腕をつかんできたブルーを振り払おうとして、ジョミーはサイオンをブルーに向かって全力で叩きつけた。直後、目の前に強烈な閃光が広がって、弾き飛ばされるような感覚を受けたところまでは覚えている。
『そこまでは覚えてるんだけど……ここはどこだ……?』
気付けば、何故か空の上に浮かんでいたジョミーは、周囲を見渡して困惑げに眉をひそめた。
『……シャングリラじゃないことは分かるんだけど……』
幸いなのは、体はブルーの部屋に置いたまま精神だけが弾き飛ばされてしまったのか今のジョミーは思念体で、こうやって不審人物まっしぐらに空を飛んでいても普通の人間には見えないということだろうか。幸いとは言っても、いいことと言えばそれぐらいで、長時間肉体を離れていたらあまりよくないし、最悪肉体に戻れなくなってしまうという危険性があるらしいのだが、都合の悪いことは総無視だ。死んでしまうかもしれないと言われたって、今ブルーの側に戻るなんてことは絶対にしたくなかった。それに死ぬ危険性があると言っても、それは一月も二月も体を放っておいたらの話で、一日二日でどうこうなるものではないというのもジョミーは教えてもらって知っていた。だからジョミーは、サイオンを使って自分の気配を消してブルーに見つからないようにしながら、ふわふわと宙を漂っていた。
そして、ジョミーは改めて下を見た。が、やはり全く見覚えのない光景だ。近代的なビルなんかはどこにも見当たらなくて、広い草原やら点々と建っている農家やらしか見えない。しかもその家と言うのが、やたらと古い造りをしている。図鑑でしか見たことがないようなものばかりだ。
(よっぽど辺境のところに来ちゃったのかな?)
そう思って首を傾げていたジョミーだが、ふと森の一点から、何かに引かれるような感覚を受けて振り向く。逃げる以外、特にすることがあるわけでもないので、とりあえずそこまで行ってみることにした。下降していくと、心引かれた場所ちょうどのところに小さな点が二つ見えるようになる。どうやら、人がいるようだ。人間には見えないと分かっていても、ジョミーは何となく堂々と近づいていくのも気が引けたので、こそこそと近づいていく。
そしてジョミーは木の影に隠れて、こっそりその二人の様子を窺うことにした。二人は年頃の若者で、一人は男で一人は女だった。女は無傷だが、男は全身血まみれで、肩にひどい傷を負っていた。
耳を済ませていると、二人の会話が聞こえてくる。
「……ジェームズ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
「嘘。そんなひどい怪我をして……大丈夫なわけがないわ……吸って」
「エリー、それは……」
「吸って。ずっとずっと……死ぬときも一緒だって約束したでしょう?」
「エリー……すまない」
そう言って、男は女のことを強く抱きしめた。
一連の会話と聞いて二人の様子を盗み見していたジョミーは、シリアスな展開についていけないで顔を引きつらせている。
(うわぁ……えーと、僕、邪魔しないうちに退散した方がいいかな……)
そんなことを思っていると、女を抱きしめていた男が頭を動かして、突然女の首筋に噛み付くような格好になった。
(なっ……!?)
物語の中で語られるヴァンパイアのような行為を目撃して、ジョミーは絶句する。しかしすぐに、男が別に血をすすっているわけではないということに気付いた。男は、首筋から女のエネルギーを吸っているのだ。
(まさか、ミュウ!?……あれ?でも、ミュウは植物からしかエネルギーを摂取できないんじゃ……?)
驚きながらも首を傾げていると、驚愕のあまり気配を隠すことがおろそかになっていたのか、女の首筋からエネルギーを摂取していた男が突然こちらを向いた。
「誰だ!?」
同時に、強いサイオンがこちらに向かって放たれる。
『うわっ……!』
とっさにバリアーを張るが、ちゃんと防御したにも関わらず、ブルーとサイオンをぶつけ合った先ほどのように弾き飛ばされるような感覚を受けて、ジョミーは思わず目を瞑った。
次に目を開けると、また別の場所に浮かんでいた。
『また飛ばされた……?おかしいな、ちゃんとバリアー張ったはずなんだけど……』
ジョミーは眉根を寄せてあたりを見渡す。今度は、森でも農家でも草原でもなくて、見慣れた高層ビルや近代的な家が目に入る。とは言っても、まるで見覚えがないから、ジョミーが生まれ育ったところからは遠く離れた町なのだろうが。
そうやって、地上から少し離れたところを漂っていると、ふと視線を感じた。そちらを振り向くと、ある屋敷の庭のところから、一人の小さな女の子がこちらを凝視しているところだった。背後に何かあるのかもと思って振り返るが、青い空が広がるばかりだ。ジョミーはゆっくりとその子のところに近づいていって、恐る恐る尋ねた。
『……もしかして、見えてる?』
ボール遊びをしていたのか、ボールを手に持った少女はこっくりと頷いた。普通の人間に、現在思念体となっているジョミーが見えるわけがない。と言うことは、この小さな女の子はミュウだというわけだ。
「お兄さん、だぁれ?」
『僕はジョミー……あと僕、一応女だからお兄さんじゃないよ……』
「ふうん……お姉さんは、ちょーのーりょくしゃってやつなの?」
『いや、違うけど……』
ジョミーの否定を聞かず、少女は少しうれしそうな顔で続ける。
「リィもね、きのうのきのうにどうぶつえんに行ってね、なきネズミを見たんだけどね、その後からなんだかへんなの。お姉さんみたいにとぶことはできないんだけど……ほら、見て?」
そう言って、少女は手に持っていたボールを前に差し出した。小さな手から、ボールはふわりと浮かび上がる。
(サイオン……!やはりこの子は……)
博物館でなきネズミのテレパシーに感応して、ミュウとしての能力が目覚めてしまったのだろう。ジョミーと同じパターンだ。
(まずい……早くシャングリラに保護しないと……)
ブルーがどうのと言っている場合ではない。なきネズミのテレパシーをきっかけに目覚めたのなら、ジョミーと同じように、すでに要注意人物としてチェックを受けている可能性が高い。その中で、こんなふうにサイオンを使ってしまったら、ドリームワールドでジョミーが殺されかけたように、この子に対しても処分命令が出されてしまうのではないだろうか。
『リィ、ちゃん?』
「なぁに?」
『ここにいると、君の身が危ない……何も聞かず、僕に付いて来てほしい』
「んー……パパとママも一緒ならいいよ!」
『それは……』
ジョミーが難しい顔になると、庭の草木の向こうから武装した数人の男たちが突然姿を現した。それを見たジョミーは、身構えて少女の前に立つ。
「リーシャ・ジョイス」
男の一人がそう言うと、少女はびくりと肩をすくめて、本能的に恐れを感じ取ったのか、すがるようにジョミーにしがみついた。思念体であるジョミーは人間には見えないから、少女の行動はさぞかし不思議な行動に見えただろう。
「君をミュウとして処分する」
男たちの中の一人はそう言うと、リーシャに向かって銃を構えて、直後その銃口から火が吹いた。ジョミーは銃弾を止めようとバリアーを張るが、何故か銃弾はそのバリアーをすり抜けて、さらには思念体であるジョミーの体もすり抜けて、背後にいたリーシャの体に直撃した。
『何でっ……!?』
ジョミーは目を見開いて振り返り、銃に撃たれてぐらりと地面に倒れていくリーシャの姿を見た。リーシャの目にはすでに光がなくて、絶命していることは明らかだった。
『っ……!!』
初めて見た人の死に対する恐怖と、すぐ側にいたのに助けられなかった自己嫌悪とで、ジョミーは声にならない悲鳴を上げて、無意識のうちにサイオンを爆発させた。再び、弾き飛ばされるような感覚に襲われる。
次。目を開けると、やはり知らない場所だった。今度は外ではなくて、誰かの部屋の中らしきところにいた。
『……僕は……』
助けられなかった少女のことを思って、ジョミーが歯を噛み締めていると、背後から突然抱きつかれた。
「ジョミー!?僕の部屋に来てくれるのなんて、久しぶりだね!」
『うわっ!?』
「ジョミー!!」
ものすごく明るくてうれしそうな声で抱きすくめられて、身動きも取れない。相手はジョミーのことを知っているらしいが、こんな声をした人をジョミーは知らない。どうしたものかと困っていると、背後からジョミーのことを抱きしめていた少年は腕の中でくるりとジョミーのことを反転させて、向かい合うような格好になった。
ジョミーを抱きしめていた人は、燃えるような緋色の長い巻き髪とオレンジの瞳が印象的な美青年だった。主人に会えてうれしそうな子犬のような顔をしていた彼は、ジョミーの眦に涙が浮かんでいることに気付くと、とたんに心配そうな顔になる。
「ジョミー?……泣いてたの?」
『っ……ちが……!』
「誰に泣かされたの?また、あの年寄りたちに苛められた?」
『違うったら!そんなことより、君は誰なんだ!?』
「え?」
青年は、大きな体には似合わないきょとんとした顔になって、次にむっとしたような顔になる。大人びた容貌とは裏腹に、くるくると移り変わる表情はまるで子供みたいだ。
「変な冗談はやめてよ、ジョミー。それとも、この前のことまだ怒ってるの?」
『いや、だから冗談なんかじゃなくて……』
ジョミーが心底困惑したような顔になると、青年もまた困惑したような顔になって、突然はっとしたような顔になった。
「貴方は、僕が生まれる前のジョミーなんだ!?過去から来たんだね!?あの爺と仲違いしたの?いい気味!あのクソ爺、いっつもジョミーを独り占めしてるから大嫌いだよ!」
「は、え?過去?」
「泣いてたのは、さっきの子供を助けられなかったせい?あんなのジョミーのせいじゃないよ、泣かないで。時を渡るなんて、本来ならありえない状態にいて、しかも思念体でそんなことになってるから今のジョミーはかなり不安定で、上手くサイオンが使えなくなってるんだ」
『っ……!』
心を読まれたことに気付いて、ジョミーは怒った顔になって青年の胸を押すと、無理やり彼と距離を取った。
「どうしたの?」
『勝手に心を読むな!!』
そう怒鳴ると、青年はきょとんと目を瞠る。
「そんなのいつものことじゃないか。どうして怒るの、ジョミー?」
『いつもって何だよ!僕は君なんか知らないって言ってるだろう!!』
ジョミーが本気で怒っていると、青年はおろおろと焦り出して必死になって謝ってくる。
「あ……ごめんなさい!ジョミー!!謝るから嫌わないで!!」
そう言って、大きな体を縮めてしょぼんとしている姿は、まるで子供みたいだ。子供をいじめているような気分になって、ジョミーは複雑な表情になる。
『……今度から止めてくれれば、それでいいよ』
「本当!?ジョミー大好き!」
『わっ……こら!!』
大好きと叫んで抱きついてくる青年を引き剥がそうと奮闘していると、突然部屋の扉が開いて誰かが入ってきた。
「トォニィ、何を騒いでいるん、だ……?」
『え……?』
入ってきたのは、どう見てもジョミーだった。ジョミーが軽いパニックに陥っていると、今入ってきたジョミーそっくりの人は何かに納得したような顔になると、こちらへ向かってすたすたと近づいてくる。
「そうか、今日だったのか。トォニィ、いつまで抱き付いているつもりだ」
「……はーい」
どうやらトォニィという名前らしき青年は、しぶしぶとその人の言うことに返事をすると、ジョミーに向かってにっこり笑って、何の前触れもなく唐突にジョミーの唇にキスを落とした。
「っ……!?」
「今はまだ十四歳なんだよね、ジョミー。あと十年ぐらいで会えるから、待っててね」
(僕のファーストキス……!)
ジョミーが口元を押さえて、目を白黒させていると、トォニィは無邪気に喜び始める。
「あ、初めてだったんだ。やった!」
「……トォニィ……僕がいることを忘れてないだろうな」
地を這うような低い声で、ジョミーそっくりの人が言った。トォニィはぎくっと体を強張らせてジョミーから離れる。それを見て、ジョミーそっくりの人は大きなため息を吐いて言った。
「……叱るのは後だ。とりあえず、こっちを先に済ませよう」
自分そっくりの人間の出現と奪われたファーストキスのせいで、ジョミーは目を白黒させているが、その人はかまわず近づいてきてジョミーの肩に触れると、苦い笑いを浮かべて言った。
「一番初めに飛ばされたところで見た光景、覚えてる?」
『は……?』
「ミュウは、植物からだけじゃなくて、人間からもエネルギーを摂取することができるんだ。でも、それは普通の食事とは違って、自分の生命エネルギーを他人に分け与えること――つまり、自分の命を他人に分け与えることだから、ほとんどのミュウは本能的にそれを拒否している。でも、双方の間に深い絆があれば、不可能じゃないんだ……このことを、忘れないで。もしかしたら、君は僕とは違う未来を選ぶのかもしれない。それでも、この可能性だけは覚えておいてほしい。僕が選んだこの道は、間違っているのかもしれない。でも僕は、どうしても失いたくなかったんだ。だから……」
『……何を言って……?』
「さあ、何だろうね。……もう、行くといい」
ジョミーそっくりのその人はそう言って、何故か悲しそうに笑った。そしてその人が、とんとジョミーの肩を押したとたん、ジョミーは本日すでに四度目の弾き飛ばされるような感覚に襲われた。