最後まで泣いていたトォニィがようやく眠りについたところで、ジョミーは目を瞑り大きく息を吐いた。トォニィ以外の子供たちはすでに泣き疲れてしまって、ベッドの真ん中で座り込んでいるジョミーの膝やら腰やらにべったりと張り付いて眠っている。
(重い……少し疲れた……)
疲れの理由は重さだけではない。子供という生き物は無駄にエネルギーにあふれていて何をするにも全力で、だから相手をしていると疲れてしまうのだ。けれどそれを決して嫌だと思うことがないのは、子供の持つ愛らしさの故なのだろう。
膝の上に乗ってしがみついてきているトォニィを見下ろして、ジョミーは目を細めた。今はまぶたの裏に隠されている夕焼けの色をした瞳も、同じ色をしたふわふわの髪も、子供らしくふくふくした手も、膝の上に感じる重みさえ全て愛おしい。シャングリラで生まれた子供たちのことを、ジョミーは皆愛しいとは思っているが、その中でもトォニィは別格だ。
それは多分、シャングリラで初めて生まれた赤ん坊がトォニィだったからなのだろう。ジョミーの望みで生まれた一番最初のミュウ。生まれてきた順番でそんなふうに差別化をしてはいけないとは分かっているものの、それは自分で止められるようなものではなかった。
ジョミーはそっとトォニィの頭に手をやって、カリナにもユウイにも似ていないふわふわの髪をゆっくりと撫で始めた。それからふと目に付いたので、涙のせいで顔にぺたりと張り付いている髪の毛を指でそっと外してやって、ついでに涙も拭ってやる。
(怯えさせた、よな……やっぱり……)
ジョミーは小さくため息を吐くと、わずかに肩を落とした。
悪いことをしたのはトォニィなので、それを叱り付けるのは大人として当然の行為なのだが、あんなに冷たく言う必要はなかったかもしれないと今になって少し後悔している。
(でも、喧嘩でサイオンなんか使ったら、ひどいことになるのは目に見えてるし……うう、でもやっぱり、もう少し優しく注意すればよかった……グラン・マなんか嫌いとか言われたら……言われたら……)
勝手にそんな事態を想像してジョミーが暗く沈みこんでいると、突然頭の中にシロエの声が響き渡った。
『ジョミー』
脳裏に響き渡るようなその声は、肉声ではなくテレパシーである証だ。ジョミーはあまり思念での会話を好まないため、必要がない限り周りの人間はテレパシーを送ってくることはないのに、珍しい。しかも、シロエの気配を探ってみた結果どうやら彼は扉のすぐ向こうにいるらしい。その位置にいるのに入ってこないで、わざわざジョミーが嫌がるテレパシーを送ってきているのだ。
どうしてだろうと思っていると、そんな思いがどうでもよくなるようなことを言われた。
『すみませんが、部屋の外にその暗い思念をまき散らすのは止めてくれませんか?はっきり言って鬱陶しいです』
「う、鬱陶しいって……」
ジョミーはさらに沈み込んだ。シロエははっきりすっぱり物事を言う性分だからこれぐらいで落ち込んでいたらキリがないのだが、落ち込んでいるときにさくっと心をえぐるようなことを言われるとやはり傷つく。とは言っても、ジョミーに対してシロエは悪意を持っているわけではないので、再起不能になるような言葉を投げつけられることはないのがせめてもの救いだろうか。シロエは、嫌いな人間に対しては、それこそ立ち直ることができなくなるようなひどい言葉を投げかけるのだ。
『そんなことより、話があるので外に出てきてくれませんか?貴方の部屋、今はチビたちが眠っているんでしょう?』
『……ああ』
その言葉に、ジョミーもテレパシーで返事を送る。それはシロエからの質問への返答でもあったし、先ほどの疑問に対する納得の声でもあった。
ジョミーの部屋の前にいるくせに部屋の中に入って来ようとしなかったのは、眠っているトォニィたちが起きないように気を使ったのだろう。
(シロエはいい子だなぁ……)
そんなことを思って頬を緩めていると、普段はあまり使わないテレパシーで会話しているせいで、会話以外のところで心を遮断するのをうっかり忘れていたジョミーの心のうちを聞いたシロエから鋭いつっこみが寄せられる。
『ちょっと。誰がいい子なんですか。僕だってもう二十歳をとっくに過ぎている立派な大人なんですから、いい子とか言わないでください』
『うん、ごめん』
ここで言い返したら、それがさらに十倍になって返ってくるのは分かりきっているため、ジョミーは大人しく謝罪する。実際シロエはもう大人なのだから、子供なんて言われたら気分はよくないに違いないと判断したためでもある。
ジョミーはしがみついてきたまま眠っているトォニィをシーツの上に下ろして、ジョミーによりかかるように眠っている子供たちを起こさないように自分の上からどかしてから、それ以上シロエを待たせることのないように部屋の外へとテレポートする。今度はちゃんと目の前にシロエがいるので、会話を肉声に切り替える。
「ごめん、お待たせ」
「いいえ。呼び出したのはこちらですから、お気になさらず。それよりも、先に靴を履いたらどうなんですか?」
「あ、忘れてた」
トォニィたちを眠らせようとしたときに靴を脱いで、そのまま部屋の外へと出てきたジョミーは現在裸足である。部屋の中からサイオンを使ってブーツを空間移動させて、シロエに指摘されたとおりジョミーは靴を履いてから尋ねた。
「それで、用事って?」
「はあ……少し言いにくいんですが……」
本気で言いづらいらしく、シロエは肩を落としてため息をつき、ジョミーから視線を逸らしている。いつもなら無駄なぐらい――無駄なぐらいと言うかむしろ本当に無駄なことまではっきりと物事を言うのに、珍しいこともあるものだ。
ジョミーは不思議に思って首を傾げた。
「何?」
「……実は浄水装置の一つが壊れました」
「ええええっ?」
「しっ、静かに!」
思わず叫び声を上げるジョミーの口を、慌ててシロエが手のひらで塞ぐ。
「むぐっ」
「何のために部屋の外に呼び出したと思っているんですか!中に聞こえるでしょうが!」
突然呼吸を奪われて、ジョミーは暴れた。
しかしそれによって状況が変わることはなかった。シロエとジョミーも同じ年齢で成長を止めたため、身長や体重などはほとんど変わらないはずなのだが、やはり男女の差は大きいということなのだろう。力で押さえつけられると、体格のほとんど変わらないはずのシロエにさえちっとも敵わない。
「貴方、僕より四つも年上なんでしょう?もう少し落ち着いたらどうだと何度言ったら分かるんです、全く……」
『わ、分かった!静かにするから手は離して……息ができない……!』
声が出せないので代わりにテレパシーを送ると、ようやくシロエが手を離してくれる。ジョミーは大きく息を吸い込んで、それを吐いて再び新鮮な空気を吸い込んでから困惑気味の顔をして口を開いた。
「浄水装置って、この前の点検のときは全部異常なしだったって聞いたけど……」
「ええ、その通りです。でもね、ジョミー、機械なんてふとした拍子に壊れるものなんですよ」
ケッと吐き捨てるような口調でシロエが言う。機械関係にはめっきり強いくせに、シロエはたまにこんなふうに機械を馬鹿にすることがある。新しい機械を開発するのが好きなくせに、一方で機械を嫌うような発言をするシロエのことを矛盾しているとは思うが、人にはそれぞれ事情がある。それを無理に聞き出そうと思うような傲慢な気持ちは、ジョミーにはなかった。
「それで、直せるのか?」
「僕を誰だと思っているんですか、ジョミー?」
そう言って器用にも片眉だけをくいっと上げるシロエは、傲然とした空気を身にまとっている。機械で僕に直せないものなんてあるわけないでしょう、という心の声が思念を送られているわけでもないのに聞こえてくるような気がして、ジョミーは乾いた笑いを漏らした。
「はは……うん、愚問だったね。でも、直せるなら別に報告に来たりする必要なんてないんじゃ……」
「それがですね、僕の腕をもってしたらあんなもの数時間もあれば簡単に直せますが、部品のいくつかが大分老朽化していて、あのまま直しても近いうちにまた必ず故障します。で、そんなことになるなら新しい部品を調達してきてから直した方が面倒も少ないという結論に達したわけです」
何となく話が見えてきた。
生物が生きていく上で、綺麗な水の確保は不可欠である。ミュウにとってもそれは例外ではないため、汚水処理やら浄水の装置やらは諸所に設置してある。そのうちの一つが壊れたからと言って、他にも浄化装置はあるのでそこまでの不自由を感じることはないだろうが、不便なことは確かなので急いで修理した方がいいのは目に見えている。
「……つまり、それを今から僕に買いに行けと?」
「いえ、僕も一緒です。細かい部品とか貴方には分からないでしょう?……別に僕は一人で行っても良かったんですけど、それをしたらジョミーは怒るかなーと思ったので一応お伺いに来たんですよ」
「そりゃあ怒るよ!一人で外に行くなんて危ないじゃないか!」
「貴方はいつも一人で外に行くくせに?」
責めるような口調で言われて、ジョミーはうっと詰まった。
「……だって……僕はタイプブルーだし……」
「理由になっていませんね。いくら力があっても、外が僕らにとって危険なことに代わりはないでしょう?」
「それは……確かにそうかもしれないけど……」
ジョミーがもごもごと口ごもっていると、それを見ていたシロエは大きなため息を吐いた。
「やめましょう。時間の無駄です。どうせいくら言っても、貴方は聞いてくれないんでしょうしね。こんなことをしているより、さっさと行ってさっさと戻って来ましょう。急げば何とかチビたちが起きる前に戻って来られると思いますから」
「あ、うん」
「でも一応、間に合わなかったときのことを考えて、誰かに頼んでおいた方がいいと思いますよ。詳しくは知りませんが、昼寝の前にひと悶着あったんでしょう?」
「……どうして知っているわけ?」
「貴方が部屋にいると教えてもらったとき、ついでにカリナが教えてくれました」
「そっか……」
シロエと話している間は忘れていたが、あんなふうに冷たく叱ってしまったせいでトォニィに嫌われたらどうしようという懸念を思い出してしまって、ジョミーは再び暗い顔になる。
その表情変化を見ていたシロエは、呆れたような顔でため息を吐いて肩を落とすと、仕方ないとでも言いたげな口調で言った。
「悪いことをしたのはトォニィなんですから、叱るのは大人として当然の行為です。悪いことは悪いと子供に教えることは大人の義務なんですから、いちいちそんなことで落ち込むんじゃありませんよ、全くもう……大体あいつに限って貴方を嫌いになるなんてありえないでしょうが」
「……そんなの分かんないじゃん……」
「貴方って本当に……ああもういいです。そんなことより、さっさと支度してください」
呆れきったような視線を向けてくるシロエに促されて、ジョミーはのろのろと外へ出る用意を始めた。
◇ ◇ ◇
買うものは決まっていたし余計な寄り道をすることがなかったので、出て行ってから約一時間程度で、ジョミーは人気のないところでシャングリラへと空間をつないで扉を具現させた。座標指定は、ジョミーの部屋の前だ。ジョミーとシロエは二人一緒にその扉をくぐってジョミーの部屋の前に出たのだが、その瞬間ものすごい感情の嵐に襲われる。ジョミーもシロエも思わず耳を塞いで首をすくめた。
「何これっ?」
「知りませんよ!」
二人して言い合っていると、ジョミーの部屋の扉が開いて、中からトォニィを先頭に子供たちが泣きながら飛び出してくる。いったい何事かと驚く隙も与えず、子供たちはいっせいにジョミーに飛びついてくる。突然のことにうっかり転びそうになると、その前にシロエが腕を出して支えてくれた。
「あ、ありがとう、シロエ」
「どういたしまして」
足元にしがみついてくる子供七人のせいで体勢を立て直すのは大変だったが何とか体勢を戻して、それから子供たちと目線を合わせるためにしゃがみこむ。
「どうしたんだ?」
問いかけるが、皆泣きじゃくっているため話せるような状態ではない。ジョミーが困りきっていると、部屋の中からリオが出てくる。説明を求めて、留守の間を任せておいた彼を見上げると、リオは苦笑しながらテレパシーを送ってくる。
『最初にトォニィが目を覚ましたんですが、一緒に眠っていたはずの貴方がいなくなっていることに気付いたとたん、貴方に嫌われたんだって泣き出してしまって……その泣き声で他の子供たちも目を覚まして、やはり貴方がいないことに気付いたとたん泣き始めたんです。用事で少し外に出ているだけだと説明したんですが、まるで聞いてくれなくて……』
「そうか……ごめん、リオ。迷惑をかけて」
『いいえ』
控えめな仕草で首を横に振るリオから視線を外して、ジョミーは再び子供たちを見て、それから苦笑を漏らして順々に子供たちの頭を撫でた。
「馬鹿だな……トォニィ、タキオン、アルテラ、タージオン、ペスタチオ、コブ、ツェーレン……お前たちを嫌いになったりするもんか」
「で、でも、起きたらグラン・マがいなくて……!」
一番年齢が大きいからか、泣きながらも顔を上げて言葉を返してくるトォニィの頬を両手で包みこんで、ジョミーはふわりと微笑んだ。
「少し用事があってね、シャングリラの外に行っていたんだよ。お前たちが起きるまでには戻ってくるつもりだったんだけど、少し遅かったみたいだね」
「じゃあ、僕らのことっ……ぼ、僕のこと、嫌いになったからいなかったわけじゃない……っ……?」
「当たり前だろう」
間髪いれずに肯定すると、トォニィはそれまで以上にぼろぼろと涙をあふれさせながらジョミーに抱きついてくる。その頭をそっと撫でてやりながら、ジョミーはそっと目を瞑った。愛しくてたまらないこの小さな存在を嫌いになることなんて、どうしたらできるのだろう。
(他の誰を嫌いになっても……お前のことだけは嫌いになったりしないよ……そう、たとえ……あの人のことを嫌いになってしまっても……)
閉じたまぶたの裏に、ブルーの姿を思い描く。毎日見舞いに通って目にしているはずなのに、脳裏に浮かぶその人の姿は何故か、ひどくぼやけて見えた。