りーぴ2 10

 どこか聞き覚えのある声に名前を呼ばれて、同時に腕をつかまれて無理やり動きを止められる。当然、ジョミーは驚いて振り返った。
 ジョミーの腕をつかんでいたのは、二十代後半ぐらいの見た目をした人のよさそうな青年男性だった。その顔に、ジョミーは見覚えがあった。それは、幼いころから十四の年までずっと一緒に過ごしてきた幼馴染の一人が、怪我や事故で顔を傷つけることなく年を取ればこうなるだろうというものだった。
 ほとんど無意識のうちに、口が動いた。
「……サム?」
 それと同時に、人間として生きていた頃の記憶がまるで走馬灯のように頭の中を駆け巡る。ドリームワールドで力に目覚めて以来、何の心構えをすることも許されずただ捨てざるを得なかった、人間だった頃のジョミーの記憶が。
 とたん、懐かしさがあふれてきた。
 サムと出会ったのは幼稚園の年長組だった。その頃からすでに男勝りで気が強かったジョミーは、同じガキ大将タイプだったサムのことが気に入らなくて、それは相手も同様だったらしく初対面で殴り合いの喧嘩をして拳で語り合った結果、漢の友情を確立した。年少組からの知り合いだったスウェナには、女の所業じゃないと言われて呆れられたが、その頃は今以上に性別を意識していなかったので全く気にしなかった。
 ちなみにブルーと初めて会ったときには、スカートをはいて弱々しく泣きじゃくっていたジョミーだが、スカートは単なる母親の趣味であり泣いていたのはあんな森で迷子になっていれば子供としては怖くなるのは当然なので、決して幼いジョミーが女の子らしかったとか気弱だったとかいうことを示しているわけではない。そんな事実はありえない。
 幼稚園、小学校、中学校の途中――ジョミーがシャングリラに連れて行かれたその日まで、サムとスウェナとの友人関係は続いた。小さい頃は、サムとジョミーが一緒になって悪戯をして、スウェナに怒られるのが常だった。だから、人間として暮らしていた頃の記憶の領域の多くにサムの姿がある。そんな友人と十数年ぶりに出会って、感傷を呼び起こされないわけがなかった。現在が完全に幸せとは言い切れない分、その思い出と懐古の念はなおさらジョミーの心を侵食する。
 懐かしさのあまりジョミーが瞬きすることすら忘れていると、サムは人のよさそうな笑みでばしばしとジョミーの肩をたたいてくる。
「やっぱりジョミーなんだな!」
 手加減なしのそれに、ジョミーは現実に引き戻されて思わず眉を顰めた。が、不快というわけではない。力加減が雑なのは、幼少時暴れん坊だった名残である。それを思うと、肩にかかる痛みさえ懐かしく思えてくる。人がよさそうな笑顔も変わらない。サムは小さい頃こそ暴れん坊だったが、小学校も高学年に上がるころには随分と落ち着いてお人よしの面が強く前に出ていた。変わらない笑顔を見ていると、歪むことなく時を過ごしていったのだろうことがすぐに分かる。
「何だよ、そんなカッコしてるから一瞬誰か分からなかったじゃないか!」
 そう言ってくる口調も、昔と全然変わらない。そのせいだろうか、ジョミーの心も昔へと帰っていく。
「僕だって好きでこんなの着てるわけじゃないよ!」
 つい昔と同じ調子で言い返すと、サムも同じように返してくる。
「まあ、似合ってないわけでもないんだし、そこまで嫌がることもないだろ。しっかしなあ……」
「何だよ?」
「いやー、お前が女のカッコなんかしても正直オカマみたいになるだけだと思ってたんだけど……」
「ひどい、オカマだなんて……!こんなに可憐な僕に向かってそんな……!」
 根性で無理やり瞳に涙を溜めて、わざとらしく両手で口元を覆って一歩下がる。
 もちろん、冗談である。本気でこんなことをするほど、ジョミーはねじが狂っているわけでも、どこかのねじが抜け落ちているわけでもない。単なるノリだ。ここ十数年の間は色々あったせいでこんなふうに悪ノリすることなんてなかったが、基本的にジョミーはノリのいい性格をしていたから、悪友だったサムが相手ならこんな態度を取ることは別段珍しくも何ともなかった。
 サムもジョミーの言葉が冗談だと長年の経験で知っているので、可憐という言葉を思い切り笑い飛ばしている。いくら冗談で言ったのだとしても、女性に対する態度ではない。あまりにもデリカシーに欠けている。もちろんジョミーは気にしない。けれど他に気にする人物がここにはいた。
 つんとスカートの裾を引かれて、ジョミーは視線を下に向ける。むっとしたような顔をしたトォニィがジョミーを見上げて、それからサムをにらみつけて、もう一度顔を上げてジョミーに視線を合わせて言った。
「……この失礼なやつ、ジョミーの知り合い?」
「失礼なやつって……トォニィ、初対面の相手にそれはな」
 いだろう、と言いかけたジョミーだったが、続く言葉は苦笑とともに喉の奥で固まった。
 背中に大きな衝撃が走る。何かが弾けるような音がいくつも聞こえる。それに続いて、周囲から悲鳴とどよめきが上がって、一気に人の姿が遠ざかっていく。
 過去の体験から、自分に何が起こったのかは分かっていた。撃たれたのだ。けれどあのときとは決定的に違うことがある。
 痛い。単純にただ、それだけを思った。
「っ……」
 体を支えることができず、ジョミーは崩れ落ちるようにその場に膝をついた。焼けるような痛みを感じる。精神だけで時を渡っていたとき――過去のブルーと出会った三百年前にまとっていたのは借り物の肉体だったから、銃に撃たれても痛みというものを感じることはなかった。けれど今は違う。撃たれれば当然のように痛みを感じる。
「ジョミー!」
 泣きそうな顔をしたトォニィを腕の中に抱き込んでその安全を確保してから、周りに障壁を張ってそれ以上の攻撃を受けるのを防ぐ。
「ジョミー、ジョミー!!」
「……大丈夫、だ……」
 痛みの中で、ジョミーは微笑んだ。それぐらいでトォニィを安心させられるのなら安いものだと思ったけれど、そんなことで納得するほど単純な性格をしている子供ではないことは分かっていたから、気休め程度にしかならないだろう。
 そして予想通り、大丈夫だと言っているのにトォニィは自分の方が痛いような顔をしている。
「ジョミー、おい、大丈夫か!?」
 サムも声をかけてきてジョミーに触れようとしたが、その手は触れる前に何もない場所で弾かれたように拒絶される。張った障壁が、異物として認識したサムを拒んだのだ。サムは驚いたように目を見開いてジョミーを凝視してくる。
(……サムにも、化け物って言われるのかな……それはちょっと悲しいな……)
 こんな中で緊張感がないにも程があることを思っているジョミーの予想は、いい意味で裏切られた。
 サムはジョミーに向かって化け物と叫ぶようなことはなかった。その代わりに、ジョミーを守るように銃の前に立ちはだかって叫ぶ。
「……キース、ジョミーに何をするんだ!?」
「サム、そこを退いてくれ。それはミュウだ」
「ミュウって何だよ!こいつは俺の幼馴染だ!悪いことをするような奴じゃない!!」
「ミュウは化け物だ。生かしておくわけにはいかない」
 どうやら、ジョミーを撃った人物とサムは知り合いらしい。人には決して持ち得ない不思議な力を目にしたというのにジョミーのことを拒絶しなかった以上に、幼馴染がミュウを狩る人間と知り合いであったということに驚く。そしてそんなことに驚いた事実に気付いて、ジョミーはわずかに失笑する。それは確率としては低くとも、可能性として決して考えられないことではない。
(気が、緩んでたな……久しぶりに、サムに会えたから……)
 うれしくて、懐かしくて、自分がサムの幼馴染であるジョミー・マーキス・シンだということをつい肯定してしまったのがいけなかった。世間にはジョミーという名前の人間はたくさんいるだろうが、ここにいるサム・ヒューストンの幼馴染でジョミー・マーキス・シンという人間は一人しかいない。そしてその一人は自分であり、人間ではなくミュウであるのだと政府に知られている。
 そんなことを一瞬のうちに考えていると、くらりとめまいを感じた。
(まずい、な……思った以上にダメージが大きいみたいだ……)
 ジョミーを中心に、地面には多量の血が流れて広がっていく。トォニィもそれを見てしまったのか、ぼろぼろと泣いてジョミーの名前を呼びながら必死になってすがりついてくる。今はまだジョミーが大丈夫だと言って意識を保っているからいいが、ジョミーが意識を手放してしまった暁には、今以上のパニック状態になってサイオンバーストを起こしてしまう可能性がある。このあたり一面を焦土にするぐらいならいいが、サイオンバーストなんてものを引き起こしてはトォニィ自身の身がもたない。それは駄目だ。
 この周囲にいる人間の全てよりも、幼馴染のサムよりも、ジョミーにとってトォニィの存在は大切なものなのだ。愛しくて幼いこの子供が死んでしまうなんてそんなことを許せるわけがない。
 そうは思うが、意識はどんどんと黒ずんでいく。だからジョミーは、今最も頼りになる人物に向かって呼びかけた。
『し、……え……し……しろえ……シロエ……!』
 ややもせず、脳裏にテレパシーが返ってくる。
『……ジョミー?』
 その思念の声からシロエの現在位置を割り出したジョミーは、シロエに事の是非を尋ねることもなく、痛みに心を乱される中必死になって集中して、離れた場所で買い物をしているはずのシロエを無理やりこの場にテレポートさせた。
 自分が意識を失ってもシロエならトォニィを守ってくれる。そんな信頼が、そこにはあった。



◇ ◇ ◇



 レジに並んでいた最中、突然名前を呼ばれたかと思うと、直後には無理やり別の場所へと移動させられた。そんなことをされて、不機嫌にならないわけがなかった。シロエは当然のごとく自分にそんなことを強制したジョミーに文句を言おうと思ったが、それが出てくるはずの口は開いたまま動きを止めた。
 目の前にある光景が理解できなかった。
 どうしてジョミーが血まみれになって、今にも意識を失いそうになっているのか。ミュウの中にあって最強のタイプブルーである彼女が、どうして。そんな考えは、弱々しく名前を呼ばれた瞬間に打ち切られる。
「シロエ……ごめ……あと、任せて、いいかな?」
「ジョミー!どうしてこんな……」
 慌てて駆け寄って体を支えてやると、ジョミーは安心したのかぐったりともたれかかってくる。間近で見たその顔は、これまで見たことがないほど青ざめて生気を失っている。このまま死んでしまいそうに見えて、背筋にぞっとしたものが走る。
「ちょっと、油断……してた……っ……」
「喋らないでください!」
 痛みに顔をしかめながらも喋るなんてことをするジョミーに怒鳴りつけていると、背後から驚いたような声が聞こえてくる。
「お前……シロエか……?」
 シロエの優秀な頭脳はもちろん、その声の持ち主が誰だか覚えていた。この国の最高学府――テラ大学の付属高等学校に通っていた頃知り合った、サム・ヒューストン。シロエが一年飛び級をしてその高校に入学したときにはすでに彼は大学に所属していたけれど、彼の友人である男が大嫌いだったシロエはその男に宣戦布告をしに行ったことがあるのでサムとも面識があった。
 だから、振り返ることもなくジョミーにこの傷をつけたのが誰なのか分かった。サムといつも一緒にいて、機械みたいに感情がない冷血漢で、大学に所属していたときからすでに政府と色濃い関係を持っていて、ミュウだと発覚したシロエを殺そうとした男。幸いにも、思念体で仲間を探していた最中だったらしいジョミーが偶然通りかかって助けてくれたから、シロエは今も生きている。しかしだからと言って、殺されそうになった事実が変わるわけではない。
 サムがこの場にいるからと言って、学生時代から何年もたった今、ここにいるのがその男だと決まったわけではないけれど、シロエには確信があった。
 ジョミーを支えているのでゆっくりと振り返って、シロエはサムの向こうに立って銃を構えている男を睨み付ける。
「キース……キース・アニアン……!」
 立っていたのは、シロエが予想した通りの男だった。
 記憶にある姿より十何歳分老けた男は、その端正な面持ちに驚いたような表情を浮かべてぽつりと言う。
「シロエ……」
「お前なんかが僕の名を呼ぶな!!……よくもジョミーを……!」
 キースのことは元から気に入らなかったけれど、殺されかけたことでいっそう嫌いになった。憎みさえした。大好きだった機械弄りも、キースが機械の申し子と呼ばれていた事実を思い出すと、時折どうしようもなく嫌になることがあった。それだけ憎んでいる男に、誰よりも大切な人を傷つけられるなど、許せるわけがない。
 全身から怒りのあまり、黄色い色をしたサイオンが立ち上る。しかしそのとき、支えていたジョミーの体からついに全て力が抜けてしまう。おそらくは失血が多すぎたせいで気絶してしまったのだ。
「ジョミー!!」
 トォニィが悲愴な顔で目を見開いて、全身で動揺を表す。ゆらゆらと青い色をしたサイオンが、不安定にトォニィの周囲を渦巻く。サイオンバーストを起こす一歩手前の状態だと肌で感じた。慌てて声を張り上げて叱り付ける。
「落ち着け、この馬鹿!ジョミーを殺したいのか!」
「っ……!」
 ジョミーの意識がない今、タイプブルーのトォニィがサイオンバーストを起こしたりすれば、タイプイエローのシロエにそれを止める術はない。ジョミーもろともに巻き込まれて死んでしまうだろう。
 シロエに怒鳴られてトォニィはそのことを自覚したのか、どうにかして落ち着こうと努力し始める。
 それを横目に、シロエは再びキースを睨み付けた。
「できることなら、今この場で殺してやりたいんですが……どうやらそれどころではないようなので、報復は後日ということで」
 言葉と同時に集中して、シャングリラへとつながっている扉をこの場に具現させる。本来なら、この扉を一人で作り出すことができるのはタイプブルーだけだ。タイプイエローに過ぎないシロエはだから、現在かなり無理をしている。けれどそんなもの、ジョミーが受けた傷に比べれば軽いものだ。
 シロエはジョミーを抱き上げて扉に手をかけた。開いた扉の隙間に、トォニィを無理やり押し込んで、自分もそこに足を踏み入れる。
「精々残り少ない命を楽しむといい、キース・アニアン。この人を傷つけた報復は、必ず果たす」
 顔だけで振り返りながらそう言ってシロエもまた扉をくぐり、誰かが続いてやって来る前に扉を消す。座標を定めることができるほどの余裕はなかったので、出たのはどことも分からない通路だった。けれどすぐに、大勢の気配が近づいてくるのが分かる。
 先ほどまでの様子は、サイオンでどこかに映して皆が見ていたのだろう。何せ今日の買い物は、トォニィの初めてのお使いだったのだから。助けが来なかったのは、突然の事態に皆が驚いて助けを出す間もなかったというのが妥当なところだろう。あるいは、ジョミーとシロエを除いては個人ではほとんど攻撃力をもたない者たちばかりなので、助けに来ることすらできなかっただけかもしれない。
 今この瞬間になってはもうすでに意味もないことを考えながら、シロエはずるずると壁にすがりながら床に座り込んで、ゆっくりと意識を手放した。タイプイエローの身でありながら、無理に力を使ってシャングリラへの扉を開いたことが原因だった。


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