何かが触れるのを感じた。怪訝に思っていると、そこから圧倒的なエネルギーの奔流が流れ込んでくる。
(なっ……これは……!!)
 ジョミーは驚愕に目を見開いた。
 流れ込んでくるのは、他人のエネルギー――他人の生命。それは、ジョミーがかつて無理やりブルーに行ったのと全く同じ行為だった。


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