ここ十年、ずっと眠り続けて目を覚まさないブルーの代わりに、ジョミーはブルーがしていた仕事を代行していた。もちろん、大事なことについては全く関わらせてもらえなかったし、ジョミー自身そんなことに関わろうとは思わなかったので、自分にできる範囲のことだけをやっていた。主に、危険を伴うシャングリラの外での行動の補佐、あるいはジョミー自身がシャングリラの外で行動することもあった。あとは、シャングリラ内部に関しての諸々の雑事だ。
ブルーが眠り続ける原因であるジョミーに、ブルーの代わりをさせることを、当初ほとんどのミュウは反対していたのだが、そんな声もすぐに消えた。内心はどうであれ、それは当然のことと言える。ブルーの代わりをすることができるほど力にあふれたミュウ――最高峰のサイオンパワーを持つタイプブルーに分類されるミュウは、ブルーを除いてはジョミーしかいなかったからだ。
シャングリラの外は、ミュウにとって決して優しい世界ではない。もし正体がばれるようなことがあれば、身には死の危険が迫る人類の世界。そこは、十年前まではジョミーが身を置いていた世界だったけれど、今のジョミーにとってはもう違うのだと身にしみて分かっていた。
しかしそれでもジョミーなら、何が起きても身に余るほどのサイオンを使って対処できるだろうし、ブルーもおそらく一人で平気だったのだろう。けれど、力の弱いミュウたちはそうもいかない。だからブルーは、一日のほとんどを寝たきりになって過ごすようになってからでも、体は眠ったままで他のミュウたちに力を貸していた。
本当は、ジョミーは他のミュウとは違って何の障害も持たないし寿命が近くてベッドから離れられないわけでもないので、シャングリラの外での行動――たとえば生活必需品の買い物なんかは全部一人でやってもよかったのだが、男性陣に必要なものについては、外見がいくら少年っぽく見えても性別女のジョミーに任せるのはどうも気分的に嫌だったらしくて、女性陣に必要なものと性別に関係なく必要なものだけを任せられている。
ちなみに現在シャングリラの中では、ジョミーがいるから植物を交配させたり野菜の品種改良をしたりと食料に困ることはないし、生活のために様々な機械が設置されているため最低限自給自足できるだけのシステムが確立しているのだが、あくまで最低限なので外に買い物に出ることは避けられないのだ。
しかし、現在では大人のミュウたちの態度も随分と軟化しているが、ブルーが眠り続ける原因であったジョミーのことを許せないと思っているミュウは、長老であるゼルを筆頭に数多くいる。そのため、一日のほとんどの時間を、ジョミーは何もしないで過ごしていることが多かった。暇な間は、こっそりブルーの見舞いに行ったり、思念体になってシャングリラの外へ出て、新しく生まれたミュウを探して保護したりしている。
そして今日もジョミーはシャングリラの中で、建物群からは少し離れたところに位置する花畑で、寝たきりのブルーに見舞う花を一人で摘んでいた。
すると、遠くから誰かの気配が近づいてくることに気付いた。こっそり近づいてきて驚かせようとでもしているのか、その気配は背後から足音を忍ばせて近づいてくる。しかし、すでにその存在に気付いているジョミーに、花と草を踏みしめるかすかな音が聞こえないわけがない。ジョミーはゆっくりと振り向いて、静かに口を開いた。
「ニナ、何か用でも?」
「あん!もう、何で気付くの?」
背後三メートルほどのところまで近づいてきていたニナが、子供っぽい仕草ですねたように唇を尖らせる。めっきり大人びて落ち着いた雰囲気を発するようになったカリナやユウイと大違いで、二人とほとんど年が変わらないはずのニナはまだまだ行動や表情に子供っぽさを残している。
(まあ、子供っぽいと言うよりは単に性格の差なのかもしれないが……昔から、カリナもユウイもどちらかと言うと大人しくてしっかりした子だったけど、ニナはやんちゃだったしな……)
あるいは、ニナの方がこの年頃の標準であって、カリナとユウイが落ち着きすぎているだけなのかもしれない。カリナもユウイもニナも確か全員十七、八歳ぐらいだったはずだ。シャングリラの中にいるミュウたちは外見年齢と精神年齢が一致していない人ばかりだし、ジョミー自身十年前から眠り続けるブルーのせいで青春とは程遠い暗くて沈みこんだ生活を送っていたので、十代後半の少年少女の普通を判断するのに周囲と自分は全く充てにならない。
参考として人間として暮らしていた頃のことを思い出してみると、まだ皆子供っぽくて、どちらかと言うとカリナとユウイよりもニナに近い雰囲気だった気がするから、やはり標準はニナの方なのかもしれない。
ジョミーがそんなくだらないことを思っていると、ニナはやはり子供のようなことを口にする。
「ジョミーったら、驚かせ甲斐がなくてつまんない」
「ごめんごめん。でも、気付いているのに気付かないふりしても怒るだろう?なら、どうしろって言うんだ?」
苦笑しているジョミーに、ニナはこれぞ最良の解決策だと言わんばかりに自信満々な顔をして、胸を張って言った。
「簡単よ、気付かなかったらいいの!」
「……そうか……」
しばらくの沈黙の後、ジョミーは何とも言えない顔をしてぽつりと言った。
(気付かなかったらいいのって……本当に、一体僕にどうしろと……)
内心ではそう思っていて、全く解決策になっていない解決策に深くつっこみを入れたい気持ちはたっぷり抱えているジョミーだったが、だからと言ってこういった言い争いでニナに勝てた覚えがないので、賢明にも口に出すことはしなかった。
代わりに気分を切り替えて、最初の問いに戻ることにする。
「それで、何か用があるんだろう?急ぎのものじゃないのか?」
「あ、そうだった。あのね、そろそろ生理用品のストックが切れそうなの。だから近いうちに、また外に買い物に行って欲しいって……ジョミーに頼んでくれって言われたの」
話しながら、ニナはだんだんと不機嫌な表情になっていく。その理由は分かっていたので、ジョミーは少し苦笑して頷いた。
「分かった。早い方がいいんだろう?明日……は野菜の品種改良がしたいから手を貸してくれって言われてるから、そうだな、明後日にでも行くよ」
危険な外での仕事を頼まれていると言うのに、文句一つ言うわけでもなく了承するジョミーを見て、ニナはむすっとした顔で言う。
「……自分で頼みにも来ない人たちの頼みなんか、断ってやればい」
「ニナ」
ニナの発言を途中でさえぎって、ジョミーは諭すような顔になる。
「そんなことを言ってはいけない。大切な長であるブルーが、僕のせいでもう十年も眠ったままなんだ。彼らが僕を嫌うのは当然だ」
「当然って何よ!嫌いなのに利用するだけ利用するって?最低じゃない、そんなの!!」
「ニナ……」
まるで自分のことのように憤って涙を堪えているニナを見て、ジョミーは黙り込んだ。
ニナは昔から、人一倍正義感が強くて優しい。カリナとユウイに比べてみれば、まだまだ子供といった印象が強いけれど、昔からの性格を歪めることなくとてもすばらしい少女に育った。その成長をうれしく思いながらも、ジョミーは困ったような顔になる。
「最低なんて言葉を、仲間に言ってはいけない」
「……でも」
「でもじゃない。それに……」
ジョミーはいったん言葉を区切って、不満そうな顔をしているニナに向かってにっこりと微笑んだ。
「彼らが僕のことを嫌っているってことは、ブルーが彼らにものすごく大切にされていたってことだろう?いいことじゃないか」
「っ……じゃあ何で、そんなふうに笑うのよ!?本当にそう思うなら、昔みたいに笑ってよ!!」
(昔みたいにと言われても……)
ジョミーは困ったように首を傾げた。ジョミー自身は、昔と同じように笑っているつもりなのだが、ニナには違っているように見えるのだろうか。鏡の前で笑顔研究するようなナルシストでもないので、どうしてそんなふうに笑うのかと聞かれても、自分がどんな顔をして笑っているのかなんて分からない。
ミュウたちに嫌われているのは悲しいけれど、それはジョミー自身が招いた行動の結果だ。自業自得だと分かっているし、先ほど口に出したのは本心だ。それに、ブルーが覚めない眠りについてから十年も経った今では、ほとんどのミュウたちも冷静に物事を考えることができるようになったのか、ジョミーに対する態度も軟化している。けれど、関係修復とまでいっていないのが現状で、彼らがジョミーに何か頼みごとをするような場合には十年前にまだ子供だったカリナやニナが借り出されることが多い。
例外として、ごく一部の良識あるミュウたちは何の含みもない態度でジョミーに接しているが、そんな者は本当にごく一部だ。
ジョミーが黙り込んでいると、ニナはまなじりにたまった涙を指で拭って、暗い空気を払拭するように明るい笑顔を浮かべた。多分、ジョミーが困っていることに気付いて話題を変えようとしたのだろう。
「ねえ、ジョミー!」
「ん?ああ、何?」
「外に行くなら、お土産よろしく。ファンデーションで欲しいのがあったの!他にもマニキュアの新色と、チークと……」
しかし、新たに振られた話題は話題で、ジョミーを困らせるものだった。具体的な会社名まで次々に挙げ連ねていくニナを見て、ジョミーは思わず顔を引きつらせる。ほぼ十年間女性陣の買い物係をしてきたジョミーだが、化粧品やブランド品なんてものは、今になっても正直何かの暗号にしか聞こえない。
「に、ニナ、化粧品って僕、あんまり良く分からないから、一気に言われると困るんだけど……」
「もう、ジョミーったら!ジョミーだってもう大人なんだから、たまにはお化粧ぐらいしたらどうなの?」
「大人か……」
確かに、ジョミーはもう二十四歳なのだから、立派な大人と言える。けれど、身体自体の成長は、ブルーが覚めない眠りに落ちた十年前のあの日に止めてしまった。だから、外見年齢は十四歳のままなのだ。しかも、ジョミーは平均的十四歳と比べると少し童顔気味だったので、外見だけを見るとどこかまだ幼く見えるし、何より男に間違えられてばかりだった自分が化粧をしても、滑稽に見えるだけだとジョミーは思っていた。
「僕なんかが化粧したって、似合わないよ」
「そんなことないわよ!ジョミーはいっつもそんな格好してるけど、女の子らしい格好も絶対似合うんだから!」
「人には向き不向きがあると思うんだ」
「それはあるだろうけど、ジョミーはちゃんと女の子らしい格好も似合うわよ!」
かつて母親やスウェナが言っていたのと同じことを繰り返すニナに、ジョミーは困ったように笑うことしかできなかった。
その後、ニナと別れた後、ジョミーは方々を回って必要なものを聞いて回ることにした。そして厨房へ赴いた次に、そこから一番近くにあった医務室に足を向けた。
「ドクター・ノルディ、カリナ、いるか?」
ジョミーは扉を開けて、ノルディとカリナがいることを確認する。普段ならナース姿で働いているはずのカリナは、今は検査用の簡素な衣服を身につけていて、何故か今にも泣きそうな顔になっていた。
「あー……すまない、邪魔をしたようだな。明後日外へ買い物に行くから、必要なものをリストアップしておいてくれ。後で取りに来る」
邪魔をするべきではないかと判断したジョミーは、部屋の入り口からそれだけを告げて次へ行こうとするが、その前にカリナに呼び止められた。
「ジョミー、聞いてください!」
そんな声と共に、喜色満面で走り寄ってきたカリナに思い切り抱きしめられる。
「ああ、信じられない!まさか、こんなことが……!」
「カリナ?」
その声は今にも泣きそうなものなのに、同時にとてもうれしそうに聞こえる。それが何故か分からず、カリナの肩口に顔を押し付けられるように抱きしめられたままジョミーが困惑していると、いつの間にか近づいてきていたらしいノルディの声が上から降ってくる。
「私もまだ信じられん……だが、検査の結果が間違っているとは思えないし……」
「ドクター?カリナも、二人ともさっきから何のことを言っているんだ?」
「ああ、すまん」
ノルディはそう言って、いったん言葉を区切ると、どことなく戸惑ったような声で言った。
「カリナは妊娠しているんだ」
「……にんしん?」
言葉の音と意味とが結びつかず、しばらくの間ぽかんとした顔をしていたジョミーだったが、やがてその意味を悟って驚愕に目を見開いた。
「って妊娠!?ええっ!?そんな、なら走ったりしたら駄目なんじゃ……!早くベッドに眠って安静にしてないと……!」
昔聞いた妊婦についての数少ない知識を思い出して、ジョミーが慌てふためいていると、ようやくジョミーを放してくれたカリナが困ったような笑みを浮かべる。
「まだ三ヶ月なんです。こんな時期からずっとベッドで安静にしていたりしたら、むしろ身体に良くないんですよ、ジョミー」
「そういうものなのか?いやでも、やっぱり妊婦が走るのはいけないと思うんだけど」
「はい。それは今度から気をつけます」
素直に頷くカリナの顔を見てから、ジョミーは彼女のまだ膨らむ様子を見せていない腹に目をやった。三ヶ月なら、妊娠していてもまだ見た目には分からないというようなことを昔聞いたことがあるが、本当に平素と何ら変わっていないように見える。
「……触っても?」
「ええ、もちろんです」
笑顔で快諾するカリナの腹に、ジョミーは恐る恐る手を伸ばして触れて、信じられないように問いかけた。
「……本当に……ここに、赤ん坊が……?」
「ええ。最近体調が優れなくて、でもどこが悪いというわけでもなかったから無視していたんですけど、そうしたらナースの君がそんなんでどうするってドクター・ノルディに怒られちゃって……それで検査をしてみたら、ついさっき妊娠してるって言われたんです」
「そうか……おめでとう、カリナ」
ジョミーはカリナの腹から手を離して、ふわりと慈しむような笑みを浮かべる。そんなジョミーの手を取り握り締めて、カリナは両目に感謝の光を湛えて言った。
「貴方のおかげです」
ジョミーは虚をつかれたように目を見開いて黙り込んだ。
「貴方があのとき、私とユウイに祝福をくれたから、この子ができたんです」
「いや……でも……」
ジョミーは困ったように首を傾げた。
「……それが理由で子供ができたとは限らないし……」
確かに数ヶ月前、カリナとユウイの二人に祝福を与えたのはジョミーだったが、ジョミーからの祝福が理由で妊娠したわけではない可能性だってある。
しかしカリナは、ジョミーの困惑も気にすることなく、きっぱりと言い切った。
「いいえ、貴方のおかげだって、私には分かっています」
そしてカリナは、これまで見たこともないほど優しい顔になると、まだちっとも膨らんでいない腹に両手を当てて、母親の顔をして己の腹に向かって微笑んだ。
「ここに私とユウイの赤ちゃんがいる……私、母親になるんですね。貴方に初めて会ったとき、貴方の心はママのことでいっぱいだった。貴方の中のママは優しくて綺麗で温かくて……憧れました。あのときからずっと、私は母親になりたかったんです……でも、このシャングリラの中ではそんなこと叶うわけがないって知っていました……なのに、こんな……」
優しく微笑んだまま、カリナははらはらと涙を流す。
「……こんな幸せがあるなんて、考えたこともなかった……本当にありがとうございます、ジョミー」
「カリナ……」
何を言えばいいか分からず、ジョミーはただ、カリナを見ていることしかできなかった。