分娩室の前でジョミーは、まるで熊のようにうろうろと歩き回っていた。
「まだかな……?」
ふと立ち止まって、分娩室の扉を不安げに見つめて言うと、すぐ近くの壁にもたれかかって機械工学関係の本を読んでいたシロエが音を立てて本を閉じて、わざとらしく大きなため息を吐いた。
「まだですよ。産まれたらすぐ知らせてくれるって、ドクターが言っていたでしょう」
「でも、もう入ってから8時間以上経っているのに……」
「初産の場合、十二時間かかるのが平均らしいって本に書いてありましたよね。一緒に読んだのに、もう忘れたんですか?」
ほぼ同じぐらいの高さにあるシロエの大きな目に、呆れたような意図を込められて見つめられたジョミーは、少しばかりムッとしたような顔になる。
「それぐらいちゃんと覚えているよ。でも、早い人は初産でも三時間とか五時間とかしかかからない人もいるって書いてあったじゃないか。それに、ドクターは医者だけど産婦人科専門ってわけでもないから畑違いで色々大変だろうし、カリナは不安なはずだし……とにかく心配なんだよ」
「心配なのは皆一緒です。大体、どうして実の父親であるユウイよりも、貴方の方がそんなに落ち着きがないんですか?」
「うっ……」
もっともなことを指摘されて、ジョミーは言葉に詰まった。
ちなみに話題のユウイであるが、分娩室前に設置されている長椅子に腰を下ろして、不安そうな面持ちで分娩室のドアを見つめているが、ジョミーよりはずっと落ち着いた態度である。彼は言葉に詰まっているジョミーを見て、苦笑しながら言った。
「その、僕の場合は、ジョミーがうろたえているのを見て逆に落ち着いたというか……」
自分よりも焦っていたり余裕がない人間を見ていると、何故か落ち着いてしまうというアレである。
「ええっ、何それ!?ずるい!」
「す、すみません……?」
ずるいと言って詰め寄ってくるジョミーに、どちらかと言えば気弱な部類に入るユウイは長椅子の奥へじりじりと後ずさりながら困ったような顔で言うが、すぐ隣から鋭いつっこみが寄せられる。
「いや、ユウイ、あんたが謝る必要ゼロだから」
「謝る必要ゼロだから」
「ゼロだから謝る必要」
上からニナ、ヨギ、マヒルの三人である。
「み、皆ひどい……」
ジョミーがショックを受けてよろめいていると、それまで一連の流れを長椅子の上に座って黙って見ていたルリが仕方ないとでも言いたげに苦笑して口を開く。
「ジョミー」
「ルリ……」
「私の隣が空いていますから、一緒に座って待ちましょう?」
「うん……」
ルリの言うとおり、彼女の左隣はちょうど一人が座れるだけのスペースが空いていた。長椅子の端にあたるその部分に、ジョミーはしょんぼりと落ち込んだ様子で座りこんだ。落ち込んでいるジョミーを気遣ったのか、ルリはよしよしとジョミーの頭を撫でてくる。
その瞬間、ピシッという音が聞こえてこないのがいっそ不思議なほどあからさまに場の空気が凍り付いて、隣と周りの子たちの間で激しい思念のやり取りが為されているらしいことを感じたが、人の思念を読むことを好まないジョミーは特に気にすることもなくルリに頭を撫でられたままでいた。
カリナが男児を出産したのはそれから数十分後のことだった。ユウイが名づけたトォニィという名前を聞いて、もう十一年前になる時渡りの際に出会った緋色の青年のことを思い出したジョミーはわずかばかり口元を引きつらせた。しかし、過去の記憶とそこからもたらされる、目の前の赤ん坊とあの青年が同一人物であるというほとんど確信に近い推測は、目の前の小さな存在愛おしさのあまり無理やり思考の果てへと追いやって忘れてしまうことにした。
◇ ◇ ◇
「これぐらいでいいか……」
日も暮れかけの夕刻、花畑でブルーを見舞うための花を摘んでいたジョミーはそう言ってから、こっそりと蒼の間にテレポートした。
カリナの妊娠が発覚して以来――と言うよりもカリナが妊娠の理由をジョミーのおかげだと発言して、そのことからミュウの中の恋人たちがこぞって祝福を求めてきたのに対してシロエたちが腹を立てて謝罪を要求した結果、その場にいた大人のミュウたちがそれまでの態度を謝ってくれたときから、周囲の風当たりは随分と弱まっている。それどころか、ジョミーが彼らの要求どおり何組かの恋人たちに祝福を与えた結果、その恋人たちの間にめでたくも子供ができたことにより、ミュウの中には態度を改善したなんていうのを通り越して尊敬の念を向けてくる者もいる。
トォニィが生まれてからすでに三年。トォニィに続いて、シャングリラにはタキオンやアルテラなどトォニィを含めて七人の赤ん坊が生まれた。他にもまだ妊娠している夫婦がいるから、これからもまだ赤ん坊の数は増えるのだろう。シャングリラはかつてないほど活気付いていた。
今なら、こんなふうにこっそりとブルーを訪ねなくても誰かに少し協力を頼めば、ジョミーが蒼の間を訪ねている間に長老たちや未だにジョミーを厭っている一派が蒼の間の近くにやって来ないようにしてくれるだろうと分かっている。けれどジョミーはそうしなかった。もしその裏工作が気付かれたとして、ミュウたちの間に余計な諍いが起こったりすることのないようにという配慮だった。そしてそれ以上に、ブルーが眠り続ける原因である自分が、愚かしくも毎日ブルーの見舞いをしているなんてことを誰にも知られたくなかった。知られたくなかったなんて言っても多分、カリナやニナたち、そして長老たちはきっと知っているのだろうけれど。
ブルーが眠っている寝台から数メートルほど離れたところにテレポートしたジョミーは、いつもと同じように眠り続けているブルーを見てから、落胆したように唇をかんで視線を伏せた。
(……今日も変わらない……貴方はずっと眠ったままだ……)
いつになったらブルーは目覚めるのだろう。いつになったら、目を覚ましてくれるのだろう。そう思うと、泣きそうになった。
(……ブルー……起きて……お願いだから、起きてください……)
眠り続けるブルーの姿は、ジョミーに己の罪とかつての傲慢をまざまざと思い知らせる。周囲の状況がいくら変わっても、ブルーが目を覚ましてくれない限り、ジョミーの苦しみは終わらない。
けれどどれだけ起きてと祈っても、ブルーは決して目を覚ましてくれないだろうという確信に近い思いがあった。強く願うだけで起きてくれるなら、ブルーはもうきっととっくに起きているはずだ。それだけ強く、ジョミーは願ってきた。この十四年間ずっと、目を覚ましてくださいと強く願って。ジョミーだけではない。シャングリラにいるミュウたち全員が、ブルーの目覚めを望んだ。それでもブルーは目覚めなかったのだから、祈るだけでは駄目なのだ。願うだけでは駄目なのだ。
ミュウの力は想いの力なのだとかつて聞いたことがある。それなのにブルーは、ジョミーだけではなくシャングリラ中のミュウがどれだけ願っても目覚めてくれない。それは、目覚めを願う皆の心と同じぐらい強く、ブルーが目覚めることを――つまりはジョミーの生命エネルギーを完全に自分の中に取り込んでしまうことを拒否しているということである。
だからジョミーは、起きてと強く願うたびに、自分が拒絶されていることを強く思い知らされる。正確に言うならば、ブルーが拒絶しているのはジョミー自身ではなくてジョミーの命の半分なのだが、そんな細かいことはもう思考のどこか遠くへ消えてしまった。
好きだから一緒にいたかった、その気持ちだけで勝手なことをしてごめんなさいと謝りたい、だから起きてと願うたびに突きつけられる拒絶。それが積もり重なるのと同じ速さで、ブルーのことを嫌いだと思う感情が増していく。ジョミーにはそれが苦しくて怖い。いつかブルーのことを好きだという気持ちが、嫌いだという気持ちに押しつぶされてしまいそうで怖い。
少し前まではまだ、嫌いだという気持ちよりも好きだという気持ちの方が大きかったはずなのに、最近では好きも嫌いも変わらないぐらいになってきてしまった気がする。時が過ぎていく中で、ブルーが起きてくれないことを悲しむ気持ちよりも、起きてくれないブルーを責める気持ちの方が強くなってきているような気がするのだ。
(早く起きて……そうじゃないとそのうち僕は、貴方のことが好きなのかどうかさえ分からなくなってしまいそうだ……!)
思わず拳に力が入って、右手に握りしめた花の茎が手のひらに擦れる音がする。見舞いの品がそんなふうになっていることに気付いたジョミーは、一瞬で拳から力を抜いて花を見るが、思い切り力を込めて握ってしまった花は茎がよれて少しばかりみっともない風体になってしまっている。そんな些細なことにすら、ジョミーが気を落としそうになっていると、不意に扉が開く音がした。
長老たちかと思って息を呑んで振り返るが、そこにいたのは鮮やかなオレンジ色の髪と瞳をした小さな子供――トォニィとなきネズミのレインだった。ジョミーが名前を付けるのをずっと忘れていたせいで、トォニィと同じ日に名前を付けられたからなのかどうかは知らないが、レインとトォニィは仲が良くてよく一緒に行動している。そんなことはどうでもいいとして、どうしてトォニィがここにいるのか。蒼の間は長老たちと医者と看護婦以外は立ち入り禁止だと教えられているはずだ。
「トォニィ、どうしてここに……?」
「グラン・マ!」
トォニィはジョミーの姿を見たとたんぱあっと顔を輝かせると、驚きに目を丸く見開いて動きを止めているジョミーのところにとたとたと危なげな足取りで走り寄って来ようとする。
(あああ、危ない……!)
蒼の間は水だらけなのだ。しかもこの部屋がある場所は元が大きな湖だっただけに、水の深さはかなりのものだ。小さな子供が落ちたりしたら溺れてしまう。トォニィもミュウなのだから、うっかり足をすべらせて落ちてしまってもサイオンで宙に浮けばいいのだという事実を忘れて、ジョミーは慌てて長い通路を走ってここまでやって来ようとするトォニィのところに移動して小さな子供の体を抱き上げて、手に握った花がつぶれないように気をつけながら右腕に乗せた。さすがにそのままの重さを片腕で支えるのはきついので、サイオンを使って少しばかりずるをする。
抱き上げられたトォニィは無邪気な笑みを浮かべて、ジョミーの首にぎゅうっと強く抱きついてくる。
「グラン・マ、遊ぼ!」
そう言って笑うトォニィはとてもかわいくて、ジョミーは思わず叱ろうと思っていたのも忘れてその提案に頷いてしまいそうになったが、寸前で正気に戻って無理やりしかめっ面を作った。
「ここには入ったら駄目だって、ヒルマン教授……いや、先生に言われているだろう?」
「知らないもん」
トォニィはむっとしたような顔になってつんと顔を逸らした。
「先生なんて嫌いなんだから」
「どうして?この前までそんなこと言ってなかっただろう?何かやって怒られでもしたのか?」
「違うよ、僕ちゃんといい子にしてたもん!いい子にしてたらグラン・マがいーっぱい遊んでくれるってママに言われたから、言われたとおり普段はサイオン使わないようにしてるし、お風呂もちゃんと百まで数えてから出るし、アルテラたちの面倒だって見てあげてるし、それにそれに、」
必死になって言い募ろうとするトォニィの口元を空いている左手でそっと押さえて、話を止めさせる。不安げに見上げてくる子供に向かって、ジョミーは優しく笑いかけた。
「もういいよ。トォニィがいい子だっていうのはよーく分かったから」
「本当?」
不安げな顔を一変させて、トォニィはぱあっと明るい顔になる。
「本当だよ」
「じゃあグラン・マ、今までよりもいっぱいいっぱい遊んでくれる?」
「いっぱい遊ぶのはいいけど、先生のこと嫌いだっていう理由を教えてくれるのが先かな」
ジョミーがそう言って話を元に戻すと、トォニィはきゅっと悔しそうに唇を噛み締めた。
「……だって」
「だって?」
「……見たんだもん」
「何を?」
しかしトォニィは口を開かない。
「トォニィ?」
催促するように名前を呼ぶと、トォニィは渋々といった体でようやく口を開いた。
「……老師がグラン・マの悪口言ってたのを見たんだけど、そのとき先生、それ止めなかったんだ。だから、先生なんて嫌い。老師はもっと嫌い」
(うわあ……)
ジョミーは思わずため息を吐きたくなった。
シャングリラで生まれた小さな命のことは、ミュウの皆がかわいがっている。それは長老たちも例外ではなくて、トォニィたちにはハーレイやゼルも普段の難しい顔を崩して接している。子供たちの情操教育に悪いから――というのは実は建前で、過去に子供たちの前でジョミーの悪口を言っていたら子供たちにはことごとく嫌われてしまったという経験があるため、トォニィたちの前では彼らもジョミーのことを悪く言うのはやめていたはずなのだが、いったいトォニィはどこで聞いたのだろう。いや、そんなことより問題は、ジョミーのことを悪く言われてすねているらしいトォニィをどうやって宥めるかだ。
トォニィに話を聞かれてしまったのはゼルとヒルマンの責任だが、彼らがジョミーのことを悪く言う原因を作ったのは他でもないジョミー自身である。猫かわいがりしている子供にそんなことで嫌われたりしたらあまりに憐れだ。
「トォニィ、老師たちが僕のこと悪く言うのにはね、ちゃんと理由があるんだよ。だからあんまり怒らないであげてね?」
「理由?理由って何?」
きょとんとした顔で問いかけてくるトォニィに、ジョミーは少し困ったような顔になって笑った。
「……ソルジャーブルーのことは、先生から教えてもらってるよね?」
「うん。何年も前からずっと、この部屋で眠ってる人だよね。僕たちミュウの長なんでしょう?」
「そうだよ」
トォニィを抱いたまま、ジョミーはゆっくりと長い通路を辿ってブルーが眠っている寝台に歩を進めていく。やがて大きな寝台のすぐ近くまでやって来ると、トォニィと目を合わせてからブルーに視線を移すことで、トォニィの視線をブルーに持っていかせた。
「この人がソルジャーブルーだ。綺麗な人だろう?」
「……グラン・マの方が綺麗だもん」
ぶすっとした口調で言うトォニィの言葉は、どう見ても身内の贔屓目にしか聞こえなくて、ジョミーは再びトォニィに視線を戻して失笑する。
「それはどうも」
「本当なのに……」
「だから、ありがとうって言ってるだろ?」
不満そうな顔をしているトォニィの頭を、空いている左手でぽんぽんと撫でてやると、トォニィは不満そうにしながらもうれしそうな顔をするという複雑な表情になった。明らかにトォニィの言葉を信じていないジョミーに不満を持っているけれど、頭を撫でられるのはうれしいらしい。
そんなトォニィから視線を外して、ジョミーは再びブルーを見る。トォニィがやって来たことで忘れていた暗い気持ちが、ブルーを目にするだけで瞬時に胸を占領してしまう。ジョミーは唇を噛み締めてから、ぽつりと口を開いた。
「……トォニィが言ったとおり、この人はもうずっと眠り続けている。十四年前からずっと、一度も目を覚ますことなく……その原因がね、僕なんだ。僕のせいでこの人は目を覚まさない。長老たちも他のミュウも――ミュウたちは、皆この人のことが大好きだった。彼が目を覚まさない原因となった僕のことを良く思わないのは当然だろう?」
けれどトォニィは、その問いかけに肯定も否定もすることはなかった。どうやらそれよりも別のことに気を取られたようだ。
「グラン・マも?」
「え?」
「グラン・マも、ソルジャーブルーのこと好き?」
何故か大きなオレンジの瞳に不満をいっぱいに溜めて問いかけてきたトォニィに、そんなことを聞かれるとは思っていなかったジョミーはぱちくりと目を瞬かせると、泣きそうに目を細めて笑うのに失敗したような顔になる。
「……そうだね。すごく好きだったよ……好きすぎて、周りが見えなくなるぐらい……」
(今はもう、それと同じぐらい嫌いだけど……)
そう言って奥歯を噛み締めていると、何故か泣きそうな顔をしたトォニィがぎゅうぎゅうと首を絞めてくる――と言うか抱きついてくる。
「トォニィ?」
「……僕よりも、ソルジャーブルーの方が好き?」
ジョミーはきょとんと目を見開いた。そして尋ねられた意味が脳裏に染み渡るや否や、とろけそうな笑みを浮かべて空いている左の手でふわふわしたトォニィの髪をくしゃりと撫でつける。
(ああもう……かわいいな)
ブルーのことを考えて暗いところに落ち込んでいた思考が、一気に明るいところまで引き戻される。
この小さな子供のことを心底愛しいと思う。それはブルーのことを思う気持ちとは違うけれど、愛しいという感情であることに違いはなかった。思うだけで切なくて苦しくなるようなブルーへの想いとは違う、温かくて優しい感情。無条件で愛しいと思う。トォニィが生まれた瞬間、ジョミーはそんな存在があることを初めて知った。
「トォニィ」
愛しさを込めて名前を呼ぶと、恐る恐るといった表現がぴったりな様子でトォニィは顔を上げる。不安に揺れるオレンジの瞳を見つめて、ジョミーはふわりと微笑んだ。
「ブルーへの好きとトォニィへの好きは意味が違うから比べられないよ」
「っ……どう違うの?」
「そうだな……トォニィにもいつか、お嫁さんにしたいと思える人ができたらきっとそのときに分かるよ」
「なら分かるよ!大きくなったら僕、グラン・マのことお嫁さんにするんだから!」
「へ?僕?」
予想外の展開に、ジョミーは呆然となった。
(これはあれか……幼稚園児が保母さんに対して言うとかいう例の……)
話に聞いたことはあったが、まさかそれが自分の身に対して降りかかるとは全く思っていなかった。どう反応すればいいか分からず、ジョミーが答えに詰まっていると、うるうると泣きそうに瞳を潤ませたトォニィがつぶらな瞳で見上げてくる。
「グラン・マ……」
ジョミーはうっと息を詰めた。
「……僕と結婚するの、嫌?」
「い、嫌なわけじゃないけど……トォニィも大きくなっていくうちに、僕よりずっと好きな人ができるよ」
「僕の一番はずっとグラン・マだよ!」
自信満々に言い切られて、困ったと思うのと同じぐらいジョミーはうれしかった。大きくなったらこんなことを言ったなんてことをすっかり忘れてしまうのだと分かっていても、誰よりも愛しい子供に一番が自分だと言われて、うれしくないわけがない。思念だけになって渡った未来で見た、成長したトォニィらしい青年がいかにジョミーにべったりであったかという事実を、ジョミーはすっかり記憶の果てに追いやっていた。
「じゃあ、そうだな……トォニィが大きくなってからも同じことを言ってくれたら、考えてみてもいいよ」
「本当?約束だよ、忘れちゃ駄目だからね!」
結婚を確約したわけでもないのに、考えてもいいというあやふやな言葉だけでトォニィはとてもうれしそうに顔を輝かせる。
「ああ。忘れないよ」
トォニィがそれだけジョミーのことを慕ってくれていたのだということを、どうしたら忘れることなんてできるだろう。そう思って、本当に幸せそうな顔でジョミーが微笑んだとき、トォニィのお腹からぐぅという音が聞こえてくる。とたん、トォニィは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「……お腹、空いたのか?」
こくんと頷くトォニィを見て、ジョミーは思わずくすりと笑みを漏らす。そう言えば、外ではさっき日が暮れかけていたのだから、もうすぐ夕飯の時間が近いはずだ。
ジョミーは右手に握っていた花に目をやって、次に寝台の横にあるチェストの上の花瓶に視線を移した。昨日換えたばかりの花は、まだみずみずしく咲き誇っている。それを確認してから、ジョミーは持っていた花を左手に移すと、それをトォニィに差し出した。
「ほら」
「食べていいの?」
「いいよ。一人分には少し多いから、半分ずつ食べよう」
「うん!グラン・マと半分こ!」
トォニィはうれしそうな顔で花に手を伸ばすが、その指が触れる前にジョミーはさっと花を持った手を引く。くれるんじゃなかったのと不満を露にした顔を向けてくるトォニィに向かって、ジョミーは言った。
「でもこれをあげる代わりに、僕がここにいたこともトォニィがここに入ったことも、誰にも内緒だよ」
「内緒?……僕とグラン・マだけの秘密?」
「ああ。僕とお前だけの秘密だ。できるか?」
「うん、できるよ!」
元気一杯に頷くトォニィに、今度こそジョミーは手に持っていた花を差し出して与えた。
半分ずつ摂取した花のエネルギーは、ひどく甘い味がした。