りーぴ2 01

 ――……大好きだから、置いていかないで……。

 ジョミーがただそれだけを願って己の命数を減らした日から、今日でもう十年になる。
 ブルーの意思を無視して、己の命の半分を無理やり明け渡したあの日あのときあの瞬間に望んだのは、たった一つだけのことだった。ブルーと一緒に生きていきたいという、ただそれだけのこと。
 ブルーが、ジョミーの命を削ってまで長く生きていたいと思うような人ではないことを、ジョミーは正しく理解していた。三百年間ずっと仲間であるミュウのために身を粉にして尽くしてきて、己の命さえ削ってきたほどの優しい人だから、自分が長く生きるためにジョミーの命が短くなることを簡単に受け入れるはずがないことぐらい分かっていた。
 けれどそのことが分かっていてもジョミーは、ブルーに置いていって欲しくなかった。一人になんてなりたくなかった。この命が続く限りずっと、ブルーと一緒に生きていたいと思った。だから、ブルーの意思を無視して無理やり自分の命を半分彼に分け与えた。
 その行為が、醜いエゴに過ぎないのだと知っていた。好きだからといくら言っても、それが理由にならないのだということぐらい分かっていた。独りよがりの、見苦しいわがままなのだということぐらい、ジョミーはちゃんと自覚していた。それでも、どうしてもブルーに生きていて欲しかったから、十年前のあの瞬間ジョミーは思いを行動に移すことをやめられなかった。
 ブルーが生きていてくれるのなら、たとえ自分の命が半分に減ろうと、後で目を覚ましたブルーにどれだけ怒られようと、そんなことはどうでもいいと思っていた。ただ、ブルーが生きていてくれるのなら、それだけでいいと思っていた。
 そしてジョミーが望んだとおり、かつてフィシスが告げた十年という月日を越えた今になっても、ブルーは生きている。けれど、生きているだけだ。心臓は動き、息が為され、生命活動が続いているだけの状態。ジョミーが無理やり己の命の半分をブルーに分け与えたあの瞬間から、ブルーはずっと眠り続けている。ジョミーの命の半分を、体に取りこむことを拒否して。
 蒼の間で、十年前から少しも変わることなく、まるで物語の中の眠り姫のようにブルーは眠り続けている。



◇ ◇ ◇



 薄暗い蒼の間で、ブルーが眠っている大きな寝台の端に遠慮がちに腰掛けたジョミーは、眠り続けるブルーのことを暗い顔で見つめていた。
「ブルー……」
 そう言ったジョミーの声は、悲しいほど静かな部屋の中に反響して小さく響き渡る。ジョミーはそっと遠慮がちに手を伸ばして、ブルーの白い頬に触れた。あまり血の気の感じられない頬に触れた指先からはそれでも、かすかではあるがしっかりとしたぬくもりが伝わってきて、その事実にほんの少しだけ安心する。
(……まだ、生きている……)
 そのことが、泣きたくなるほどうれしい。けれど同時に、どうしようもない悲しさがジョミーの胸を襲う。
(……生きていてくれれば、それだけでいいと思った……でも……ずっと眠り続けているなら、そんなの……死んでいるのと変わらないじゃないか……)
 ジョミーは泣きそうに顔を歪ませた。かつてブルーに、緑の息吹が息づいたようだと称された瞳には、薄い水の膜が張っている。けれどそこから、涙が零れ落ちることはなかった。それが涙として頬を伝い落ちるその前に、ジョミーが乱暴な仕草でそれを拭ったからである。
 10年前と少しも変わらない寝顔を見つめてから、ジョミーはそっと目を伏せて、ブルーの頬に触れていた指を、いつも清潔に保たれているシーツの上に落とした。死んだように眠り続けるブルーを、長い間直視するのは耐え切れなかったのだ。ブルーから視線を逸らしたジョミーは、暗い声でぽつりと呟く。
「……ブルー……そんなに嫌だった……?僕の命の半分を取りこむことは、そんなに……」
 ジョミーの命の半分である生命エネルギーが体になじむことを拒んで、10年もの間眠り続けてしまうほど、ジョミーの命を分け与えられることはブルーにとって嫌なことだったのだろうか。
「ブルー……」
 ただ好きで、だからこれからもずっとブルーと一緒に生きていきたかっただけなのに、それだけの望みがどうしてかなわないのだろう。ブルーが他の人を好きだから一緒に生きることができないというのなら納得できる。けれどブルーは、ジョミーのことを好きだと言ってくれた。彼は何も知らないで、二度もジョミーのことを好きになってくれた。それなのにブルーは、ジョミーと一緒に生きていくことを受け入れてくれないのだ。
 そう考えて、ジョミーは力なく首を横に振った。
(違う……ブルーを責めるのは間違っている……この人が目を覚まさないのは僕のせいなんだから……)
 ブルーの了承を得ずに、勝手なことをしたジョミーが悪い。それは分かっている。
 けれど、ブルーが目を覚まさなくなってから、もう十年だ。十年もの間、ブルーはジョミーの命を――ジョミーの願いを拒み続けている。それはまるで、ジョミー自身のことを拒まれているように思えて、この十年間ずっとジョミーの心をさいなみ続けてきた。
 ブルーのことは好きだ。けれどこの十年は、ブルーに対するジョミーの気持ちを、それだけでは終わらせてくれなくしてしまった。好きで好きで好きで、だからこそいつまでもジョミーの命の半分を拒み続けて目覚めてくれないブルーが、嫌いだと今のジョミーは思ってしまう。けれどそれでも好きだという気持ちに変わりはないから、苦しい。苦しくて苦しくて、仕方がない。ブルーが目覚めないのは、ジョミーが勝手な行動をしたせいだと分かっていても、そんな事実は荒れ狂うこの感情の前では何の役にも立たない。好きで、大好きで、愛しくて、切なくて、嫌いで、憎らしくて、寂しくて、悲しくて、様々な感情がジョミーの中で渦巻いている。人を好きになるということが、こんなにも苦しいことだったのだと、ブルーを好きになってジョミーは初めて知った。
 好きなのが苦しくて、嫌いだと思うのが苦しくて、嫌いだと思うのに結局ブルーのことが好きなのがもっと苦しい。相反する感情がせめぎあうのが苦しい。
「……苦しいよ、ブルー……」
 ジョミーは目を瞑って、唇を噛み締めた。
 ブルーが目を覚まさないで、十年間眠り続けているだけで、ジョミーはこんなにも苦しい。
 たった十年でこれだけ苦しいのならば、ジョミーが死んだと思っていたブルーは、三百年もの長い間どれだけ苦しかったのだろうか。ブルーを置いて死んでしまった――実際にはそうではないけれど、ブルーはジョミーを死んでしまったと思っていたはずだから、死んでしまったと言って問題はないだろう――ジョミーのことを、ブルーは一度として憎らしいと思わなかっただろうか。嫌いにならなかったのだろうか。
 三百年間ずっと、ブルーはジョミーのことを忘れなかったと言った。本来の姿ではなかったジョミーのことをジョミーと知らないでいた彼は、そのときのジョミーのことをずっと好きでいたかったと言った。けれど一度として、三百年間ずっとジョミーのことを好きだったとは言っていないという事実がふと脳裏に甦ってくる。それは、長い時の流れの中で、ブルーの気持ちが変わってしまったことを意味するのではないだろうか。たった十年間でジョミーがブルーのことを好きだけれど同時に嫌いだと思うようになってしまったように、好きでいたかったというブルーのあの言葉は、ブルーもまたジョミーと同じように、ジョミーのことを嫌いだと思うようになってしまったことを暗に意味していたのではないだろうか。
(ダメだ…………何馬鹿なこと考えてるんだろう、僕……)
 ジョミーは首を横に振って、別のことを考えようとするが、思考は同じところへ戻っていく。
 ブルーのことを好きだけれど、同時に嫌いだと思う。ブルーもまた、三百年間ずっとこんな苦しい思いを抱えて生きてきたのだろうか。どれだけジョミーが起きて欲しいと望んでも、この十年間決してブルーが目を覚ましてくれなかったのは、ジョミーの命を取り込むことを拒んでいるわけではなくて、単にジョミーに対して怒っているだけなのかもしれない。三百年間もブルーを一人にしていたジョミーのことを許せないから、ブルーは起きてくれないのではないだろうか。
 自分のせいでブルーは目を覚まさないのに、ブルーの気持ちを疑うなんて最悪だと分かっているけれど、そんな気持ちはじわじわとジョミーの心を侵食する。ブルーが眠り続ける原因が自分にあると痛いほど分かっている中で、十年という月日は長すぎた。
 ブルーが目を覚まさないのは、ジョミーの命の半分を己の体に完全に取りこむことを拒んでいるせいだと分かっていても、気持ちが屈折してしまうことを止められない。ブルーのことを好きだという気持ちは変わらないのに、だんだんと嫌いだという気持ちが大きくなっていく。
 暗い考えに沈みこんでいると何故かふと、精神だけになって飛ばされた、何年後かも分からない未来で会った自分が言っていたことが脳裏をよぎった。

 ――僕が選んだこの道は、間違っているのかもしれない。でも僕は、どうしても失いたくなかったんだ。だから……。

 ああ言ったとき、未来のジョミーは悲しそうに笑っていた。あのときは、それに続く言葉も、どうして未来の自分がそんな表情をしているのかも、何故自分が選んだ道を間違っているかもしれないと言ったのかも分からなかったけれど、今なら三つともはっきりと分かる。
 だからに続くはずだった言われることのなかった言葉は、だからブルーに命の半分を与えたと来るのだろう。悲しそうに笑っていた理由も、自分が選んだ道が間違っていたのかもしれないと言った理由も、その行動の結果、ブルーが目を覚ますことなく眠り続けているからなのだろう。
(僕も、今なら分かる……間違っていたのかもしれないって言った、未来の僕の気持ち……)
 無理やりブルーに命の半分を押し付けたりしないで、もっとちゃんと話し合ってブルーの了承を取っていれば、きっとこんなことにはならなかった。あるいは話し合った結果、ブルーに言いくるめられて命を分け与える話は無効にされてしまったかもしれない。けれど、そうやって進んだ未来はそれでも、残された時間をできる限り有意義なものに過ごそうとして、きっと今よりもずっと幸せなものとなっていたはずだ。あのときちゃんとブルーと話し合いさえしていれば、たとえどんな未来が待ち受けていたのだとしても、これほどまでに苦しい思いをすることはなかったのだろう。
 今のジョミーは、そう思う。
 けれど十年前のジョミーは、きっとそんなことは分からなかった。ただひたすらにブルーと一緒にいたいという気持ちでいっぱいで、ブルーの意思まで斟酌する余裕なんてなくて、身勝手な行動の結果起こるかもしれないことなんて考えることもなかった。
 かつて選んだこの道を、間違っていたのかもしれないと今は思う。それでも、この道を選んだのは自分自身でしかないし、ブルーのことをどうしても失いたくないと思う気持ちは、あの日から十年経った今もこの胸の中に息づいている。
 どうしても失いたくないと望んだ狂おしい気持ちがある限り、この未来は、きっと確定事項だったのだ。
「……ブルー……」
 ジョミーはそっと呟いて、ためらいがちな手つきでブルーの手を取った。かつてなら、望まなくても握り返された手が握り返されることは、今はもうない。


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