「それで、いったい何の用なんだ?」
ニナとルリに引きずられるようにして連れて行かれている最中、ジョミーは問いかけた。用事があるのならあの場で言えばいいし、男のシロエがいる場で言いにくいような用があるのだとしても、シロエの耳が届かないところまで移動して話せばいいだけのことである。わざわざニナかルリの部屋まで移動する必要はないはずだ。
それなのにどうしてと思って首を傾げていると、ジョミーを引きずっている二人が振り向いてにっこり笑う。
「まあまあ」
「時間はかけませんから、ね?」
そうこうしているうちに、目的地だったらしいニナの部屋にたどり着く。二人はジョミーを部屋の中に引き込んだ後、ニナはそのままジョミーの腕を引っ張ってベッドの方へと向かっていき、ルリはベッドがあるのとは反対側の部屋の片隅へと歩いていく。
何がしたいんだろうと思ってニナとルリの二人を見比べているうちに、ジョミーはベッド脇まで連れて行かれた。そこでやっとニナはジョミーの腕を放して、ベッドの上に広げてあった服の山の一番上にあったワンピースを手に取った。
「はい」
ニナはそう言って、そのワンピースをジョミーに差し出す。それを見て、ジョミーは眉を顰めた。
「……何これ」
「何って、見れば分かるでしょ?ワンピース」
簡潔すぎる答えが返ってくる。確かに、差し出された物体はワンピースだ。むしろワンピース以外の何かに見えたら眼科にかかることを勧められるだろう。だが聞きたいのはそんなことではないし、聞かれたニナだってそんなことは承知しているはずだ。しかしニナはまともな答えを返そうとはせず、服の山の中からさらにトップスとカーディガンを取り出して、それらもジョミーに押し付ける。
「後はこれとこれ組み合わせて、靴はブーツでいいわよね……靴下かタイツだったらどっちがいいかなあ……」
「あの……ニナ?これを僕にどうしろと……?」
半ば答えを予測しながら恐る恐るジョミーが問いかけると、ニナではなく背後から答えが返ってくる。
「もちろん、貴方が着るんですよ」
その声につられて振り返ると、楽しそうに笑っているルリの姿が目に入る。
その笑顔に何だか怖いものを感じてジョミーが及び腰になっていると、ルリは追い討ちをかけるようなことを言う。
「それを着たら、これをつけてくださいね。お化粧までしろとは言いませんから」
「これって……カツラ……?」
「ウィッグと言ってください」
「でも、言い方変えても結局カツラじゃ……」
「ウィッグです」
「……はい」
(……別に呼び方なんて何でもいいじゃないか……)
ジョミーはそう思ったが、若い少女にとってはどうでもよくないことだったらしい。ジョミーが引きつった顔で何度も首を縦に振っていると、ルリは満足したような顔で金色のウィッグをベッドの上に置いた。そしておもむろにジョミーの衣服に手をかけて――まず上着を剥いた。
「なあっ……!?」
「じゃあ着替えましょう。さっさと脱いでください」
「いや、ちょっ、まっ……!」
「待ちません。ニナ、シャツ脱がせて」
「りょーかい」
まさか年下の女の子相手に本気で抵抗するわけにもいかず、戸惑って目を白黒させている間にどんどん衣服を剥かれて下着だけにさせられる。
「何で僕がワンピースなんか……わぷっ!」
アイボリーのタートルネックカットソーをかぶせられて、文句すら途中でさえぎられる。しかしジョミーが不満に思っていることを悟るには十分だったらしく、ニナとカリナが言い返してくる。
「だって今日は、トォニィとデートなんでしょう?」
「おしゃれするのは当然よ!」
「で、デートって……」
思わぬ言葉に動きを止めてジョミーが顔を引きつらせている間に袖に腕を通させられて、次にまた上からワンピースをかぶせられる。その段階になってジョミーはようやく正気に返って反論する。
「三歳の子供と出かけるのにデートも何もないだろう!大体シロエも一緒だ!」
「えー、でもシロエとは別々に行動するんでしょー?それだったら実質トォニィと二人っきりじゃん」
「それに三歳って言ってもトォニィは男の子だし、そもそもあの子、本当にジョミーのこと大好きだもの。ジョミーだってトォニィのこと好きでしょう?互いに好意を持っている男女が一緒に出かけるんだから、デートと称して間違いないですよ。ねえニナ、そう思わない?」
「うんうん、ルリの言うとおりだわ」
(……僕は……からかわれているんだろうか……)
ジョミーががっくりとうなだれていると、最後のまとめとでも言わんばかりに声を張り上げてニナが言った。
「大体ジョミーはいつも男みたいな格好をしてるんだから、たまには女の子らしい格好した方が変装にはちょうどいいでしょ!」
「……」
確かにそのとおりなので、反論の仕様もない。諦めの境地に至ったジョミーがとうとう抵抗をやめてうなだれていると、今度はドレッサーの前に連れて行かれる。そして先ほど見せられた金髪のウィッグがかぶせられて、ニナとルリが二人がかりでそれをピンで固定していく。最後にジュエルカチューシャとかいう細身のワイヤーに大きめのラインストーンがいくつか並んでいるカチューシャを装着させられた。それはジョミーの記憶が確かならば以前、ルリにねだられてジョミーが買ってきたものだという覚えがあった。
(……まさかこんなものを僕が使うことになろうとは……)
虚ろな目で鏡を見ながら、ジョミーは引きつった笑いを浮かべた。
格好や性格や喋り方のせいでいつも少年に間違えられるとは言っても、ジョミーは華奢な体格をしているし男顔というわけでもない。長いウィッグもあいまって、鏡に映る自分の姿は客観的に見れば思ったほどおかしなものではないのだろうが、主観的に見ると妙に気持ち悪い。似合わないわけでもないのが妙に気持ち悪い。
(でもニナの言うとおり、変装にはちょうどいいな……)
少なくとも、眼鏡やサングラスや帽子なんかを使うよりはずっと効果的だ。何せぱっと見ただけでは別人にしか見えない。
(これから外に行くときには女のカッコして行こうかな……いやでもキムとかに見られたら絶対何か言われる……似合わないとか気持ち悪いとか……それを思うとやっぱりこれまでどおりの方がいいか……)
「じゃあジョミー、これはいて。あと、靴はこれだから」
今後外に行くときのことはともかくとして、ここまで色々されてしまった手前今さら抵抗を再開するのも面倒なので、ジョミーは大人しく差し出された黒いタイツをはいて、こげ茶色のロングブーツに足を入れた。
「で、あとはこれ!ロングカーデ!」
さあ腕を通せと言わんばかりの目で見つめられたジョミーは、せめてもの抵抗とでも言いたげな仕草で小さなため息を漏らした後、大人しくそれを身につけた。
「よっし!完成!」
「よく似合ってますよ、ジョミー」
「……それはどうも……」
他に返しようがないので、ジョミー諦めきった顔でそう答えた。
ニナとルリはジョミーを連れて食堂に戻ろうとしたが、ジョミーは見世物になる気は皆無だったので、隙をついて二人の手から逃げ出した。
直後テレパシーでシロエに連絡を取って、トォニィを迎えに行くからユウイとカリナの部屋の前に来るようにと一方的に告げた後で、他人とすれ違う前にユウイたち夫婦の部屋の前にテレポートする。
「カリナ、ユウイ?トォニィの支度はできたか?」
扉をノックしながら問いかけると、数秒後目の前にある扉がスライドして開き、中から頬を紅潮させたトォニィが飛び出してくる。
「グラン・マ!」
いつものように抱きつくと言うよりむしろ体当たりしてくるような勢いで飛びついてきたトォニィの頭を撫でてやっていると、続いてカリナとユウイが並んで出てくる。
「おはようございます、じょ……みー?」
「どうしたんですか、そんな格好をして。珍しいですね」
ユウイは戸惑ったような顔をして首を傾げるが、カリナは一瞬驚いたような顔をしただけですぐにいつもと同じ穏やかな表情に戻った。
「……ニナとルリに遊ばれた」
複雑な顔をしてジョミーが答えると、ユウイとカリナは顔を見合わせて苦笑する。
「でも、性別を考えたらその格好の方が普通なんですから」
「ユウイの言うとおりです、ジョミー。これからはちゃんと女性用の服を着るようにしては?」
ニナたちのように勢い込んで言われたならまだしも、こんなふうに諭されるように言われては反論もしにくい。ジョミーが言葉に詰まっていると、いつの間にかジョミーに抱きつくのをやめていたトォニィが、ジョミーのスカートの裾をくいと引っ張ってきた。
「何だ、トォニィ?」
「ねえグラン・マ、どうして急に髪の毛が長くなってるの?」
「いや、これは僕の髪の毛じゃなくて人工物で……まあ、何と言うか……変装道具の一つだ」
「ふーん。スカートも珍しいね」
「……変、か?」
「ううん、そんなことない!長い髪もスカートもすっごく似合うよ!」
「そうか」
再び抱きついてくるトォニィの頭を撫でてやって、ジョミーはトォニィを抱き上げた。
「それよりトォニィ。外では絶対に僕をグラン・マと呼ぶなよ」
「どうして?」
「衆目を集めると困るからだ」
トォニィの小ささとジョミーの外見年齢を考えれば、弟のおままごとに付き合っている姉の図と周りからは見られるかもしれないが、それでも十代半ばほどの少女がグラン・マなんて呼ばれていたら確実に目立つ。
「僕たちミュウにとって、外は危険なんだよ」
だから、目立たないで人の中に紛れ込む必要がある。
「はーい……じゃあ、何で呼べばいい?」
「普通に名前で呼べばいいだろう」
「名前?……呼んでいいの?」
不安そうに見上げてくるトォニィがおかしくて、ジョミーは思わず笑ってしまう。
「名前で呼ぶな、なんて一度も言ったことはないだろう?」
その言葉に、トォニィはぱあっと明るい顔になった。
「じゃあ、これからはずっとジョミーって呼ぶ!」
そう言ったトォニィは、何がそんなにうれしいのか知らないが、にこにこととてもうれしそうな顔で笑っている。
(……まあ僕も、この年でおばあちゃんなんて呼ばれるよりは名前で呼ばれる方がうれしいからいいんだけど……)
それから数分後にはシロエがその場にやって来て、シャングリラの外へ出るのが初めてのトォニィを引き連れて、ジョミーとシロエは外へ出た。
◇ ◇ ◇
勤めている会社があるオフィス街の一角――よく待ち合わせに使われる広場の隅で、サム・ヒューストンもまた高校時代からの親友との待ち合わせのために立っていた。彼はふと待ち人を探して周囲を見渡し、それから左腕に嵌めてある腕時計に目をやった。すでに待ち合わせの時間は五分ほど過ぎている。
(ま、これぐらい仕方ないか……あいつ、忙しいみたいだしな)
怒るでもなく、サムは心底からそう思って肩をすくめた。
高校でも大学でも大した成績は残せず結局中小企業にしか就職できなかったサムと違って、常に成績トップを貫き続けた友人はエリートとして政府で忙しい毎日を送っていると知っているからである。
それを知っていなければ、いくらお人よしの嫌いがあるサムと言えど腹を立てないなんてことはなかっただろう。何せ、久しぶりに一緒に昼食でも食べないかと誘ってきたのは向こうであってサムではないのだ。
それからさらに五分ほど経った後、昼食を食べるため外に出てきたのかあるいは仕事で駆けずり回っている人ごみの中を抜けて、一人の青年が駆け寄ってくる。
「キース!」
サムは手を上げて、大声で彼の名前を呼んだ。彼はすぐにこちらまでやって来る。
「すまない、サム。少し仕事が長引いて……」
「気にすんなよ」
「だが……」
「じゃあ、昼飯代おごってくれよ。それでチャラだ。いいな?」
こんなことを言うのはたかっているようなので、サム本人はあまり乗り気ではないのだが、生真面目なキースはこうでもしないと納得しないのだ。案の定、キースは真面目な顔でその条件を呑んだ。
「分かった」
「よし、じゃあ行くか。ちょっと歩くんだけど、向こうの繁華街に安くて美味い飯を出すところがあるんだ。そこで食おうぜ」
こういった情報に詳しくないキースは、反対するでもなくその案に頷いた。
一瞬、とんでもなく高い店に行ってやろうかという意地悪な考えがサムの脳裏をよぎるが、たとえそうしてもキースはそれを全く気にしないだろう。むしろそんなところに入ったりすれば、大変なのはマナーなんてろくに知りもしないサムの方なので、その案はあえなく消えていく。
しばらく歩いて行くと、視界からスーツ姿の男女は消えうせて、代わりに様々な私服をまとった人々の姿が目に入る。オフィス街を抜けて繁華街に入った証だ。
放っておくとキースは用がない限りほとんど何も喋らないので、サムの方から色々と話しかけてやる。そうこうしているうちに、何故かサムは少し離れたところにいる一人の少女に視線を奪われて、ふと足を止めた。
長い金色の髪をした、かわいらしい少女だった。けれどその少女は明らかに十代前半にしか見えない。サムは別にロリコンなんて趣味はないから、彼女に視線を奪われた理由は一目惚れをしたなんて陳腐なオチではなかった。けれど自分の中でもどうして彼女から視線を離せないのか分からない。
(……何でだ……?)
しばらくの間難しい顔をして動きを止めていたサムは、不意にあることに思いついてぽんと手を叩いた。
(ああ、そうか。あの子、ジョミーの奴に似てるんだ)
サムの幼馴染で、今の年齢の半分ぐらいしか生きていなかった頃に突然失踪した幼馴染にその少女は似ているのだ。視界に映る少女のような女の子らしい格好を、男勝りだったあの幼馴染がすることは決してなかったけれど、顔や色彩だけを見ればそっくりだ。
(あいつ、今どうしてるのかな……)
そんなことを思っているうちに、少女はゆっくりとこちらへ近づいてきて、サムの隣をすり抜けていこうとする。そのとき、少女と彼女が連れている小さな子供の会話が聞こえてくる。
「疲れたんじゃないのか?少し休憩するか?」
「大丈夫だよ!」
しかしサムの目から見ても、オレンジ色の髪の毛をした子供は明らかに疲れているように見えた。大丈夫という言葉は明らかな虚勢である。
少女もそれは分かっているのか、苦笑しながら言う。
「言い方が悪かったな。僕が休憩したいんだ。トォニィ、悪いけど付き合ってくれる?」
「んー……ジョミーがそう言うなら……」
聞くともなしに聞いていたので、思わず聞き逃しそうになってしまったが、その会話の中に出てきた名前を聞いたサムは大きく目を見開いて、慌てて少女の腕を捕まえて問いかけた。
「ジョミー!?お前まさか、ジョミー・マーキス・シンか!?」
突然腕をつかまれて、少女は驚いたように目を見開いてサムのことをまじまじと見つめていたが、やがてぽつりと言った。
「……サム?」