りーぴ 08

 そして次に気付いたときには、暗い森の中に立っていた。
『何だったんだ、さっきの……?』
 生まれる前とか過去とか時を渡るとか、あのトォニィという青年は一体何のことを言っていたのだろう。
『大体、どうして僕がもう一人いたりするんだ……訳が分からない……』
 ブルーの裏切りから始まって、今日は色々なことがありすぎた。そのせいで、悲しんだり沈んでいる暇もありはしない。疲れたジョミーが大きなため息を吐いていると、突然左方向からがさごそと物音がしてきた。
『何だ……?』
 ジョミーが眉をひそめて身構えていると、木々の間から一人の少女が飛び出してくる。その少女は体中どころか、長い髪の毛まで血の色に染めているほど傷だらけ――と言うより正確に言うならば銃弾の貫通穴だらけで、今動いているのが不思議になるほどの重症だった。
『なっ……大丈夫か!?』
 ジョミーは慌てて駆け寄ろうとするがすぐに、普通の人間には今の自分の姿が見えることはないのだということを思い出して立ち止まった。しかし、少女はジョミーが立っている場所を見ると、恐れるようにひっと息を呑んで叫んだ。
「っ……いやああ!殺さないで!違う、私はっ……ミュウなんかじゃ、ない……!!」
 くすんだ金髪を振り乱して少女は、必死の形相だ。彼女の言葉を聞いたジョミーは、彼女がミュウで、能力が発現したことがきっかけで殺されそうになって、傷だらけになりながらもどうにかしてここまで逃れてきたのだということが分かった。
『落ち着いて!僕は敵じゃない!!』
「いや、いやっ!!ころさっ……は、あ……かはっ!」
 少女は金切り声を上げていたかと思うと、突然胸をかきむしるように苦しみ出して膝をつき、大量の血を吐いた。ジョミーは慌てて駆け寄ると、少女の体を抱き起こした。
『しっかりするんだ!』
「……い、や……おねが……死にたく、ない……」
『目を瞑っちゃダメだ!!』
 ジョミーは必死になって呼びかけるが、少女の息はだんだんと弱々しくなっていく。見開いた琥珀の瞳から滝のような涙を流しながら、少女はかすれ声を上げる。
「いや……い、やよ……」
『目を瞑るな!しっかりするんだ!!』
「し……にた、く……ない……」
 少女の体から、ガクリと力が抜ける。その一言が、少女の最後の言葉になった。
 ジョミーはその痛ましさに目を瞑った。しかしすぐに目を開けると唇を噛み締めて、少女の遺体を埋葬してやろうとして、まず開いたままの瞳を閉ざしてやろうとする。その際、光を失った少女の琥珀色の瞳と目が合った、ようにジョミーは感じた。
 そしてその瞬間。
 ――死にたくない。
 頭の中に、強くそんな声が響く。同時に、琥珀色の瞳の中に引きずり込まれるような感覚を受けた。視界がぐるりと反転する。
『っ……』
 ジョミーはぎゅっと目を瞑って、その感覚に耐えた。しばらくするとそれは治まって、ジョミーはゆっくりと目を開けて体を起こした。
「……何だったんだ……?」
 そう言ってから、ジョミーはふと違和感に気付いた。
「あれ……?僕、こんな声だったっけ……?」
 不思議に思って首を傾げると、さらりと長い髪の毛が肩を滑り落ちる。
「ん?……はあっ!?何この髪!?」
 ジョミーは驚愕に目を見開いて、長い髪の毛を引っつかんで硬直した。引っ張ると痛い、ということはこれはジョミー自身の髪の毛だということだ。いつの間にか、髪の毛が腰に届くぐらい長くなっていた。
 呆気に取られて絶句していると、ふと自分が血まみれになっていることに気付いた。しかも、何故か服装も変わっていて、先ほど死んだ少女が着ていたのと同じ服を着ている。スカートがボロボロに破れて短くなっているのも、上着のところどころに銃でできた穴が開いているのも同じだ。
「そう言えば……あの子はどこに……?」
 ついさっきまで目の前に横たわっていたはずなのに、少女の姿は忽然と消えうせていた。何となく嫌な予感がして、ジョミーは自分の体を見下ろした。
 体中血まみれだった。先ほど死んだ少女のように。
 髪の毛の長さが変わっていた。先ほど死んだ少女も、これと同じぐらいの長さをしていた。
 服装も変わっている。先ほど死んだ少女が着ていたのと、同じ服だ。
「まさか……」
 つうっと、冷や汗が額を流れ落ちる。
「……引きずり込まれた……?」
 その言葉が真実だと、何故か理由もなく、ジョミーは直感した。死のその瞬間まで、あの少女は死にたくないと望んでいた。強く強く、そう、とても強く。その願いは死してなお少女の肉体に留まって、死した肉体は死にたくないという願いだけのために、たまたま近くにいた生命力にあふれるジョミーのことを引きずり込んだのだ。
 肉体を持たない思念体だったことが災いして、ジョミーは死肉の体に引きずりこまれた。



◇ ◇ ◇



「……出られないし……」
 先ほどと同じ場所に座り込んで、ジョミーは大きなため息を吐いていた。ちょっとがんばれば、すぐにこの体から出ることができると最初は思っていたのだが、全くそんな気配はない。たとえそれが自分本来のものでなくても、肉体を得たことでサイオンを司るどこかの部分が安定したのか、サイオンを使うことはできるようになったのだが、制御がまるでできないところは変わっていない。
 ジョミーは再びため息を吐いた。
「こんなところでじっとしてても仕方ないし……とりあえず歩こう……」
 そう思って立ち上がろうとするのだが、何故か足に力が入らない。不思議に思って体を見下ろしてみたジョミーは、この体の持ち主がひどい怪我をしていたことを思い出した。この少女は、その怪我のせいで死んだのだ。
「……飛んでいくか……」
 さっさと結論を出したジョミーは、サイオンを使ってふわりと浮かび上がると、思い立った方向へ木の間をすり抜けて向かい始めた。思念体ならば、もっと上空を飛んでも問題ないが、今のジョミーには人様のもので死体だとは言え一応肉体がある。飛んでいるところを人に見つかったりしたら、面倒なことになるだけだ。
 低いところをそれなりのスピードを出して飛んでいると、突然目の前が開ける。大きな湖がそこにあった。その水の色に一瞬既視感のようなものを感じたけれど、水の色なんて皆同じだとすぐに忘れた。
「ちょうどいいや。体洗おう」
 服も血まみれだったので、ジョミーは服を着たまま水の中に入っていく。宙に浮かぶのをやめて水の中に座り込み、肌や髪にこびりついた血を洗い流していくと、周りの水が赤く染まっていくのが分かる。それを見たジョミーは、痛ましげに顔を歪めた。こんなひどい出血をしている状態で、あんなふうに必死になって逃げてきて、死にたくないと言ったこの体の持ち主である少女は、どれだけ怖かっただろう。どれだけ強く死にたくないと願えば、ジョミーを体の中に引きずり込むほどの思念を残すことができたのだろう。
「……まだ、こんなに若かったのに……かわいそうに……」
 赤く染まった水面に映る姿を見て、ジョミーは唇を噛んで胸に手を当てた。そうしても、胸の鼓動はまるで感じられない。ジョミーという強靭な生命力を持つ思念体を取りこんでも、この体はもう死んでいる。心臓が動いていなくても、それは当然のことで驚くようなことではない。心臓が動いていないから、体中の傷口からはもうほとんど血は流れてこない。銃に撃たれた傷だけが、丸く肌に痕を残している。
 水の中にある右腕の銃創をぼんやりと見つめていたジョミーは、同時に水面に映っている自分の姿を意識せず見ることになっていたのだが、そのときふとおかしなことに気付いた。
「あれ……この子……こんな顔してたっけ……?」
 水面に映る少女の姿は、何故か少しジョミーに似ているように見えた。錯覚かと思ってまじまじと水面を見つめるが、やはりそこに映る姿は自分に似ている。水が血に染まって赤くなっているせいでよく見えなくなっているのかもしれないと思って、場所を移動して綺麗な水面を見つめるが、目の錯覚でも水の色のせいでも何でもないようだ。そして、澄んだ水に映った姿を見ることで、さらに新たな事実に気付く。
「そう言えば、髪の色も目の色も違う……?」
 死んでしまった少女は、くすんだ金髪に琥珀色の瞳をしていた。しかし今水面に映るこの姿は、淡くキラキラ輝く金の髪に、緑と琥珀が入り混じったような不思議な目の色をしている。それはまるで、死んでしまった少女とジョミーの容姿を足して半分に割ったような姿だった。
「体はこの子のだけど、僕の精神が中に入ったことで外見に影響が出た……のかな?」
 ジョミーは難しい顔になった。死体とは言え、この体はジョミーのものではない。ジョミーのせいで変な影響を与えてしまったりしたら、かわいそうだ。早く出る方法を考えないとと思って、水の中に胸近くまで浸かったまま眉根を寄せていると、突然背後からガサッという音が聞こえてきた。
「誰だ!?」
 もしかして、この少女を追っていた奴らかと思ったジョミーは、険しい顔をして振り返る。しかしそこにいたのは、一人の年若い少年だった。
「……ブルー……?どうしてここが……」
 その少年の姿を見たジョミーは、呆然と目を見開いてそう呟く。しかしすぐに、それが間違いだということに気付いた。その少年は、淡いクリームイエローの髪の毛に、水色の目をしていた。見た目はブルーそっくりだが、まとう色彩がまるで違う。
 しかし違う人だと分かったからと言って、ブルーそっくりの少年を見つめていたいような気分ではなかったので、ジョミーはふいっと視線を逸らしてぶっきらぼうな口調で謝った。
「ごめん、人違いみたいだ。気にしないで」
「……いや、僕の名前はブルーだから、間違ってないと思う……君は誰?どうして僕の名前を知っているんだ?」
「え……?」
 ジョミーは目を見開いて、まじまじとブルーと名乗ったその少年を見つめて、ぽつりと小さく呟いた。
「貴方も、ブルーって名前なの……?」
 色彩は違うけれど、そっくりな容姿をしている上に名前も同じ。世の中に似ている人間は三人いると言うけれど、名前まで同じなんてどれだけ低い確率の上に成り立っているのだろうか。しかもよく見ると、この少年も耳があまりよく聞こえないのか、補聴器らしきものを付けている。
(ホント、どんな確率なんだか……)
 ジョミーが思わずため息を吐いていると、少年は焦れたように再び問いかけてくる。
「聞いているのかい?君の名前は?どうして僕の名前を知っている?」
 その表情は、いつも穏やかなブルーなら絶対にしないような不機嫌さをはらんでいたから、ジョミーは何だか気が抜けてしまった。この少年は、容姿が似ていても名前が同じでも、ジョミーが知っているブルーではない。老成したような感のあるブルーとは違って、目の前の彼は普通の少年らしい雰囲気を身にまとっている。それが何だかおかしくて、ジョミーは苦笑をこらえながら答えた。
「僕はジョミー。別に貴方の名前を知っていたわけじゃなくて、貴方とよく似た人間を知っていて、その人がたまたま貴方と同じ名前だっただけだよ」
「へえ……それはすごい確率だね」
 目を見開いて驚く少年を見て、ジョミーは肩をすくめた。
「本当にね」
「ところで、いつまで水に浸かっているつもりなんだい?女の子なんだから、あまり体を冷やしたらいけないよ」
「え、いや……」
 ジョミーは戸惑った。水から上がれば、服がボロボロになっていることや体中傷だらけなことがばれてしまうだろう。服を修復できれば、腕の銃創一つ隠しさえすれば怪我をしていることなど傍目には分からないだろうが、あいにくとジョミーはそんなことができるほど器用にサイオンを扱うことができない。
 どうしたものかと思っていると、少年は不意に怪訝な顔になって言った。
「それは……血?」
 少年の視線をたどっていくと、ジョミーが着ている服の肩口の部分にたどり着く。体と髪の血はほとんど洗い流したのだが、そう言えばまだ服は洗っていなかったことをジョミーは思い出した。
「えーと、その、これは……」
 どうやって言い訳しようかと思って口ごもっていると、少年は突然湖の中に入ってきて、ジョミーのところへ近づいてこようとする。
「何やってるんだ!濡れるだろう!?」
「もう濡れてる」
 そう返した少年は、すぐにジョミーの側までたどり着くと、ジョミーの腕をつかんで立たせて、岸まで引き返していく。足に力が入らないので踏ん張ることもできず、ジョミーは引きずられるまま声を上げた。
「ちょっと、何するんだよ!?」
「怪我をしているんだろう?ついて来るんだ、今病院に……」
「っ……嫌だ!!」
 ジョミーは思い切り少年の手を振り払った。支えを無くした体はよろめいたが、気合で足に力を入れて転ばずに済ませる。けれど無理をしているのは傍から見ても明らかなようで、少年は心配そうな顔で問いかけてくる。
「どうして?早く手当てしないと……」
「……もう血も止まってるし、たいした傷じゃない」
「たいした傷じゃない?銃で撃たれた傷のどこが?」
 少年はそう言って、ジョミーの右腕をつかんだ。彼の目は、右腕にある銃創を捉えている。
「平気だって言ってるだろう!!」
 ジョミーは再び彼の手を振り払って叫んだ。少年は傷ついたような顔になる。それを見て、ジョミーはしまったと思って、ごめんと小さく呟いてから短く説明する。
「……病院には行けないんだ。その……色々あって」
 ジョミーもこの体の持ち主である少女も、すでにミュウとして当局に認識されているはずだから、そんな場所に姿を現すわけにはいかない。今は外見が変わっているから、この状態で姿を現しても人物の特定をされることはないはずだ。しかし、心臓も脈も止まってしまっている体で病院に行ったりしたら、ミュウだとばれることはなくても、どんなことになるか考えたくもない事態に巻き込まれることは確かだろう。もちろん、そんなことになってもサイオンを使って逃げ切る気満々だが、問題は起こさないに越したことはない。それにあまり力を使っていると、ブルーに場所を特定されることも考えられる。それは嫌だった。
(……ブルーには、会いたくない……)
 ジョミーが俯いて泣きそうになっていると、少年が再びジョミーの腕を――今度は傷のない左腕をつかんで、再び歩き始めた。
「……だから、病院には」
「病院が嫌だと言うのなら、僕の家に来るんだ。たいした手当てはできないが、何もしないよりはマシだろう」
「い、いいよそんなの!」
「遠慮しなくていい」
「遠慮じゃなくて、あまり人に見られたくないんだ!」
「それは心配しなくていい。僕の家は、この森を出てすぐのところにあって、隣家までは少なく百メートル以上離れている。それに、家に両親が帰ってくることは年に何度もないから、問題はない。それに、新しい服も必要なんじゃないのかい?」
「う……」
 服がボロボロになっていて、新しい服が欲しかったことは確かだったので、ジョミーは黙って彼の後についていくことにした。


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