りーぴ2 06

 翌日ジョミーは、いっぱい遊ぶというトォニィとの約束を果たすために、朝の間に全て頼まれた仕事を終わらせてから保育部屋に向かっていた。
 今から行くと多分ちょうど昼寝の時間にかぶってしまうだろうが、添い寝したついでに一緒に眠ってしまえばいいだけのことだ。普通なら昼間から眠っていたりしたら他のミュウたちに怒られるが、ジョミーの場合は別だ。他のミュウたちと違って強大なサイオンパワーを持つジョミーは、眠っている間に思念体になりシャングリラの外へ出て、新しく生まれたミュウがいないか探しに行くことができる。もちろん夜眠っている間にもそれをやっていたら体がもたないので、夜は普通に意識まで休めているのだが。
 保育部屋の前にはすぐたどり着いた。扉の前に歩を進めると、扉は自動で横にスライドする。部屋の中に足を踏み入れたとたん、室内から歓声が聞こえてくる。
「グラン・マだ!」
「あ、本当だ!」
「じょみー!」
 きゃあきゃあと高い声を上げながら、タキオンにアルテラにタージオンといったようなシャングリラで生まれた子供たちが、ジョミーの足元にわらわらと群がってくる。まだ歩けない子たちは這って進むよりも飛んだ方が速いと判断したのか、ふわふわと宙を浮かびながら近づいてくる。
 ジョミーの訪問に、シャングリラの外から連れてきた子供たちも一気に顔を輝かせたが、タキオンたちが群がっているのを見てジョミーの側に行くのは諦めたようで、肩を落としてそれまでやっていたことを続けた。
「コブ、ペスタチオ、ツェーレン、普段は飛んだら駄目だって言われてるだろう?」
 宙に浮かんでいるコブたちを注意するため視線を上げた一瞬、部屋の中にいたヒルマンと目が合ったが、何となく気まずくてどちらからともなく視線を外した。彼は近くにいたカリナに短く何かを言った後、そのまま部屋を出て行く。ジョミーとヒルマンの関係は基本的にこんな感じだ。顔を合わせてもどちらが何を言うわけでもないが、一緒にいると場の空気に耐えられないのでどちらかがいなくなる。時折ヒルマンが話しかけようとしてくるときもあるが、その場合はジョミーがその前に逃げ出すので会話が成立することはほとんどない。特に険悪なわけでもないのだが、傍から見るとかなり不自然な関係である。
 現に、部屋の中にいた子供たちの中でも割と大きな子たちとカリナは、何とも言えないような顔をしてジョミーとヒルマンが出て行った扉を見比べている。見比べているだけで誰も言葉にしないのだが、『二人ともいい加減普通に接するようになったらどうなんですか』という空気がひしひしと伝わってくる。
 ヒルマンは普段子供たちの教師役を果たしているため、大人たちの中では群を抜いて子供たちと関わる機会が多い。ジョミーとの仲は決して良いとは言えない彼だが、ブルーが眠りについた当時はともかく現在はどちらかと言えば中立寄りなので、子供たちからの受けもそう悪くはない。
 だからこそカリナも子供たちも、こんなふうに何とも言えないような顔をして無言の圧力をかけてくるのだが、ブルーが目を覚まさない限りヒルマンと和解することはおそらくありえないだろうとジョミーは思っている。
 ヒルマンは、三百年の昔からシャングリラにいる古参のミュウで、アルタミラの惨劇を体験した者である。あの惨劇を体験した古参のミュウたちの絆は、若いミュウたちが考えているよりもずっと強いものだ。あのときの光景を垣間見たことのあるジョミーには、それが良く分かっていた。だから、いくら中立的な立場を取っているヒルマンだとて、彼がアルタミラの惨劇の体験者である限り、ブルーが眠り続ける原因となったジョミーを許すなんてことはきっとありえない。
 だからこそ、ヒルマンとジョミーはもう何年もずっとこうやって微妙な関係を続けているのだが、あの惨劇を知識としてしか知らない若者たちにはそれが理解できないのだろう。
 そんなことを考えて黙り込んでいると、足元にいたタージオンがジョミーの服の裾を引っ張ってくる。
「じょみー、あそぼう?」
「だめ!グラン・マはあたしたちとあそぶんだから!」
「違うよ、アルテラのばかっ!」
「そうだよ、じょみーはぼくらとあそぶの!」
 女の子と男の子に分かれて喧嘩を始める子供たちを見て、ジョミーは思わず苦笑を漏らした。それからしゃがみこんで言い合いをしている子供たちと視線を合わせると、たしなめるように言う。
「こら、喧嘩したりしたら駄目だろう?」
「だって!」
「だってじゃない。それに、今から昼寝の時間だろう?起きたら遊んであげるから、今はちゃんと眠りなさい」
「えー!」
「やだぁ!」
「せっかくグラン・マが来てくれたのに……」
「あそぶのーっ!」
 昼寝をしろと言ったとたん子供たちは、それまで対立していたのも忘れたようにいっせいに文句を言ってくる。それがおかしくて、ジョミーは思わず失笑する。
「昼寝をした後に遊んであげるって言っているだろう?子供はちゃんと眠らないと大きくなれないんだよ?」
 大きくなれないという言葉に、小さいながらも男連中は敏感に反応して文句を言うのをやめる。けれどアルテラと、生まれてからあまり時間が経っていないためまだ喋ることのできないペスタチオにツェーレンまで、女の子たちは三人そろって渋ったような顔をしている。その子たちの頭を順番に撫でてやりながらジョミーは再度口を開く。
「今日は僕も皆と一緒に昼寝しようと思ったんだけど……それでも昼寝は嫌?」
「グラン・マもいっしょ?」
「ああ、本当だ」
「じゃあおひるねする!」
 アルテラがぱあっと顔を輝かせてそう言うのに賛同するように、ペスタチオとツェーレンもうんうんと頷いている。
「ジョミー、おひるねの部屋はこっちだよ」
「分かっているよ。こら、引っ張るんじゃない。危ないだろう?」
 歩きにくいので、ジョミーのズボンをつかんで昼寝をする部屋へと連れて行こうとするタキオンの手をやんわりと外して立ち上がろうとしたとき、部屋の隅でこちらに背を向けながら一人ぽつんと座ってレインの尻尾をつかんでいるトォニィの姿が見えた。
「トォニィ?どうしたんだ、おいで」
 いつもならジョミーが呼ぶまでもなくやって来るというのに、今日は呼んでも視線すら寄越そうとしない。まさか嫌われたかと一瞬嫌な考えが脳裏をよぎるが、昨日の今日でそんなことはまずありえないだろうという考えが上ってくる。と言うか、嫌われたなんてことは考えたくもないので却下だ。近づいてこないし振り向きもしない理由に、妥当なところで機嫌でも悪いのかあたりを付けて、群がる子供たちを置いて立ち上がりトォニィのところまで歩いていって、視線一つ寄越そうとしないオレンジ色の子供を抱き上げる。
「どうしたんだ?」
 突然抱き上げられたことに驚いたのか、丸く見開かれた大きなオレンジ色の目を間近から覗き込むが、トォニィは答えることをせず視線を逸らして複雑な顔でうつむく。
 トォニィは好き嫌いのはっきりした子だから、抱き上げても暴れて逃げ出そうとしたりしないのを見る限りでは、嫌われたわけではないようだ。そのことに小さく安堵の息を漏らすと、移動したジョミーを追って来た幼子たちが足元に群がりながら手を伸ばしてくる。
「トォニィだけずるい!グラン・マ、僕もだっこ!」
「ぼくもー!」
「だめー!次はあたしなんだからぁ!」
「いくら何でも一気に抱っこするのは二人までが限界……!ちょ、転ぶ、転ぶから上るな!」
 足にしがみついて上って来ようとする幼児たちのせいでバランスを崩しそうになって、ジョミーは本気で焦った。この状態で転んだら自分が痛いのはもちろんだが、抱き上げているトォニィは危ないし、足元にいる子供たちも危険である。しかし足元の幼子たちはそんなことに気付いてもいないのだろうか、気にせずジョミーの足をつたって上ってこようとしている。
 別に支えきれなくなって転びそうになったとしても、サイオンを使って転ぶ前に宙に浮いてしまえばいいだけの話なのだが、日常生活ではあまりサイオンを使わないようにという方針で育てている子供たちの前でそれをするのはどうも気が引ける。とは言っても、昨日トォニィを抱き上げたときのように、相手に気付かれないようにこっそり使うことはたまにしているのだが。
「わっ……!」
 いい加減冗談でなく転びそうになって思わずジョミーはトォニィを抱く腕に力を込めるが、カリナも周囲で遊んでいる他の子供たちも助けようとすらしてくれない。ジョミーが子供たちに怪我をさせたりするはずがないと信じているのだ。その信頼はありがたいのだが、それはそれとしてとりあえず今は助けて欲しい。ジョミーがそう思っていると、意外なところから助けの手はやって来た。
「グラン・マを困らせちゃ駄目!」
 ジョミーに抱き上げられたまま、トォニィがぴしゃりと声を張り上げたのだ。しかし、アルテラたちのこの行動はトォニィうらやましさのためなのだから、そのトォニィにそんなことを言われても彼らが納得するかと言われれば当然のごとく否だった。
「でも、トォニィばっかりずるい!」
「そうだよ!」
「ちょっとはやく生まれたからってグラン・マのことひとりじめして!」
「そうよ!グラン・マとあそびたいのはあたしたちだっていっしょなのに!」
「そんなの知らないもん!」
 トォニィ対アルテラ、タキオン以下数人の間で壮絶なる言い争いが勃発する。そうなると、ジョミーの足にしがみついたままだと喧嘩に集中できないからなのか、しがみついていた幼子たちはジョミーから手を離してトォニィを睨み上げた。
「とぉにぃのばかっ!」
「トォニィはあたしたちより大きいんだから、少しぐらいゆずってよ!」
「ジョミーはみんなのグラン・マなのに!」
「違う、僕のだよ!」
「どうしてそんなこと言えるんだよっ?」
「タキオンの言うとおりよ!」
「だってグラン・マ、大きくなったら僕のお嫁さんになってくれるって言ってくれたもん!」
 トォニィの叫びに、一瞬部屋中がしーんと静まり返った。一番先に正気に戻ったのはカリナだった。
「ジョミー、私、大歓迎です。トォニィとジョミーが結婚したら、ジョミーと本当の家族になれるんですね」
「……いや、トォニィが大きくなったら考えてもいいとは言ったけど……」
 目をキラキラ輝かせて見つめてくるカリナとは裏腹に、ジョミーは眉根を寄せて困ったように首を傾げる。トォニィ本人がいる前で、それ以上きっぱりと否定の言葉を告げることはためらわれたので、それ以上の言葉が口から出ることはなかった。
 しかし、現実を把握するにはそれだけでも十分だったのだろう。それを聞いたタキオンは、虚脱状態から一気に回復して勝ち誇ったように言う。
「なーんだ。考えてもいいって、そんなのてきとうにあしらわれただけじゃないか」
「そうよ、本気にしちゃってばっかみたい!あんたみたいなガキ、あいてにしてもらえるわけないじゃない!」
 タキオンに続いて、アルテラも立ち直ってふふんとあざ笑うような笑みを浮かべて言う。
 その言葉に、トォニィの怒りは頂点に達してしまったらしく、腕の中の小さな体からぶわっとサイオンが発生するのをジョミーは感じた。
「トォニィ、やめろ!!」
 叫ぶと同時に、慌てて自分のサイオンでそれを包み込んでタキオンたちに被害がいかないようにする。
 まだ子供だからそれほど強力ではないが、トォニィはジョミーと同じでミュウの中では最高峰のサイオンパワーを持つタイプブルーだ。トォニィだけでなく、シャングリラで生まれた子供は今のところタイプブルーばかりなのだが、同じタイプブルーでも力の差は存在して、他の子供たちよりも飛びぬけてトォニィのサイオンパワーは強力なのである。サイオンを使って喧嘩をしたりしたら勝敗は目に見えているし、相当悲惨なことになることは明らかだった。
 今はジョミーがいたから止めることができたけれど、いつもジョミーが側にいるとは限らないのである。
「……トォニィ」
 低い声でジョミーが名前を呼ぶと、抱き上げた小さな体が大きく震える。
「喧嘩をするなとは言わない。だが、喧嘩をするときにはサイオンを使ったら駄目だと教わらなかったのか?」
「だ、だって、タキオンとアルテラが」
 言いかけるトォニィをさえぎって、ジョミーは冷たい顔をして言う。
「どんな理由があろうと駄目なものは駄目だ」
「っ……」
「分かったか?」
「……」
「トォニィ?」
「……っ……ごめんなさい……」
 今にも泣き出しそうに涙の膜を大きな瞳に張って、トォニィは消え入りそうな声で言う。しかしジョミーは冷たい声のまま続ける。
「僕に謝っても仕方ないだろう?ほら」
 そう言ってしゃがみこみ、自分が叱られているわけでもないのに怯えて身をすくめているタキオンたちの前にトォニィを下ろす。それから無言で軽く背を押してやって促すと、トォニィはぼろぼろと泣き始める。
「たきおん、……っ……あるてら……ごめ、なさい……」
 そんなトォニィに釣られたように、タキオンたちもいっせいに泣いて謝り始める。
「……っ、僕も、ごめ……!」
「あ、あたしも、ひどいこと言ってごめん……!」
「ぼくも……ふ、うわああああん!」
 何人もの泣き声が部屋中に反響する。仲直りはしたようだが、しばらく泣き止みそうにない。
 ジョミーはそれを見て小さくため息を吐くと、側に立っていたカリナに話しかけた。
「このままだと他の子が寝る邪魔になりそうだから、今日は僕の部屋で眠らせようと思うけど、かまわないかな?」
「ええ……すみません。トォニィがご迷惑をかけて……」
「別に」
 申し訳なさそうな顔をするカリナに、ジョミーは肩をすくめてみせた。
「トォニィに関することで、迷惑だとかそんなふうに思ったことは一度もないから、気にする必要はないよ」
 そう言ってからジョミーはサイオンを発動させると、自分と泣いているトォニィたちを包み込んで一気に自分の部屋のベッドの上へと移動した。ジョミーのベッドはブルーのものとは違って標準サイズなので、ここにいる全員一緒になって眠ったらかなり窮屈だろうが、くっついて眠れば大丈夫だろう。
 ジョミーは履いていたブーツを脱ぎ捨てて床に放り投げると、騒音のような泣き声を周囲に撒き散らしている子供たちに手を伸ばした。
「ほら。おいで」
 その声に、幼子たちはそろってビクッと肩を揺らしたが、先ほどまでの冷たさがそこにないことを感じ取ったのか、まず涙で顔をぐしゃぐしゃにしたままトォニィがおずおずと手を伸ばして抱きついてくる。
「ぐらん・まぁ……!」
 それに続いて、ペスタチオがぼすっと飛びついてきて次にコブ、ツェーレン、タージオン、アルテラ、タキオンの順番で子供たちがしがみついてくる。七人の子供が泣き疲れて眠るまで、しがみついている子供たちの頭と背中を順々にジョミーは撫でてやっていた。


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